エノの初仕事
シン・J・ファンデは、ジャックとユキナとの間に生まれた王子。
厳格な両親の教育の賜物と言われ、物静かながら、いつも毅然とした態度を崩さず、その上 端正な顔立ちから、貴族の間では言い寄ってくる娘が跡を絶たなかった。
もうすぐ20歳を迎えることもあり、浮いた話もあちこちで聞こえていた。
シンは長身に真っ白なタキシードで身を包み、眉が隠れるくらいのサラサラした髪を風に揺らしながら現れた。 見るからに清潔感に溢れている。
城の前には、既に馬車や『傭兵村』からの護衛たちが待機していた。
彼らを見回すと、
「よろしく頼むよ」
と軽く微笑んで馬車に乗り込んだ。
この微笑が世の女性を狂わせるのだ……
そして気取らない態度から、家来や兵士たちの評判も良かった。
早速、シンを乗せた馬車が走り出した。
門には召使が並び、見送っていた。
国同士の交流のひとつであるパーティーが行われる隣国カナイ。
向かう途中、森の中でシンの乗る馬車が立ち往生してしまった。
「どうした?」
と心配そうに窓から顔を出して尋ねるシンに、リーダー:ソルドが慌てて駆け寄った。
鍛えられた体が馬車のたもとに小さくかがんだ。
「はい、昨日の大雨の性で道がぬかるんでおりまして、今、道の補修をしている所でございます。 どうか、今しばらくお待ちいただきたい」
「そうか……」
その首を伸ばして前方を見やると、兵士たちが皆馬から下りて、近くの草木を集めてきては大きな水溜りを埋めていた。
「決まりの時刻までには必ず送り届けますので」
神妙に話すソルドに、
「うん、すまないね、よろしく頼むよ」
と、シンは優しく微笑んだ。
ソルドは大きな体で一礼すると、自分も作業に走って行った。
馬車の中に残されたシンは、しばらく窓から外の様子を眺めていたが、やがて静かにドアを開けると馬車を降りた。
そして、散歩でもするかのようにその場を離れた。
数十歩ほど歩くと、小さな湖が現れた。
シンはそのほとりの倒木に腰を下ろした。
静かな空気が辺りを包んでいた。
時折、遠くから作業を進める声が聞こえた。
その時。
「シン様、洋服が汚れてしまいますよ」
声に振り向くと、エノが近づいてきていた。
そして、懐からハンカチを取り出すと、
「失礼します」
と、シンを少し立ち上がらせて、そっと敷いた。
「ありがとう」
ニッコリと礼を言うシンに、
「もうしばらく、お待ちください」
とエノも少し笑みを浮かべて一礼をすると、また走り去った。
シンはその後姿を見送ると、すぐにまた湖を見つめ、静かに時間を過ごした。
数刻後、エノはシンに声を掛けた。
「シン様、大変お待たせ致しました。 出発の準備が出来ました」
その言葉に立ち上がったシンは、敷いていたハンカチを手に取った。
「ありがとう、洗って返すよ」
すると、エノは驚いて返した。
「いえ、そんな、勿体無い! 大丈夫ですよ」
ニッコリと笑うと、シンからハンカチを受け取った。
「君の名は?」
「エノ と申します」
「女性か?」
エノはまたニッコリと微笑んだ。
まだ若干幼さの残る顔に小柄な体。
鎧に包まれて、少したくましく見える。
シンの先導をして馬車に戻りながら、ひとつに束ねた背中までの髪の毛がフラフラと揺れていた。
やがて馬車は軽快に走り出し、カナイへと向かった。
カナイ国はファンデ国より少し大きな国。
2国の友好関係は、何代も前から続いていた。
馬車は小高い山を登り、頂上の城へと向かう。
近隣の城の中でも、1,2を争う美しい城が、訪れるものを魅了している。
大きな正門をくぐり、豪華な扉の前で馬車は停まった。
数名の召使達が迎える中、奥から主:バンジュー・カナイが現れた。
小太りな体を揺らし、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
バンジューもまた、シンがお気に入りなのだ。
馬車を降りたシンは、ニッコリと笑った。
「お久しぶりです、カナイ卿。 まさか自らお出迎えくださるとは」
バンジューは固く握手を交わすと、豪快に笑った。
「立派に成ったな、シン殿。 3年ぶりか?」
笑うたびにポコッと突き出た腹が上下に揺れた。
そのまま、2人は屋敷の中へ消えた。
周りには他の国の馬車や兵士がそれぞれの待機場所に向かっている。
ソルドたちファンデの兵たちも、同じ敷地に割り当てられた待機場所へ馬を連れた。
そしてしばらくの休息の後、また立ち上がった。
彼らの仕事は、これで終わりではない。
催し物が終わるまで、彼らは屋敷内外の安全を守るためにパトロールや警護をするのだ。
何しろ複数の国の大物達が集まる行事。
何が起こっても対処しなくてはならない。
この日も、賑やかなパーティーは夜更けまで盛大に続けられた。
たくさんの料理に囲まれ、様々な国や職業の人たちがそれぞれに交流を深めた。
シンも若者ながら、色々な人との接待をそつなくこなした。
これも立派な、シンの仕事だった。
この姿を見れば、両親もますます安心するだろう。
翌日、昼過ぎになって、シンは帰路に着いた。
交代制とはいえ、夜通しの護衛にも関わらず、ソルドたちにそれは関係無い。
どっさりのカナイの特産品を土産に、シンを乗せた馬車は再び昨日通った道を走った。
途中、ソルドたちが必死で埋めた水溜りを越え、うららかな木漏れ日の中を馬車は軽快に走った。
さすがに疲れたのか、シンは馬車に乗り込むなり眠りに付いてしまった。