キズだらけのエノ
アルザスは、本当によくできた医者だったようで、小さな診療所には毎日誰かしらが訪れ、隣の診察室からは楽しそうな会話が漏れ聞こえてきた。
1人で営む診療所。
掃除から事務から全てを器用にこなしていた。
もちろん、定期的にエノの治療もしっかりとこなしている。
『人って、見かけに寄らないんだな……』
無駄の無い動きを見つめながら、エノはぼんやりと思っていた。
アルザスの意外な一面はこれだけではなかった。
診療時間が終わると、違う部屋から美味しそうな匂いを漂わせた。
ベッドの上でなんとか起き上がったエノの前に設置された小さなテーブルに、料理が並ぶ。
「はい、今日はビーフシチューで~す!」
エノの目の前には、毎食が見たことも食べたこともない料理が並ぶのだった。
そう、アルザスの特技:料理である。
黙々と食べるエノに、アルザスは自慢げに話した。
「野菜の甘みがすごく出てるだろ? なんたって6時間煮込んだんだ、美味くないわけないよな」
ニッコニコで話すアルザスに、
『どこにそんな時間があるのよ?』
と思いながら、エノは無表情で答えた。
「おいしいよ。 でも、こんな豪華な料理じゃなくてもいいの。 食べられればそれで満足だから……」
するとアルザスは、ハァッとため息をついた。
「なぁ、エノ。 今までどんな生活してきたかは知らない。 けど、単に食べるだけじゃなくて、楽しむことも大事なんだぞ」
「分かってる……」
楽しかったよ……
あの時は……
心を閉ざしているエノを少しでも元気付けようとしてくれているのか、もともとの性格なのか、アルザスはいつも明るく振舞っていた。
エノからしたら、その明るさがツライほど眩しかった。
アルザスは何も聞かないが、背中の傷は鞭で打たれたものだと分かっているハズだ。
犯罪者が脱走した……
そう思われてもおかしくない状況の中で、何故そこまで明るく接することが出来るのか、エノには分からなかった。
『怪我が治るまで……』
体が動くようになるまでは、大人しくしていようと思った。
アルザスに治療してもらいながら、エノは尋ねた。
「あの…… 私、どこで倒れていたのか、覚えていないの。 教えてくれない?」
アルザスは黙って聞きながら、とりあえず治療を終えた。
そしてベッド横の椅子に座ると、静かに話し始めた。
「まだ朝もやが残ってる早朝。 薬草を採りに行った森の中で、倒れてたんだよ……」
☆☆☆
♪~
鼻歌交じりに森の中を歩くアルザス。
涼しさを通り越して、冷たささえ感じる風が木々を撫で、アルザスの息も白い。
背中にしょったリュックに、吟味した薬草を入れながら歩いている。
自分で使う薬は、自分で調合する。
それが彼のポリシーだった。
ガサガサッ
不意に草むらの向こうで物音が聞こえ、様子を伺いながらその方へ近づいていくと、3,4匹のオオカミたちが何かに群がっているのが見えた。
「?」
獲物を取り合っているのかと見ていると、その足元に人の手が見えた。
「!!」
アルザスはとっさに、護身用として持っていた短銃を構えた。
パンパンッ!!
音に驚いたオオカミたちは、あっという間に散っていった。
周囲に居ないのを注意しながら走り寄ると、その横たわった体を診た。
「ひでぇ……」
うつぶせのその背中には血がこびりついて真っ赤だった。
オオカミたちはきっとこの血の匂いに誘われてきたのだろう。
腕や足に、さっきのオオカミたちのものらしき噛み跡も無数に残っていた。
アルザスはその顔に耳を近づけた。
「うん、息はあるな」
ゆっくりと抱き起こすと、傷だらけの顔があらわになった。
彼には、その顔に見覚えは無かった。
だが医者という職業柄、放っておくわけがなかった。
リュックを片腕に掛け直し、エノをおぶると、急いで森を出た。
☆☆☆
「傷口に細菌が入って病気になってたら、もっと時間が掛かってただろうけどな。 なんとかそれは免れたみたいだ。 よかったな」
優しく微笑むアルザス。
その笑顔に、エノの心には『本当の事』を言えない罪悪感が増えていた。
それから何日かすると背中の違和感もだいぶ薄れ、体をぐるぐる巻きにしていた包帯もほとんど取れた。
「もう少しだな。 ここで気を抜くと、傷跡が残ってしまうんだ」
治療の効果に満足そうなアルザス。
窓を開けると、部屋を満たさんばかりに差し込む陽の光に、エノは目を細めた。
「ちょっと、出かけないか?」
逆光に溶けるように彼は立っていて、にっこりと微笑む歪んだ口元がかろうじて見えた。