エノを助けるために……
バタンッ!!
シンはリビングに入ると、ジャックに詰め寄った。
「何故、エノにあんなことを!?」
「何のことだ?」
ジャックは優雅に紅茶をすすりながら見返した。
「ロープで吊るして、鞭打ちにしただろ!?」
「? そこまでは指示していない。 牢屋に閉じ込めておけと言っただけだ。」
「クソッ!」
シンは、平然として話す父に苛立ちを隠せなかった。
ガンッ!
とテーブルを殴ると、行き場のない怒りに体を震わせた。
それを気にするでもなく、ジャックはシンに声を掛けた。
「シン。 もうあきらめなさい。 ディアと結婚すれば、お前は必ず幸せになれる」
「それは、家の為でしょう!」
「シン! それはファンデ家に生まれた者の運命だ!」
ジャックまで声を荒げた。
周りのメイドたちが、体をビクッとさせた。
厳格とはいえ、あまり声を荒げることのない主人なのだ。
しばらく静けさが部屋を包んだ。
フゥと大きく息をつくと、ジャックは静かに言った。
「シン、お前も気づいているハズだ。 もう子供じゃない。 ちゃんとしたしつけや教養をつけた息子を信じたかった。 だから、脅すつもりも、強制するつもりもなかった。 だが、お前は我を忘れすぎた」
「……」
シンは、先刻のエノを思い出していた。
彼女はいつも、自分との身分の違いに悩んでいた。
2人で居るときもどこか遠慮しがちな態度で、時々
「たまには家に目を向けてみないと」
と諭すようなことも言っていた。
今考えれば、『傭兵村』で一芝居打ったのも、自分や仲間たちを巻き込まないため……
『一番分かっていたのは、エノだった……』
彼女が見せてくれた精一杯の笑顔を思い出した。
きっと、周りを振り切って2人が結ばれたとしても、この家は跡取りがなくなり潰れてしまうだろう。
そうなれば、抱えている『傭兵村』も消滅することになる。
それだけじゃない。
国だって衰退する……
彼女は自分を犠牲に、自分以外の全ての人たちを救ったのだ。
『エノ……』
シンはギュッと拳を握った。
結局、最後にシンの目を覚まさせたのは、エノだった。
シンは改めてジャックに向き直した。
「父さん。 ディアとの結婚をします」
「そうか、シン!」
ジャックは嬉々として立ち上がった。
「その代わり!」
シンは父をしっかり見据えた。
「エノを放してやってくれ」
ジャックは少し考えたが、やがて快諾した。
婚姻が決まれば、小娘など恐れるに足らない。
静かに見守っていたユキナも、やっと胸をなでおろした。
真夜中過ぎ、エノは牢屋から引きずり出され、屋敷の裏門から外へと追い出された。
キズの痛みと疲労で足元がおぼつかず、力なく倒れこんだ。
その傷だらけの背中に、薄い布切れが掛けられた。
「もうこの屋敷には近づくな、との主人からの命令だ。 生き永らえることが出来ただけでも幸せと思え。」
軽蔑するようにひと笑いすると、兵士は屋敷の中へと入っていった。
残されたエノは、フラフラと立ち上がると森の中へと入っていった。
行く当ても、何の所持品もないまま、ただ、屋敷や『傭兵村』から離れるために歩を進めた。
また1人きりの旅が始まった。
もう振り返ることはなかった。
しばらくして、シンとディアとの結婚が決まったという知らせは、『傭兵村』へと届いた。
「エノちゃん、無事なのかしら……」
ガラの心配そうな声に、ソルドも椅子に座って息をついた。
「きっと……大丈夫だ……」
もう二度とここへは戻ってこないことも分かっていた。
その身を案じることしか出来ないと……
だが、自分達が育てた子だ。
きっと強く生きてくれると、信じたかった。
『傭兵村』に、再び訓練に励む声が戻った。