エノの恩返し
ヒヒィィーーーーーン!!
馬の嘶きが、『傭兵村』の早朝を切り裂いた。
「エノ!」
村のあちこちの扉が開き、人々が顔を出した。
「シン様!?」
ファンデ家の1人息子がこんな早朝にわざわざ1人で来村という事態に、皆驚いていた。
驚いて飛び起きたソルドが、急いでシンに向かった。
「シン様、何故ここに?」
「エノは……エノはどこに居る?」
切羽詰った表情で、ソルドに詰め寄った。
「シン様?」
振り向いたその先に、エノの姿があった。
彼女もまた、外の喧騒に飛び起きてきたのだった。
「エノ!!」
シンは大勢の目の前にも関わらず、エノを抱きしめた。
「「「シン様!?」」」
皆驚いて声を上げた。
それもそのはず。
2人の仲を知っているのは、ソルド夫妻だけなのだから……
シンの腕の中で、エノはシンを見上げた。
泣きはらした瞳は赤く充血している。
ソレを見て、シンは確信を得た。
「エノ……すまない。 昨日のラグは……君だったんだろう?」
「……」
エノは黙っていた。
「あれは、私の両親が勝手に言い出しただけなんだ。」
シンはエノの頬に優しく触れた。
「私は、変わらず君を……」
「シン様から離れろ!!」
驚いた皆が凝視した先に、馬に乗り銃を構えた兵士が数人、立っていた。
その中の1人が、声を上げた。
「エノ! 貴様を捕らえろとのジャック様の命令だ! 来てもらう!」
「どういうことだ!?」
ソルドが叫んだ。
「その女、シン様をかどわかした罪を負っている!」
「! エノは悪くない!」
シンはギュッと抱きしめ、兵士に背を向けた。
ガラも、涙を溜めて声を上げた。
「あんたたち! エノちゃんはそんな腹黒いことをする子じゃないよ!」
何が起こっているのか理解できない連中は、ただ黙ってことの成り行きを見守っていた。
兵士は困ったように言った。
「シン様! 目を覚ましてください! そして離れてください! でないと、罪をかばったとして、この『傭兵村』を失くすことになります!」
兵士の銃がエノに向けられた。
その時、エノはソルドを見つめた。
視線があったソルドは、じっと見据えるエノの瞳に何かを感じた。
それが胸に不安としてよぎった途端ーーー
バンッ!!
エノはシンを突き飛ばしていた。
「!? エノ?」
衝撃に後ずさりしながら呆然となるシンを前に、エノはハハハッと笑った。
皆、あっけにとられている。
初めて目にするエノの姿だったからだ。
彼女はハァッと息をひとつ吐くと、手を腰に当てた。
「参ったな……もう終わったわ」
今まで誰も見た事のない、憎憎しげな笑みを浮かべて、エノは言った。
「そうよ。 全ては財産目当て! こんな貧乏な生活、いつまでも我慢出来ないわよ!」
「貧乏って……」
ガラがつぶやいた。
「だから! 金持ちの家に入れば、ウマくいけばその先安泰でしょ? 狙ってたのに!」
兵士が、ツンとした態度のエノの腕をグイッと締め上げた。
「クッ!」
痛みに顔がゆがんだ。
「エノに何をする!」
駆け寄るシンは、別の兵によって引き離された。
「シン様に何かあっては困るんです!」
必死でもがくシンを、兵士は2人がかりで押さえていた。
「エノ!」
声を掛けたのは、ソルドだった。
顔を上げたエノに、彼は冷たく言い放った。
「お前がそんな奴だったとは、俺たちもすっかり騙されたもんだよ」
「な、何言ってるんだよ?」
ガラの言葉に耳を貸さず、ソルドは続けた。
「お前は追放だ。 もうここへは来るな!」
「!!」
『傭兵村』の民とシンは、呆然とした。
ソルドは冷たい視線をエノに向けたままだった。
彼女も黙って、ソルドを見つめていた。
その瞳には一瞬の揺らぎもなかった。
兵士は引きずるようにエノを連れ去っていった。
去り際、エノはかろうじてソルドを振り返りながら、密かに親指を立てた。
ソルドはそれを見ると唇を噛みしめた。
その瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。
シンも乗ってきた馬と共に無理やり連れていかれ、兵士達の姿が見えなくなったとき、怒涛のようにソルドは責められた。
「あんた!! なんて事をしてくれたんだい!! エノちゃんがそんな事をするわけないって、あんたもよく知ってるだろう!」
ガラの大声が広間に響いた。
それに呼応して、周りの民たちもソルドに真実を求めた。
口々に飛び交う声を裂くように、彼は声を上げた。
「エノは!!」
一瞬にして静まった。
「エノは、この村を救ったんだ。」
「「?」」
「「どういうことだ?」」
周りが顔を見合わせた。
「エノは、シン様を愛していた。 シン様も、エノを愛していた。 2人は皆に隠れてその想いを確かなものにしていたようだ。 だが、到底叶うはずのないこと。 ずっと1人で悩んでいた。 そして昨日の婚約発表だ。 昨夜、何か動きがあったに違いない。 それを察知したシン様は直々に会いに来た。 もう公になってもいいと。 エノも本当はすごく嬉しかっただろうよ。 しかし……」
「さっきの兵士……」
「そうだ。 引き離そうとした。 それは分かる。 それが目的だからな。 だが、村まで潰すとまで言われた……」
ソルドは、さっきのエノの瞳を思い出した。
真っ直ぐで、一点の曇りもない瞳だった。
その輝きがソルドに、
『皆をお願い』
と囁いた。 そう、彼には感じられたのだ。
「見事な演技だったよ。 今まで誰も教えていないのに」
ため息をついたソルドに、ラゴーが言った。
「そんなの、割に合わないじゃないか! エノを助けに行こう!」
それに便乗して、他の者も口々に賛同した。
「やめてくれ!!」
ソルドの声が皆を制止した。
「エノの思いを……無駄にするな……」
彼は悔しそうに唇をかんだ。
「クソッ!」
ラゴーも、悔しげに拳を振り下ろした。
皆、思いを押し殺すしかなかった。
『傭兵村』はファンデ家の為に生きる。
その誓いが、今回に限って憎らしく思えた。
だがエノの気持ちが痛いほどに人々の胸に響き、思いを飲みこむしかなかった。
エノは、ファンデ家の為でなく、『傭兵村』の為に生きたのだと……
幼い子供達は事の大きさにまだ気づかず、ガラの横に立って見上げた。
ガラは大粒の涙を流して泣いていた。