シンとラグ
舞踏会当日になった。
ソルドやラゴーたちと一緒に屋敷入りしたエノは、屋敷の使用人に呼ばれた。
「私だけですか?」
「はい、中の警護を、との事です」
使用人の抑揚の無い言葉に、ついてきたソルドが口を挟んだ。
「そこまでするということは、何かいかがわしい事でも起こるという危惧があるということか?」
「そこまでは……私はご主人様に言われただけですので……」
主人ジャックの命ならば仕方ない。
怪訝に思いながらも、ソルドはエノを屋敷内へと送った。
「何かあったら、すぐに呼ぶんだぞ。 1人で無理をするな」
「はい」
エノはひとり、使用人の後をついていった。
屋敷の中に入るのは初めてだった。
大きな門をくぐり、すぐの部屋へ通されたエノは、目の前のモノを見て驚いた。
「? これは……」
目の前に、まぶしいほど煌びやかなドレスが吊るされていた。
「綺麗……」
思わずもらすエノ。
脇に居たメイドが、そのドレスをおもむろに下げた。
「さあ、服をお着替えになってください」
「え? 私がこれを?」
あっけに取られるエノを、メイドたちは器用に着替えさせ、化粧もヘアメイクも完璧に済ませた。
数分で、彼女は見事に変身していた。
「これ…… 私……?」
鏡の前で、ただ驚くしかなかった。
大広間には、続々と招待客が集まってきていた。
その中を、エノは部屋を飾る装飾品に目をシバシバさせながら、片隅でひたすら平静を装っていた。
テーブルには、見たことも無い料理が並べられ、ボーイやメイドがグラスを持って客人の間を器用に縫って歩いていた。
「どうぞ」
エノは、差し出されたグラスを言われるがままに受け取った。
グラスには、小さな泡が舞うジンジャー色のシャンパンが注がれていた。
それに見とれていると、広間が騒がしくなった。
「ファンデ卿よ」
「奥様も。 今日も素敵だわ」
客人が見守る中、ジャックがユキナとシンを引きつれ、厳かに入室してきた。
「ああ、シン様。 素敵……」
あちこちから、ため息のような声が漏れた。
今日も、相変わらずタキシードに身を包み、若い女性の目を虜にしていた。
やがて上座に立つと、ジャックの挨拶が始まった。
広間の片隅のエノは、初めての連続にただ呆然と立っていた。
全てが眩しかった。
『すごい……』
あっけに取られている間にジャックの挨拶は終わり(何を言っていたのかも覚えていない)、オーケストラの演奏が始まり、舞踏会が始まった。
一番人気は、やはりシン。
すぐに人だかりにもまれ、我先にと話しかける人々と器用に会話していた。
それを遠目に、やっと落ち着いてきたエノは自分の任務を思い出していた。
『そうだ、私、広間の警護に来たんだったわ……』
見失っていた自分におかしくなり、ついクスッと笑ってしまった。
「君、見かけない顔だね、どこの人?」
その声に見上げると、そこにはシンの顔があった。
「あ!」
驚いて後ずさりしたエノだったが、シンは彼女に気づいていないようだった。
優しい瞳で見つめるシン。
「えっと……私……は」
突然のことと、正体を隠すべきかどうか何も考えていなかったこともあり、目を泳がせているエノを、シンは不思議そうに見つめていた。
「ようこそ。 ココに来るのは初めてなんだね? 大丈夫。 皆、優しい人たちばかりだから」
ニッコリと話すシンを、エノはジッと見つめた。
その言葉は、彼女を落ち着かせた。
そしてニッコリと微笑み返した。
「ありがとうございます。 私は、ラグと申します」
さっき見た、ドレスをフワッと広げた挨拶を真似してみた。
その目の前に、シンの手が差し出された。
「?」
「ではラグさん。 知り合った証として、私と踊ってくれませんか?」
エレは戸惑った。
「でも……私、踊れなくて……」
顔を赤らめてうつむくエノに、
「大丈夫。 曲に合わせて、私についてきてくれれば、すぐに覚えるよ」
シンは優しくエノの手を引くと、広間中央付近まで移動した。
その様子は周りの視線を集めるに充分だった。
『どこの人かしら?』
そんなささやき声が聞こえる中、2人は落ち着いた曲に包まれながらクルクルと舞った。
初めてなのに、何故かシンのリードで ソツなくカラダが動いた。
それはシンにも感じられた。
何故か、初めて会ったとは思えないほど、懐かしく落ち着ける感じ。
シンは不思議な感覚に襲われていた。
「君に、とても似ている人が居るんだ」
踊りながら語りかけたシンにハッとしたが、黙って聞いていた。
「こんなに着飾ってはいないんだけど、心がすごく綺麗で、私は、その人に心を奪われてしまった」
別の人を前にしても、シンの言葉はストレートだった。
「その言葉、私に失礼じゃありません?」
エノは少しからかうように言った。
すると、シンはハッとした顔を見せた。
「すまない! そんなつもりじゃなかったんだ」
慌てるシンに、おかしくなって笑った。
楽しい……
この時間がいつまでも続けばいいのに……
エノは心からそう思った。
そんな2人の様子を見ている人物がいた。
シンの両親、ジャックとユキナだった。
「あなた……」
シンが自発的にエノに声を掛けたのを見て、ユキナはジャックに声を掛けた。
「やはりな……しかし……」
シンの様子を見て、エノ本人に気づいていないと気づくと、
「たいしたものだ、あの女……」
ジャックは眉をひそめた。
エノに広間の警護をするように命を下したのは、ジャック自身だった。
彼には、この場であの2人に決着をつけようと、密かに計画していたことがあった。
「もう少しの辛抱だ」
自分に言い聞かせるように、ジャックはつぶやいた。
やがて曲は静かに終わり、2人のダンスも終息を迎えた。
だが、2人は変わらず見つめ合ったままだった。
自然にお互いから目を離せずにいた。
シンはその瞳に見覚えがあった。
「君は……」
「シン様」
シンの言葉を遮るように、執事が声を掛けた。
「上座の方へ、おいでください」
「あ……ああ」
名残惜しそうに2人は離れた。
「また、ラグ……」
エノは何も言わず、微笑んで立っていた。
上座へ上がるシンを見ながら、エノも再び広間の片隅へと移っていった。
そして、
『さよなら……』
心の中で、つぶやいた。