本当の気持ち
数日後、シンは父に呼ばれてリビングへ向かった。
「何ですか、用というのは」
リビングに入ると、両親の姿が目に入り、そして
「ディア?」
ソファに座っていたのは、ドラン家の一人娘、ディア・ラ・ドランだった。
横には父オレン・ジュ・ドランが付き添っている。
ディアは、近郊の貴族達の中でも髄一の美貌で知られており、あまり目立たないが その知的な言動は将来を有望視されるものだった。
家内を早くに亡くしたドラン家主人のオレンにとっても、自慢の一人娘だった。
当然、数日前の舞踏会にも参加していた。
「今日は他でもない。 このドラン家のディア様を、お前に紹介しようと思ってな」
父ジャックが嬉々として言った。
『またか……』
シンは半ばあきれながら答えた。
「父さん、言っているでしょう、私は……」
「うちのディアでは、不満、ですかな?」
アランが言葉を被せた。
「い、いや、そういうわけでは……」
焦るシンを、ユキナが優しくソファへと誘った。
「シンは突然の事で、まだ戸惑っているんですよ。 さ、お茶でも飲んで、落ち着いて。 ディアさんに笑われてしまいますわ」
見ると、ディアは少しうつむいて微笑んでいた。
「父さん!」
「少し話をしてみなさい。 人間、話してみてこそ通じるものもあるのだぞ」
シンの訴えにも、全く聞く気のない父 ジャック。
『その言葉、まるっきり返してやるよ!』
心の中で叫んだ。
ディアは家柄にも恵まれ、姿形ばかりでなく、性格頭脳共に、良く出来た人物である。
シンとは同年代ということもあり、昔からよく遊んでいる仲ではあった。
知らない間柄ではないということだ。
が、しかし……
たいした会話も無いまま、別れ際、ディアはシンに微笑んだ。
「シン様の思うように選択をしてくださって」
大抵、こういった最初から親が入ってくるというケースは、結局最後まで行くものである。
何故なら、当の本人達よりも親御達の方が盛り上がるからである。
ディアも、それは重々分かっていた。
共に、自分に対する自信も少なからずあった。
そうでなくとも、ディアはシンを慕っていた。
それは、他の女性達と同じように、女が故の普通の思いだった。
ましてやファンデ家は近郊で一番を競う大きな家柄。
誓いを結ぶことになれば、名実共に不動のモノになる。
ファンデにとっても、ドランにとっても、良い結果なのだ。
一方のシンにとっては、全くの迷惑な話で……
どうにかしてこの難を逃れようかと必死で考えていた。
2人の噂は、すぐに民にも知れ渡っていた。
もちろん『傭兵村』にも流れていた。
「あの2大貴族がくっついたなら、とても大きな国になるわよ。 まるで世界をも支配しそうな勢いよねぇ」
エノの前で、ガラは嬉しそうに話した。
皆、ファンデが栄えることが嬉しくて仕方ないのだ。
エノは、ガラにもらったカゴ一杯の芋を腕に抱え、その話を聞いていた。
もはや今のエノには、目の前の芋よりシンの事が気がかりだった。
『シン様がディア様と……』
「どうしたんだい、エノ?」
ガラの覗きこんだ声に、ハッとしたエノは作り笑いをした。
「な、なんでもないわ。 こんなにたくさん、どうもありがとう!」
エノは逃げるようにパタパタと家へと戻っていった。
残されたガラは怪訝そうに見つめ、その様子を家の中からソルドが見ていた。
実は、ガラとソルドは夫婦なのだ。
迷い込んだエノを2人で育てたようなものだ。
「エノちゃんの様子が変なんだよ。 元気がないっていうかさ、何か知らないかい、あんた?」
数日経って、ガラはソルドに言った。
「そうか……」
ソルドは揺り椅子に座って遠くを見た。
『やっぱりなぁ……』
ソルドは、なんとなくだったが2人の気持ちは分かっていた。
だが、口出しすることでもない、この問題の答えは2人が見つけるものだろうと考えていた。
そうでなければ、2人とも成長できないと。
ソルドの中で、2人を見守ることにしていた。
それを目の前の妻に言うのは……
群がる子供達をなだめながら、キッチンで体を揺らしながら料理を作る妻を見た。
『事が大きくなりそうだしな……』
黙っていることにした。
エノは芋いっぱいのカゴをテーブルに置いたまま、しばらく突っ伏していた。
心の中が整理できないでいた。
シンの相手が出来たことで、本当ならきれいさっぱりと思いを断ち切ることができると思っていたのに。
むしろ、心の中のモヤモヤが濃くなっているのだった。
先の見えない迷路にいるようだった。
自分がどこへ向かっているのか、エノには全く分からなかった。
何を求めているのか……
ファンデ家の幸せ。
シンの幸せ。
自分の幸せがどこにあるのか、もう 分からなくなっていた。
バンッ!
エノは家を飛び出した。
そして、森の中の泉へと走った。
すべてを洗い流したかった。
今まで、何かに行き詰ったり悩んだりすると、いつもこの泉に身を沈めた。
そして冷たい水にさらす事で、何故か心が晴れることが多かった。
ザバンッ!!
水面の月が異様に形を崩した。
エノは服を着たままで飛び込むと、自分の息が続かなくなるまで水中に身を預けた。
そして、ギリギリまで我慢して水面に飛び上がると、大きく息を吸った。
息を整え、上がろうとするエノの足が止まった。
目の前に、シンが立っていた。
「……」
エノは何も言わず、シンへと近づいた。
引き寄せられるように2人は抱きしめあっていた。
あんなに拒もうと思っていたエノの心は、目の前のシンでいっぱいになっていた。
「会いたかった……」
エノの素直な言葉だった。
言ってから、涙が溢れた。
胸が苦しくて仕方なかった。
そんなエノを、シンはギュッと抱きしめた。
「エノ……君の本当の気持ちだね」
2人の体は泉へと溶け込み、絡まり、ずっと抱擁していた。
お互いを確かめあうように口づけし、見つめ合った。
夜の静けさは、2人を優しく包み込んでいた。
月の綺麗な夜だった。
それから何度か、2人の逢瀬は続けられた。
わずかな時間を大切に紡いでいた。
そんななか、再びファンデ家での舞踏会が催されることになった。
「エノと踊れたらいいのに……」
シンはそう言って、名残惜しそうにエノと別れた。
悲しげな微笑みを浮かべた彼女は、いつまでも、シンの消えた森のほうを見送っていた。