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花の羅刹✿ 【第三部準備中】  作者: 再図参夏
第弍部 千歳町編
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第三〇話 潜入

 するりと落涙が頬に伝い、顎まで流れ出て着物に透明な花を咲かせる。

 羅刹に生まれたからには、涙を人に見せるなと言われ、育てられてきた。

 弱く儚い者だと知られたら、途端に花を摘まれてしまうから。 


「そこで、見ていろ」


 父が静かに言うのだ。まるで娘の人生を所有しているかのような響きを込めて。

 板間に這うその傲慢な言の葉が、娘の肉体を硬直させる。

 羅神の支配の糸の恐ろしきこと。どれほど動きたくとも、それが許されぬのだ。


「良いだろう? 欲しいと願ってきたのだ。欲望に没頭するのが羅刹の本懐だ」


 行燈の光が揺れて、父の相貌を照らし出す。

 その整った顔から、女と致しているような恍惚の色が浮かんでいた。

 涙する娘が傍で見ているにも関わらず、ひどく幸せそうな花を咲かせているのだ。


「はな……し……て……」


 馬乗りになられた妹が、青ざめた顔でそう訴える。

 父の左手で首を絞められ、右手で打刀を掲げられて。


「お前達は弱い。俺の元から離れれば、たちまち他の羅刹に狩られてしまう」


 だから、そうなる前にと、父が双眸が愉悦を浮かべる。


「美しさを損なう前に、美しいまま俺の側にいてくれ」


 懇願するような言葉とは裏腹に、父の口元が卑しく歪む。

 その悪辣な笑顔を見て、より焦燥が全身を駆り立てる。


 助けなくては、妹が父に殺されてしまう。

 されど、助けたいのに、肉体が動かない。

 自分が弱いせいだ。弱いままでも、妹とずっと一緒にいれると思っていた。


「タカ……オ……」


 妹が自分の名前を呟いている。

 弱いお姉ちゃんでごめん。音にならない声を自分は上げた。

 途端、娘達の絶望を置き去りに、父が含むように笑う。

 

 そして、右手に持った白刃を妹の心臓に押し込むのだ。

 まるで布に針を通すように、ゆっくりと。

 大事なものをしまうように、誰にも渡らぬように。


      ✿


「トオル……」


 揺れる牛車の中、隣の酒樽から、滲むような悲嘆が漏れる。

 その取り落とすような細い声音に、ネズミは思わず口を開く。


「タカオさん? 大丈夫? しんどい?」


「い、いえ……大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」


 樽の壁越しからでも伝わる鬱々とした響き。暗闇に身を浸して、タカオは自責に絡め取られたのだろう。

 死んだ妹への想い。何もできなかった自分への悔恨。それらが、タカオを締め上げている。 


 ネズミは痛いほどにタカオの心中を理解できてしまう。

 無力な自分への惨めさと憎しみは、死んでしまいたくなるほどの猛毒だ。

 どれほど立ち直って見せようとも、どれほど笑って見せようとも。

 ふとした拍子に、毒は牙を向いて人の肩を落とさせるのだ。


「タカオさん、俺も──」


 言いかけて、ガタリと突然、牛車の荷台が縦に揺れてネズミの尻が浮く。

 車輪が石の上に乗り上げたか、はたまた、何かしらの段差を登ったか。

 いずれにしろ、私語は慎まないとならない。


「おう、飛燕の旦那じゃねえか」


 外から聞こえる知らぬ男の声。

 ネズミは凍りつき、酒樽の中で呼吸すら浅くする。


「どうもどうも。今年も持ってきましたよ」


「ご苦労さん。毎年、楼主自ら牛車を引く姿を拝めるなんて、この日だけだぜ」


 どうやら絡舞紀伊の大社、その外周を囲う大外門の入り口辿り着いたようだ。

 楼主と会話してるのは、恐らく門番をしている羅生衛士らしょうえじ


「一応、中を検めさせてもらうぞ」


 衛士の言葉に、酒樽に潜むネズミは激しく焦り、無駄であるのに丸めた背をさらに丸めるて縮こまる。

 ざりざりと草履が地面を渡る音が牛車の背後まで回り、ピタリとそこで止まった。

 衛士が見ている。まさに、ネズミが潜む酒樽を。


「今年は豪勢だな。こんなでかい酒樽を積んでくるなんて……若いわかいしはどうした? 一人で積み下ろしすんのは大変じゃねえか?」


「はは、舐めてもらっちゃ困りますよ。これでも、酔い潰れたあんたを家まで担いだことだってあるんだ。こんくらいなんてことねえさ」


「いやぁ……いつも悪いね。俺はすっかりアケノちゃんに骨抜きにされちまってよ。ちょこんっと肩に頭を預けられただけで、裁量を弁えず深酒しちまうよ」


「いいさ、アケノもあんたのこと気に入ってるからな。贔屓してやっとくれ」


「本当か? アケノちゃんが俺を……」


 どうやら常連のようで。衛士は荷物の検査をそっちのけ。


「よし、問題ねえな」


 適当に品々に触れてポンっと手を叩き、調子の良い声音で積荷の検分を済ませた。

 

「そんじゃ、失礼いたしますね」


 楼主が一つ声を発すると、ぐらんっと車輪が回り、次にはざくっとした砂利を牛が踏みしめる音。

 無事に大社の敷地内に入場することができたようだ。


 そうして間もなく、息を潜めて待っていると、酒樽の蓋が開け放たれた。


「もういいぞ」


 楼主が一声かけると、ネズミとタカオはゆっくりと外へ這い出る。

 

「すごい、こんなぬるっと侵入できるなんて」


「ね、お父さんを頼って正解でした」


 言いながら、ネズミとタカオは人目につかぬように屈んで周囲に視線を配る。

 大社のぐるりを囲う広大な庭の中、そこらに敷き詰められた砂利石の上に灯籠が点々と鎮座しており、周囲をひどく明るく照らしている。しかし、忍ぶに適した松の木や岩が絶妙に配置され、身を潜めるに不足なし。


 ネズミの眼前には襖越しに人影が揺れる広い座敷がある。聞くところによると使用人が住む離れ屋らしい。

 その背後、五〇歩南方に佇むのは、夜闇でも異彩を放つ厳しい五重塔。目的地である絡舞の大社だ。

 

「ほれ、さっさと行った。ここに止まれば、後から来る者に姿を見られるぞ」


 楼主が牛車を離れ屋に誘いながら、タカオに一本の打刀を手渡した。


「お父さん、ありがとう。行ってきます」


 タカオは静かに礼を告げ、渡された刀を帯に差す。

 トオルの首を断つための得物──元はモモがカリンから奪った香梨紅子の刀らしい。

 あの神が用意した業物であれば、女子の首なんて簡単に落とせてしまうだろう。


「タカオさん、俺が持とうか?」


 ネズミはタカオの肩を突いて、そう提案する。


「む、私が刀の一本運べないように見えます?」


「いや、そうじゃなくて。いざという時のことも考えてね。それに、トオルさんを見つけたら──」


 首を落とすのは俺だから。そう言おうとして、ネズミは回した配慮で言い淀む。

 タカオの肩を落とさせてしまうような、嫌な響きだったからだ。 

 されど、察したタカオはゆっくりと首を横に振る。


「討滅してくれと頼みましたが、私がトオルを見送るべきだと思い直しました。何もできずに妹を見殺しにしたのです……だから、私が刀を持ちます。妹の首を……私が断ちます」


 言って、タカオは精一杯に微笑を浮かべて、刀の柄に手を添える。

 その所作に、ネズミはこれ以上何も言葉が見つからなかった。タカオが刀に触れる有様が、松葉杖を握っているように見えたのだ。

 いざという時、ネズミが帯刀していた方がまだ難局を凌ぎやすいという意味も含んでいたのだが、今のタカオには杖が必要だ。恐怖と悲しみに立ち向かうための、心の杖が。


「行きましょう、トオルを迎えに」


 タカオはそそくさと身を屈めて大社へと向かう。ネズミも四つ足でその背中に追従する。


『社の入り口は正門のみですが、馬鹿正直に正面から侵入する必要はありません』


 先刻行った打ち合わせ通り、人目を引く正門を避け、社の裏手から屋根を登って侵入しようという試みだ。

 二人は恐る恐る周囲を伺いながら木の木陰に身を潜め、進んでは屈み、茂みに隠れて巡回する羅生衛士の視界から身を庇う。

 ネズミの丸い図体を隠すのに難儀するに思われたが、タカオにとって勝手知ったる敷地の中だ。巧みに物陰を選び取り、着実な経路を選び取ってくれる。


 右に左に物陰に飛び込み、ようやく警備の薄い大社の裏手に辿り着くと。


「お願いします」


 タカオが頭上の長いひさしを指し示す。

 ここからはネズミの見せ場だ。獣の肉体を存分に生かし、屋根を一つ跳びで登ってしまおうという企みだ。


「はい、どうぞ」


 ネズミは背を向け屈んでやると、タカオの肉体がピタリと密着する。

 

「タカオさん、振り落とされないでね。俺の首を締め上げる勢いでしがみついて」


 警告すると、タカオは精一杯の力を込めてネズミの首に腕を絡める。

 その力加減にネズミは一抹の不安を覚えた。女子の細腕ゆえに仕方がないことだが、ザクロに比べて随分と非力だ。少し加減を間違えると振り落としかねない。


「行きます」


 ネズミは膝を曲げ、三つ呼吸を置き、一気に跳躍する。

 およそ一六尺(約五メートル)、常人では成し得ない垂直跳びをもって、屋根にしなやかに着地してみせると。


「あ、ありがとうございます……やはり暮梨村の羅刹様は凄いですね」


 大いに動揺しながら、タカオはネズミの背中から身を剥がして瓦に足をつけた。


「ここからトオルを探しましょう」


 タカオの予想では、トオルが隠されている場所は最上階が一番の本命──ではあるが、取りこぼして遠回りをするのも下らない。念には念を入れて二階から物色する運びとなっている。


「俺が先に行きます」


 ネズミが先行し、そろりと忍足で二階の手摺りを乗り越え、廊下にゆっくりと足をつける。そして塔の左右に備え付けられた朱塗りの門、その一つを滑らせると──。

 

 光のない瞳と目があった。

 

「うっわ……こっわ……」


 およそ一〇畳の空間、四方に配置された雛壇に、数多の小さな人形が飾られていた。

 哀れみとも嘲笑ともつかない無数の顔。そこに収まる目玉の数々が、こちらをねっとりと見つめている。

 部屋の隅に行燈が灯っており、その光が作る影が揺れるたび、人形の相貌が変わってゆくような気がして。


「なんか凄いイヤ……マジで落ち着かない……」


「二階から四階まで父上の人形工房になります。私も昔からこの光景が苦手でした」


 顔を引き攣らせるネズミをおもんばかって、タカオの手がネズミの背を撫で付ける。

 一体か二体であればこんな気持ちにならないだろうに、所狭しと人形が並ぶものだから、どの角度に立っても監視されているような感覚が纏わりつく。

  

「気が滅入ると思いますが、雛壇の下を見ましょう。トオルが隠されているかもしれませんから」


 タカオに頷き、ネズミは物音を立てぬように人形をどかし、敷物をゆっくりと捲り、雛壇を解体して回る。

 大社の二階部分の間取りは、一〇畳の部屋が六つ、廊下と階段部分を合わせ、全体は八〇畳ほど。

 息を潜めながら一つの階層を物色するだけでもかなりの労力だ。


「ありませんね」


 あらかた、二階の怪しい部分を探り終えたが、それらしい物は見つからない。

 灰神の肉体はむせ返るような甘い花の香りを放つため、厳重に密閉された箱の中にでも収まっていると予想される。

 しかも、女子一人を匿える箱となれば相当な大きさだ。視界に入ればすぐに察することができるだろう。


「急ぎましょう。そろそろ使用人が行燈の火の管理のために社の中を回るかもしれません」


 二人は引き続き、そろり忍び足で三階へと上がり、部屋中を物色する。

 その作業中、ネズミは気が気でしょうがない。ぎしりと床板が軋む音で肩を跳ねさせ、タカオの着物が立てる衣擦れの音に瞠目し、自分の心臓の音さえ外に漏れてはいないかとビクビクしてしまう。

 昼間、ザクロが『お前さん思い切りが良いね』などと言ってくれたが、こういう状況で本来の小心者としての自分が露呈して、ひどく情けなくなってくる。 


「ネズミ様、あれを──」


 しばらくの後。なんとか三階を物色し終えた頃合。

 四階の板間に足をつけると、タカオが窓の外の景色を指し示した。

 ここから千歳町の全容がよく見える。神を祀る祝祭中であるからか、そこらで提灯の光がが町中を行き交い、ふわりと蛍のように踊っている。


「あ、始まる」


 その中、北西の一点。ひときわ賑わう場所があった。

 派手な光で彩られた艶かしい空間、その大通りで、勇ましく立つ白髪と桃髪。

 今まさに、妓楼が立ち並ぶ遊郭の中、神輿に乗った絡舞紀伊と対峙しているのだ。


        ✿


 

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