第二九話 花参道
「おぉッ」
空に打ち上がった大輪の花を見上げて、ザクロは感嘆の息を吐く。
伝え聞いてはいたが、生まれて初めて見る花火の迫力につい圧倒されてしまう。
同時に、盛大に咲き誇った後、地上に下るように散る火花の軌跡を見ると、複雑な気持ちになってくる。
あれはなんだか、自分達の肉体から散る回復の火花に似ていて、いやでも鼻の奥に血の香りが湧き立ってしまう。
「なにボーッとしとると」
とある妓楼の屋根の上、モモが意地悪く肘で小突いてくる。
作戦を提案したのは自分とは言え、なんでこんな性格の悪い女と花火を見なきゃいけないのか。せっかくならネズミとこの景色を堪能したかった。
「なんでもねえよ」
モモに舌を打ち、ザクロは頭上に咲き誇る花火から視線を切って地上を見下ろす。
羅神教の祭典というのは何処も同じなのだろう。地上では多くの人間が道の真ん中を開け、脇で正座をして神の来訪を今か今かと待ち構えている。
ザクロ達もまた屋根の上に腰を下ろし、絡舞紀伊の乗った神輿を待っている次第だ。そこに二人で堂々と舞い降りて、戦いを挑む算段となっている。
当初は、頭上から不意打ちをしようと提案したが、そんなマネをすればお尋ね者となって絡舞紀伊の信者に追い回される羽目になると、至極真っ当な指摘をタカオから受けた。
故に、正面から戦いを挑む。そうすれば、羅神教の共通の教義によって、羅刹同士の正式な闘争という形になり、人間は介入することを許されなくなる。
加えて、戦いを挑まれた羅神も勝負を避けられない。民衆の前で戦いを拒否すれば、臆病な神であると看板を掲げるようなものなのだからだ。
「で、用意してんならさっさと出せよ」
そう、ザクロが急かすように手を扇ぐと、
「はいはい、ザクロ姉はせっかちっちゃ」
モモは傍に置いた風呂敷からいくつかの道具を取り出す。
まずは二本の手斧──これは絡舞紀伊の操る人形に対する対策だ。
木材で出来た人形を相手取るには、刀に加えて、手斧による破壊が適している。
油を撒いて火をつける作戦をモモが提案してきたが、周囲の家屋に燃え移れば千歳町が火の海となってしまう。故に、ザクロは断固として却下した。
泥臭くはなるが、丁寧に一つ一つ破壊するしかないのだ。
「それと、これ」
続いては、モモから放られたのは化粧道具──羅神教の礼法に従ったものだ。
羅刹が羅神に挑むとき、決死の覚悟を示すため、顔に死化粧を施すのが慣わしだ。
もちろん、ザクロは死ぬ気など毛頭ない。折を見て、モモを置き去りにして戦線を離脱する構えだが、礼節を整えなければ、そもそも絡舞紀伊が勝負を受けない可能性がある。ゆえに仕方なく、顔面に塗りたくる必要がある。
「化粧なんて成人式以来だな。モモ、お前ちゃんと自分でできるか?」
「舐めんな。キサンの方こそミカン姉に任せっきりやったと。自分で化粧もできんと女の端くれにも置けん」
「ほう、花街にかぶれたな。テメエに女だなんだの言われる日が来るとはな。こちとら彩李に散々と手解きを受けてきたんだ。テメエより出来が良いに決まってらぁ」
「なら、せこせこ手動かして見せてみろや」
手鏡片手に剣呑と唾を飛ばしあい、二人は筆を持って紅を唇に塗りつける。そして、次には薄紫色の瞼墨を目元に丁寧に施し、肌に馴染むように小ぶりな刷毛で顔料を薄く伸ばす。
「ま、こんなもんだろ」
最後に目尻を赤色の墨でなぞり、ザクロは手鏡に写る自分の相貌に頷く。簡易的だがこれで良い。少々の神秘性を帯びていれば、作法としては十分だ。
出来栄えに満足して、ザクロとモモは互いに顔を見合わせた。
「笑ってやろうと思ったが……」
「へぇ、ザクロ姉も悪くなかと……」
なんでも良いからケチをつけてやりたかったが、自分と同じような仕上がりに、ザクロは素直に感心する。物騒で悪辣な女であれ、ちゃんと化粧をすると見応えがあるものだ。
モモは口を開けば蛇のような二枚舌が目について、『女』という領域から半歩外にいるような異質さを纏っているが、黙っていれば整った見目をしている。それこそ、タカオのような同性の心をも掴んでしまえるような。
「なあ、モモ。お前はどんな嘘ついて舌を割られたんだっけ?」
つい、ザクロからそんな疑問がまろび出た。
「あぁん? なんや急に。どんな風の吹き回しでそないなこと聞くと?」
「これから討ち死にするかもしれんからな。最後に聞いておいてやろうと思って」
「はっ、頼りなか。そんな頭の中身で羅神に挑むと?」
「死ぬ前に、ちゃんと聞かないと後悔するからな。身に染みてんだよ」
ずしりと吐いた言葉の裏に浮かぶのは、伊紙彩李の梅干しのような笑顔だ、
あれほど長く一緒にいて、有り余るほどの時を共に過ごしてきたというのに、二度と会えなくなった途端に、聞いておきたかったことが湯水のごとく頭の中を回り続けるのだ。
されど、妹はそんな姉の気持ちも梅雨知らず。
「知るか。勝手に後悔してろちゃ。弱気が移るから黙っとれ」
「そうか……冷たい妹でがっかりだよ……じゃあさ──」
袖にされたザクロは嘆息して肘をつくも、なおも問いを重ねる。
「タカオを手伝おうと思ったのはなんでだ?」
その問いは、ザクロが心の奥底で燻らせていた疑問だった。
「お前が母上を超える羅刹になるために、羅神の鮮花を喰らいたいってのはわかるよ。でも、なんでわざわざこの町の羅神なんだ? タカオの手引きで花縛帯が切れるからか?」
「……それ以外ないやろ」
「だとしてもおかしくないか?」
「何がちゃ?」
「私らがここに来なかったらどうしてた? 私らがミチユキを捨ててお前に協力しなかった場合は? 一人で挑むつもりだったか?」
「そうなるやろう」
モモは平然と答えるも、ザクロはその響きに含まれた濁りに気がつく。
この妹は好戦的な性格ではあるが無謀ではない。絡舞紀伊は千歳町という非常に発展した町を治めている。
それはつまり──。
「なあ、モモ。こんなでかい町の神座に君臨し続けてる奴は、それだけ多くの羅刹を跳ね除けてきたことになるよな? 目立てば目立つほどに花を狙う羅刹たちに嗅ぎつけられ、何度も戦いを挑まれることになる。私らみたいなのを何度もな」
「そうやろうな」
「初戦の相手としては過剰だと思うんだが? 一人で挑んだとして、勝てる算段があったか?」
「…………」
ザクロが少しづつ詰めて言うと、モモはだんまり沈黙する。
迫力のある三白眼が不快感を示すように細められた。
触れられたくない場所までザクロの言の葉が降りてきているということだ。
「蛇のような狡猾さを腹に抱えるお前が、明らかな格上に挑むってのはどういう了見だ? この辺りは村が多いらしいじゃん? 探せばもっと手頃な羅神もいただろ? 強くなりたい以外の理由がないと割に合わないよな?」
退路を断つように質問を重ね続けると、
「羅刹は困難を乗りこなす者ちゃ。絡舞を乗り越えられんようなら、母上には到底届かん」
至極真っ当なようだが、なんとも薄い反論が返ってくる。
ザクロはつい意地悪く口角を上げる。モモという女は剣術も弁舌も攻め手は卓越しているが、守りとなると比較的に手薄。幼い頃から変わっていない。
モモ自身も己の感情を整理できていないのだろう。されど、その心の所作にザクロは覚えがある。
「お前、タカオに心打たれか?」
ガラ空きの喉元に突き刺すように言ってやると、モモの相貌に怒気が孕む。
その反応を見て、ザクロは確信に至った。
「そうか。そうなんだな。ずっと母上に逆らえなかった自分と、絡舞に支配されていたタカオを重ねちまったか。お前は神に従順する正しさを振りかざしてきたが、ひ弱そうなタカオは神に背を向けて逃げてきた」
ザクロがネズミと出会えたように、モモもタカオに出会えたのだ。
ザクロがネズミの強さに惹かれたように──。
「お前はタカオの強さに惹かれた。鮮花の本能じゃなく、己の本能で。心からなんとかしてやりたいって、一緒にいてやりたいって思ったんだな」
そう言葉を吐いた途端。
モモが素早く打刀を抜き放ち、ザクロの喉元に白刃を突き付けた。
もう踏み込むなと、口より先に肉体で訴えてきたのだ。
「黙って聞いとりゃベラベラと、的外れの憶測を垂れ流すなや……」
「おうおう、可愛い妹でお姉ちゃん微笑ましいわ。素直でよろしい」
殺意が燃え盛るモモの眼光に、ザクロは彩李のように「ホッホッホ」とちゃらけて応える。
千歳町に来てからずっと手玉に取られてきたが、ようやくやり返すことができた。
刀身が首に突きつけられようと肉体が緊張しない。命を脅かすような危機感も湧かない。ただただ、妹の動揺する姿が愉快でしょうがなく。
「ふはははッ、図星突かれて得物抜くとか。どんだけ効いてんだお前ぇ!」
「絡舞より先にキサンの花を摘んじゃろうか!?」
「おおっ、余裕ないなぁ。蛇ってよりは縄張りを荒らされた猫だな。可愛いなぁ、かつぶし食べる?」
「殺す! 絶対に殺してやる!」
モモが激昂し、笑い続けるザクロの胸ぐらを掴んで押し倒し、どかりと馬乗りとなった。
不毛な拳の応酬が火蓋を切る、その直前だった。
「神が来られるぞッ」
ざわざわと、地上で人々の息を呑むような感嘆が打ち上がる。
押し合い圧し合いしていたザクロとモモも、北西に首を向け、賑やかな祭囃子に耳を澄ました。
「来たな」
ザクロの視線の先、百歩向こうで、神輿がこちらへ近づいてくるのがよく見える。
金と紅で彩られた豪奢な神輿、それを担ぐのは人間ではなく、美しい人形の大群だ。
一つ一つの所作がすべて人間と変わりなく、上背も人間と変わらぬ縮尺。
じっくりと観察しなければ人形であると見抜けない仕上がりだ。
よくよく目を凝らせば、先導するように舞い踊っている人影も人形。
笛や太鼓、三味線を奏でて、神の来訪を祝っているのもまた人形。
どの傀儡も上等な着物を纏い、笑っているのか悲しんでいるのかわからない、なんとも形容しがたい相貌を、ずらりと百体以上並んでいる。
聞いていた通り、絡舞の鮮花は──神業と呼ぶに相応しい人形の花だ。
人形が織りなす、この世ならざる光景。それらを司る張本人は、神輿の上──四隅の支柱に支えられた豪奢な屋根の下で、退屈そうに胡座をかいていた。
うねる癖毛に、死んだ魚のような双眸。長く日光を避けて暮らしていたのか、その肌はやけに白い。
タカオから五〇代であると聞かされているが、歳のわりに若く見える。されど、腐っても羅神だ。俗世からやや浮き上がったような近寄りがたい風格がある。
「チッ、そろそろ行くと」
「そうだな」
二人は諍いを中断し、簡単に身支度を整える。乱れた着物を整え、手鏡で化粧の最終確認。脇に置いておいた手斧を帯の後ろに差し、ゆっくりと覚悟を決めるように立ち上がった。
そして、堂々と地上へ降り立つ。
すると、脇で膝をついた民衆が仰天、誰もが大きく目を見開くのだ。
「何してんだ!? うつけが!」
「神様が通られるのよッ、脇に避けなさい!」
「不届者が! 神の祝祭を邪魔立てするか!?」
非難轟々、遊女に客に、店の者。周囲の人間たちから罵声を浴びせられる。
そして何人か、たまらず立ち上がってザクロたちに手を伸ばすも。
「邪魔はそっちちゃッ、決闘の邪魔すんなや!」
モモが渾身の怒声で圧倒し、打刀の刀身を半分抜いて見せる。
ザクロも後押しするように、迷惑そうに周囲に手を払った。
「羅刹同士の争いに人間は不介入だ。斬り殺されていいのか? ほら、下がれ下がれ」
はきはきと柔らかく、ザクロが両手を掲げて指図すると、民衆は一歩二歩と後ずさる。
されど、納得しかねると言わんばかりに、その場に佇む者がちらほら。
その態度を見かねて、モモは盛大に舌を打つと、
シシシシシシシシ
己の喉を脈動させて、鮮花を開花させた。
蛇が威嚇するような音色を上げ、肉体を折り曲げて周囲を睨み据える。
すると、モモの着物が不自然に盛り上がり、背中から這うように黒き大蛇が姿を現した。
ザクロが右腕に義手を施されたように、モモは背中に蛇の巣穴たる義体が埋まっている。
着物を一枚捲れば、女の肌に黒い木目が埋まっているのだ。
「さっさと逃げねえと噛まれっぞ!」
モモが言うと、主人の肉体に巻き付いた大蛇が、わざとらしく口をこれでもかとかっ開き、シャーっと一つ鳴いて周囲の人間を存分に威嚇した。
「ヒッ──」
たまらず腰を抜かした町民が、大蛇から逃れるように地面を這って後退する。
疑心を口にしていた者たちも、目の前で起こった異能の効力に恐怖し、途端に押し黙ってくれる。花縛帯が巻かれていない羅刹というものは、やはり恐ろしいらしい。
周囲の沈黙を見届けて、ザクロは腰の太刀に手を添え、視線を前方に巡らせた。
──ああ、なんだか浮つくな。
睨み据えるは道の先、妓楼が並ぶ道の上、巨大な神輿がゆらりと歩む。
その威圧的かつ幻想的な光景を前に、心臓の拍動が徐々に早くなってゆく。
カリンは今、どこかで監視しているだろうか。
今か今かと、モモの首が落ちるのを心待ちにしているのだろうか。
いざとなったら、自分はやらなければならないのだろうか。
そう覚悟を決めていたが、妹の可愛らしい一面を見てそんな気は失せてしまった。
「ザクロ姉、覚えちょれよ。絡舞の次はキサンちゃ」
左隣で佇むモモが、口を尖らせてそんなことを言う。
ザクロはつい吹き出して腹を抱える。なんだか楽しくなってきた。
神輿が近づいて来る度に、カリンの思惑などどうでもよくなってくる。
ミチユキを助けるため、望まぬ土俵に立たされているというのに。
なぜだか心が浮つき弾んでいる。あれほど気が進まないと思っていたのに。
妹の心根を暴けたからか、それが妙に嬉しい。
モモとは分かり合えないと思ってきたが、似た者同士だったのだろう。
花の羅刹として、馬鹿な妹の良き縁を祝し、花道を作ってやるか。
「良い夜だな。良い縁が起きた」
耳打つ祭囃子が、ザクロの調子を上げてゆく。
さてさて、どう立ち回るか、どうでもいいか。
はてさて、どう壊そうか。暴れてから考えるか。
神輿がゆっくりやってくる。女の園をゆったりと。
絡舞を担ぐ、傀儡の群れ。しとりからりと、やってくる。
太鼓と三味線、打ち鳴らし、妓楼をぬってやってくる。
さてさて、今宵はどうなるか。羽虫と蛇に、人形の神。
はてさて、どの花落つるのか。見もの見もの血みどろみどろ。
神が道を歩まれる。人形の群れとやってくる。
無惨に乙女を殺した神が、白い顔で座している。
死体を愛でる変態が、優雅に神輿に座っている。
誰もが見惚れる人形に、醜悪極まる性根一つ。
誰もが見惚れる果実の娘、神座に挑む心根二つ。
さてさて、今宵はどうなるか。誰の欲が咲うのか。
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