第二六話 嘘に花
その後──。
モモの凶行に沸騰したザクロを、ネズミは頭を冷やさせるために外へと連れ出した。
その熱くなった背中を押して冷たい地下道をしばらく歩いていると、荒い息を吐いて呼吸を整えていたザクロが急に立ち止まり、
「良いようにやられ過ぎてるッ、私ら!」
苛立ちを隠しきれず、冷たい坑道の壁に拳を打って咆哮する。
輝き透き通るような白い髪も、尾を踏まれた野良猫のように逆立っていた。
ネズミも行燈を片手に持ちながら、うんざり顔の体毛を拭って同意する。
「花縛帯を切って貰えたけど……どんどん面倒な方向に転がるね……」
よくよく考えれば、タカオという存在。あれはモモから差し出された新しい人質のようなものだ。涙し、傷つく者を見捨てられないだろうと、花の羅刹たらんとするネズミ達に提示してきたのだ。
されど、抗う術がない。ザクロの言うように、完全に手玉に取られている。
どれほど危険な相手でも、共闘しなければミチユキの救出は叶わないのだから。
「でも、今は取れる選択肢がないよ」
「そうだな。だから、せめてこうしよう」
ザクロはおもむろに、袖口から羅神の鮮花を取り出してネズミの元に放る。
「ネズミ、お前さんが食っちまえ」
「はい?」
宙に放られたその菊の花を、ネズミは動揺のあまり取り落としそうになった。
「ちょッ、モモさんに上げるんじゃ?」
「もうやらん。頭に来たわマジで。あんなことされて素直に渡すかよ」
その言葉に、ネズミはヒヤリと背後を伺って声を落とす。
「いやいや、待ってくれよ。これが無くなったら、さらに状況が不利にならない? モモさんにカリンさんの対処をお願いしてるのに……それに、鮮花の浄化の方法も……」
「じゃあネズミが持っておいてくれ。食うかどうかはお前さんに任すわ」
不貞腐れようにそう言い放ち、ザクロは腕を組んで坑道の壁に背を預けた。
その態度に、ネズミは「えぇっ……」と呻きを漏らし、懇願するようにザクロの肩をがしりと掴む。
「ヤケクソになってないか? 頼むよ、こんな状況で思考を放棄しないでくれッ」
ただでさえ辟易とした状況に追い込まれているのに、ザクロまで場を引っ掻き回すような立ち回りをされては、ネズミも全てを投げ出したくなってしまう。
されど、当のザクロは肩に添えられたネズミの手を宥めるように優しく叩いた。
「まあまあ、そこまで悪い提案じゃないと思うぞ」
「その心は?」
「お前さんが持っておけば、私がまたモモに襲われそうになっても鮮花を奪われずに済む」
「じゃあ、俺が襲わそうになったら? ザクロみたいに対処できないけど?」
「そうはならない。これから私とモモはお前さん達と別行動を取る」
「はい?」
首を傾げたネズミの前に、ザクロは両手に二本指を掲げる。
「これから、私とモモが二人で絡舞紀伊に戦いを挑む。その隙にネズミとタカオは大社に侵入して灰神トオルの花を摘め。それが終わったら、タカオに頼んでカリンを無力化してもらえ。そしたら、ネズミと私でミチユキの身柄を確保して、この町からおさらばだ」
つらつらと都合の良いことを言って、ザクロは得意げな顔をした。
流石に、とネズミは首を振る。既にここに来るまでにこちらの思惑を何度も握りつぶされているのだ。そう簡単に行くはずがない。
「それは、作戦? 別行動を取るなんてモモさんが了承しないんじゃ?」
「させる。あんな失礼ぶっこいてきたんだ。こっちの提案は意地でも呑んでもらう」
「向こうが意地でも突っぱねてきたら?」
「私が即座にモモを殺すか気絶させる。ネズミはタカオを拘束しておいてくれ。羅刹は首を強く締めると鮮花を開けないからな。首を抑えろよ。そんでタカオを脅して協力させて、カリンを寝かしつけてミチユキを助け出す」
「うーん……」
正直気が進まない、とネズミの眉が下に垂れ下がる。
強硬手段も良いところだ。やはりヤケクソになっている。
「ダメだ。タカオさんを脅すなんてそんなこと──」
「その心配には及びません」
ネズミの言葉を遮って、背後から女の声がかけられた
驚き、振り向くと、タカオが提灯も持たずにその場に立ち尽くしていた。
「すみません。モモ様が食事をするために地上に戻られたので、その報告にと……」
「わお……何処まで聞いちゃいました?」
「すべて聞いてしまいました。忍び寄るようなマネをしたのは、重要なお話をされていたようなので、つい盗み聞きをしようと魔が差しまして」
正直に、堂々とそんなことを言う。
血生臭い協議を行っていた手前、ネズミは目を白黒させてしまうが、
「心配はないってことは、協力してくれんだよな?」
ザクロは驚くこともなく、タカオにそう聞く。わざわざ物騒な提案をしてきたのは、タカオにこちらの覚悟を聞かせるためだったのか、それともただ動揺を隠して平然と見せているか。
「はい。協力いたします。私にとってはモモ様が鮮花を手に入れるか否かは、さほど重要ではありません。しかし、トオルだけは……トオルを灰神にしたままでは……」
相貌に沈痛に歪ませ、タカオは視線を地に落とした。
そして突然、着物を汚すことも構わず、その場で膝を折って平伏の形をとった。
「ちょ、タカオさん……」
「後生です。いくらでもお手伝いいたします。ですから、トオルだけは楽にしてください!」
ネズミは慌てて膝を折り、タカオに身を起こさせるよう肩を掴むも、
「すべてが終わったら、私の鮮花も差し上げます。どうか、ご助力をッ」
その心から振り絞るような嘆願に、ネズミの身が強張る。
やはりタカオは自分と重なるところがある。ネズミ自身も命を賭してでもザクロの幸福を祈ったことがあった。しかし、その姿勢はあの優しき老婆に咎められたのだ。
「タカオさん、ダメだよ。これからタカオさんが生きるために、妹さんを見送りたいんじゃなかったの?」
しとりとしたネズミの咎めに、タカオの身が震える。
その胸中は、痛いほどに察することができた。
「気持ちはわかるよ。すっごいわかる。妹さんを失った悲痛を抱えて生きるより、自分を捨てた方が楽だもんね。これ以上、しんどい思いしたくないもんね」
心にのた打つ絶望を言葉にされ、タカオは弾かれるように頭を上げた。
その涙に濡れる双眸は、ひどくネズミの内心を抉る。
されど、今は言葉を尽くさなければならない。
「でも、手放しちゃダメだ。タカオさんが死んじゃったら、誰が妹さんのことを思い出してあげれるの?」
言うと、タカオの大きな瞳が揺れ、強張った肩が弛緩するように落ちる。
残酷に聞こえただろうか。もっとマシな言い方があっただろうか。
つい、一抹の不安を躍らせて、ネズミはもう一度言葉を重ねようとしたが、タカオが袖で涙を拭ってぽつりと呟くのだ。
「ネズミ様は……女の涙に弱いのですね……嘘と涙は女の武器ですから、簡単に騙されてはいけませんよ……」
嗚咽混じりにそんなこと言って、タカオはゆっくりと立ち上がった。
「嘘ですよ……これでも羅刹の端くれです……簡単に己の花を差し出すわけないじゃないですか……」
精一杯の強がりなのか、まるでこちらを騙していたような口ぶりで、タカオは毅然と背筋を伸ばす。顔色も晴れやかな赤みが差し始めていた。
「いいぞ、タカオ。粋がりは羅刹の美学だからな」
静観していたザクロが満足げに口を開き、次にはネズミの背を叩く。
その感触は、『よくやった』とでも言いたげな、誇らしげな暖かさがあった。
「灰神トオルの討滅、改めて承った。条件はミチユキ救出への協力と、お前の末長い生存だ」
ザクロが綻んだ顔でそう言うと、タカオは深々と頭を垂れる。
「ありがとうございます。ネズミ様、ザクロ様」
厳かに述べた感謝に、どこか力強さを感じさせた。
そして、それ以上、言葉を重ねることなく、タカオは静かにその場を後にする。
暗闇に溶けてゆくタカオの背中が、先ほどとは見違えるほどに大きく見えるのは、やはり羅刹らしい粋がりを見せてくれたからだろうか。
「強いね、タカオさんは。すぐに切り替えてあんなこと言えるなんて」
「だな。ひ弱な奴だと思ってたけど、ちゃんと羅刹してるわ」
ネズミとザクロ、共に安堵の息を吐いて顔を見合わせる。
タカオは何が妹のためになるのか、妹が何を望むのか。瞬時に思い直って立ち直った。
その強さに、ザクロは強く心を打たれたのか、しばらく噛み締めるように瞑目する。やがて、決心したように言うのだ。
「ネズミ、お前に嘘ついてたわ」




