第二五話 誓願刀
土蔵の隠し扉を潜り、長い階段を抜けた先は地下道となっていた。
人が三人並んで歩いても余裕があるほど広い道幅に、地震対策も定期的にされているようで、真新しい板と柱がそこらに打ち付けてある。
ひたりと地面を踏み締めて、ネズミは途端に身震いした。
地下であるからひどく室温が低く、草履を購入してから忘れていた原始的な冷たさが足の裏から伝ってくる。
その感触に少々の後悔が過ぎる。無精しないで預けた自分の草履を取ってくればよかった。
「ネズミ様、申し訳ございません。もっと大きな草履を用意しておくべきでした」
小さな呻きに気がついたのか、タカオが後ろを振り向いて申し訳なさそうに言う。
女子三人は予め土蔵の箪笥に仕舞われていた草履を履いているが、ネズミ一人だけ裸足で歩かせてしまっていることに、罪悪感を覚えているのだろう。
「気にしないでください。ずっと裸足で過ごしてきましたし、無精してこのまま行くと言ったのも俺ですし」
「ですが……今からでも……」
タカオが足を止めて気遣わしげにすると、側を歩くモモが、今にも蹴り上げて来そうな苛立ちを放つ。
「立ち止まんなッ、せこせこ歩けちゃ!」
「いちいちキレんなッ、更年期かテメエは!」
怒号を上げて、モモとザクロが肩で相撲を取り始める。
懲りない姉妹を見つめて、ネズミはうんざり白目を剥いた。やめてほしい。ただでさえここは音が響くと言うのに。
仲裁するのも馬鹿らしくなり、ネズミはタカオの背を押して歩く。
「行きましょ。俺は大丈夫ですから」
「申し訳ありません……」
タカオはやたらと謝る。羅刹は簡単に謝らないほうが良いとザクロに教わってきたが、弱々しく背を曲げるタカオを見て、改めてその教えが腹落ちする。
傲慢で不遜な態度で他者に挑むザクロやモモを見ているとそんな気は起きないが、タカオを見ていると、ネズミは妙に喉の奥に疼きを覚えるのだ。
己の鮮花がタカオの花を喰らいたがっているのだろう。その舌なめずりに、ネズミは頭を振って平静を手繰り寄せ、タカオに他愛ない話題を振った。
「ここって昔の戦国時代? に使われてた避難経路なんですよね?」
「はい、そう聞いております」
「なんか周りの支柱とかが真新しく見えるんですけど、手入れされてるんです?」
「そうですね。私とトオルが資金を工面して整備させておりました」
「絡舞紀伊にはここのことは?」
「知らないはずです。秘密裏に進めてまいりましたから。というのも、ここは私達の実母が私達を産んだ場所なんです」
「わお、なんと……」
「妓楼で働く女は、仕事柄、客との子を孕んでしまうことは少なくありません。基本的には腕の良い医師に頼んで堕胎させるのですが、私とトオルはその風習を断ち切りたく……」
曰く、タカオとトオルはこの地下道に遊女達の隠れ家と逃走経路を用意したらしい。
「遊郭には死が蔓延しております。堕胎もそうですが、女達は梅毒などの性病に罹って命を枯らしてしまう者がほとんどです。その治療代を私とトオルはお布施から工面しておりました」
されど、それも限界があった。次から次へと駆け込んでくる遊女を救っていたら、資金も底をつく。
故に、病にかかる前にこの地下道から外の世界へ逃す準備していたそうだ。
「父上に資金の調達を嘆願してみてはいましたが『興味がない』と一蹴されました。それもそうですよね。あの方は自分の求める美しさにしか心を配れないのですから」
当時の光景を思い浮かべたのか、タカオは坑道の暗闇に悔恨の眼差しを落とした。
「私達が強ければ、父の首を落とし、この町の羅神となって資金の調達や戒律を敷いて悲劇の渦を断ち切れたのですが……」
「超立派じゃん……タカオさん俺達と年近いのに、もうそんなこと考えてるの? 偉いなぁ」
そう、ネズミが心から感心すると。
「私達の母は病でその命を枯らしております。だから、その娘であり、羅刹という立場を得た身でありますから、尽力するのは当然かと」
それも、中途半端ですが。と、タカオは自嘲気味に肩を竦める。
気落ちするようなタカオの背中がより小さく見えて、ネズミは思わず肩に手を添えた。
「タカオさん、後ろの二人見てみてよ」
ネズミが親指で背後を指し示すと、タカオは苦く口角を上げた。
ザクロとモモが静かに互いの額をぶつけ合い、頭蓋骨の耐久勝負をしているその光景に。
「凄いでしょ? しょうがない部分もあるけど、一五歳でずっとこんな感じなんですよ? これ年相応なのかな? タカオさんみたいな落ち着いた女性になれると思う?」
「ま、まあ羅刹様の正しい在り方であるとは……思います……」
姉妹の諍いをしばし見届け、タカオは遠慮がちに微笑した。
「モモ様から聞いております。暮梨村では姉妹がお互いを刺し合って生きてきたと。そんな環境で私とトオルが産まれていたら、とっくにこの世から姿を消していたでしょうね」
「まあ……俺が生き残ってるのも奇跡ですし」
「フフ、心中お察し致します」
ネズミはタカオと妙に通じ合い、親近感を覚えた。それと同時に惜しむ気持ちもある。出会い方が違っていれば、親しき友となれたかもしれないと。
「タカオさんはこの先どうするんです? すべてが上手くいったら」
絡舞紀伊に囚われている灰神トオルの討滅を成し遂げ、モモの絡舞狩りが上手くいったとしたら、タカオはどういう道筋を辿るのか。ネズミはつい気になった。
「今は考えられませんね……」
「この町の羅神には?」
「私のような弱き者がこの町の羅神になれはしません。それこそ、モモ様のような血の気の多い羅刹に狩られておしまいでしょう」
ネズミは言葉に窮した。そんなことないでしょう、とは言えないほどにタカオはか弱い。どう励ましたものか、頭の箪笥を開け閉めしても、それらしい手札が枯れている。
二人の間に気まずい沈黙が流れた。親しみを感じた矢先、気が緩んでしまい、話題選びを間違えた。好きな飯の話とかしておけばよかった。
そんな後悔をネズミが回していると、
「着きました。ここです」
タカオが示した先、坑道の脇に戸板がはまっていた。薄汚れた檜材がひどく重々しく、いかにも隠れ家であるという印象だ。
提灯を持ったタカオがその戸を滑らせて中へ入ると、室内を朧げに照らし出す。
雑多に積み上げられた書物に、二台の文机。床には八枚の畳が敷き詰められていた。
「ここで私の母が私達姉妹を産み落としたそうです。今は私達の秘密基地になってます。こっそり卑猥な本を集めて二人で読み耽っておりました」
恥ずかしげもなく言いながら、タカオは部屋の四隅に備え付けられた行燈に火を灯す。
すると、ザクロがそこらに転がる本を一つ取って、しげしげと眺め始める。
ネズミも興味があり、一つ手に取ってみると、
「おお、なんだこれ……ネズミ見てみろよ、男同士で接吻してるな」
「うッ…… ここにあるの全部そういう本です?」
「はい。オススメがございますから、後でお譲り致しましょうか? 女性同士の春本もございますよ」
流石は妓楼で生まれた娘だ。性に関して憚ることなく、濁りなき眼をネズミに向けてくる。
正直欲しいと口を開きかけると、背後でモモの低声が地を這った。
「本題に入れ。下らんことに時間割くなや。くらすぞ(ぶっ飛ばすぞ)」
「はわわッ、お座りになってお待ちください!」
凶悪な圧に押されて、タカオは慌てて部屋の隅の箪笥に駆ける。
ネズミは畳に尻を預けながら静かに惜しむ。もう少しで春本を手に入れられたものを。
されど、モモの言うとおり重要なのは本題だ。花縛帯を解く方法があると聞いているが。
「こちらになります」
タカオが箪笥から取り出したのは一尺ほどの桐箱だった。それを文机の乗せて中を開けて見せると、一本の短刀が納まっていた。
目を引くのは乾いた血のような紅の鞘と柄。その鞘の中央には髭の長い龍が掘り込まれている。実用というよりは、美術品の類に見える。
「これは誓願刀〈髯断〉です」
タカオがそう告げると、ネズミが真っ先に首を捻る。
「誓願刀とは?」
「ご存知ありませんか? 刀の製作工程で鮮花を削って練り込まれた刀を、誓願刀と呼びます。刀に鮮花の能力を付与することができる特殊な鍛錬法があるそうで」
「え、やばッ、そんなのあるの?」
「はい。その証拠に──」
言いさし、タカオは短刀を鞘から抜き取ると、おもむろに刃を自分の手の甲走らせる。
その奇行にネズミは肩を跳ねさせるも、タカオの手には傷一つついていなかった。
「この通り、これほど鋭利な刃物にも関わらず、人を切ることは叶いません。しかし、名の通り、髯──つまりは髭を切ること関しては恐ろしいほどの切れ味なのです」
タカオは立ち上がり、モモの傍にしゃがみ込むと、その首に巻かれた花縛帯に短刀を押し付ける。
すると、刃を引いてもいないのに、ぷつり、呆気なく花縛帯が断ち切れてしまった。
「花縛帯は元々、とある羅神様の髭であったとか」
そう、タカオが言い終わるかいないか。それと同時だった。
モモの肉体が弾かれたように動く。膝を立て、打刀を抜こうとする構え。
それを予め察知していたのか、ザクロが既に動いていた。
「やっぱりだ!」
刀の柄を握ったモモの右手を蹴り飛ばし、その場に押し倒して首を絞める。
「テメエは何か企んでそうな顔してたなッ、私を謀れると思ったか!」
「ケハハハハッ、バレとうたか」
「少しでも花の音立ててみろッ、このままテメエの喉を握りつぶしてやるからな!」
飢えた獣のように歯を剥き出しにするザクロに、モモは余裕の態度を崩さず、どこまでもせせら笑いを腹に含む。
「ヒハァッ、冗談ちゃろうが、マジになんなよぉ」
「ネズミ! モモの刀拾え!」
あまりの事態に唖然としていたネズミは、ザクロの怒声に押されて慌てて動く。
足早にモモの刀を拾い上げると、ザクロが視線で「よこせ」と訴える。モモを抑えたままの体勢では、自分の太刀を抜けないのだろう。
「タカオッ、さっさとその短刀で私らの花縛帯を切れ! モモの命が惜しかったらな!」
「ハハハッ、ザクロ姉が焦っとう。揶揄い甲斐があらぁ」
「揶揄うだ? テメエのその蛇目はマジだったぞ! 話は済んだんじゃねえのかよッ」
怒声を上げながら、ザクロはネズミから刀を手早く受け取ると、モモの首に白刃を鋭く押し当てた。
「早くしろタカオ! ネズミの帯から切れ!」
タカオは涙を溜めた眼を右往左往とさせて、震える手でネズミの花縛帯に短刀をかざす。
「モ、モ、モモ様、お戯れが過ぎますよぉ……」
「ほんとそう……心臓がいくつあっても足らない」
振り回される身にもなってほしいと、ネズミとタカオはがっくり弛緩しながら同調する。
ネズミは花縛帯がぷつりと切れると、タカオから短刀を受け取り、ザクロの花縛帯にその刃を当てる。
帯が切れるのと同時に、ザクロはモモから身を剥がし、侮蔑の視線を注いだ。
「何が目的だったんだテメエは……」
「いやなに、ザクロ姉が持ってる羅神の鮮花をここらで頂戴しようと思ったっちゃ」
「協力してくれたらやるって言ったよな? ぶちのめすぞテメエ」
「私の身になってみい。ミチユキとかいう男が解放されたら、その鮮花を渡されぬまま、トンズラこかれるかもしれんのやぞ?」
「やるつったらやんだよッ、羅刹に二言はねえ!」
姉妹の舌戦に、傍で聞くネズミはもう布団に潜り込みたい衝動に駆られた。
自分がタカオと会話してる背後で、そんな企みを練っていたとは。常に気を張ってないといけない状況で心労が溜まる。
「……やっぱり、私は羅刹の間で生き残れませんね」
そう消沈するようなタカオに、ネズミは「心中お察しします」と静かに溢した。




