第二四話 土蔵会議②
「ざ、ザクロ様……?」
タカオは泣き腫らした顔で大いに動揺する。ザクロの奇行に目を白黒とさせて、何か気に障ったのかと「はわわ、すみませんッ」と盛大に怯え始めた。
「ネズミ、受け取れよ」
突然、座るネズミに目掛けて、ザクロはタカオの肉体をふわりと放る。
「ちょ、何してんの!」
危ないと、ネズミはタカオの肉体を慌てて受け止めた。
意味がわからない。泣いている女子を突然放り投げるなど。
「ザクロッ、何すんだぁ!」
「そのままそいつを抱きしめろ。お前さんと密着させておけば支配の糸が緩まる。私も散々とお前さんの背中にしがみついて助けられたからな」
ザクロは言うと、ネズミの胸の中で戸惑うタカオの背を押して、より一層とネズミと密着させる。
ネズミも大いに動揺する。さっき知り合ったばかりの女子を抱きしめろなんて、まるで暮梨村にいた時に強要されていた抱擁法ではないか。
「いや、急にそんなこと……タカオさんも迷惑じゃ?」
嬉し恥ずかしい感情が渦巻き、ネズミが頬を上気させていると。
その一連のやりとりを静観していたモモが、先を促すよう顎をしゃくる。
「泣かれ続けるのも迷惑と。ドブネズミにしがみ付きながら話続けんちゃ」
そう、ぶっきらぼうに言い放たれると、タカオはゆっくり頷いて「それでは……」と涙に濡れる顔を遠慮がちにネズミの胸に埋めた。
「申し訳ありません。このネズミ様の柔らかい体毛は離れ難く……しばらくこのままでお願いします」
世辞か本心か、タカオがそんなこと言う。
女子の暖かい体温と柔らかい感触がネズミに伝わり、思考が桃色に染まり出す。
なんだこの卑猥な展開は、最高か。大いなる役得だ。一生このまましがみついてくれたら良い。
ネズミは内心で小躍りしながらタカオの背に手を添えると、それに安堵したのか、タカオはするすると続きを話し出した。
「その、トオルの死を見届けた私は、町の外へと逃走しました。逃げた先で、まったくの偶然、モモ様に遭遇したのです」
曰く、命からがら山の中を彷徨っていると、舌が蛇のように割れた三白眼の羅刹、モモが馬に跨って現れた。
気が付けば、タカオは縋るようにモモに助けを求めていたそうだ。同じ女子であったのと、見るからに強そうな羅刹であったからだとか。
「よくこんな凶暴そうな女に縋り付いたな。花を摘まれると思わなかったのか?」
ザクロが怪訝に聞くと、
「私には輝いて見えましたし……その立ち姿は猛々しく、ご立派で」
ネズミの胸の中で、タカオは照れたように微笑みを咲かせる。
そういう性癖もあるのだろう。荒々しい者に心惹かれる女子もいる。
「それに、妹を失った直後でしたから、どんな糸にも縋りたいと」
「選ぶ余裕がなかったのは察するが、やばい奴に頼っちまったな。イジめられてないか?」
ザクロが同情を口にすると、モモが眉尻が吊り上げ、大きく舌を打つ。
「やかましいちゃ。優しくしとうぞ。タカオは雑魚やからな。羅刹の癖に戦うこともできんと」
言われて、タカオは恥入りながら袖で目元を拭った。
「言い返す言葉もありません。父上に花よ蝶々よ育てられ、刀も振うことなく、能力も戦闘向きではありませんから」
「どんな能力なんです?」
ネズミは問うと、タカオの大きな瞳が申し訳なさそうに垂れ下げる。
「私の鮮花は……〈夢誘の花〉。対象を眠らせて夢の中へ誘う能力でございます」
「え、凄い能力じゃないですか。強制的に寝かせられるんでしょう? 超強いじゃん!」
「対象を眠らせている間、私も眠りに落ちてしまいます。しかも一度に眠らせられる対象は一人だけですので」
そこまで聞いて、ザクロが「ははーん」と平手に拳を打った。
「なるほどな。その能力で絡舞紀伊を眠らせて花を摘もうって魂胆か?」
ザクロがモモに水を向けると、モモは鼻で笑い飛ばすように言う。
「舐めんな。寝首を刈ろうなんて思ってなか。それに、タカオの能力は一度かけた相手には通用せんちゃ」
「その通りです。絡舞様には一度能力を行使しています。あのお方が心労で眠れぬ夜に、私は気を回して能力を使って快眠に誘っておりまして……」
随分と下らないことで一生に一回を使ってしまっている。
その後悔なのか、ネズミの胸の中でタカオは唇を噛む。
「幼少の頃とは言え、愚かなことをしてしまいました。あのとき使っていなければ、妹を守れたかもしれないのに──」
「やめれ。キサンのしょうもない後悔は聞かんとぞ」
タカオの自責に被せるように、モモが冷たく釘を刺した。
「雑魚はハキハキと話を前に進めろちゃ。足引っ張んな馬鹿女」
そのあまりの毒舌に、ザクロとネズミは弾かれるように激怒する。
「テメエッ、言葉の引き出しに罵倒しか入ってねえのか!」
「流石に酷いと思いますッ、謝ってよ!」
ザクロは膝を立て、ネズミはタカオを庇うように凶悪なモモに背を向ける。
されど何故だか、被害者であるタカオは、愛おしそうにモモに熱視線を送っているのだ。
「素敵……」
ネズミは腕に抱えたタカオを放り投げそうになったが、グッとこらえた。
どれほどか弱そうに見えても、タカオはれっきとした羅刹だ。
先ほどそんな予感も匂わせていたし、ネズミの常識で計れない性質を持っているのだろう。
しばしの沈黙の後、ネズミとザクロの呆れるような視線に、タカオは我に帰える。
そして、記憶を辿りながら話の続きを切り出した。
「それで……モモ様と出会い、頼みを快諾して頂いた後、ここ飛宴楼を頼ることにしました。ここは私とトオルの産まれた場所ですし、一時期、財政難に見舞われた飛宴楼を私達が資金提供をすることで建て直した恩もあり、楼主には快く匿ってもらっています」
「それ、どうなんだ? 縁のある場所に隠れているのは絡舞にバレてるんじゃないのか? ここに追手が放たれることは?」
ザクロが指摘すると、タカオは即座に首を振った。
「あの方は腐っても羅神です。民草に堂々とした神格を見せつけているのです。逃げた私を自らの足で探すことはしないでしょうし、配下の羅生衛士に私を探させることも、下手な勘繰りを生むため憚られるでしょう」
「まあ、そうか。娘であるトオルを殺し、灰神に転化させて側に置いてるんだからな。隠したいし痛い腹は探られたくないか」
一同、胸に込み上げる不快感に、眉をハの字にする。
改めて聞いても外道極まる所業だ。娘同然に育てた者を殺害して側に侍らせるなど。
「恐らく、私がここにいることも承知しています。ですが、ここ十三日の間、誰も寄越してこないということは、そういうことです」
誰もが非難するであろう所業を成した。それを承知しているから、絡舞紀伊は誰にも頼らず、タカオを探ることもない。
「それに、あの方にとっては人形を愛でること以外、さほど重要ではありません。同じ顔をした双子の片方を手に入れたのです。それで十分なのでしょう……自分の側に、自分が美しいと思うモノを並べ立てることしか興味を持てない──」
悪辣極まる異常者です。と、タカオははっきりと侮蔑を口にする。
良い傾向だと、ネズミは感心する。ネズミと抱擁を交わしているおかげか、それとも強靭な意志の力か、タカオは鮮花の思考から解き放たれて、自分の意思で神を侮蔑したのだ。
「トオルはその異常者の手によって、大社の最上階に匿われているでしょう。最上階は神域ですから、人間は誰も足をつけること叶いません」
「そうだとしても、いつかバレるとは思わないのかな?」
ネズミは疑問を口にして首を傾げる。人一人の死体を自分の家の中で隠し通せるものなのか。
ましてや灰神だ。死した羅刹は強烈なまでに甘い花の香りを周囲に放つ。日が経てば経つほどに怪しまれるはずだ。
「私もそれは思いました……」
疑問を口にしたネズミを見上げ、タカオは顎に手を当てた。
「トオルを隠し通せる手立てがあるから事を起こしたのだと思いますが、それが一体何なのか……」
「どうでも良いちゃ」
思慮を巡らすタカオを遮って、モモが「もう黙れ」とばかりにタカオに向けて手を払う。
「考えてもしょうがないと。最上階にいる。そう検討がついとうなら今はそれで良いちゃ」
「モモ様がそうおっしゃるなら……」
タカオがやや得心しかねる顔をして、遠慮がちに頷く。
その所作を見届けて、モモは胡座をかいた足を組み直す。
「こっからが本題ちゃ。どう絡舞を殺すか」
猛る心を露わに、モモが凶笑を口に浮かべると、
「待てッ」
ザクロが犬を躾けるように、モモの眼前に手を前に翳した。
「ミチユキを助けるのが先だ。タカオの〈夢誘の花〉とやらでカリンを寝かしつけて、ミチユキを救出する。それからなら絡舞狩りでもなんでも手貸してやる」
「何抜かしとうか? 絡舞狩りが先ちゃ。そうじゃなきゃキサンらトンズラする気やろ?」
「しねえとは言わないが、お姉ちゃんを信じろ。まずはミチユキを助けてくれなきゃ安心して戦えないぞ」
「アホくさ、能書き垂れんなや。タカオの能力を頼るんなら、まずはこっちの要求を読むのが先と」
「そもそも、カリンを野放しにした状態で羅神を相手取るつもりか? あいつが妨害してきたら厄介なことになるってわからないか? しかも私らには花縛帯が巻かれてるんだぞ。能力もなしに立ち回るなんて正気じゃねえぞ」
自殺行為だと、ザクロは厳しく指摘する。
すると、モモはその反論をどこ吹く風。膝に手を添えて緩やかに立ち上がった。
「それに関してはなんとかなるちゃ。なあ、タカオ」
言われて、タカオは名残惜しそうにネズミから身を剥がす。
そしておもむろに、土蔵の箪笥から提灯を引っ張り出した。
「どっか行くんです?」
ネズミが聞くと、タカオは行燈の火を提灯に移して笑顔で応じる。
「はい。共に参りましょう」
タカオの足が土蔵の奥へと進む。そして壁を前に立ち止まると、屈んで床に手をついた。
「千歳町は元々、はるか昔の戦争で使われた城郭ですからね」
こん、とタカオが床を叩くと、金具が揺れるような重い音が鳴った。
「かつての権力者達は、敵軍に攻め入られた際、こっそり逃げ道を用意していたようです」
言いながら、タカオは懐から薄い鉄製の簪を取り出し、板間の継ぎ目に這わせた。
そして、手際よく簪を押し込むと、板が浮き上がり隙間ができる。
「わお、隠し扉だ」
「男の子は心踊るかもしれませんね」
ネズミが感嘆すると、タカオは頬に笑窪を作って板を持ち上げる。
すると、板の裏には金属の取っ手が揺れており、その下には階段が備え付けられていた。
「行きましょう。花縛帯を解く手段がこの奥にございます」




