第二二話 妓楼にて②
その後の顛末はひどい有様だった。身を挺してネズミが喧嘩の仲裁を行うも、ザクロとモモの拳の応酬は止まらず。ネズミもしこたま殴られる羽目となった。
しばらくして、一通り暴れてお互いに気が済んだのか、姉妹は机を挟んで向かい合い、話し合いの場を整えるために座布団に腰を下ろす。
香梨姉妹の喧嘩は、相変わらず夏の嵐のようだった。罵声と暴力を撒き散らしてひと暴れしたと思ったら、次の瞬間にはまるでなかったかのように互いに湯呑みを傾け合うのだ。
「まあ、大体の察しはついとうよ」
顔から回復の火花を散らしながら、モモが茶を啜って平然と言う。
「キサンら、カリンに弱みでも握られて私を殺しにきたんちゃろ? そうやなかったら、私と会う理由がない」
「そうだが、そうじゃない。殴りかかられた時はマジで殺してやろうかと思ったが」
ザクロもまた口の中の血を飲み干すように茶を啜る。
「気に食わないのはな、私らがカリンの使役にかかってるかもしれないと思われてたことだ。舐めんじゃねえぞこの野郎」
「カリンの罠に嵌ってノコノコと千歳町まで這いずってきた奴らに、そんなこと言う権利があるとか?」
「それとこれとは話が別だ」
「別っちゃなかと」
「いいや、別だ。別にしろ。一緒だと思っても別にしろ」
始まってしまう。不毛な言い争いが。
ネズミは流石にと、柏手を打って話に割り込む。
「カリンさんに人質を取られてまして、その人の命が惜しかったらモモさんの花を摘んでこいと言われてしまって……」
「ほう、相変わらず羅刹らしからぬ卑劣さ。人間の盾に縋るとは、見下げた妹ちゃ」
それで、とモモは机に肘をつく。
「キサンらに私を殺そうちゅう覇気がないのは、なんでちゃ? 何しにきたんと?」
「取引をしに──」
ネズミは言いさして、ザクロに視線で合図を送った。
「これ、欲しいんじゃないのか?」
ザクロはチラリと、胸元に閉まった菊の花をモモに見せる。
その花が見えた途端、モモは目元を訝しげに細めた。
「何処の馬の骨のの鮮花と?」
「翁火九乱。羅神の鮮花です」
ネズミの言葉に、モモの眉間にさらに皺が寄る。
「嘘やなかか? その辺の灰神の花を摘んで来て、適当言っとうやろ?」
「モモ、お姉ちゃんを信じろ。嘘を回せるほど器用に見えるか?」
「まあ……阿呆やからな。無理か」
ザクロが歯軋りをぎりりと鳴らす。自分で聞いておいて相貌に悔恨の念を滲ませていた。あっさりと肯定されるのは違うらしい。
更に悔しいことに、モモがしたりと言うのだ。
「その反応を見るに、本物か。ザクロ姉が素直で助かると。余計な読み合いと裏回しがいらんちゃ」
完全に手玉に取られている。しかし、それが良い証明となった。
ネズミはモモに向かって厳かに頭を垂れる。
「モモさんの助力を乞いたいと思っています。この鮮花を差し上げるんで、カリンさんの対処をお願いしたく──」
「ええぞ。やってやらぁ」
ネズミの言葉に被せて、モモがあっさり了承した。
それに驚き、呆気に取られていると、モモが二人の眼前に人差し指を掲げる。
「もちろん、条件つきでな」
ここが肝心と、モモは念を押すように三白眼を獰猛に光らせた。
「絡舞狩りを手伝え」
「そうなりますか……」
ネズミはげんなり耳を垂れ、思わず舌を打ってしまう。
気が進まない。この町に来てからずっと気の進まない選択を迫られている。
「いやいや、モモさん。考えてみてください。絡舞紀伊をわざわざ殺さなくても、カリンさんの相手をしてくれたら、俺たちからこの翁火九乱の鮮花が手に入るんですよ? 羅神を相手取るより、はるかに楽でしょ?」
モモとて花縛帯を巻かれている状態に変わりはない。能力を封じられている現状で羅神に立ち向かうなど、無謀極まる所業だ。
されど、そんなネズミの意見に、モモは不敵に口元を歪めるばかりだった。
「それも貰うし、絡舞の花も摘む」
モモの覇気を込めた低声に、ネズミは天井を振り仰ぐ。
強欲が過ぎる上に、あまりにも豪胆だ。
その執念と自信は何なのだと、こちらを辟易とさせてくれる。
「この条件を呑むしか、そっちに道はないんやなかか?」
そう、まるで確信したようにモモは言う。
「人命を捨ておけない甘ちゃんどもが。キサンらにとったらこの町にカリンが来た時点で詰んどるぞ。アイツはそこらに人間がいるだけで、キサンらを追い詰める十分な材料を確保できるっちゃ」
言い返せないほどの図星だ。人質がミチユキでなくとも、その辺の人間を人質に取られてしまえば、ネズミもザクロも参ってしまう。巻き込んでしまったという罪悪感は、二人の足を止めるに十分だろう。
「自惚れすぎと。全部を拾えるほど強くない者が、全てを選び取ろうとするなんて虫が良過ぎるっちゃ。私の条件を呑めんなら、その人質の命は捨ててさっさと千歳町からトンズラせれ」
モモがつらつら吐いた叱責の嵐に、ネズミはたまらず畳に手をつく。
また都合の良い結論に着地していた。追い詰められるとどうしたって甘い考えに縋ってしまう。羅神の鮮花をチラつかせれば、モモを滑らかに動かせると本気で思ってしまっていた。
「やるしかないか」
ネズミから引き継いで、ザクロが観念したように呟く。
それが妙にあっさりしていた。最初からモモの提案をすべて呑み込むつもりだったのか、それとも、カリンの注文通りに絡舞狩りに乗じてモモの花を摘む気なのか。
「お前の言う通りに動いてやる。その代わり、ミチユキの命は絶対に助けろ。傷一つ無く」
やるからには、とザクロは真紅の瞳でモモを存分に睨み据える。
「人質の名前か? 安心せれ。カリンなんぞに遅れはとらんちゃ。キサンらと違ってな」
言われて、ぐぬぬとザクロは額を抑える。
そんな姉を一顧だにせず、モモは即座に膝を立てた。
「行くぞ。合わせたい者がおると」
するすると滑るように足を運び、モモは部屋からさっさと退出する。
ネズミとザクロもその背を追いかけて廊下に足をつけた。
「合わせたい者? 協力者でもいんのか?」
「黙ってついて来いちゃ」
潜めた声音で、モモは煩わしそうにザクロの問いを袖にし、歩を早める。
カリンの監視を警戒しているのだろうとネズミは察するも、モモの背から放たれる緊張の糸が、どうもそれだけではなさそうな感触だ。
「ここちゃ」
一向が辿り着いたのは妓楼内部の奥の奥、更に奥に進んだ先にあった。大きな旅館のようなその母屋を抜け、草履を借りて外庭に足をつける(ネズミに合う草履がないため、ネズミは裸足)。
すると、一件の土蔵が敷地の端に遠慮気味に備え付けられていた。
「物置か? こんなところに──」
「無駄口叩くな、ささっとせれ」
剣呑と交わし合い、モモは土蔵の扉に隙間を作り、ネズミとザクロにさっさと入るように顎で指示する。
言われた通り、土蔵の中に入室すると、弱々しい行燈の光が室内に灯っていた。
モモが扉を閉めると、部屋の奥からぎしりと床を踏む音が聞こえる。
「モモ様ですか?」
次には、鈴音のようなコロコロとした声音が、部屋の中に響く。
その声の方向にネズミが目を凝らすと。
「まあ、お話には聞いていましたが……ネズミ様とザクロ様でございますか?」
部屋の隅から姿を現したのは、長い黒髪の女子だ。
一六、七歳ほどだろう。その見目はひどくか弱そうに澄んでいて、冬の晴天を思わせる透明感がある。
そんな女子は人形のように整った緑色の瞳で、慈しむような温かい視線をこちらに送ってくる。
「私はタカオと申します、以後、お見知りおきを」
そう言って、タカオは土蔵の中で深く頭を垂れる。
告げられたその名前、その響きに、ネズミとザクロは覚えがあった。
確か、着物屋の女主人との世間話でその名を聞いた気がする。
「その名は……絡舞紀伊の娘か?」
ザクロが問うと、タカオは「はい……」と濁すように首肯する。
「私の父は、ここ千歳町の羅神、絡舞紀伊にございます」
「町で聞いた噂じゃ、お前は絡舞に殺されたって聞いたが」
「そうでしょうね。私達は姿をくらましているのですから、そんな噂が立つのは無理もないかと」
「私達? もう一人娘がいると聞いてたが、そいつも生きてるのか?」
ザクロが聞くと、タカオは何か言い淀むことがあるのか、わずかに俯く。
そして、ゆっくりと相貌を上げると、その瞳には決意の炎が灯っていた。
「お願いがあります」
居住まいを正し、タカオは膝を払って土蔵の床に平伏する。
「トオルを、私の妹を、どうか討滅してください」




