第二一話 妓楼にて①
長い庇の下で、座布団に座る男が一人、煙管を咥えて煙を吐く。
「厄介ごとを……押し付けなさる……」
男は死んだ魚のような瞳に町の灯りを写し、やや長い癖のある黒髪を煩わしそうに掻く。
煙管の先で燻る火種を煙草盆に落とすと、ゆらり揺れる白煙が夜空に溶けて胡散した。
ところは千歳町、その中央。五重塔の最上階。
男はまた煙管に煙草を詰めて火をつける。そして深く煙を吸い込み、溜息と共に空中に白色を撒き散らした。
「絡舞の神名を継いでから、これほどの難題は初めてだ……」
絡舞紀伊の視線の先、はるか遠くで佇む、白髪の少女と灰色の獣。
それらを見て、絡舞は項垂れるように首を傾ける。
「紅子様の娘達と、花弁の一枚……あの獣。私の願いの達成は、果たして成るのか……」
気が重いとばかりに絡舞は視線を切って、畳に背を預ける。
すると、頭部に冷たく柔らかい感触が当たった。
絡舞は、その感触がたまらなく好きなのだ。手放したくはないのだ。
「「……ズット……イッショダヨ……」」
応えてくれる。もっとも大事なモノが、自分の思いに応え続けてくれる。
それを維持しなければならないのだ。何をしてでも。
「ああ、ずっと一緒だよ。トオル。どれほど血に濡れようと」
衣擦れの音を立てて、絡舞はより一層と頭を押し付ける。
頬に当たる女の太ももの感触が、自分を奮い立たせてくれるのだ。
「私の理想の〝美〟を、永劫のものにするのだ……」
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飛燕楼の前でしばらく待つこと四半刻(約三〇分)。
ザクロとネズミは焦れて足を揺り、良い加減にしろと舌を打った。
「いつまで待たせんだ。くそイライラしてきた」
「これ忘れられてんじゃないの? 中入っちゃう?」
もう押し入ってやろうかと腕まくりをしていると。
ようやく妓楼の戸が開け放たれた。
「お待たせしました……モモ様がお待ちになっております……」
戸を開けた若い衆の様子がおかしい。
どんよりと気を沈め、顔の片方に張られたような赤みを帯び、着物も僅かに乱れている。
「おい、どうした? モモに平手でも食らったのか?」
ザクロが聞くと、若い衆は「はいぃ……」と語るのも気が滅入る様子。
「だからあの方に関わるのは嫌なんです……もう勘弁してください……」
「マジごめん」
ザクロとネズミは、若い衆の背中を支えるように手を当てた。
かわいそうに。子犬のように震えている。
「俺も散々とイビられたことがあるので、気持ちがわかります。怖いですよね……本当に」
ネズミの寄り添うような声音に、若い衆は「そうなんです」と大いに首肯する。
「もう目の前にいるだけで恐ろしくて恐ろしくて……。ああ、すみません、ご案内します」
気を取り直して、若い衆はネズミとザクロを玄関に誘った。
招きに従い戸を跨ぐと、およそ十二畳ほどの広い土間が広がっていた。
左手には『火の用心』と書かれた張り紙が大きな柱に張り付いており、右手の隅には土鍋が湯気を吹く台所が備え付けられている。
履き物を若い衆に預けて畳に足をつける頃には、頭上から微かにカロカロとした三味線の音色と、男と女の笑い声がちらほら聞こえる。
「驚きましたか? 飛宴楼はここじゃ珍しく完全予約制ですので、お客はんの出入りが少ないんで」
若い衆が解説してくれるも、何を驚けばいいのやら、ネズミとザクロにはさっぱりだった。恐らく、妓楼というものはもっと人がごった返していて賑やかであると、若い衆の説明で察することができるのだが。
「すまん、客として利用したことがないからよくわからん。めちゃくちゃ田舎者だからな私ら」
「さいですか。いらんこと言いました。お気になさらず」
初見の人間への口上なのだろう。その若い衆の気遣いに、ネズミは言葉の裏をなんとなく察する。
要は、ここで女遊びをしても家族にバレにくいですよと、暗に言いたいのだろう。
それはネズミ達にも好都合だ。人の出入りが少ないということは、密談に向いた場所であるということだ。
「こちらへ」
歩く若い衆の背を追いかけて、畳から板間の廊下を渡ると、奥に階段が突き当たる。
そこを上がって二階に足をつけると、廊下の一角に何やら気になるものが座していた。
「ザクロ、人形だよ。人形を祀ってる……のかな?」
「本当だ。なんだろな?」
丹塗りの柱に囲われた小さな座敷が壁に埋まっており、真ん中には正座した人形が飾られている。
その人形の相貌は息を呑むほどに美しい。笑っているのか憂いているのか、見る者次第で捉え方が変わりそうな、なんとも言えない表情をしていた。
纏う着物も大層に雅だ。紫色の下地の上で数羽の蝶々が舞い踊っている。
「そちらは飛宴楼の創業五〇周年の祝いに、絡舞様に作成して頂いた品でございます」
「へぇ、絡舞さんは人形師なんです?」
ネズミが聞くと、若い衆はあからさまに『そんなことも知らないのか?』と呆れるような顔を一瞬見せるも、すぐさま正して貼り付けたような笑顔に戻る。
「そうでございます。絡舞様は大和大陸で一番の人形師でございます。この人形欲しさに遠方から訪れる方も多くいらっしゃいます」
よほど特別なのだろう。語る若い衆は随分と胸を張る。
「是非、今夜の絡舞祭の目玉を見ていかれては? 絡舞様の能力で踊る数々の人形の舞いは、それはそれは圧巻でございますから」
「そうですね……是非そうします」
ネズミの声音が濁る。祭りを楽しめる状況であればよかったものを。
今夜は血生臭い夜になりそうだ。
「絡舞は、人形を動かす能力か」
かろうじてネズミに聞こえる小声でザクロが呟く。
カリンの要求は、絡舞狩りに乗じてモモを殺害することだ。その注文通りに動くことになれば、絡舞の能力と対峙することになるだろう。
「お二人ともよろしいですか?」
立ち止まったネズミとザクロに、若い衆が遠慮気味に急かす。二人は焦る声音に素直に従い、引き続き階段を登る。
やがて四階に辿り着くと、そこから長い廊下に足をつけた。廊下の左右の閉じた襖から、談笑する声が漏れ聞こえ。更に奥に進むと、艶美な女の嬌声が微かに鼓膜を叩く。
「うっわ、やってるわ」
「やめときなさい」
思春期を丸出しに、ザクロが襖の隙間を覗こうとするも、ネズミがその背を押して歩かせる。これ以上立ち止まっていると、若い衆がモモにドヤされてしまう。
長い廊下を抜けると、次には渡り廊下を進む。階下を見下ろせば、淡い光を放つ灯篭が池の真ん中に鎮座する幻想的な中庭が広がっていた。思いの外、敷地が広い。高級店であると察しはついていたが、旅館を居抜きしたような仕上がりだ。
そして間もなく、右に左に廊下を折れ曲がった先、一つの角部屋の前で若い衆が立ち止まった。
「こちらです。くれぐれも荒事は勘弁してください」
「大丈夫だ。話をするだけだからな」
ザクロが手を煽いで言うと、若い衆は会釈してそそくさとその場を後にした。
縮こまった男の背を見送った後、ネズミはザクロの肩を掴む。
「俺が話して良い? ザクロとモモさんじゃすぐに喧嘩になるから」
「うんまあ……そうだな……その方がいいかもな」
昼間の反省が効いているのか、ザクロは素直に提案を呑んだ。
「お前がモモに気圧されそうになったら、流石に私も出張るぞ」
「了解。それで行こう」
打ち合わせを終え、ネズミは一つ息を吐いて、襖に指をかけて滑らせる。
「ん?……」
掛け軸や調度品が飾られた一二畳ほどの室内。その部屋の中身は──もぬけの殻だった。
凶暴な女が太々しくそこに座っていると思いきや、人っ子一人いない。
厠にでも行っているのだろうか、とネズミが部屋の仕切りを跨ぐと。
「ネズミ!」
ザクロの叫声が響いた瞬間、ネズミの視界の端で迫る影があった。
人間の足の裏だ。そう認識した頃にはもう遅い。
ネズミは顔面に強い衝撃を喰らい脳を揺さぶられる。次には体勢を崩したネズミの胸ぐらに、女の手が素早く伸び、引き倒すように畳の上に転ばされる。
「モモッ、どういうつもりだ!」
ネズミが大の字で倒れた頭上で、ザクロの怒声が響いた。
一体どういうことなのか、何が起こっているのか。
ネズミは顔面に喰らった痛みに悶え、朧げな視界で強襲してきたモモを捉える。
「どういうつもりか、わかっとうやろ? 一発殴らせろちゃ」
冷めた低声で言いながら、モモは右拳を鋭くザクロに放つ。
「テメエ……」
ザクロは右の義手で拳を受け止めながら、空いた左手で素早くモモの胸ぐらを掴んだ。
「私らがカリンの能力にかかってると思ってるのか?」
「わかっとうなら──」
殴らせろと、モモは空いた左拳を下から打ち上げるようにザクロの顎めがけて放つ。
それを察知して、ザクロは僅かに身を引いて拳を避け、頭を思いっきり後ろへのけ反る。
そしてそのまま──。
「クラぁ──!」
「ガァアアッ」
叱りつけるような咆哮と共に、モモの額に目掛けて渾身の頭突きを浴びせた。
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