第二〇話 遊郭回憂
モモの居所は、聞き込みをして即座に当たりがついた。
ネズミとザクロが手近な居酒屋で聞き込みをすると、
「ああ、見たことあるぜ。遊郭の中ででブラついているのを。肩で風切って歩いてたから、恐らく妓楼の用心棒か、取り立て専門の牛太郎でもしてるんじゃないかね」
そんな答えが返ってきた。
流石にネズミもザクロも驚愕を禁じ得ない。あくまで酔っ払いの憶測だが、この町にやってきて即座に小遣い稼ぎをしているとは、随分と世俗に馴染んでいる。
しかも先刻、二百万圓という額を提示してきたばかりだ。この町の風俗は随分と羽振りが良いらしい。
ネズミ達は情報を元に、足早に遊郭が立ち並ぶ町の北西へと歩を進めた。
すると、町の中を走る幅の広い溝川に、豪奢な朱色漆塗りの橋がかかっていた。
その雅な橋を渡った先、門が開け放たれた大門が聳え立つ。
「そちらの方々、こちらへ」
門を潜った先、左手に番所があり、文机に座った守衛が手招きする。
誘いに従って、守衛の目の前に立つと、ザクロにだけ一枚の木札が渡される。
「無くさぬように、盗られぬように」
「何だこれ?」
ザクロがネズミに見せるように木札を掲げる。
木札には彫り込みがあり、『女人壱、通行』と書かれていた。
「千歳遊郭は初めてで? ここは男性の出入り自由ですが、女性の方はここを出る際、この木札が必要です」
「無くしたらどうなる?」
「足抜けを企む遊女と見なされてしまいます。なので、お尋ね者になってしまうかと」
曰く、千歳遊郭で働く女達はこの木札が欲しくてたまらないのだそうだ。
なんせ親元から口減しで売られて来たとか、借金を背負った夫に売り飛ばされたとか、そんな世知辛い理由で春を売る仕事をやらされているのだ。外界へと逃れたいはずだ。
「羅神が自身売買を許すなんてな…… やはり金という物は呪物なんじゃないか」
と、ザクロがぽつりと呟くと、守衛は口元をへの字に曲げ始める。
「なんですか? なんか文句がございやすか?」
剣呑とした空気を感じ取り、ネズミは慌ててザクロの背を押して入場した。
「いえいえ! 何でもないですー!」
どうも気が立っている。見るからに羅刹であるネズミとザクロに対して、即座に喧嘩腰で接してくるというのは、ひどい治安の悪さが匂いたつ。
遊郭が立ち並ぶこの区画は、羅神が目を溢す治外法権であるのかもしれない。
「おい、ネズミ見ろ! 凄いな……女が牢屋に入れられてるぞ!」
通りに足を踏み入れた途端、ザクロがはしゃいだ声を上げる。
背の高い豪奢な妓楼が立ち並ぶ通りには、いくつもの格子窓が備え付けられていた。
その中で、白い顔をした女達が通りを行く男達に「おいでませ」と次から次へと声をかけている。客が女を品定めする張見世というものだろう。
「何ですのん? お客はん? 新人さん? こっちおいでぇな」
周囲の光景に視線を移ろわせていると、格子の中で科を作る遊女が三人、ネズミとザクロを見て手招きをする。
部屋の中で灯篭の光が煌々と溢れ、女達の影が二人の視界にヒラヒラと踊る光景は、頭を茫然とさせるほどに艶かしい。
そこへ二人してまんまと近づいていくと、遊女が白粉を塗りたくった顔で妖しい笑みを浮かべるのだ。
「羅刹様やんなぁ? なんや可愛らしい有様でありんすなぁ」
「探してる奴がいるんだが──」
そう、ザクロが尋ねようと口を開くと、
「そりゃ私のことでありんす。女の子の相手するんは好きやからなぁ。そっちの鼠さんもまとめてどない?」
「いや、聞きたいことがりまして」
問われたネズミも恐る恐る口を開くと、遊女はたっぷりと紅が塗られた唇に扇子を当てながら、もったいつけるように視線を右斜め下に落とす。
「そしたら、中に入って聞いてもらわんと。もちろん、たっぷりとお相手しますえ」
「いやいや、うちはどないでありんすか?」
「いやや、わっちを選んでくれんと泣いてまうよ?」
まずい、話にならない。格子の中の遊女たちが、次から次へと自分を売り込んでくる。
男であるならこういう場面は少々色めき立ってしまうのが正常であるだろうが、ネズミはひどく気分が悪い。
香りだ。遊女達から湧き立つ独特な香の匂いが、ネズミの鼻にはひどく刺激が強い。
鬢付け油と白檀の香りだろうか。それらと化粧と煙草の香りが混ざり合い、ネズミの脳が情報を処理しきれずに混乱してしまうのだ。
「ネズミちょっと」
白目を剥くネズミを見かねて、ザクロが遊女達から距離を置かせる。
「大丈夫か? 何がしんどいんだ?」
「匂いがヤバイ……女性の前で鼻を塞ぐのは失礼だから我慢したけど、あの人たちが動けば動くほど頭がおかしくなりそうで……」
ネズミがそう訴えると、「そうか、鼻か」とザクロはどこか安堵するような顔をする。
先ほど旅籠屋で膝を折った件もあって、心配してくれていたのだろう。
「人と少し嗅覚が違うみたいだからな。仕方ない。お前ほどじゃないが、私もあの香りは苦手だし、早々に決着つけるか」
ザクロは言うと、懐から紙切れを数枚取り出す。
それは、あらかじめネズミが何かあった時のためにと渡しておいた金だ。
「おい、金だけやるからこっちの質問に答えてくれよ」
金を三枚チラつかせて、ザクロが再び格子に近づくと、遊女達の瞳が爛々と輝く。
「さあさあ、何でありんすか?」
「あっずるい! 抜け駆けはなしや!」
「わっちが先に声をかけたのに!」
押し合いへし合い、ザクロの正面を取り合うように肩で相撲をし始めた。
「一人三枚やるから、黙って聞け」
言うと、遊女達はちょこんとその場に正座して大人しくなる。
「モモという女を探してる。名前の通り、桃色の髪をした凶暴そうな女だ。何処ぞの遊郭で用心棒をしてるかもしれないんだが」
「ああ、それなら飛宴楼でありんす」
一人の遊女が両手を挙げて答えた。
「最奥にある格子のない建物がそうでありんす。少し前、桃髪をした荒々しいお方が、おイタをした客を蹴飛ばしていたのを、見かけたことがありますえ」
「そうか……。ついでに、ユウヒという名の芸者を知らないか? 少し前までここらで働いてたらしいんだが」
「ま、ユウヒ様のお知り合いで? それとも噂をお聞きに?」
何やら、遊女達が随分と黄色い声を上げ始めた。
「ユウヒ様は今、どちらおるんかえ?」
「聞いてるのはこっちだ」
「さいですか……ここらの遊郭を回って、三味線を披露して投げ銭を稼いでおいででした。男女問わず見惚れしまう見目に、奏でる旋律はそれはそれは流麗なもので」
「何処に行ったかは知らない……と」
「また、一目会いたいでありんすなぁ」
惚ける女達に、ザクロはさっさと金を配ってその場を切り上げる。
拾える情報は拾った。リンゴの行方も気になるが、今はモモだ。
「ネズミ、とりあえず飛宴楼とやら行くぞ」
「了解」
斯くして、ネズミ達は風俗通りの最奥へ向かう。
数多の格子窓からひらりと手招きが送られるも、ネズミは白目を剥いて視線を切る。
長くここに居座ってると鼻がやられる。やはり自分は田舎か森の中がお似合いなのだ。
そそくさと逃げるように歩いていると、右に左にうねるような階段が姿を現した。
先ほど歩いていた大きな通りと違って、敷地を隔てる塀に囲まれた薄暗い道だ。
されど、そこらに根付けをぶら下げた提灯が備え付けられており、歩く者の目を楽しませるため、非日常を演出する作りとなっている。
観光気分であれば足を止めて眺めたいところだが、今のネズミもザクロもそれどころではない。
足早に駆けて、塀に囲まれた通りを抜けると、豪奢な四階建ての建築物が二人の前に聳え立った。
「すご……」
ネズミは呆気に取られてぽつりと溢す。いかにも格式の高そうな店構えだ。
今まで見てきた妓楼の門構えは、人目を引くように金細工に彩られた看板などを掲げていたが、件の飛宴楼は赤塗りの下地に達筆な黒字が刻まれた威圧感のある佇まい。
屋根瓦が連なる軒先の四隅には灯篭が吊るされており、優雅に飛翔するツバメ模様がいかにも上等な店であると、こちらに訴えかけてくる。
「いらっしゃいませ。ご予約のお名前は?」
店の門前で二人で呆気に取られていると、三十代と思しき店番の男が顔を出した。
黒い淵の戸に隙間を作り、張り付けたような笑みが目尻に影を作っている。
恐らく若い衆と呼ばれる、妓楼内のあらゆる仕事をする雑用係だ。
「モモという女を探している。ここにいるだろ?」
ザクロが端的に言うと、若い衆は訝しげに下から上へと二人に視線を滑らせる。
「厄介ごとでございますか? ほんなら勘弁願いたい。あの方は血の気が多いですから」
やはり、モモは大人しく仕事をするタチではないようだ。語る若い衆の眉尻が心労で垂れ下がってゆく。
「大丈夫だ。揉める気はない。私はあいつの姉だからな。家族に一目会いたいだけだよ」
ザクロが努めて柔らかい声音でそう告げると、若い衆は「少々お待ちを」と戸を閉めて店の中へと引っ込む。
それを見送って、二人は呆れたように肩を竦めた。
「あいつ、まるで俗世に馴染んでるようなこと言ってたが、ちゃんと腫れ物扱いされてるじゃん」
「まあ……そうね……荒々しいからねあの人。しっぺ返しが怖くて追い出せないのかもね」
そんな話をして待っていると、ネズミは首の後ろにちりちりとした痒みを覚えた。
まるでそこに蟻でも這っているかのような落ち着かない感覚だ。
「…………」
唐突に沈黙したネズミの様子を案じて、ザクロは身を寄せて声を潜めた。
「どうした? 大丈夫か」
「見られてるような……カリンさんに操られてる人かな?」
ネズミは何気なく、不自然な所作にならないように背後に視線を配るも──やはり判別がつかない。そこらを歩く人間は皆、ネズミの珍しい出立ちに釘付けになってしまうものだから、監視の目と好奇の目の違いがさっぱりわからない。
しかし、そんな最中、ネズミが最も気になったものは。
「あれ……」
ここから町の中央に堂々と鎮座している五重塔がよく見える。あれは絡舞紀伊が住まう大社と聞き及んでいるが──。
どうもあの塔から放たれる気配は、何とも言えないべったりとした感触だ。先ほどまでそんなものは一切と感じなかったというのに。
「あそこから、見られてるような」
ネズミがぽつりと溢すと、ザクロは「ほう」と感心したように息を吐いた。
「お前はリンゴ姉みたいに羅生界を感じとれるみたいだから、羅神の強大な気配に反応してるんじゃないか?」
羅生界──羅刹の喉奥に宿る鮮花が見ている景色を、そう呼ぶ。
あらゆる動植物が、人間と違う色を見て生きているように、鮮花もまた、独自の光景を見て世界を捉えている。
かつてネズミが見た羅生界は、光輝く糸の世界だった。人間が光の糸で編まれた人形のように見える無機質な光景。それらは、目で見えない気配や視線さえも可視化される。この世界の真実だというのが、羅神教の教えであると言う。
暮梨村から脱して以来、その単語とは無縁だったが、羅神の住まう土地にいるせいか、その感覚がだんだんと鋭敏になっているのかもしれないと、ザクロは口にする。
「それか、実は〝見られてる〟んじゃなくて、もしかしたらお前の鮮花が向こうを〝見てる〟のかもしれないな」
「俺の鮮花が、絡舞紀伊を狙ってるってこと?」
「そう。自分をより強大な花にするために、お前の鮮花が舌なめずりしてるのかもな」
やめてくれよと、ネズミは自身の喉に手を当てる。
ミチユキを妻子の元に帰すために、こちらはどんな立ち回りをすればいいか逡巡していると言うのに、空気を読まずに食い気を出してきた。
「ま、あくまで私の憶測だけどな。気にするな」
ネズミの肩を叩いて、ザクロは気を取り直すように促す。
「そうだよね。今は、そんな場合じゃないからね」
口で言ってみたものの、ネズミはどうも絡舞の大社に目が吸い寄せられる。
まるでうら若き乙女の生足が眼前に放り出されてるような、憚れば憚るほどに気もそぞろになってしまう有様だった。
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