第十八話 金色行燈
「カリン……」
ザクロが憂鬱に呟き、ネズミは鎮痛に相貌を染める。
一ヶ月ぶりとなるカリンとの再会は、最悪な形で行われた。
ミチユキを人質に取られて成す術がない。ここで踵を返して逃げてしまえば、ミチユキと旅籠屋にいる人間たちは一体どうなってしまうのか。
「背信者どもめ、よくもここまで手を煩わせくれたな」
廊下に立つ二人の反応を見つめた後、カリンは香り立つような憎悪をその身に纏う。
対して、ザクロは肩を竦め、とぼけるように薄い笑みを浮かべた。
「カリン、ここまで大変だったろ? モモに裏切られて、馬まで殺されて。にも関わらず、ここまで来るのが早かったな? まだ樹海を彷徨ってるものかと思ってたぞ。どうやってここまで来た?」
そう、ザクロがつらつら問うと、
「やはり、聞いているか……あのカス女……どこまで聞いた? 奴は何を企んでいる?」
ぎろりと眼球を剥いて、カリンは問い返す。
「やはり? 私らがモモと会ってたのを知ってたのか?」
「聞いてるのは僕だ。さっさと話せ」
カリンは言うと、首だけを動かしてミチユキを指し示す。
すると、ミチユキに短刀を突き付ける女が、腕を回してミチユキの襟首を掴んだ。
その所作に、ザクロは額から一筋の汗を垂らす。
「……モモから聞いたのは、お前を裏切ったことと。あいつが千歳町の羅神、絡舞紀伊の首を狙っていることだけだ。金をチラつかせて、私らに手伝うように取引を持ちかけてきた」
「ほう……絡舞の首を……」
「いずれお前がこの町に来ることを知ってるくせに、ここでひと暴れする気らしい。とことこん馬鹿にされてるな」
「…………」
カリンは歯噛みし、相貌を憤怒に染め上げ、金色の髪が垂れた額から血管が張り出す。
まずい、とネズミは身構える。激昂したカリンは何をするかわからない。
にも関わらず、ザクロはわざと逆鱗に触れるような言葉を選び続けた。
「間抜けだよお前は。母上を見上げるばかりで足元が見えてない。暮梨村の住人と同じだ。最も近くにいたモモの心変わりに気がつけないんだからな。二つ目玉がついていても節穴だ。私がくり抜いてやろうか?」
揶揄い、盛大に煽る。どういうつもりなのか、三女が五女を存分に小馬鹿にする。
されど、ザクロはカリンに見えないように片手を後ろにやって、ネズミに指でミチユキを指し示した。
それが何を意味するのか、ネズミは即座に察するも──。
「貴様……」
カリンはぼつりと呟き、今にも飛びかかりそうな体勢を取る。
しかし、こちらの企みに気がついたのか、一つ息を吐いてザクロから距離を取った。
「僕を激昂させて詰め寄らせたかった? 僕に頭突きでもすれば能力の制御を失うからな」
「チっ、バレたか」
傍でネズミも舌を打つ。激情に振り回されてくれたらよかった。そうすれば、ザクロがカリンに攻撃を仕掛けた途端、自分が短刀を構えている女を突き飛ばし、ミチユキの安全を確保できたものを。何処までも自分たちの思惑を外してくれる。
「もう打つ手はない。どうせ私ら捕まるか殺されるかだろ?」
「そうなるな。わかってるじゃないか」
ザクロが観念したように手を広げ、次には首に巻かれた花縛帯を指で叩いて見せると、カリンはしたりとほくそ笑む。
そうだ。こちらは鮮花の能力を抑制する花縛帯を巻かれているが、カリンの首に花縛帯は巻かれていない。町に入る前に使役の能力を行使し、門番を操って入場したのだろう。
「なら、せめて私の質問に答えてくれよ。お前はどうやってここにきた? モモに脚を奪われてたんじゃないのか?」
「ハッ、僕が素直に答えるとでも?」
「忘れたか? 与え合うのが香梨紅子の信者である者の流儀だろ? 母上が掲げる教義を、お前が蔑ろにするのか? 私は知ってること全部教えたぞ?」
「…………」
痛いところを突かれたのか、カリンは口を引き結んで沈黙する。
ザクロは諦めたように腕を組んで姿勢を崩して見せているが、何とかこの状況を打開する糸口を探しているようだ。
「どうなんだ? 私の質問を無視するってことは母上の教えを無視することになるんじゃないか?」
「……そいつだ」
カリンは渋々といった面持ちで、視線のみでネズミ達の背後を指し示す。
以前、ネズミが押し倒した老爺が、誇らしげに胸を張ってそこに佇んでいる。
「そいつは母上が〈枝〉と呼ぶ者だ。信者の中でも特に信仰心の厚い者を選定し、母上の手足として活動させている」
「枝? 何だそれ。私は聞いたこともないぞ」
「母上が貴様に話すわけないだろう。愛されていない貴様などに」
「で、そいつが予備の馬を持ってきて、仲良くここまで来たとか?」
「そうだ。母上はやはり素晴らしい。僕の身を案じて、背後に枝を遣わせてくれていたんだ」
「信用されてねえだけじゃねえの?」
「……何とでも言え、羽をもがれた羽虫が。羽音にもなっていないぞ」
皮肉に眉を顰めながら、されど激昂しないようにカリンは息を整える。
「枝はずっと昔から大和大陸の全土に配備されている。暮梨村にいる者だけが母上の信者ではない」
「は? そこらって……」
「ここ千歳町にもいる。母上の使命を受けて待機している暮梨村の住人が」
あまりにも壮大な話に、ザクロもネズミも疑惑の視線を向ける。
されど、誇らしげに応えるカリンの様子に、嘘をついている気配は感じ取れない。
だとするならば──。
「使命……? 母上が外界に何の用がある? 私らみたいな裏切り者を監視するためか?」
「信者の誘致だよ。特に、珍しい病を持つ人間を集めている。母上は御身の鮮花を鍛え上げるため、あらゆる病の研究をし、あまねく者達の救済を行っているのだ。まことに崇高な御心だ。誰もが母上に救いを求めて暮梨村にやってくるんだ」
カリンが腕を広げて誇唱する、その言葉に、ネズミの頭の中が霞がかる。
暮梨村に外の人間を誘致している? と言うことは、暮梨村で扱っていない貨幣を認知していたネズミは、やはり外から誘致されていたのか。
そこまで細い記憶の糸を辿ろうとすると、やはり頭がぐらりと重くなった。一体どこまで自分の失われた記憶は、煩わしい箱の中に隠れているのか。堪らないほどに腹が煮えてくる。
「不思議に思わなかったか?」
頭を抱えるネズミを気にする様子もなく、カリンは話を続けた。
「何故、暮梨村にあれほどの灰神が訪れてくるのか。あれは母上の招待を受けていないにも関わらず、暮梨村を目指して野垂れ死んだ者達の末路だ」
哀れだろ、とカリンは一笑に付して腕を組んだ。
その態度を見るや、ザクロの歯がぎりりと鳴るも、ミチユキの首筋にかざされる短刀の切先に視線を配り、短く呼気を放って平静を手繰り寄せる。
「……年に一〇人くらいは来てた。灰神だけでその数だ。人間なんてもっとたくさん、あの樹海の中で野垂れ死んでるんだろうな」
「ザクロ、相変わらず他者の命に気を配るか。僕が使役の花を開く度に、川で溺れる者はいないかと、滑稽に這いずり回っていた。その甘さが、こんな窮地を招いているのに」
カリンがせせら笑う声が地を這い、ザクロは悔恨に相貌を歪める。
その背後で、ネズミは。
──ザクロが川で、溺れる者を。
そう頭で復唱した途端だった。
ネズミの頭に激しい痛みが稲妻のように走る。
そして、心臓の拍動を一拍おいて、頭に言の葉の嵐が吹き荒んだ。
『私のせいだ! 私が遅かったから!』
『許してくれ……お前の父ちゃん……死なせちまった……』
『母ちゃんを頼むぞ。泣き虫小僧』
『ごめん……助けられるくらい、強くなるから』
自分の記憶の断片か、今はそんな場合ではないのに。
言葉の濁流が一気に脳裏に反響し、激しい眩暈が引き起こされる。
縋るような声、嗚咽混じりの掠れた声、決意を込めた優しい声。
すべての声が、今よりやや高いザクロの声だ。
──なんで、ザクロの声がッ。
そう認識した瞬間、ネズミの視界が陽炎のように淡く歪む。
次には、白光が瞬き、目の前が真っ白に染まる。
そのあまりの強烈な光に、目の奥に激しい痛みを覚えた。
たまらず、ネズミは両手で顔を覆い、嗚咽を漏らす。
何が起こっている。己の頭の中はどうなってしまっているのか。
──やめてくれ。今は、ミチユキさんを。
困惑の海で溺れて、ただ祈った。どうか平常を返してくれと。
すると、わずかな温みを頭上から感じ、ネズミは思わず顔を上げる。
その暖かさは陽光だった。澄み渡る晴天が己の頭上に広がっている。
今まで旅籠屋の廊下でカリンと対峙していたはずなのに、これはどういうことか。
困惑の海に溺れていると、次には聞き慣れた音が鼓膜に注がれる。
──あ。
川のせせらぎと鳥の囀りだ。心地よい水流の音と、ぴちゅんと鳴くスズメの声。
周囲を見渡せば、見慣れた河川にネズミは立っていた。
そこは、暮梨村の外れを流れる川の中流だ。ここは、ザクロを初めて見た場所だ。
『ダッコシテ』とうわ言を呟く灰神の首を、ザクロが勇ましく刀を振るって落としていた。
その少女の所作を思い浮かべた、そのとき、ネズミの背後で気配した。
「よう」
眼前に白髪の少女がいる。着物を新調した今のザクロではない。
死装束のような着物に、漆黒の帯を巻く、暮梨村にいた頃の服装だ。
しかも、身長が頭一つ分低い。三、四歳ほど幼く見える。
なんだこの幻覚は、と一瞬にして様変わりしてしまった周囲の光景に慄いていると。
ネズミの口から言の葉が溢れた。
「あ、あの……ザクロ様……」
少女に声をかけていた。それが自分の口から出ているのに、自分ではないような感触。
初めて会話した時も『様』などと敬称をつけた覚えはないのに。
『元気してるか? 飯食ってる? なんか痩せてねえか? ──、また握り飯作ってやろうか?』
人懐っこい笑顔を浮かべ、幼いザクロがこちらにそんな言葉をかけてくる。
屈託のない相貌に、今と変わない力強い真紅の瞳が輝いていた。
言葉の中に霞がかかった瞬間があった。それは、自分の名前だろうか。
『そういえば、お前の母ちゃん、元気してるか? あれからあまり外に出てるのを見てないな。散歩させた方がいいぞ』
なんだったら、三人で散歩しようぜ。と、ザクロが優しく微笑む。
「それは……」
喉が詰まる。言いたいのに、言えないことがある。
少女に聞いて欲しいことがあるのに、どうしても喉から出てこない。
それがたまらなく嫌なのだ。だがしかし、喋ればひどく迷惑をかける。
少女にも罪を背負わせてしまう。曖昧な感覚だが、それだけはわかる。
それがなぜであるか判然としない。頭の中を掻き回したいほどに気色が悪い。
下を向いて口ごもっていると、幼い少女の手が伸びて、ネズミの両頬を包み込む。
肌と肌が触れ合う感触だ。体毛に覆われていない、人と人が接している感覚。
『悩みがあるならさ、言えよ。私は羅刹だ。全部を受け止めて乗りこなしてやるよ』
力強い瞳に射抜かれて、自分は唖然とする。
口を開きかけるも、ダメだ。喋ってはダメなのだ。
「ごめんなさい……」
なんとかそう呟くと、見る見る内に、ザクロが泣きそうな顔をする。
『私、強くなるって、言ったじゃん……頼ってくれよぉ……』
いやだ。いやだいやだいやだ。
泣かせたくないのに、喋ってはならない。
頼りたいのに、頼ってはならない。
たまらないほど、自分に腹が煮えてくる。
「ネズミッ」
俯いて顔を覆っていると、焦る声が鼓膜を叩く。
やや低くなったザクロの声が、必死に自分の名前を呼んでいる。
「どうした急に!? 大丈夫か!?」
ネズミの視界が、舞台の緞帳が上がるように一気に引き戻される。
眼前にいた幼いザクロは跡形もなく消え、焦燥を露わにする一五歳のザクロが眼前にいた。
足元の河川の砂利は旅籠屋の廊下に置き換わり、青々とした自然の香りから畳の香りへ。
「ネズミッ、私が見えてるか!?」
晴れた視界で、必死に声を上げるザクロの相貌を見つめる。
ああ、そうだ。今は共に支え合えているのだ。
過去の残滓が見せた、不甲斐ない自分ではない。
頼れるし、頼ってくれている。今は自分にできることがある。
「……ごめん、ちょっと……ふらついちゃった」
ネズミは顔を上げて、ザクロの肩を借りて立ち上がる。
今は記憶の濁流に振り回されている場合ではないと、ネズミは深く息を吸う。
どれほど時間が経ったのだろうか。状況は何も変わっていない。
何の罪もないミチユキが短刀を突きつけられ、カリンは舐るような視線をこちらに向けている。相も変わらず、気が滅入るような窮地に立たされている。
「獣の世話は大変だな。足手まといと旅をするのは心労が溜まるだろう?」
「黙れッ、こいつを馬鹿にすんじゃねえ!」
カリンの見下げて憐れむように言った声音に、ザクロの怒声が重なる。
「お前なんかよりよっぽど優しいし出来が良い。めちゃくちゃ頼りになるんだぞ!」
「ほう……。ああ、そうだ。良いことを思いついた」
それほど頼りになるのなら、と、カリンは盛大に口元を歪めた。
「絡舞狩りを手伝うフリをして、モモの花を摘んでこい。奴の鮮花を持ってきたなら、この男、ミチユキとやらの命は助けてやる」
そう告げるカリンの青い瞳には、煮詰めたような黒い殺意が踊っていた。




