第十六話 夕焼け
茶店を後にしたネズミとザクロは、様々な店に足を運ぶ。
床屋に薬屋、屋台などの出店を回り、リンゴとミカンの目撃情報を聞き込んだところ。
「かなり前に、三度笠を被った黒髪の女性は見たことありますぜ。顔を隠していたが、ありゃとんでもねえ美人に違いねえ。ほれ、そこの〈万物商〉に入って行ったから、そこのオヤジに聞けばわかるんじゃないですかね」
そんな話を焼き芋屋から聞き出すことができた。リンゴかどうか定かではないが、何も情報がないより良い。
二人は焼き芋を片手に歩を進め、店主に言われた通り、万物商と看板を掲げる荒物屋の前で足を止める。
暖簾を潜った先、狭苦しい店内の中に所狭しと棚が並べられ、これまた所狭しとあらゆる道具は敷き詰められていた。
釣り糸や竿などの釣具に、竹箒と塵取りなどの掃除道具。刷子や盥などの水場用品に、丁子油や打粉などの刀の手入れ道具まで並んでいる。
「おいおい、こりゃとんでもねえのが来たな」
愉快そうな声音が店の奥から響く。並び立つ棚から垣間見える腰高障子。そこからわずかに隙間を作り、禿頭の男がこちらを覗き見ていた。恐らく店主だろう。
「なんだい? 羅刹様かい?」
「はいー。こんな姿してますが羅刹です」
「驚いたよ、あんたみたいなのは……おっ」
ネズミの立ち姿を上から下へと眺めてから、即座にその視線はザクロの相貌に吸い寄せられれる。その感触がどうも糸を引くようにねっとりとしていた。
店主は嬉々として障子を開け放ち、草履を掃いてこちらに歩み寄ってくる。
「おお、良いね。新入りか? 遊女か芸者か。いや……」
ひょいひょいとした足取りが止まり、何故か残念とばかりに油で光る頭皮を撫で付ける。
その店主の視線は、ザクロの帯に佩いた太刀に注がれていた。
「そっちじゃなさそうだな……なんでい、とんでもねえ別嬪かと思えば、荒事専門か。はぁ……」
「なんだコイツ。何をガッカリしてんだ?」
ザクロが心底と不思議そうにネズミに聞く。
ネズミはなんとなく店主のスケベ心を察して、妙に情けない気持ちになった。
「うーん……このおっさんはたぶん、お前のことを遊郭で働いてる人だと思ったんじゃない?」
「ああー、なんか彩李から聞いたことあるな。金払って派手な女とスケベする場所だろ?」
そうかも、とネズミは曖昧に応える。記憶が失われる前は恐らく未成年であるから、当然行ったこともないはずだ。その証拠に頭に霞がかからない。記憶が失われる前も、漠然とした知識だけに留まっていたのだろう。
「少なくとも、田舎者には見られてないんじゃない?」
ネズミが言うと「そうか」とザクロは満足気に破顔する。店主の態度は女性に対して無作法の部類ではあるが、ザクロが前向きに捉えられるならそれで良い。
「おっさん、ちょっと聞きたいことがあってさ」
ザクロが聞くと、店主はぶっきらぼうに親指で棚を指し示した。
「買い物してけ。羅刹様であっても金を落とさないなら客でもなんでもねえからな」
「ここの町の連中はほんと羅刹に物怖じしないのな」
「後、焼き芋食うなら外で食ってくれよ。こちとら昼飯食い過ぎて気持ち悪りぃんだからよ。その甘い匂いは胸に悪りぃや」
しっしっと店主が仰いで、ネズミとザクロを店の外へ追いやる。
趣味でやっているような店なのか、今まで巡った店の何処よりも商魂が萎んでいる。まるでやる気を感じない。
ザクロとネズミは大人しく店の外で焼き芋を一気に頬ばり、気を取り直して店に入ると、店主は店の隅に置かれた文机に腰を落ち着け、肩肘をついて本を読んでいた。買い物を終えるまで口を聞く気はないという意思表示だろう。
「さて、何を買うか」
調度良いと、ザクロはずらり並んだ品を吟味する。
「私は油と打粉買うわ。流石に刀の手入れはしないとな」
「俺はちょっと櫛とか風呂用品が欲しいな。最近、毛の生え変わりなのか俺の体毛が空中に舞ってるんだよね。お風呂入るときも毛が湯船に浮きまくちゃって……」
「ああ、そうか。確かに入る前に櫛でがっつり落としておかないとだな」
いざ品をを目の前にすると、必要なものが次から次へと出てくる。
今後のことも考えるとあまり散財するのは頂けないが、二人で吟味すること自体が面白い。会話の花も盛大に咲き誇ってゆく。
「ザクロ、茶碗とか箸もあるよ。お米を炊く土鍋も持っていきたいよね?」
「確かに。失念してたな。私らどうやって飯食うつもりだったんだろうな? 途方に暮れる前に気がついてよかったわ」
そんな風に、しばらく店の中をぐるぐる回っていると、
「後は、これだな」
ザクロがおもむろに釣り糸を手に取る。それを左右に引き、糸を張っては緩めて繰り返す。どうやら耐久性を確認しているみたいだ。
その作業を一通り終えると、ザクロは釣り竿には一瞥もくれずに別の棚に移動し始めた。
「え、竿は? 釣りするんじゃないの?」
「しない。魚食いたいなら手で取れるしな」
確かに、とネズミは頷く。最初の頃は落ちた枝と蔦を使い、お手製の釣竿を作って釣りを試みたが、一度も魚がかかることはなく絶望したこともあった。
しかし、ザクロもネズミも香梨紅子の能力によって並外れた身体能力を有している。魚影を捉えた瞬間に水面に手を差し込めば、なんということもなく簡単に魚を捕らえることができてしまうのだ。
「じゃあ何に使うの?」
「見てからのお楽しみー」
揶揄うように言って、ザクロは腕に抱えた品々を店主の元へ運んでゆく。
その態度に、ネズミはハタと気がつく。女性としての手入れ用品なのかもしれない。何でも明け透けに話してくれるザクロであるが、女としての秘め事は存在するはずだ。あまり深く問いただすのは礼儀に欠けるだろう。
そう、ネズミが心に深く慎みを刻んでいると、
「で、買うもん買ったし、質問いいか?」
あっという間に勘定を済ませ、ザクロが店主の座る文机に肘をついていた。
「黒髪と山吹色の髪をした羅刹を見なかった? 二人ともスケベなお前が食いつきそうな顔してるんだが」
「名前は?」
「リンゴとミカンだ」
ザクロが言うと、店主は顎を撫で付けながら「うーん」と記憶の棚を開け閉めする。
「リンゴって名前ではなかったが、遊郭の中の妓楼で、芸者をやっていた黒髪の羅刹様はいたよ」
ふむ、と傍で聞くネズミは小首を傾げる。芸者と言えば、確か遊女と違って客の相手をすると言うよりは、楽器や歌を披露して宴会を盛り上げる芸人である、という漠然とした知識が頭の中にある。
「とんでもねえ別嬪さんでな。三味線抱えながら流し目なんか送ってくるもんだから、頭の天辺からつま先まで蕩けちまったよ。それこそ、千歳町の花魁が霞むほどのお方だったよ」
うっとりした店主の瞳に、語る口調はいかにも恋焦がれているそれだった。
リンゴは三味線の心得があったのか。はたまたまったくの別人か。
「そいつの名前は?」
「ユウヒって名前だ。旅の芸者だったのか、いつの間にかいなくなっちまってたなぁ。羅刹様だから色んな事情があるんだろうけどなぁ。また会いてえなあ」
溜息を吐く店主から視線を切って、ザクロは力強くでネズミと目を合わせる。
その相貌が、花が芽吹くように明るいものだった。
「リンゴだ。間違いない」
ひどく確信めいた響きに、ネズミの丸い背筋が張る。
「え、なんでそう言えるの? 名前違うじゃん」
「あいつが小さい時に読んでた本の中に、ユウヒっていう女がいた。リンゴはそいつに憧れてたんだ」
辿る糸は見えたと、ザクロはまるで確定したかのように呟く。
ネズミは流石に疑ってしまう。偶然の一致じゃなかろうかと。ただでさえカリンの術中にハマって千歳町を訪れたのだ。垂らされた糸はひどく不安定だ。
その心内を察したのか、ザクロはネズミの肩を軽く叩いた。
「私にわかるように、残しておいてくれたんだよ。自分の痕跡を」
そう言い、ザクロは店の外へと足を運びはじめる。
「一度ミチユキと合流してから、遊郭とやらに聞き込みに行こう」
ネズミは店主に一礼し、ザクロの背を追って店から退出する。
どれほど糸が細くとも、今は人の縁を辿るしか道はないのだ。




