第十四話 茶店歓談
その茶店は、着物屋から五〇歩の距離にあった。
モモの足が『恋菴』と書かれた看板の店の前で止まり、群青色の暖簾をくぐる。
店内は十二畳ほどの広さで、畳の上に文机が四台。それぞれに座布団が四枚が敷かれている。昼食時を過ぎているせいか閑散とした様相で、客も二人しか入っていない。
そんな店内を見回したモモは、最奥の席にどかりと座る。そして、視線でネズミとザクロに対面の席を指し示す。
大人しく座布団に腰を落とすと、真っ先にザクロが口火を切った。
「で、さっさと話せよ」
「まぁ、待ちぃ。先に飯頼もうな」
急かしたザクロを迷惑そうに手で扇ぎ、モモは店員を呼びつける。
「おばちゃーん、団子六つ、海苔巻いてるやつや。それと吸い物と肉うどん三つ」
まるで行きつけの店かのように滑らかな注文だった。ここで暮らしているのか、はたまた田舎者だとバレぬように偉そうにしているだけか。
「……何度か来てるんですか?」
ネズミが聞くと、モモは机の木目に指を這わせて言う。
「そうや。ここに来て二週間は経っとう」
「へ……? に、二週間? どうやって?」
「キサンらは追いかけられたことあるんやなかとか? 母上の作成した青鹿毛に」
なるほど、とネズミは項垂れる。モモが乗ってきたであろう馬というのは、灰神となった伊紙彩李が騎乗していたものと同系統。そうであるならば、地上を駆けるネズミ達を飛び越え、千歳町で待ち構えていたことになる。
「あの馬は……四つ足で駆ける俺と同じくらいの早さでした……なのに、俺たちより早く千歳町に着いているのは……」
「あれは虫みたいなもんちゃ。馬の形をしちょるが、私らの命令を聞くしかできない、感情のない生き物ちゃ。そっちが休憩してる間も、馬にしがみついておけば、寝てても勝手に目的地に到着すると」
ネズミはがっくりと顔を両手で覆う。今日まで後ろから来る刺客に怯えながら、樹海を泳ぎ、山谷を超え、濁流を何度となく乗り越えてきた。心から安心して寝れる日など一日とてなかった。その苦労が無駄だったのだ。
先回りされていたということは、つまり──。
「私らを誘き出したのか?」
ザクロが歯噛みし、今にも掴みかからんとばかりにモモを睨め付ける。
その鋭い視線を微風のように受けて、モモは鼻で冷笑した。
「カリンが小細工しとうた。母上に頼み込んでリンゴのツバメと同じ色合いの鳥を作って貰い、カリンがリンゴの筆跡を真似て手紙をしたためる──」
んで、アホどもが釣られて、こんにちは。
モモがネズミの鼻先を揶揄うように指で突く。
その所作に、嘲笑に、ネズミは目眩を覚える。リンゴとミカンはこの町いない。その事実を受け入れがたく、なんとかモモに返す刀を頭の箪笥から探り出す。
「……それは本当にカリンさんの仕込みなんですか? 俺たちを騙すってことは、戒律に触れるんじゃ?」
暮梨村には香梨紅子が敷いた五戒と呼ばれる五つの戒律があった。
その中でも虚偽を禁止する戒律は──。
不妄語戒─他者を欺くことを禁ず。この禁を破りし者、自らの舌を縦に裂き、二枚の舌にて己が恥を自覚すべし。
誰よりも香梨紅子に尽くしてきたであろうカリンが、虚偽を行使して戒律を破るとは思えないと、ネズミはモモに疑惑を投けたのだ。
されど、モモは何処か懐かしむように言う。
「カリンは二枚舌になる覚悟があったそうちゃ。何がなんでもキサンらを捕まえる言うて息巻いとった」
語るその様子が、あまりにも妙だ。モモの立場とてカリンと同じ、ネズミ達を追う刺客であるはずだ。にも関わらず、相も変わらないべったりとした薄笑いを崩さない。むしろ、その嘲笑はカリンに向けられているように感じる。
それをザクロも感じ取ったのか、今度はザクロがモモを追求する。
「さっき、お前は私らを追ってないつってたな?」
「言ったっちゃ」
「お前は既に二枚舌だから、嘘を吐くのが常套だ。だからその方便も私らをここに引っ張り込むための嘘だと思ってた」
「やろうな」
「じゃあ嘘じゃないとしたら、本当に私らを追っていないんであれば、なんでここにいる? カリンはどうした?」
聞くと、待ってたとばかりにモモは口元を盛大に歪めた。
「キサンらを追って三日くらい経った頃や」
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遡るは一月前──。
ネズミ達を追うため、モモとカリンが枝葉を駆ける青鹿毛に乗って三日経過した頃。
夜を徹して走り続けていたせいか、騎乗しているモモとカリンの疲労の色が濃くなり、広大な樹海の景色にも飽き飽きしていた。
「そろそろ休憩せんと?」
モモが提案すると、カリンは一瞬だけ考え込むようにしてから渋々と首肯する。
「そうしよう。食事もろくに取っていなかった」
モモとカリンは跳ねる馬上から周囲を見渡す。木々の隙間にわずかに見えた、緩やかな河川が視界に入ると、共に視線だけで相槌を打ち、馬の背を叩く。
すると、馬は意図を汲み取ったのか、脚を河川に向けて枝葉を蹴り、荒々しく川岸に降り立つ。
流石は香梨紅子の作成した生命だ。無限の体力を有している上に、主人の意図を瞬時に汲み取ってくれる。
馬の背を降りたモモは、川の水面に両手を浸し、水を掬って自身の顔に浴びせた。
その水の冷たさは、疲れた肉体に染み入り、鈍くなった頭を活性させる心地良さがあった。
モモは濡れた顔を袖で拭い、そこらの大石の上に腰をかけて息を吐く。
「カーッ、キツイっちゃ! 馬鹿どもを追いかけるのに、こんな長いこと移動せんといかんとは……」
「弱音を吐くな。母上のご命令だ」
川で喉を潤しながら、カリンが冷たく視線を送ってくる。
それに「はいはい」と手をひらりと扇ぎ、モモは着物の帯を緩めた。
地上を駆けて逃走しているザクロとネズミに比べたら、格段に楽をしていると言えるが、何も考えず馬に乗っているだけでもひどく疲弊するものだ。
「ああ、うめぇな」
「それを食べ終わったら行くぞ」
モモが鞄から握り飯を取り出し、一気に齧り付くと、カリンが急かすように言う。
随分とカリンはやる気がある。ここまで弱音も吐かず、母から与えられた使命を一刻も早く達成しようとしている。
対して自分はどうだ、とモモは自身に問う。
──やってられんと。
そう心で呟く。そして同時に溢れる、自身への疑問。
なぜだ。なぜこうなった。母に尽くす心は何処にやった。
ネズミとザクロを捕らえる。それが次第にどうでもいいことに思えてくる。
あれほど母の意向に従うことが、自分の本懐であると固く誓ってきたはずなのに。
香梨紅子の娘である事が、何より誇らしく思えていたのに。
その答えは、明らかであった。
──あのドブネズミ。
ネズミは成人式の際、開けぬ鮮花を開いた。それから次第に、モモは肩の荷が降りる感覚に襲われた。本来の自分で良いと、誰かに背中を押されているような錯覚でもあった。
それが心の端に今も燻っている。時間が経てば経つほどにむしろ強くなる。
本当に自分のやりたいことはなんだったか。
自分はどんな羅刹を目指していたか。
母に従い続ける一生で良いのか。
支配の糸が緩んだせいか、そんな声が身の内から絶え間なく湧き出てくるのだ。
「なぁ、カリン」
「なんだ?」
何を聞こうとしたのか。なんとなく妹に話しかけてしまった。
自分は寄る辺が欲しいのか。今やっていることを誰かに肯定されたいのか。
自身の心根が途端に恥ずかしくなってくる。なんと情けない有様か。
母に、誰かに、寄っていなければ立っていられないのか。
「どうした? 食事が終わったのならさっさと──」
「思い出したと」
しとりと溢すと、カリンの柳眉が怪訝に吊り上がる。
「何をだ?」
「私の目指すべき羅刹像を」
言いさして、モモは残った握り飯を一気に口の中に放り込み、ふらりと川の水面まで進んだ。
そして、水面に写る自身の相貌を見つめる。
──やれるんと? 私は。
幼い頃、まだ支配の糸が全身に回る前、モモには夢があった。
己は何をしたかったのか。思い出してしまった。
それを目指すとなれば、血で血を洗う闘争の道を歩むことになる。
やれるのか、と自身に問う。母に従っていれば良かったものを、全てを捨てることになる。
「なんだ、どうした急に。頭がおかしくなったか? さっさと馬に乗れ」
要領を得ないモモの態度に、カリンは苛立たしげに指で馬の背を指す。
それに構わず、モモは水面で両手を濡らして頭髪を掻き上げる。
「私は、香梨紅子を超える羅刹となるっちゃん」
自分は今、どんな顔をしているか。きっと晴れやかな顔をしている。
やると決めた瞬間、ひどく心が軽くなった。
「──ッ」
カリンの反応を伺う事なく、モモは即座に行動に移した。
間合いを吹き飛ばすように滑らかに足を運び、カリンの眼前で身を屈める。
そして、鞘から白刃を鋭く抜き放ち、渾身の居合斬り振る舞った。
「ズアッ──!」
予想だにしなかった反逆の一刀が、カリンの肉体を逆袈裟に走る。
紅が盛大に飛散し、吹き付けるような妹の返り血を浴びながら、モモは続けざまに白刃を振い続ける。
「姉妹のよしみやッ、生命まで勘弁しちゃる!」
散々と斬りつけた挙句、手早くカリンの打刀を帯から奪い取り、前蹴りを喰らわせて川の水面に叩きつけた。
「貴様ッ、どういう、つもり──ガッ!」
刻み込まれた刀傷を火花を散らして回復させながら、カリンが立ち上がろうとするも。
容赦なくモモが妹の肉体に馬乗りになり、顔面に強烈な殴打を浴びせる。
「この──ッ」
たまらずカリンは、腕で顔を覆いながら喉を脈動させる。
ヒヒヒヒヒと開花音が響く。力で抵抗するより、使役の能力を使ってモモの動きを止める気だ。
しかし、モモは構わずカリンを殴り続ける。
「無駄ちゃァッ! 隠せてるつもりやろうけど、キサンの使役の花のッ、弱点は激しい〝痛み〟ちゃ!」
モモが看破した通り、カリンの能力は万能ではない。自身に激しい痛みを感じる時、能力をうまく発動できない。また、能力をかけようとした相手に強い痛みがあっても効果はない。
つまり、カリンの鮮花の開花を察した瞬間に、自身の肉体に傷でも付けてやれば、あっけなく能力は解除される。
故に恐ることはない。情けをかけて生かしておいても、大きな敵にはならない。
むしろ、強き者となって立ちはだかってくれるなら、それもまたおもしろき花だ。
羅刹とは困難を乗りこなす者だ。闘争を楽しめなくては、強き羅神にはなれないのだ。
「そんまま寝てろォ!」
最後に渾身の一撃を顔面に見舞うと、カリンは水面に力無く沈み込む。
全身を弛緩させ、流れ出る血流が川に漂って下流に流れてゆく。
その様子を見届けて、モモは馬の元まで歩いた。
後は足を奪うだけだ。
「ゴッ──」
木に手綱を繋がれたカリンの馬。その首めがけて白刃を振り下ろすと、面白いほどにすっぱりと首が落ちる。流石は母が用意した業物だ。太い首が紙のように切れてしまった。
馬体が崩れるように沈むのを見届けて、モモは残った自分の馬に跨り、意気揚々とその背を叩く。
これからどうしようか。とにかく多くの羅刹を狩って、鮮花を喰らい尽くす。
心ゆくまで喰らったら、香梨紅子に挑んでも良い。
あの頂点に君臨する神を引き摺り下ろし、暮梨村の羅神になってやっても良いか。
「キハハハッ」
馬が跳ね、枝葉を駆けて跳躍する。西の空を見れば、夕立が赤く染まりはじめている。
その光を見ていると、これから歩むモモの血に塗られた羅刹道を祝福するようであった。
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