第十三話 邂逅
「あらぁっ、なんて素敵な艶姿なんでしょう!」
服を選び始めて、半刻ほど経過した頃だ。着替えを済ませたザクロが店の奥にある更衣室から姿を現すと、店内のそこらから歓声が上がる。店員のほとんどが女性であるから、黄色い声がそこかしこで打ち上がって、場は一気に華やかな空気に包まれた。
その反応に頬を染めながら、ザクロが太刀を帯に佩いて、ネズミに伺う。
「どうよ? 似合う?」
「超カッコいい」
桜の花弁が踊る白色の着物に、光沢を帯びた牛革の帯。その帯から赤色の根付けを垂らしている。特段、目を引くのは、太腿の中頃まで覆う長く黒い牛革の皮下駄。そこらを歩く町民より頭一つ抜けて現代的な装いだ。
ネズミも思わず見惚れてしまう。女子というのは装いを一つ変えるだけでここまで垢抜けるものなのか。勇ましくも神秘的な色気を纏っており、町ゆく人々の視線を釘付けにするだろう。
「お前もイケてるぞ」
ザクロがネズミの装いを顎で指す。獣の足に引っ掛けられた畳表の草履。下半身を覆う黄色いステテコ。太い首に巻かれた黒い襟巻。
──イケてるのか? あまりに珍妙じゃないか?
ネズミは姿見で自身の立ち姿を写して首を傾げる。ほぼ猿回しの猿のような装いではないのか。裸より警戒はされないだろうが、やや見せ物感が強い気がする。
そんな思いでネズミが微妙な顔をしていると、
「羽織はどうした? さっきまで選んでたじゃん」
「いやぁ、暖かくてよかったんだけど、走りにくいなぁって思ってやめた」
四つ脚で駆けることは流石に想定されていないのか、手を地面に付けると羽織の袖や裾を踏んでしまう。帯や襷を絞めて調整して見たが、今度は蛇行するように動くネズミの肩と背中の筋肉が、布に引っ張られて動きを悪くする。
「まあ、いいよ。俺なんて全身に毛皮着てるようなもんだし」
「そうか……お前さんがいいなら良いけど……遠慮してないか? 私だけ大枚使っても気まじいから、欲しいもんあんなら遠慮なく言えよ?」
ネズミは了解して、さっさと会計を済ませようと金の入った封筒を取り出す。装いも新たにしたのだ。引き続きリンゴとミカンの所在を探さなければならない。
会計の際、ついでにと女主人の勧めで麻布の鞄と緑葉の刺繍の入った紙入れ(財布)をまんまと購入して、所持金合計二五万圓。早くも半分の有り金を失う羽目になった。
高い。選んだ品がどれも上等なのか、あまりにも高過ぎる。ここに居座ればすべて搾り取られてしまう。と、ネズミとザクロはそそくさと店を後にしようとした。
その時だ。進路方向の暖簾が盛大に揺れ、一人の女子が顔を出す。
「お……おやおやまぁまぁッ」
ネズミとザクロは戦慄して身を固くする。悲劇が女の姿をして立っていたからだ。
「ケハハハ、誰かと思えば馬鹿面が一つに、薄汚い獣が一匹や。奇遇ちゃのぅ」
どこまでも嘲笑するような歪んだ笑み。獲物を狙う毒蛇のような三白眼。
好戦的な南部訛りに、その言葉を紡ぐ舌は二つに割れた二枚舌。
その桃髪の娘は、最も遭遇してはならない、二人にとっての凶敵だった。
「モモ……テメエ……」
ザクロは左手を太刀に添えながら、唸る肉食獣のように相貌を憤怒に染める。
そんな三女を見て、四女モモが殊更と嘲るように目元を細めた。
「キサンら随分と浮かれとうなぁ? なァ、楽しんどうか? 追われる身で呑気なもんちゃなぁ?」
言いながら、モモが手を広げてこちらに歩み寄ってくる。よく見れば、モモの着物も全く違う。ネズミ達と同様に首には花縛帯が巻かれ、いつもの白色の着物ではなく、狂気を孕む眼を光らせる白蛇が三匹、黒い着物の中を這っている。
ネズミがその装いに目を奪われた次の瞬間、ザクロの足が弾かれたように前へ出る。
先手必勝とばかりに、鋭く、打刀から白刃を抜き放とうとした。
「まぁまぁ、お落ち着けや、ザクロ姉」
しかし、先んじてモモが抜かせんとばかりにザクロの太刀の柄頭を手で抑える。
そして、ザクロの肩を掴んでその身に引き寄せ、側から見れば抱き合うような形となった。
「こげんなところでしちゃかちゃ斬り合うとか? 私はよかよ? そこらの人間巻き込んで、思う存分やり合おうな?」
モモのそんな耳打ちが、刻み込むようにザクロの鼓膜に注がれる。その音の響きは、近くにいるネズミにも伝わった。
こちらに比べて随分と余裕があると肌で感じる。絶対の神である香梨紅子の命を受け、何がなんでも捕らえるか、花を摘みに来るとばかり思っていた。故に、出会い頭に斬り合いになるという覚悟は出来ていた。
しかし、今のモモの態度は、焦るこちらの反応を楽しんでいるように見える。何か仕込みがあるのか?
「テメエ、どういうつもりだ」
柄頭を抑えられたザクロは、空いた右手の義手でモモの胸ぐらを荒々しく掴んだ。
「カリンは何処だ? お前らが追ってきたってことは──」
「あーあー、安心せれ。私はキサンらを追って来たわけじゃなかと」
予想だにしなかったモモの一言に、ザクロもネズミも「はぁ?」と口を半開く。
「何言ってんだテメエは? じゃあなんでここにいんだよ!」
語勢を強めたザクロの問いに、モモは周囲に視線を配りながらあっけらかんと言う。
「そこの茶屋でも行こうや。良い話があってなぁ? なぁ? 腹もへっとうなぁ?」
どこまでも小馬鹿にしたように言って、モモはザクロの肩に腕を回して強引に暖簾を潜った。
その態度に、所作に、相貌に。ザクロの腹が煮えて額に血管が浮く。
「お前から良い話もクソもねえよ! 離せバカ野郎が!」
「黙れカス。キサンが命令できる立場と思うとか?」
「黙るのはテメエだよッ、何が悲しくて馬鹿と話さなきゃいけねえんだ! 馬鹿は話が長えんだよ! 付き合ってられっか!」
「ザクロ姉ぇ、相手してくれなー寂しっちゃん。死ぬまで遊んでくれなぁ、妹が欲求不満でなんするかわからんぞ?」
「知るかッ、離せつってんだ! 私らは忙しいんだよ!」
「リンゴとミカン探しとうな? おらんぞ、ここには」
その言葉に、ザクロもネズミも雷に打たれたかのように肉体を硬直させる。
なぜだ。なぜ、こちらの目的を知っているのか。なぜ、ここにはいないなんてことが言えるのか。嘘を吐いているような響きに聞こえず、ネズミは縋るようにモモに問う。
「な、何で俺らの目的を知ってるんですか? 何でここにいないなんて──」
「やから、それを話そうと言うとうぞ」
意地の悪い瞳が、ネズミをちらりと睨め付けて、次にザクロの頭を指で小突く。
ザクロを静かにさせろと、ネズミにそう言っているのだろう。
「ザクロ行こう……もし、モモさんの言ってることが本当なら話を聞かなきゃまずい」
「キハハッ、ドブネズミの方が話がわかとぅなぁ。ザクロ姉、どっちが獣かわからんちゃねぇ?」
眉間に皺寄せて、ザクロはネズミに悔恨を滲ませた視線を送ると、黙ってモモと足取りを合わせて通りを歩く。煮えた腹を冷やそうとしているようで、荒くなった呼吸を徐々に落ち着けてゆく。
「テメエの奢りだ。つまんねえ話聞かせんだから、せめて私らの腹を満たせ」
悔し紛れのザクロの指図に、モモは「はいはい」と心底愉快そうに笑い飛ばす。
ネズミも黙ってその後ろに追従する。どんな話が聞けるか。本当にリンゴとミカンは千歳町に滞在していないのか。何としても聞き出さなければならない。




