第十二話 お洒落をしよう
ネズミとザクロ、共に耳を塞ぎながら大通りを足早に駆ける。
半被を纏う商人達の誘いに首を振り続け、店先で蒸されている色鮮やかな紅芋の誘惑さえも振り切り、二人は件の着物屋の前に辿り着く。
店の外観はいかにもという装いであった。店の入口を彩る大きな日除け暖簾に、丸で囲われた〝雅〟の一文字。それが四枚も横に連なっている。
客が立ち入りやすいよう障子戸は取り払われており、入場せずとも店の中の活気が一目で伝わってくる。
「はい、いらっしゃいませー。あらーんッ、本当に来てくださったんですねー!」
暖簾を潜った先、店の土間に足を踏み入れると、千歳町門前で話した女主人が、輝く顔で出迎えてくれる。ひらりとした足取りでザクロとネズミへ詰め寄り、定規を片手に手慣れた所作でで二人の肉体の寸法を測り始めた。
「気が早えよッ。まだ何買うか決めてねえぞ」
「どうせ何か買いますでしょう? 羅刹様は羽振りが良いですからねぇ」
あまりの図々しさにザクロが呆れていると、土間から一段上がった畳の上に、折りたたんだ着物が何枚も置かれ、ご丁寧に姿見までザクロの眼前に聳え立つ。こちらに聞き込みをする暇を一切と与えてくれない。
「やはり素材が良いと選び甲斐がありますねー。裾の丈は短い方が良いですか? 元のお召し物の寸法をそのままに仕立てられますよ?」
「もう……好きにしてくれ……」
何を言っても止まらぬと悟ったのか、ザクロは観念して色とりどりの着物をあてがわれては、鏡の前で右に左に身体を回転させられる。
ここまで手玉に取られるザクロを初めて見たと、傍で見守るネズミはひどく感心する。
普段、口八丁手八丁でネズミや姉であるミカンを丸こもうとする姿は何度となく見てきたが、完全なる格上である女主人になす術がないようだ。
そんな物珍しさに思わず郎笑していると、
「ねえ、あれ……」
店の奥、そして同じく買い物をしに来たであろう女達から好奇の視線が注がれる。
ザクロの神秘的な見目にうっとりしている者も少なくはないが、多くはネズミの肉体に注がれているものだった。
皆がどんな思いで視線を注いでいるか定かではないが、少なくとも忌避されているわけではなさそうだ。その証拠に──。
「触らせてくれる……かな?」
ひっそりと一人の女性が遠くでそんな声を漏らす。
ごく一部とはいえ、ネズミの愛嬌のある風体と触り心地が良さそうな全身の体毛に心を奪われているようだ。
来てしまった。ミチユキが予言した空前絶後のネズミ人気の到来だ。このままここに居座れば、町の名物になってしまうかもしれない。
「何ニヤけてんだよ」
自分が笑われていると思ったのか、盛大に緩んだネズミの口元を見て、ザクロが眉を真一文字に抗議してくる。
「ザクロ、ここに住もう。ここに居座れば食いっぱぐれることはないかもしれない」
「なんだどうした? リンゴ姉達と会えてないのに気が早いんじゃないか?」
「俺の時代が来ちゃったかもしんない」
女主人に次々と新しい着物を肩に乗せられながら、ザクロは小首を傾げる。ネズミの不敵な笑みも吐いた言葉の意味もわからず、「何言ってんだコイツ」と袖にすると、思いついたように女主人に尋ねた。
「なあ、ここ一ヶ月の間に羅刹は来なかった?」
「羅刹様のご来店は月に何度かありますよ。さほど珍しいことじゃありません」
「黒髪の女と山吹色の髪の女だ。どっちも目立つ見目をしてる」
「さあ? 黒髪なんていくらでもいらっしゃいますし、山吹色の羅刹様は……私の知る限りでは見ていませんね」
「町中でも見かけたことないか?」
「ありませんね。なんせ広い町ですし、人も多いですからね。それに羅刹様って派手な方が多いでしょう? いちいち気をつけて見てやいませんよ」
もちろん、お客様であるなら別ですけど。と、女主人は含めて言う。
そうか、とザクロとネズミは肩を落とす。見通しが甘かったようだ。田舎であれば浮いた存在はすぐに記憶されるし、噂も山ほど出てくるだろうに、都会となるとそうもいかないようだ。皆が自分のことで手一杯なのか、そこまで他者の見目に気を配ってはいないようだ。
「それに、実は最近とんでもないことが起こりましたから、もう細かいことは頭からすっ飛んでしまいました」
「とんでもないこと? なんだ?」
「ここ千歳町の羅神であらせられる絡舞様。なんでも羅刹である娘さん達に、お命を摘まれそうになったとか」
思わずネズミは小さく肩を跳ねさせる。ネズミが過去に伊紙彩李から聞き及んだ常識では、羅刹が羅神に成り上がるには、親である羅神の首を落として自身が神の座につくという。つまりは、千歳町で神代交代が行われようとしたのだ。
「それで、どうなったんですか?」
「あくまで噂ですよ? 羅神様は庇護下に置いた羅刹様を実の子のように扱われるじゃないですか? にも関わらず、どうやら絡舞様が娘さんの一人である〈トオル様〉に恋慕を抱いていたんじゃないかって話ですよ」
「それで、そのトオルさんは絡舞紀伊の気持ちが鬱陶しくて首を狙ったと?」
「そういう噂ですね」
そういういこともあるのかと、「あらぁ」とネズミは呆然とした相槌を打つ。
保護者とはいえ、血の繋がりのない可愛らしい女子が近くにいるとなれば、恋慕を抱いてしまうのも無理はないのかもしれない。ただ、そんな恋心一つで殺し合う羽目になるとは、羅刹という生き物は業が深いものだ。
ただし、女主人が言うようにあくまで噂だ。過度な邪推をするのはよろしくないだろう。
「で、返り討ちにあって死んだと?」
ザクロが呆気なくそう聞き返すと、女主人は困ったように眉を顰める。
「そうですね……トオル様が町内に姿をお見せになっていないので、まあ……そんなこともあるかもしれませんね。もう一人の娘さんである〈タカオ〉様も、ここしばらく見かけておりませんから……お二人とも羅生界の糸となって旅立っておられても──」
おかしくはないですね。と、女主人の濁した言葉の中に確信めいた響きがあった。
なるほど、とネズミは心内で呟く。絡舞紀伊は三鷹村に迫っていた炎の灰神に対応しなかった。それに何か理由があるのだろうと憶測を立ててはいたが、そこまでのことが起こっていようとは。
ザクロも同じことを思ったのか、「へえ」と眼を細めている。
「何処も物騒なんだな。嫌になるね。羅刹に生まれちまうとどうしたって流血沙汰の渦中に身を投じることになる」
うんざりと溢したザクロに、女主人はここぞとばかりに、にんまりと口角を上げた。
「着物が血で汚れたら、是非ともまたうちに買いに来てくださいね?」
「……ここらの商人は物を押し付けなきゃ気が済まないのか?」
「血がよく落ちる米や大豆の煮汁も瓶に詰めて売ってますから、お帰りになる際、お買い求めくださいねぇん」
傍で立ち尽くすネズミも辟易として肩を落とす。商魂たくまし過ぎる。もういやだ。だんだん居心地が悪くなってきた。
早く終わんねえかな、とザクロの着物選びをしばらく見守っていると、店の奥から二人の店員がいそいそと進み出て、ネズミの肉体に色とりどりの着物をあてがいはじめた。
「骨格的に羽織か半被が良いですかね? あまり腰を締め付ける帯は好みませんか?」
「下駄なんてどうですか? ちゃんとお体に合うように仕立てられますよ? これから寒くなってきますから、襟巻なんかもありますよ?」
あれよあれよと羽織を肩に乗せられ、襟巻を首に巻かれ、どさくさ紛れに背中の体毛を撫でられる。
「もう……好きにしてください……」
ネズミは唖然となすがままにされる。女達があまりにも楽しそうに次々と被服を持ってくるものだから成す術がない。満足するまで試着するしかないだろう。




