第九話 千歳町
「貴様ァッ、その姿はなんだ!?」
「なんと面妖な有様か! 何奴だ!」
ネズミは思う。もう人間なんて信じられない。
いつもこうだ。いつも淡い期待を抱かせては、呆気なく握り潰してくれるのだ。
この世は生き地獄だ。人の良い顔をしてる人間こそ、他者を謀り絶望に陥れる。
外面に優しさという名の皮を被り、内心で蛇のように舌なめずりしているのだ。
ならば、自分はこの世に災厄をもたらす花となろう。いっそ四つん這いとなって喉笛に噛みついてやろうか。
「何をくつくつ笑っておるのだ……怪しい奴めッ、花を開いて何を企むか!?」
何を誤解したのか、五人の衛士に囲まれて、ギラリと光る長槍をネズミは鋭く向けられていた。
襷をかけた筋骨隆々の男たち。それらがネズミの姿を見るなり、何事であるかと次から次へと袖を捲って殺到してきたのだ。
まんまとザクロに乗せられた。調子良く歩くネズミにあの女が言ったのだ。
『お前さんの溢れる愛嬌で悩殺してこい』
そう煽てるものだから、ネズミは合点承知と舞い上がり、門前を守護する羅生衛士の前に「どうもこんにちは!」と単身で躍り出た。それが良くなかった。
「ああッ、すみません! その方は怪しい方ではありません!」
背後からミチユキが慌てて駆けてくる。更にその背後でザクロが口元を抑えて腰を曲げていた。
──笑ってやがる。この有り様を見て。
ネズミがねっとりと睥睨すると、ザクロは拝むように手を挙げてやってくる。
「マジごめん、プ、フハハッ」
「お前……マジで……人をおもちゃにしくさって……」
「ごめんってー。ひと笑い欲しくなっちまったよぉ、プハハッ」
恨みがましく睨め付けると、更にザクロが膝を打ち、嘲笑するようにネズミの肩を掴んだ。
「いやぁ、良いなぁネズミ。お前も調子出てきたな」
「てめえ! 怖かったんだぞッ。ぐちゃぐちゃにしてやるよ!」
二人で押し合い圧し合い、罵声を浴びせ合っていると、ミチユキが額を拭って二人の元に駆けてくる。どうやら誤解は解けたらしい。
「いやあ、危ないとこでしたね。どうやら〈千歳祭〉の真っ只中だったようなので、衛士たちも気が立っていたようです」
曰く、年に一度の祭りが千歳町で行われているらしい。町内に多くの人間が祭りに参加しようと詰めかけているものだから、少しでも不審な動きをすれば、祭りを台無しにする危険分子とみなされ、厳重に処罰されるのだとか。ましてや、相手が羅刹ともなるとその警戒の目はより厳しいものでなければならない。
夜には羅神である〈絡舞紀伊〉が神輿に乗り、町内を練り歩く行事が執り行われるため、羅神の命を狙うような危険人物に眼光を光らせていた。そんな矢先、ネズミが単身弾むように歩いてきた、という運びだ。
「やっちゃったな。流石にそれは申し訳ないなぁ」
ネズミは深く反省する。自分も役人の立場であるなら、流石にネズミのような珍妙な存在を放っておくことはできない。むしろ、既に鮮花を開いて獣に姿を変え、町に害をなそうとする危険な羅刹であると断定してしまう。
「大丈夫ですよ。話は通じましたし、この後の手続きで危険な者ではないと証明しましょう」
耳を垂れるネズミをミチユキは誘い、牛車と共に門の中へと足を踏み入れる。
門を潜った先、すぐに町内に入れるわけでなく、二つ目の門が立ちはだかった。
「次の者、前へ」
門前には紙束を持った役人が忙しなく筆を動かし、武装した羅生衛士が厳しい相貌で列を作る人垣に睨みを利かせていた。訪問客の調書をここでしたため、問題がなければ門扉に隙間を作ってくれるらしい。
「めちゃくちゃ並んでるじゃん……」
ザクロがげんなり言うと、ミチユキが申し訳なさそうに眉根を掻く。
「祭りは一週間通して開かれ続けますから、店に並べる在庫を連日に渡って供給し続けているんですよ。だから、ちょっとお待たせしてしまいますね……」
ミチユキの言うように、並んでいる人間の全てが大量の荷物を携えている。牛車や馬車に高く積まれた荷を括り付け、まだかまだかと列の先頭を覗き見ていた。
よほど焦れているのか、後ろに並んだ二足で歩くネズミに一切気がついていない。騒がれるよりはずっと良いが、どうにもここは空気が澱んでいる。
「はやくしとくれよ、ほんと。嫌になっちまうよ。千歳の役人は仕事が遅くて参っちまうよ」
ネズミたちの前に並んでいる芥子色の着物を纏った妙齢の女性が、そんな悪態を呟いていた。
「ねえ? あんたらもそう思うだろ?」
女性が突然、振り返ってネズミたちを視界に入れる。
次には「え……」と唖然とし、ネズミの肉体を上から下へと眺めた後、ザクロに視線を移すと、何故か安堵したように胸を撫で下ろす。
「なんだい。羅刹様かい。ご苦労様」
察しがよく、気のない労いを投げつける。
逆にネズミとザクロがその態度に驚愕することとなった。
「お前さん態度でかいな。私らは別に良いけど、尊大な羅刹の前だと厄介なことになるぞ?」
ザクロが嗜めるように言うと、女性はまるで鼻で笑うように肩を竦ませた。
「はッ、何言ってんだい。ここ千歳町は絡舞様のお膝元じゃないか。あんたらが何処から来たが知らないけどね、せいぜい肩肘張らないほうが身のためだよ」
「お前凄いな。千歳町に住む人間ってみんなお前みたいな感じなのか? 羅刹にビビらないんだな」
「当たり前だよ。商人が羅刹様にビビってたら商売なんて出来やしないよ。あんたらは立場に甘えて、色々イチャもんつけてくるじゃないか」
なるほど、とネズミとザクロは嬉々として視線を合わせる。
これは過ごしやすい。変に崇められると肩身が狭い思いであるが、これほど雑に扱われるのであれば、むしろ居心地が良いのかもしれない。
リンゴとミカンが滞在先として選ぶのも納得が行く。
「商人ってことは、なんか店やってんのか?」
「そうだよ。こちとら着物屋の女主人さ」
「着物屋? 着物屋にしてはお前さんの格好は地味に見えるが」
ザクロの指摘通り、女主人の格好はお世辞にも煌びやかとは言えない。口元に申し訳程度の薄紅と、うっすらと顔に塗られた白粉。清潔感はあるが、人ゴミに埋もれてしまいそうな地味な芥子色の小袖に、模様一つない焦茶色の帯。いかにも都会人という風体には、ネズミにも見えなかった。
「店員が客より目立ってどうすんのさ。あたしらはね、客に彩りを提供するのが仕事だよ。客より輝いてちゃいけないのさ。自分よりキラキラした奴が『お似合いですねー』なんて言ってみなよ。まるで皮肉じゃないか」
「おお……そういうものか」
「客は持ち上げて持ち上げて、ひたすらに持ち上げ続けて次に繋げんのさ。店に来れば良い気分になれるってんなら、また来ようと思ってくれるじゃないか」
そう胸を張る着物屋に、ザクロは良い社会勉強になると思ったのか好奇の視線を注ぐ。
「じゃあ、後でお前の店行くわ。面白そうだし」
言うと、女主人の目が変わる。苛立たしげな面は何処へやら、口元を緩めて両手を摩り始めた。
「あらぁ、そうですか。店に来てくれる? まあまあ、お目が高いことぉん」
「なんだコイツ……」
女主人は逃してはならないと、身体で科を作り柏手を打ってザクロににじり寄る。
「その愛らしいお顔に似合う品をいっぱい取り揃えていますからね。それと──」
次には、ネズミをねっとりとした眼光で捉えた。
「そこの鼠さんにはどうなさいますぅ? その丸い身体に合った仕立てもその日の内に出来上がりますから、着物でも羽織でも袴でもステテコでも、なーんでもご用意しますからねぇん」
「え、あ、はい……じゃあなんかお願いしようかなぁ……」
気圧されながらもネズミが初めて口を開くと、一瞬、女主人の表情が固まった。
「ぜ、是非ともお願いしますねぇ」
「今、コイツ喋んのかよって思ったでしょ?」
「お、思っていませんよぅ。もぉん、あんまりイジワル言わないで下さぃん」
わずかに動揺しつつも、表情を崩さぬ女主人はネズミの肩をぽんと叩く。二足で立つ獣と話すのは初めてだろうに、商人としての強固な意地がそうさせているのだろう。
「着物かぁ……俺が服なんか着てたら笑われないかな?」
「いいんじゃね? 多少そういう目で見られるだろうけど、何も着てないよか人里に馴染めるだろうよ」
ザクロが肩でネズミを小突きながら言うと、「まあ確かに」とネズミは得心する。
全裸で歩いているよりは、多少、人里に馴染みやすいかもしれない。
それに、ネズミとザクロの現在の所持金は合わせて五〇万圓だ。ネズミが曖昧に承知している常識で言えば、馬一頭を購入できるほどの大金だ。よほどの贅沢に手を染めなければ、必要十分な装備も宿も確保できるはずだ。
そうこう雑談に花を咲かせていると、
「そこの羅刹様御一行、前へお願いします」
役人が手招きして最後列に並ぶネズミたちを先にと呼び込んだ。
恐らく、視界に入ったネズミの存在が気になり、早々に問い正しかったのだろう。




