第八話 山道歓談
牛の蹄がのしりと山道に足跡をつけてゆく。
それを囲うようにからりと回る木製の車輪が、浅い轍を道に引く。
周囲から香る青くさい枝葉の匂いと、牛体から醸し出される獣臭が、ネズミをのどかな気持ちに浸らせてくれる。
その香りをおかずに、昼食である握り飯を一つ頬張ると、荷台に座るネズミは前で牛を引くミチユキに視線を移した。
「へぇ、ミチユキさんってお嫁さんいるんだねぇ」
「はいッ、オラには勿体無いほどの別嬪でして」
ミチユキが答えると、口元にびっしりと米粒をつけたザクロが、興味深そうに「ほぅ」と息を漏らす。
「マジかよ、お前さん所帯持ちか。毎日嫁を抱いてたりするの?」
「しばらく会えてないんで、ご無沙汰ではありますが、胎に子供がいます」
「「おおッ」」
道中、ネズミとザクロから矢継ぎ早に繰り出される質問に、ミチユキは快く答えてくれる。ほんとうに何でも答えてくれるものだから、二人の舌は止まることを知らなかった。
香梨紅子の信者ではない、ただの人間と言葉を交わす時間は、二人にとっては心踊る新鮮な体験だ。しっかりと心が通い合う感触が、あまりに嬉しくて──。
「お嫁さんは何処にいるの? 千歳町?」
「いいえ、千歳町の西に位置する村で生活しています。茶屋で看板娘をしてるんですよ」
「ナンパしたのか? やるじゃーん、ミチユキぃ。バッタいる? ミチユキ?」
何の脈絡もなく、ザクロはそこらの枝葉にへばり付いたバッタを毟るように捕らえると、ミチユキに受け取るように催促する。
「え、あ、はい。頂きます」
「嬉しいか? ミチユキ」
「嬉しい……です」
気怠い絡みを横目で見て、ネズミは嗜める事もなく「いいぞぉ」とザクロにきゅうりの漬物を差し出す。
良い兆候だ。ザクロの調子が元に戻りつつある。これでイタズラでも仕掛けてくれれば完璧な快調である。
「では、こちら返礼品です」
ミチユキは言うと、道端に生えた猫じゃらしを一つ取って、ザクロに手渡す。
意外と茶目っ気もある。しかも、羅刹であるザクロに臆することなく接してくれる。ネズミに対しても、二足で歩く獣という異常な出立ちであるのに、こちらの事情に深入りせず、ありのままを受け入れてくれている。
そんな素敵な好青年であるミチユキ。年は二一、生まれは三鷹村。来年の春、念願叶って一児の父親になるという。
しかし、炎の灰神のせいで妻子が住む別の村への帰路を絶たれ、老牛であるハナコと共に三鷹村での滞在を余儀なくされていた。
まさにそのとき、ネズミとザクロが現れ、灰神の討滅を成し遂げ、晴れて妻子の元に帰還できるという運びだ。
そんな恩を感じてくれているおかげで、ミチユキはザクロの格好の餌食となっている。
千歳町に向かって二日が経過した頃合い、会話の手札がいよいよ尽きてきたのか。
「ミチユキって箸を持つ手ってどっち?」
「右です」
「私らと反対だな。ネズミと私は箸は左派だぞー」
「良いですね。左利きは天才肌って言いますよね」
「いや、飯食う時だけ左で、後はほとんど右だ。あ、厠で尻を拭く時も左かも」
そんなことを教えて一体何になるのかと、傍で聞くネズミは肘をつく。
されど致し方ない。退屈するのはどうしようもない。
山中の道程は、二人にとって楽しくも歯がゆいものであった。
ミチユキとの歓談は、新鮮で心が温まるものであるが、問題は牛車の歩みだ。
「モウ……」
遅い。とにかく遅い。ハナコのゆったりとした足取りは、まるで細い板の上を歩くが如く、一歩一歩と噛み締めるように歩くのだ。
それにつけて、小便や大便をする際、立ち止まる時間がひたすらに長い。そのつぶらな眼で何を思うのか、用を足す前後に、一点を見つめて銅像になってしまう。ひどい時は半刻もそこから動こうとしない。
尋常ならざるネズミの脚力をもってすれば半日で辿り着く旅路だが、このままだと三日どころか四日に及びそうだ。
しかし、ハナコは老齢の牛であるから仕方無し。広い心で雑談に花を咲かせるしか気を紛らわせる術がない。
ネズミは激しく悔いる。メンコやカルタ、将棋などの遊具も村長から頂いておけば良かった。今から走って取りに行こうかとさえ思ってしまう。
それともう一つ、どうしても憂慮してしまうのは敵の存在だ。警護の任を請け負ったとはいえ、これでは香梨紅子が放っているだろう追手に補足されるのではないかと、流石にネズミの肝が冷えてきた。
「ザクロ、ちょっと」
ミチユキにいらぬ心配をかけぬよう、ネズミは牛車の背後を歩くザクロに囁く。
「羽虫で後ろの方の様子見てもらうことって出来ない?」
「もうやってるぞ。ってか逃げて来てから定期的にやってる」
「え、そうだったの? 気がつかなかった……」
「お前さんとミチユキに気づかれないようにやってるからな。心配するな。誰も追って来てる気配はない」
そうか。と、ネズミは胸を撫で下ろすも、ザクロが滑らかに転がした言葉に、魚の小骨のように喉に引っかかるものがあった。
「ミチユキさんにはともかくとして、何で俺に隠れて羽虫出してるの? 変な気を遣ってたりする?」
「気遣いっていうか、訓練だな。鮮花は音が鳴るから能力の発動を気取られやすい。だから、鮮花の開花の音を悟られないように訓練してる」
ああ、とネズミは得心する。確かに、ザクロが鮮花の開花音を抑えて能力を発動すれば、気取られぬ間に羽虫の毒を注入することができる。しかも、その毒は非常に強力な神経毒と聞く。健常な人間を死に至らしめるほどの。
「それで、潜めた羽虫で敵を倒せると」
「そう。流石にただの人間相手に毒を使ったりはしないが、羅刹相手にならな。まあ毒殺しなきゃならん相手に出会わないのが一番良いけど」
それはそうだ、とネズミは首肯する。荒事は避けて通れるなら通りたい。
幸いにも、良き縁の糸が味方してくれたおかげか、千歳町までの道程はとても安全なものになった。合計四日かかった旅路は、当初、村長が危惧していた山賊や獣、人道に外れた羅刹などに出くわすこともなく。
「お二人とも、見えて来ましたよ!」
ハナコと共に先を歩くミチユキが嬉々として声を上げる。
その声に応じて、ネズミもザクロも前方を注視して溜息を漏らした。
山林を抜けた先、町が一望できる小さな高台へと辿り着く。そこから見下ろした件の千歳町は、四方を石垣で囲んだ広大な城郭都市であった。
町を囲うようにぐるりと這う池ぼりに、東西南北に配置された高く聳え立つ矢倉。ところ狭しと並ぶ長屋と二階建ての商店の数々。その中心にどっしりと鎮座した五重塔。
聞くと、千歳町は遥か昔に行われた戦争で使われていた城郭に、人里を築いて出来たのだとか。
住みやすいようそこらに生えた城を取り崩し、ひたすらに長い年月をかけて改装と拡充を重ねて町として機能させているそうだ。
「すげえなぁ……こういうのは母上の書物の中でしか見たことなかったが、圧巻だ……。建物ってあんな高く建てて良いもんなのか?」
ザクロが指差した五重塔は、恐らく羅神の住まう大社だろう。
その後方には、赤い派手な建物が立ち並んでいる、聞くところによると、遊郭や賭博などの娯楽施設であるとか。
「暮梨村って平屋ばっかだったしね」
過剰な富を毛嫌いしていた暮梨村は、建築物も質素であった。香梨紅子が住まう大社も、巨大な岩を切り取った自然建築だった。そんな環境で育ったザクロにはひどく新鮮なものだろう。歩く町民も、所狭しと並ぶ建築物も、どれも彩り豊かで多様性に富んでいる。
対して、ネズミは驚きもしない。失われた記憶の中で見たことがあるのか、特に感動することもなかった。むしろ、その既視感がひどく気色が悪い。
ネズミは頭に霞がかかる前に考えることを止める。解決できない問題よりも、目先の目標に意識を傾けなければならない。
「リンゴさんもミカンさんも、元気してるかな?」
「田舎者があんなキラキラしたとこに住んでたら、もう別人なんじゃねえの?」
「元々美人だから、そんな大きな変化はないと思うけど……すんごい垢抜けてるかもね」
ネズミが言うと、ザクロが自身の肉体を見下ろす。
模様一つない丈の短い死装束のような白色の着物と、墨で塗りたくったような漆黒の帯。そこに申し訳程度に咲かせた蓮華模様。
彩りが乏しい。都会では少々悪目立ちするかもしれない。
「私ってやっぱ、田舎者丸出しか? このままブラつくのはよくないか?」
「いや、少なくとも俺よりマシだよ」
ネズミも自身の肉体を見下ろす。灰色の体毛に丸い肉体。衣服一つ身につけていない、紛うことなき獣そのものだ。田舎者どころの騒ぎではない。
「俺、あんなとこ行ったら殺されるんじゃねえの?」
出来ることなら人の身に戻りたいと頭の片隅で思ってはいたが、今ほど強く願う瞬間はないだろう。
追われる身の上であるが故に、獣の素早い脚が頼みの綱であるから、心の奥底にそっと閉じ込めていたが、こと人里に紛れるにはあまりに足手纏いな肉体だ。
「俺だけ山に篭ってようかな。リンゴさんたちと会えたらこっそり教えてよ」
「うわ、出た、お前のそれ。人里に出くわす度にそれやんのか?」
「楽しかったよ、ザクロ。俺さ、結構幸せだったよ、お前と旅すんの。これから先、俺は山の中で一人で生活するけどさ、気が向いたら会いに来てよ」
「いいよもうそれ。私のこと肩車すれば良いだろうが。それで警戒されないって」
「どんだけ肩車信じてんだ。通用しないよ」
「三鷹村の村長は受け入れてたじゃん」
「あれはこっちの事情を察してくれてた、すんごい頭が良くて、超優しい人だからなんとかなったんだよ。今思えば正気の沙汰じゃなかった。米食いた過ぎてお前の案に便乗したけど、あんな華やかな町で通用しない。鼠なんて生き物は病気を持ち込むから忌避されるんだ」
「超めんどくせえなお前ッ。されねえよ! なあ!? ミチユキッ、されねえよなぁ!?」
突然、水を向けられ、背後に控えていたミチユキは「大丈夫ですよ」と笑って応える。
「町の入り口には〈羅生衛士〉が立っていますので、事情を話せば通れるでしょう。オラも行商人としての許可証を持っていますから、警護のために雇っていると言えば、了承されるはずです」
羅生衛士──羅神の命令を受け、町の警護や犯罪を取り締まる武装した役人だ。
神の目が行き届かない諍いを治めるのが役割であるが故に、町の入り口に立って怪しい人物を追い払うのだとか。
「それに、羅刹様はどなたも目立つ見目をしていますから、それほど気にされることはないんじゃないかなと。むしろ、ネズミ様には溢れるほどの愛嬌がありますから、むしろ人気者になるかもしれませんね」
ミチユキが言うと、「ほらな」とお墨付きを貰ったザクロがしたり顔をする。
「お前を毛嫌いする奴なんて根性ひん曲がった田舎者ぐらいだって」
「うーん……」
心配し過ぎていたのかもしれない。と、ネズミは自身の両頬を撫で回す。
確かに言われてみれば、三鷹村でもネズミの柔らかそうな獣毛を触ってみたいと言わんばかりに、ご婦人方が小声で「可愛い」と言ってくれていた気がする。羅刹であるが故に畏れ多くも気軽に触れることは憚られたのだろう。
「人気者か……」
数々の町を渡り歩く行商人であるミチユキに言われてしまえば、最早疑う余地もない。
女子供を中心に、花よ蝶よと愛でられてしまうのか。もしかすると、人生の逆転が目の前にあるのではなかろうか。
「そろそろ行こうか」
ネズミは前のめりに歩き出す。きりりと凛々しい顔を作り、丸い背を伸ばして大木のように空を仰いだ。
良い秋だ。肌寒くも心地良い。緑風が穏やかにネズミの背を押して、弾む足取りを一層と軽くする。
「お前さん簡単だな。変わり身が早くて何よりだよ」
背中から放たれるザクロの皮肉を受け流し、いざリンゴたちが待つ千歳町へ。




