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花の羅刹✿ 【第三部準備中】  作者: 再図参夏
第弍部 千歳町編
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第六話 香梨大社にて

「ハハハハハハッ」


 腹の底から湧き上がる哄笑こうしょうが、ほの暗い洞窟の中を這い回っていた。


「母上……?」


 カリンは思わず息を呑み、大社の回廊の中で佇む。

 母がこれほど声を絞り出すように笑うなど、信じられない。


 ときは一月前にさかのぼる。

 伊紙彩李が死亡し、ネズミたちが暮梨村から脱した日に、事は起こっていた。

 神が住まう香梨大社。巨大な岩で造られた社の奥の更にまた奥に、香梨紅子の自室である奥之院が存在する。


 母の様子が気になり、カリンは大社の奥へと足を運んでいた。伊紙彩李を灰神に転化させて、ネズミとザクロの元に刺客として送った後、母は奥之院に引っ込んでしまった。

 あれからどうなったのか。思わず気になり、カリンは許可もなく母の自室に踏み入ろうと足を運ぶと。


「ハハハハッ」


 大社の内部を進んでいると、突如、カリンの耳に飛び込んできたのはそんな笑い声だった。

 奥へ進めば進むほどに、その声が岩壁に反響して、カリンの思考を混濁させた。

 物心つく頃から母がここまでの大声で笑う声を聞いたことがない。今もなおカリンの耳を打つ声は、腹の底から湧き上がるような、ひどく歪んだ嘲笑に聞こえた。


 奥にいるのは果たして母なのか。神として悠然と君臨していた母なのだろうか。

 この笑い声は──欲望に塗れた人の声だ。


 たまらず、カリンは駆け出した。母も想定していなかった異常事態が起こっているのかもしれないと。

 壁に打ち付けられた灯籠を辿り、照らされた回廊の中でいくつもの部屋を通過する。

 やがて、カリンが奥之院の入り口である冠木門に辿り着く頃、笑い声がピタリと止んだ。


「母上、失礼します」


 門の前で軽く頭を垂れ、勢いよく開け放つと。


「ああ、カリンですか。どうしました?」


 何食わぬ顔で、香梨紅子がそこに佇んでいた。いつもと何も変わらない。先ほどの笑い声などなかったように、神である香梨紅子がそこにいた。


「な、何事ですか……?」


 唯一違う点と言えば、母の身体が汚されている。

 首元には人の指型が黒く滲み、美しい白色の着物は、灰をぶち撒かれたかのように黒く染め上げられている。

 そして、そんな母の手元には、二つの蓮の花が乗せられていた。


「母上……それは一体……」


「これはね、ネズミの母親の鮮花です。不遜にも私を殺しにきたようですが、まあ、見ての通りです」


 カリンの混乱を他所に、香梨紅子は手のひらに乗せた花を愛しむように撫でた。


「そして、もう一つはその母親の胎の中にいた赤子の鮮花です。ネズミの弟か妹に当たるでしょう。かわいそうにね。会わせて上げたかったですね」


 そう口にして、香梨紅子は片方の小さな花を指でころりと触れる。

 母の所作を呆然と見つめて、カリンの思考は混乱に浸される。


 ネズミの母親とは。

 その赤子というのは一体。


 カリンにも覚えがあるような感触だが、上手く思い出せない。

 思い出そうとすると、霧深い森を歩いているような心細い気分になってくる。

 それを解決しようと疑問を口にしかけたところで、母の柏手が打たれた。


「さて、カリン。準備なさい。ネズミたちを追う準備を」


 乱れた着物の襟を整えて、香梨紅子がゆるりと微笑む。

 喉元まで出かかったいくつもの疑問は、口にすることを憚られ、頭の片隅に追いやられた。

 母からお役目を授かるのだ。今は母の願望実現する傀儡になれば、それでいいのだ。


「承りました、母上。この命に換えても」


「良い子です。誠に誇らしい、私の娘よ」


 言われて、カリンは全能感に満たされる。変わらぬ愛がそこにある。人のように笑えど、あの汚らしい獣に執着すれど、変わらぬ母の愛は自分に注がれているのだ。


   ✿


 時刻ときは暁七ツ(午前四時)。

 朝露に濡れた枝葉を踏み締めて、二頭の馬が飛び跳ねる。

 香梨紅子の命を受け、カリンとモモは馬に跨って樹海を泳ぐ。

 逃げ出した裏切り者を引っ捕えんがために。


「んで、何もわからんまま、ドブネズミ共を追わんといかんと?」


「不足はない」


 モモの咎めに、カリンは平然と言い放つ。

 

「母上が下さった備品とこの馬がある。それに手は打ってある」


 カリンとモモは、あらゆる装備を香梨紅子に頂戴していた。

 旅に必要な生活用品から、切れ味鋭い得物など。


 特に、母の作成した青鹿毛の早馬は、灰神に転化した伊紙彩李が騎乗していた馬と同様に、凄まじい性能を兼ね備えている。

 地上を駆ける必要もなく、枝の上を伝って目的地に一直線に跳ねることができるのだ。

 

「めでたい頭しとうな。こんなバリでかいもんが頭上を跳ねとったら、あの阿呆共も気がつくっちゃん。こっちもこっちでこないに高く跳ねとるもんやから、地上を這ってる馬鹿どもを見つけられんと」


「僕たちは自分たちの〝目〟で探す必要はない」


 カリンが言い放つと、モモは怪訝に眉を吊り上げた。


「何を言いようとか? 目に頼らんかったら、鼻で匂いを辿るとでも言うんか?」


「誘き出せば良い」


 怜悧な目元を自慢げに向けて、カリンはつらりと口にする。

 

「母上に頼んでリンゴのツバメに酷似したツバメを飛ばしてある。恐らく、そろそろ奴らの手元に届く頃だ。更に、リンゴの筆跡を真似た文も添えている」


「ほう、用意周到っちゃんねぇ。その文で何処に誘き出しとうと?」


「千歳町だ。そこに先回りしていれば、奴らは勝手に阿呆面を引っ提げてやってくる」


 荒々しく枝葉を踏み、馬上でカリンは邪悪に口元を吊り上げた。

 神に逆らった愚か者どもを、はてさてどうしてくれようか。

 ネズミは生け捕りにしろと命じられているが、ザクロは──。

 あの三女は、散々と辛酸を舐めさせてくれた。

 

「泣き叫び、命を枯らすほどに痛ぶってやる」


 山脈から漏れ出す朝日を浴びながら、カリンはどす黒い殺意を腹の中で踊らせた。

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