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花の羅刹✿ 【第二部完結】  作者: 再図参夏
第弍部 千歳町編
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幕間 マジ寝れない

 三鷹村で迎える夜。ネズミとザクロにとって食事以外にもう一つ大きな楽しみがあった。

 布団だ。ここ一ヶ月の間、眠りにつく度に恋しく思っていた柔らかい羽毛布団。

 二人は、村長宅の客間に並べられた肉厚の布団を見るなり、モグラが地中に潜るが如く、つるんっと布団の隙間に身を滑らせた。

 

 暮梨村から脱走してから二人が就寝する場所といえば、もっぱら木の上だった。

 寝ている間、獣に襲われないようにと、大木の太い枝にしがみ付いて夜を過ごす日々。

 火を起こせれば、多少柔らかい土の上で寝れたものを、香梨紅子が放っているであろう追手の影に怯えて、地面で寝ることすら叶わなかった。


 二人が念願叶った柔らかい寝床についた頃、遠くで鳴るスズムシとコオロギの大合唱がはじまる。それがなんとも心地良い。森の中で寝ていたときは鬱陶しくてしょうがなかったのに、雨風しのげる人の家の中で聞く虫たちの演奏会は、むしろ今のネズミたちを祝ってくれているような気さえした。


 しかし、にも関わらず。


 ──どうしよう。寝れない。


 ネズミはたまらず開眼する。貪るように眠りに落ちれると思っていたのに、何故か意識が閉じてくれない。

 気が立っているのか、あらゆる雑念が頭の中に浮かんでくる。しかも、今考えてもしょうがないことだ。

 まずい、とネズミは顔を拭う。こういう夜は明日に疲労を残してしまう。


 ため息混じりに寝返りを打つ。右隣ではザクロがネズミと反対を向いて、布団を緩やかに上下させている。

 昼寝をしている猫を見ていると眠くなるように、ザクロの穏やかな寝顔を見ていれば自分も眠くなるはずだ。


 ──こっち向いてくんねえかな。


 ネズミは頭の中で念じる。ザクロの寝顔は人を穏やかな気持ちにさせてくれる。

 ここ一ヶ月、それでネズミは寝れない夜を乗り越えてきた。

 頼む、こっちを向いてくれ。としばらく念じ続けていると。


「……」


 念願叶って、ザクロが寝返りを打ってネズミに顔を向けた。

 腰高障子から漏れる月明かりがその相貌を照らし出すと、その美しい相貌は──。


「え……なんで起きてるの……」


 開いている。しっかりと、両目ともばっちりと。


「そっちこそ何起きてんだよ。寝ろよ」


 怪訝に眉を顰めてザクロがそんなことを言う。目を合わせたネズミも憮然と漏らす。


「お前が寝ろよ……」


「私はさっき夕寝しちまったからしょうがねえだろ。お前さんは寝ろよ」


「マジで寝れないんだよ。なんか色んなことがぐるぐる頭の中に回ってくる」


 そう訴えるネズミに、ザクロは「ふむ」と頭だけ起こして肩肘をついた。

 どうやら腰を据えて話を聞いてくれるようだ。


「何が気がかりだ?」


「俺たちってさ、やっぱり追われてるのかな?」


「忘れたか? お前が成人式で鮮花を開いた時のこと」

 

 忘れるわけがない。香梨紅子は呟いたあの一言。


『見つけた、私の欲しいもの』


 ネズミの脳裏に強烈に焼き付いている。顔の上半分に白布を纏っているにもかからず、その歓喜する相貌が透けて見えるようだった。


「母上が『はいそうですか、逃げましたか、さようなら』なんて諦めてくれるわけがない」


 言って、ザクロがうんざりしたように天井を仰ぐ。


「羅神教はな、欲望に向けて没頭することを是としている。母上が『欲しい』って言ったんだ。夢中になるもんができちまったんだ」


 そうか、とネズミは曖昧に応える。聞くまでもないことを聞いてしまった。ザクロに『大丈夫』と言ってほしかったのか。我ながら浅ましく縋ってしまった。

 ネズミは鼻を掻いて、ザクロに向き直った。


「追ってくるとしたら、やっぱりモモさんとカリンさん?」


「それかまた灰神を寄越してくるか。あらゆる手段を使ってくるはずだ」


 森を彷徨ってる間、同じことを何度か話した。それにザクロは何度も付き合ってくれている。そして、この話題が上がるたびに、ネズミの頭の端にある一つの疑問があった。

 それは、今まで口に出せず、聞く勇気がなかったことだ。

 しかし今は、なんとなく喉の通りが良い気がした。


「ザクロはさ、俺と離れれば、紅子様の影に怯えなくて良いんじゃないか? 安心して毎日寝れるし、こんな人里に身を置いてさ、毎日たらふく飯食って、平和に暮らしていけるんじゃないか?」


 そんなことをネズミは言う。そうだ。香梨紅子が欲しがっているのは、あくまでネズミの鮮花だ。ザクロが追われているわけではない。

 ネズミと別れてしまえば、何処ぞで安寧に暮らしていけるのだ。

 しかし、


「本気で言ってるか? だとしたら、流石にグーだぞ?」


 ネズミの大きな鼻先にザクロの拳が鋭く突きつけられる。

 その勢いがあまりに素早く、ネズミは眼を瞬かせて面を食らう。


「忘れたか? お前も、私も、欲しいものがあったはずだ」


 気迫を込めたザクロの視線に、ネズミは心臓を打たれた。

 そうだ。忘れていない。己の口から吐いたものだ。


「自分を誇れる、明日が欲しい」


「そうだ。今、私が我が身可愛さでネズミと離れたら、私は自分を誇れるのか? そんなことをしたら、私は私の信念に土をかけることになる」


 その言葉が、ネズミの腹に深く落ち、そして途端に後悔する。


「ごめん、ザクロ。お前の信念を試すようなこと言った」


「安心しろよ。離れる気なんてねえぞ? 私だってお前との旅路に没頭してんだ。なんで楽しいことをわざわざ手放さないといけないんだよ」


 羅刹に生まれるとはそういうことだった。信念と欲望に没頭するのが羅刹の人生だ。


「マジでごめん。なんか今日の俺ダメだね。忘れてたわけじゃないのに、わざわざお前の口から引き出そうとしてる。浅ましいな」


「浅ましいなんてことはないだろ? 私の身を案じて言ってくれてたのはわかってるよ」


 でもな、とザクロは言いさして、ネズミの鼻を指で弾く。


「私をあんま舐めんなよ? 私ら羅刹が平和に暮らしてゆくには、強くなるしかないんだよ。生まれた時から常在戦場だ。お前より私の方が戦場に立ってる時間は長いんだぞ」


 ザクロはあの苛烈な香梨紅子の娘であるが故に、姉妹同士で刺し合い、灰神と闘争を重ねてきた。ネズミよりはるか格上の羅刹だ。過ぎた心配など、煩わしいだけだった。


「そうだよね……それもマジでごめん」


 ネズミが鼻をさすって耳を垂れると、ザクロは枕に頭を沈めて大きく息を吐く。


「なんか説教垂れたら余計寝れなくなっちまったな。なんか明るい話題ないの?」

 

 明るい話題か、とネズミは頭を巡らす。

 やはり、心躍るのは己の欲望を探ることだろう。


「じゃあさ、せっかく外の世界に出てきたんだから、ザクロのやりたいことってないの? リンゴさんたちと合流する以外に」


「ああ、しばらくそんな話もしてこなかったな」


 聞くと、ザクロは頬に手を当て考え込む。

 そして、「ああ」と閃いて眉間を指でとんっと叩いた。


「炎の灰神のおかげで思い出したよ。暮梨村から出たらやりたかったこと。ずっと前からしたかったこと」


「おお、何々?」


「消えた妹二人を探してみたいかな」


 ネズミは口をあんぐり開く。ザクロとは短くも濃密な日々を過ごしてきたが、それは初めて聞くことだった。


「えッ、妹? モモさんとカリンさん以外に妹いたの?」


「いたよ。ウメとアンズっていうんだ。元々、お前が来る前は暮梨村に七姉妹が揃ってたんだ」


「なんで、消えちゃったの?」


「あいつらが確か十歳くらいで、私が十一歳とかそんな頃にな、妙な羅刹が暮森林を歩いてたんだ」


 ザクロの話によれば、その羅刹は突然訪れた。

 妹たちと森の中で遊んでいたとき、ふらりと現れたそうだ。

 その容姿は、顔は般若の面で覆われ、錦鯉が踊る優美な白色の着物。

 透けるような桜色の羽衣を両手に掲げ、ゆったりと歩いてきたそうだ。


「正直、すげえ怖かった。怪談に出てくる妖怪みたいで」


「俺だったらオシッコ漏らしてる」


「私も漏れそうだった。でも、あいつらにとっては違った」


 曰く、妹二人は般若面の人物に無警戒に近づいてしまったらしい。

 何処をどう見ても不審者であるが、その人物の声音が妙に美しかったのだとか。


「おいで、おいで、って言うんだよ。まるで自分の子供に話しかけるみたいに」


「余計に怖いけど……」


「私はビビってたよ。でも、ウメとアンズは吸い寄せられるように近づいた。母性に飢えてたのか、ガキ特有の好奇心なのか」


 そして、般若面の不審者は近づいてきた二人に羽衣を被せた。

 まるで我が子を日差しから守るような優しい所作で。

 

「その途端だ。ふっと地面に吸い寄せられるようにウメもアンズも消えちまった」


 ザクロの相貌が身の内に渦巻く後悔の念を滲ませ、沈痛に歪んだ。


「そんで……焦って、私が般若面を捕まえようと走り出したら、そいつも羽衣を頭から被って消えた。綺麗に跡形もなく。私の妹も、般若面の羅刹も、最初からいなかったみたいに」


 ネズミは言葉に窮した。臆していたことで妹二人が攫われてしまったザクロの心境を思うと、あまりにも痛ましく、ザクロの悔恨がネズミにも宿るようだった。

 ただ一つだけ疑問を浮かぶ。暮梨村には何でも解決できる最強の羅神がいるはずだ。


「紅子様には伝えた?」


「ああ、母上に訴えたよ。探してくれとも言ったし、探しに行かせてくれとも言った。だが、一言だけで一蹴された」


 不足はありません。

 そう言って、妹二人を探そうともしなかったのだとか。


 その態度は、ネズミにも想像できる。香梨紅子という人物は興味のないことには呆気なく背を向ける。娘たちの安否であってもそれは変わらなかったということだ。


「炎の灰神のおかげだな。大事なことを思い出せたよ」


 確かに、炎の灰神は呟いていた。元気にしているか 不足はないかと、うわ言のように。

 今思うと、まるでザクロの心の奥底を抜き出したような言葉だ。

 

「私も母上を責めらんねえよな。今の今まで自分のことで精一杯で、二人のことを忘れちまってたんだから」


「そんなことないでしょ? 暮梨村から出たがってたのは、妹さんたちが理由の一つなんじゃないの?」


「きっかけはそうだったろうな。ま、手段が目的になっちまってたからな。私はひどい姉だよ」


 自虐的に笑って、ザクロは枕に顔を沈めた。

 それを見て、ネズミはなんとか言葉を振り絞る。


「何処かで会えるよ。必ず」


「そうだな。生きてるなら、間違いなく会える。あっけなく殺されるようなタマじゃない」


「どんな子たちなの? 俺が見かけたらすぐに報せるよ」


 ネズミが聞くと、ザクロが赤子を腕に抱きかかえるような、慈愛に満ちた瞳を浮かべた。


「ウメはシソに漬けた梅干しみてえに真っ赤な髪色だ。そんでもって姉妹の中で一番うるさい。放っておくと永久に喋り続ける。色んな動物の交尾について講釈を垂れ続けてくる頭のおかしい奴だ」


「へ、へえ……もう一人のアンズって子は?」


「アンズはよく晴れた空みたいな髪の色してる。ウメとは対照的に口数は少ないが、やばいくらい面倒くさがりだ。大雪が降った次の日、雪かきに駆り出されるのが面倒で、屋根裏に飲まず食わずで一週間も隠れ続けていた頭のおかしい奴だ」


「おかしいなぁ……流石に頭がどうかしてるなぁ……」


 生きてたとしても、人間社会に順応できているのだろうか。


「おかしくはあるが、優しい奴らだったよ。私が落ち込んでると、森に落ちてたどんぐりとか、カブトムシとか捕まえて持ってきてくれた。可愛い妹どもだよ」


 余程、可愛がっていたのだろう。語るザクロの相貌がより穏やかになってゆく。


「ネズミとも仲良くなれるだろうな」


「楽しみだなぁ」


 二人の目尻が互いに綻び、どちらが先か、ゆったりとした寝息を立て始めた。

 閉じる意識の中でネズミは願う。どうかザクロが妹たちと再会できますようにと。


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