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花の羅刹✿ 【第二部完結】  作者: 再図参夏
第弍部 千歳町編
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第五話 帰還

 ネズミたちの帰路に、弱々しいひぐらしの音が響く。

 初秋のか細い陽光が山の中へ溶けて、周囲を赤く染め出す夕刻のことだ。


「本当にお疲れ様でした」


 村長に宅に戻ったネズミとザクロは、数多くの垂れた頭に迎えられた。

 三鷹村にいるすべての住人が集まり、二人の帰還を待っていてくれたらしい。

 全身に灰を被った二人を見るや、神を崇めるように皆で手を合わせはじめた。

 その態度に妙な居心地の悪さを感じながら、ネズミは軽く会釈し、村長に申し訳なさそうに拝む。


「すみません、またお風呂とご飯お願いしていいですか?」


「もちろん、用意しましょう。お風呂はどちらが先に?」


「こいつからお願いします。どなたか、女性の方に手伝いをお願いします」


 そう、ネズミは背中で眠るザクロを村長に見せるように言う。

 羽虫の毒を自身に注入して身体能力を底上げしたザクロは、その副作用によって自分で立ち上がれぬほどに憔悴している。

 

「わかりました。後はお任せを」


 二十代であろう年若い女性が二人、ネズミの元に進み出て、ザクロの身体を抱え込んだ。

 すると緊張が解けたのか、ネズミは一気に弛緩して、その場で崩れるように膝を折る。


「どうされました!? お怪我をされているのでしょうか!?」


「ああ、大丈夫です。ちょっとね……相手が強かったんで、気が抜けちゃって」


 気遣わしげに駆け寄る村長に、ネズミは苦く笑って応える。

 流石に肝を冷やした。あの灰神の炎が視界に入る度に、恐怖で全身が強張る思いだった。

 同じ心の傷を負っているザクロだって例外ではない。むしろ、ネズミより多くの時間、炎の灰神と対峙していたのだ。能力の副作用だけではなく、蓄積した心労がザクロの意識を眠りに誘ったのだろう。


 ──やっぱり、俺が能力を使えていれば。もっと楽できただろうに。


 申し訳ない気持ちで、ザクロの背を見送り、ネズミは深く息を吐く。

 以前、命の危機に瀕した際、自身の鮮花が開いてくれた。今回も逃走しているときに何度かひっそりと試みたが、喉が疼く様子はなかった。香梨紅子ほどの強大な相手でないと、開いてはくれないのだろうか。


 ネズミは心の端で思い出す。

 約一週間前、まだ樹海を彷徨っていたときのこと、ザクロは言っていた。


『鮮花ってのは行使できる能力に容量がある。私が羽虫を出せるのは一度に六匹までだ。それ以上産み出そうとすると、喉が気怠く重くなって鮮花がしばらく開けなくなる』


 四つ脚で歩くネズミの背中に身を預け、ザクロは暇つぶし程度にネズミの能力について語らっていた。


『お前さんも、その肉体を自分の能力で維持している可能性がある。つまりは、ずっと鮮花が容量いっぱいに能力を使い続けているせいで、新しく能力が行使できないのかもしれん』


『うーん。じゃあ俺が人間に戻れたら自由に能力を使えるのかな?』


『かもしれん。ただ、お前さんの鮮花がその姿を維持し続けているってことは必要だからだろう。現に、お前の脚と異常な身体能力がなかったら逃げ切れてないしな』


『じゃあ、追い詰められたときに俺の花が音を立ててくれたのは?』


『よっほど追い詰められたとき、鮮花は容量の限界を一時的に突破してくれることはある。だけど、それを期待するのは心許ないな。ただでさえお前の鮮花は頑固みたいだから』


 頼むよと、ネズミは自身の喉に語りかけてみたが、やはりうんともすんとも言わない。

 がっくり耳を垂れたネズミは、気が滅入るとばかりにザクロに訪ねる。


『容量を増やすのって、やっぱり他人の鮮花を食べること? 大変だなぁ……』


『それもあるし、他の方法もある』


 そう言って、ザクロは悲しげでありながら、どこか諦めるように右手をネズミの眼前にかざす。


『肉体の一部を失う』


 ザクロの黒い木肌の義手。それを見つめていると、ネズミの尻の根が思い出したように疼く。

 今思えば、香梨紅子がネズミの尻尾を断ち切ったのは、そういう狙いがあったのかもしれない。ネズミの能力に好奇を注ぎ、あらゆる手段でネズミを追い詰め、開花を促していたのだろう。

 

『母上は人体と枝葉を同じと捉え、盆栽の剪定をするように、私達の肉体をちょん切った。鮮花の宿主である私達も植物と同じ、枝葉を落とせば新しい芽を産み出すと』


 皮肉なことに、その惨たらしい所業が成果を産んでいる。

 失いたくなかった右腕を失って、ザクロの鮮花は器の容量を増やし、三匹しか産み出せなかった羽虫が六匹に増えている。

 

『それは……鮮花にとっては良いことだろう。でもな、ネズミ、どんな状況に置かれても』


 そんな極端な選択はするな。と、ネズミの胸に刻み込むようにザクロは言っていた。

 言葉の内に、悲壮と悔恨、腹で踊る憎悪が滲んでいたのが強烈にネズミの胸に刻まれている。


 獣の肉体で充分。これ以上、欲張るべきではないかと当時は思ったりもした。

 しかし、今はどうしても、もっと役に立ちたいと思ってしまう。

 肉体の喪失は論外。ならば、浄化された鮮花を喰らう。それしか方法がない。

 

 幸いなことに、炎の灰神の鮮花をザクロが回収している。

 浄化する方法を知れれば、花の器を広げる手立てができるだろう。



        ✿


 しばらくして──。

 ザクロが湯浴みを終え、ネズミも風呂から上がった頃、村人総出で宴会が行われた。

 村長の自宅の庭先で開催された宴には、ありったけの料理がずらりと並ぶ。

 紅芋の練り団子、猪肉の串焼き、卵に浸った大根の煮付けに、大釜いっぱいの輝く白米。

 ネズミはそれらに目を輝かせ、片っ端から口の中に頬張ってゆく。


「ちょっと……美味すぎるな……野宿生活に戻れないかも」


「もふ、ほほでくらふか?(もう、ここで暮らすか?)」


 泥のように眠っていたザクロは、夕食の香りに意識を覚醒させ、縁側に座るネズミの隣で白米をたらふく口に詰め込んでいる。


「ザクロ、それみんなの前で言うなよ?」


「はわってふ(わかってる)」


 ネズミは気遣わしげに周囲を伺う。

 どうやら誰もザクロの冗談に気がついていないようだ。

 この羅神の存在しない三鷹村で羅刹が居座るとなれば、羅神になってくれと懇願されてもおかしくない。

 それはひどく厄介だ。断る理由をでっち上げなければならないし、少し前まで厳しい戒律で縛られていたのだ。嘘を吐くのも心労が溜まるのだ。


「お二人とも、食事は舌に合いましたでしょうか?」


 二人して口いっぱいに飯を詰め込んでいると、部屋の奥から村長が現れ、二人が腰をかける縁側に折目正しく正座した。

 

「もし、苦手なものがございましたら遠慮なく言いつけて下さい」


「どれも美味いぞ。ずっと口の中に入れておきたいくらいだ」


 ザクロがそんなことを言うと、


「ホッホッホッ、それは何よりでございます」


 村長は一通り肩を揺らすと、居住まいを正して床に三つ指をつける。


「改めまして、三鷹村を代表して御礼を申し上げます」


 深く垂れる村長の頭。疲弊した艶のない白髪がネズミの目につく。

 これまでひどく心労が蓄積していたのだろう。頭を上げた村長の顔は、憑き物が落ちたかのような安堵に満たされていた。


 聞くところによると、三鷹村は老人が大半を占める人里だ。総勢五十人ほどの人口に対して、老人が四十人ほど、五〇代以下の若い者が十人。その内、子供が二人。自力で避難するにはかなりの労力だ。


「本当に、助かりました」


「気にするな、灰神の対処は羅刹の義務だ。同胞の汚えケツを拭ってやっただけだよ」


 ザクロが言うと、村長は小さく首を横に振る。

 

「それでもです。それでも、こうも追い詰められていたのは私の落ち度でございますから。私の不始末も拭って頂いた形にございます」


「どういうこと?」


「甘んじていたのです。千歳町から羅刹様が来てくださると。故に、今日まで誰一人避難させずに過ごしておりました」


「しょうがねえだろ。人を救うのが羅神の役目だ。それに、避難したはしたで羅神の矜持を傷つけたとか、イチャモンつけられかねない」


 曰く、羅刹は人里を守護するのが生まれたときから決められた使命だ。超常の力を行使できる特権があるが故に、その重責を負わなければならない。ましてや神の座についた羅神であるならば尚更だ。


 しかし、厄介なのはその使命感だ。羅神の許可を得ずに避難すれば、羅神の力を信用しなかったこととなる。

 例え、眼前に灰神が迫っていたとしても、羅神を信じ仰がなければならない。それが、羅神教の庇護の元で暮らす人間の義務であるらしい。


「そういうことも、あるかもしれませんが……」


「ま、気にすんな。良い縁の糸が私らを引き寄せたんだ。村人は助かったし、畑も焼かれてない。唯一の損害は、ちょっと私らに食料を奪われるくらいだ。それでいいだろ?」


 おかわりくれ、とザクロが村長に茶碗を差し出す。

 村長は茶碗を受け取ると、噛み締めるように頷いた。


「まことに、良き縁の糸でございます」


 言うと、ゆっくりと立ち上がり、村長は庭先に鎮座した炊飯釜に歩き出した。

 それを見届けて、黙って静観していたネズミはザクロに囁く。


「なんだか、人間は人間で大変だね」


「そうだな」


「羅神のいない村だから、厳しい戒律とかなさそうだし、呑気に暮らせるのかなって思ってたんだけど、しんどいこと多そうだなぁ」


「本来は、あんな思いをさせないために羅神や羅刹がいるんだけどな。そう考えると──」


 言いさして、ザクロは口元を苦く歪める。


「母上は、イカれてはいるが……母上なりに上手くやってたのかもしれないな」


 その言葉に、ネズミは思わず目を見開く。

 ザクロの口から漏れ出た、香梨紅子を称賛する言葉に。

 あまりにも珍しく、あまりにもザクロらしくない。

 それに、本人も気がついたのか。


「くっそッ」


 ザクロは両手を自身の頬に叩きつける。その皮膚を打つ音が思いのほか大きかったのか、周囲の村人の視線が一気に集まってしまった。


「ど、どうされました?」


 村長が白米をよそった茶碗を片手に駆け寄ってくる。


「ああ、心配しなくて大丈夫ですよ! 季節外れの蚊がいたみたいで!」


 ネズミが言うと、なんだそうなのかと、村長も村人も納得してくれたようだった。


「ちょっと……どうしたの?」


「彩李の思考か、私の花の思考だな……母上を認めちまうなんて、私じゃない」


 花か、彩李か、己か。なんとも面倒な副作用だ。鮮花を食らえば、他者の意識と共に過ごすことになるなんて。

 ザクロは一気に白米をかき込んで口の中に押し込む。自身の口から出たものを飲み込んでしまおうとでも言うように。





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