第二話 三鷹村
「改めて、先程は申し訳ございません」
「死ぬかと思ったな」
「怖かったし、痛かったなぁ」
畳に手をついて謝罪する老婆に対して、ザクロは泥に塗れた頭部を、ネズミは砂埃で汚れた肘を押さえ、受けた被害を強調する。
先ほど、爆雷のような老婆の絶叫に驚き、ネズミは派手に転倒。それに伴い、肩に担がれていたザクロは巻き添えを食い、田んぼに転げ落ちる羽目となった。
現在、騒ぎを聞きつけた村人たちに介抱され、老婆の家の縁側に上がり込むことに成功していた。
運が良いことに、どうやら老婆はこの村──〈三鷹村〉の村長であった。
低い山間に平屋が点々と鎮座する長閑な風景。その最も高い場所に村長宅は建てられている。
室内は広く、塀に囲まれた立派な平屋だ。きっと、他者に分け与えられるような充分な余裕があるはずだ。
「泥だらけだ。風呂入りたいー」
「今、用意させております」
「お腹空いたなぁ、お米かお餅食べたいなー」
「おかずも用意させます」
「味噌汁は?」
「もちろん、用意させます」
ザクロの図々しい要求が、次から次へと通ってゆく。羅刹に逆らえない人の性を利用した傲慢な振る舞いだ。
しかし、ネズミは嗜めることなく、この機を逃してはならないと鋭く眼光を光らせた。
「僕らって、ここの羅神様に面通しするのが筋ですかね? お風呂とご飯の後でもいいんですかね? 汚れたままお会いするのも申し訳ないですし」
一番の懸念事項を回避するため、ネズミは先手を打つ。ここに住まう羅神が善人であれ悪人であれ、ネズミたちのような得体の知れない羅刹を快くは思わないだろう。避けて通るのがお互いのためだ。風呂と飯と調味料だけ頂戴して、さっさとトンズラするのだ。
「えッ……? どういう……?」
ネズミの問いに、村長は垂れ下がった眼を驚愕に染め、口をあんぐり開けて停止した。
まずいことを言ったか。ネズミの相貌に緊張が走る。羅神教の常識に精通していない自分が過ぎた真似をしてしまったか。
かくなる上は、とぼけ倒すか、馬鹿なフリをしてやり過ごすか。
ネズミが脳内でそんな二択を回していると、より険しく村長が詰め寄ってくる。
「その、どういうことでしょうか?」
「え……? どういうって……?」
ネズミの思考は困惑の海に漂流した。互いに実のない疑問符の交換だ。
されど、村長がこちらに何か、強く期待していたような、そんな気配は感じ取れる。
たまらず、ネズミはザクロに視線で助けを求めると、「ああ、そっか」と整った相貌が納得を浮かべていた。
「ここに羅神はいないのか?」
「左様でございますが……え……お二人は派遣されたのではないのですか?」
「派遣? 私らを何処から派遣された者だと思い込んだ?」
「千歳町にございます」
その単語に、ネズミとザクロは肉体を大いに跳ねさせる。
「千歳町! 何処にある!? 近くにあるのか!?」
ザクロは村長に飛びかかるように身を寄せて、がしりと肩を掴んで揺さぶった。
「はい……ここから北西に三日ほど歩けば……」
村長がおずおず応えると、二人は感嘆の呼気を漏らす。
「ネズミ、もうひと踏ん張りだな」
「だねッ、走れば三日と言わず一日くらいか? いや、俺たちが全力で走れば半日くらいかな!」
長かった険しい道のりが走馬灯のように頭の中に流れる。
途端、肉体から活気が湧き立ち、二人は今すぐ走り出したい衝動に駆られた。ここまで思い描いた旅の終着点が近くにあるのだ。心が弾み、心臓も早鐘のように煩くなりはじめている。
「もう、今すぐ行っちゃう?」
「行こうぜ! リンゴ姉もミカン姉も待ち疲れてるはずだ」
こうしてはいられないと、戸惑う村長を置き去りに、二人は弾かれるように腰を上げた。
「ごめんな! 風呂も飯もいいわ。今すぐ行かなきゃいけなくなった!」
「お世話になりました!」
勢いよく言い放ち、いざ行かん。と、二人はその場から駆け出そうとした。
しかし、そんな二人に、まるで縋るように老婆が腰を浮かせる。
「ああっ、お待ちください! 後生ですから!」
二人が三歩ほど駆けたところで、村長の悲鳴が打ち上がる。
何事かと振り返ると、まるで神に見放されたとでも言うような、萎れた顔をしていた。
「ど、どうしたんです?」
ネズミが思わず問うと、村長が「およよ」と目元に袖を当てがって見せる。
「我らの願いを聞き届けてください……もうあなた方に頼る他なく……」
絞り出すようなその願いに、『まずい』とネズミは内心で溢す。
どうしようもない面倒事の予感だ。一筋縄で行かないような、血の匂いがする気配だ。
「西から迫る灰神様を、どうか討滅なさって下さいませ」
ああ、やはりだ。羅刹が頼られるということは、そういうことだ。




