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花の羅刹✿ 【第三部準備中】  作者: 再図参夏
第壱部 羅刹の世界
53/107

第五三話 衝動

       ✿


 地に崩れ落ちた馬体に刃を突き入れながら、ザクロは涙を流していた。


「ごめんな……」


 頭を優しく撫で、その命に謝罪する。

 生まれてすぐに闘争に巻き込まれ、生まれてすぐに命を絶たれる。

 母と自分の理不尽な行いに、少女は心の底から謝罪した。


「私が弱いせいだ……。お前の脚が怖くて、今はこうすることしか思いつかないんだ。私を、許さなくていいからな……」


 震える声音を漏らし、より深く白刃を馬体に沈める。

 すると、その口から悲痛に染まった慟哭が上がる。

 じきにゆっくりと緞帳どんちょうを降ろすように青鹿毛のまなこが閉じてゆく。

 掻き乱すように動いていた脚も、その動きを緩やかに停止した。


「ごめん……」


 やがてザクロは立ち上がり、涙を溜めた双眸を、佇む香梨紅子に向けた。


「母上、もうやめましょう……その肉体も、満身創痍だ」


 視線の先、香梨紅子の両手は老婆のように筋張り、乾いたものに変わっていた。

 肉体の生命力が老化となって現れ、じきに動かなくなる兆候を見せている。

 ただでさえ死体である身だ。生命力など底が知れている。


「そちらも、逃げる脚がないのでは?」


 言われて、ザクロは背後を振り返る。


「きゅぅ…………」


 ネズミが体当たりをした体勢をそのままに、木に頭をぶつけて気絶している。

 これでは逃げるにしても、ネズミを背負いながら樹海を泳がなければならない。


「それに、毒の効果も切れていますね」


 ザクロの痙攣する両手を、紅子は冷淡に指し示す。

 羽虫の毒によって酷使した肉体は限界を迎えていた。

 膝も震え、力も入らず、立っているのもやっとだ。


「おっしゃる通りです。なので、勝負はお預けということで如何か?」


「なりません。母はまだ戦えますよ?」


「頑固ババアが──ッ」


 冷めた熱を手繰り寄せて、ザクロは地を蹴り上げた。

 不意を狙った突貫。震える足を強引に動かし、香梨紅子の間合いに突入する。


「らぁあああ!」


 二つの刃が重なり、桜舞い散る木下で激しく火花が散った。

 更に一合、二合、三合と切り結び、視線と殺気を飛ばし合う。


「シッ」


 香梨紅子の放つ一閃が鋭く喉元を狙う。

 その一撃を身体を捻って避けながら、ザクロは紅子の足に目がけて下段に刀を振るった。


「──はッ?」


 避けない。一切の避ける動作もなく、ザクロの刀は見事に香梨紅子の足に命中する。

 だが、切り落とせない。鉄を刀で叩いたかと思わせるほど、その皮膚は硬い。


「生足じゃない!? 何だこれ!?」


「皮膚の硬質化です。母の能力を忘れましたか? 生物の変質変化でこの通りに」


 次の瞬間、硬い足から鋭い蹴り放たれ、ザクロの顔面を凶襲する。

 辛うじて義手で防御するも、全身に走る衝撃でザクロの肉体は後ろに大きく弾き飛ばされた。


「くっそッ!」


 ザクロはなんとか猫のように身体を捻って着地する。

 そして、体勢を整えて刀を構え直すも、額に焦燥の汗が滲む。


「はっ……はっ……」


 短い呼吸と共に、義手と皮膚の接合部からだらりと血液を流れ出る。

 毒の副作用で、次第に力が入らなくなってきた。

 加速した身体能力、その清算を肉体が求めているのだ。


 ──このままじゃダメだ。刃が通らないんじゃ部が悪すぎる。なんとか時間稼ぎをして、あっちの肉体の限界を待つか……いや、私が動けなくなるのが先か?


 冷たい汗を背中に伝わせて、ザクロは思いつく限りの策を巡らせた。

 しかし、浮かんだすべてが決め手に欠ける。母はあまりに手札が多い。


「毎回、母上は新しいことしてきますね。うんざりするのでやめて頂きたい」


「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず。芸事の基本です。新しき、珍しきを常に保有してこそ、秀でた達人となるのです」


「突貫一辺倒ですみませんね!」


「次は、こちらから」


 香梨紅子は冷笑し、強化された膂力を持って地を蹴り上げて迫り来る。

 瞬きも許さない一瞬、間合いが消し飛び、互いの刃圏に突入すると。

 目にも止まらぬ袈裟斬りが咲き誇った。


「ガァッ!」


 刃を受け止めて、ザクロは慄く。

 自分と同程度の小柄な死体が、恐ろしく重い攻撃が飛んできた。

   

 腕の痺れに呻きを上げるザクロに構わず、香梨紅子の連撃は容赦なく続く。

 上、中、下段と、変則的に打ち分けてくる縦横無尽の攻撃。

 その常軌を逸した剣の冴えに、たまらずザクロは後退──ならず。

 

 いつの間にか、胸ぐらを掴まれている。

 しかも逆の手で刀の切っ先を立てて。


「さようなら」


 母から容赦なく放たれる、ザクロの首元を目掛けた連続の刺突。


「ヤバッ」


 それを首の皮一枚で交わし続ける。

 煌めく切先を避け、喉元を狙う殺意をかわす。


「オオオオオオオッ!」


 かわして、避けて、かわして、避けて。

 止まることを知らない母の刺突の雨あられ。

 

 その怒涛の攻撃に、ザクロは鍛え抜かれた危機回避能力を発揮する。

 異常な動体視力で刃の軌道を見切り、最低限の動きで切先を交わし続ける。


「死んでたまるかァア!」


 追い詰められながらも、ザクロはカチカチと鮮花を開く。

 即座に、義手から羽虫たちが勢いよく飛び出して、一斉に香梨紅子の身に殺到する。


「こざかしいですね」


 舌を打った紅子は、一匹、二匹と太刀を振るって羽虫を両断して、ザクロの着物から手を離す。


「ふうッ」


 解放されたザクロは弾むように五歩下がって安堵する。

 何とか生き延びた。次の策に頭を回さねば。


 そう、息を吐いて刀を構え直すも、


「ふふふ……」


 紅子の不可解な態度に肉体が硬直する。

 正対する死体が、構えを解いて緩やかに微笑しているのだ。


 しもも、太刀を鞘に収め、頬に手を当てて含んで笑い続ける。

 その姿はまるで、戦いは終わったとでも言っているようだった。


「何してる? 何がおかしい?」


「いえ、気づかれないものだなと、思いましてね」


「は──?」


「さきほど、一本取られたお返しです」


 言うと、笑う死体は、酒宴を仕切る幹事のように手を合わせた。


「存分に、ご堪能あれ」


 乾いた音を立てて鳴らされた両手。

 その左手の、中指がない。


 ──自分で切り落とした? なぜ?


 ザクロが疑問符を打って身構えると、胸元に鋭い痛みが襲う。


「な──ッ?」


 血色のない白魚のような中指。

 それが、ザクロの左乳房の上に突き刺さり、打ち上げられた魚のように踊っている。


 一瞬、あまりのことに呆けていると──。

 突き刺さった中指が身をくねらせ、ザクロの身体の奥へ奥へ入ろうとしてくる。

 

 あまりの気色悪さに青ざめ、急いで引き抜こうとするも。

 ザクロの手から逃れるように、すっぽりと、身体の中へ入ってしまった。


 その次の瞬間──ザクロの胸から炎が吹き上がった。


「アアアアアアアアアアアアアアアアァ!」


 身の内から吹き上がる炎に包まれて、ザクロは痛哭を打ち上げた。

 胸から始まった人体発火、それは爆発的に裾野を拡げてザクロの全身を類焼させる。

 胸から腹、腹から足へ、滝のように炎が下り、それらを払おうとした両手からも炎が吹き出し。

 腕から肩、肩から顔を、あっという間に紅蓮の衣が包み込む。


 通常の人間ならば、既に気絶して意識を閉じ、その身は焼き尽くされ死亡している。

 しかし、母から与えられた回復力で、ザクロの肉体は燃えた端から火花を散らして回復する。

 それは死ぬことより酷い、痛みと絶望の連鎖だった。


「アアッアアアッ、アアアアアアアア!!」


 ザクロは地面をのたうち回り、悲鳴を打ち上げる。

 体を擦り付けて鎮火を試みようが、その炎は肉体の内側から吹き出しているのだ。

 すべての足掻きが無意味に果ててしまう。


 ──殺してくれ。


 心が折れるのは早かった。いくらザクロの精神が強くとも、永延と続く獄炎の責苦に耐えられるはずもなく。


 ──頼む、殺してくれ。 


「コロセエエエエエッ」


 喉から、眼球から、口から、灼熱の炎を吹いて母に懇願した。


「ああ、堪え性がない。いつまでも我慢を覚えられない、仕様のない子ですね」


 紅子は呆れるように嘆息して、炎を纏うザクロの顔面に鋭い蹴りを入れて転倒させる。


「流石に、人体発火は生命力を削られる。この肉体も限界ですね」


 仰向けになった視界、その端で、ザクロは見てしまった。

 目の前の女の肉体が、たちまちに老化して、その正体を露わにする。

 

 刻み込まれたような顔の皺、猫のように曲がった背筋。

 そして、経年で黒くなった、顎に刻まれた古い刀傷。


 伊紙彩李だ。 


 灰神かいじんとなった伊神彩李が、梅干しのような相貌を凶暴に歪めて、ザクロを見下ろし笑っている。


「こういう時のために生かしておいたのですから、存分に役に立ってもらいましたよ」


 彩李は香梨紅子に敗れてもなお、首と胴を繋げたまま気まぐれに生かされていた存在だ。

 その命の灯火は、神の匙加減でいつでも自由に吹き消せた。


 しかし、それでも紅子を深く崇拝し、神の娘達の教育係を熱心に行ってきた。

 そんな粉骨砕身の働きを見せていたのにも関わらず、その献身を一顧だにされていなかった。


「散り際は実に哀れでした。あなたを許してくれと、泣いて懇願しておりました。見るに耐えない、汚らしい老婆でしたね」


「外道ガアアアアアアアッ!」


 全身を覆う炎をそのままに、ザクロは怒りの咆哮を上げた。


 ──最後に、せめて彩李を楽に。


 腹から沸き起こる爆発的な憎悪で奮い立ち、眼前の肉体に掴み掛かる。

 しかし、いとも簡単に手を払われ、膝裏に鋭い蹴りをもらい、あえなく地に崩れ落ちてしまった。


「惜しいですね。私を羽虫で刺した時点で勝負は決していたというのに。もう少し逃走を続けられていれば、崩れていたのはこの肉体の方であったのに」


 吐いた言葉を証明するように、彩李の左手が徐々に黒い灰となって崩れてゆく。


「私に一矢報いたかったですか? 欲をかいて、追い詰められましたねぇ」


 笑う、笑う、死した老婆の肉体を借りて、香梨紅子がわらって、わらう。

 ひとしきり肩を揺らし、眼前に咲き続ける紅蓮の炎を見据え、紅子は太刀を上段に構えた。


「最後に、鮮花を摘出しておきましょうか。村に来られても迷惑ですから」


 永遠と思われるザクロの焼失と復元の連鎖。その無間地獄にも果てはある。

 炎が血液を焼き尽くしてしまえば、ザクロは灰神に成り果て、歩く屍となってこの世に厄災となる。

 

「では──」


 香梨紅子は崩れる肉体に最後の力を込めて、ザクロの首に狙いを定めた。


「さようなら、我が娘よ」


 素早く振るった太刀が、吹き付けるように赤い雫を散らした。

 周囲の草木が紅に染まり、次には娘の生首が転がる。

 母と子の決定的な決別。


 そうは、ならなかった。


「ぐぅうううううううううッ」


 鳴り響くのはネズミの苦悶の喘ぎ。

 母が振るった白刃は、少年の背中を切り裂き、娘の首には届かなかった。

 ネズミが燃えるザクロに覆いかぶさり、その懐に抱え込むのだ。


「アァアアア──ッ!!」


 ザクロが纏う炎がネズミの体毛に燃え移ってしまう。

 それは間もなく、全身を覆う火柱となって、ネズミを地獄へ引き摺り込んだ。


「がぁあああああああっ‼︎」


 だが離さない。

 少女の身を必死に抱き寄せ、少年は離さない。


「何をしているのですか?」


 神に問われるも、答える余裕もなく。

 全身から火花を散らしながら、ネズミもまた焼失と回復の地獄にその身を沈める。


「ザクロッ──!」


 灰色の毛のすべてが焼き尽くされては生えてくる。

 眼球の水分が焼け飛ばされては、体の内側から補充されてゆく。

 少女の焼けた皮膚と自分の焼けた皮膚がへばり付き、一体化しては回復し分離する。


「離れなさい、ネズミ。そのままであなたまで」


「うるせぇえええ!」


 あまりの痛みに、神を敬う念も燃やし尽くされ。

 ザクロから噴き出す惨痛の責め苦が、ネズミを咆哮させる。


「こいつと共に逃げたんだッ、あんたに背を向けて、こいつと一緒に走ったんだ!」


 幸福だった。

 共に駆ける日々が何よりも。

 少女が喚く言葉が、何よりも。

 心地よかったのだ。


「なら最後までッ、走るときめたなら、最後まで!」


 返したいのだ。受けた恩を、貰った真心を。

 例え、この身が燃やし尽くされようと。

 握られた手を、耳を打った言葉を、その気持ちを返したい。

 願うことなら、返し続けたかったのだ。


 少年がより強く少女を抱きしめると、炎が自身の内側を焼く。

 臓腑を焼かれて絶叫し、口から止めどなく血が流れ落ちる。

 こんなことに何の意味があるのか。ないのだろう。

 ただの心中に他ならない。


 それでも少年は動いてしまった。抱き寄せてしまった。

 少女の悲鳴が、少年を暴挙に走らせた。

 花の開き方など、まだ掴めていないというのに、無謀に手を染めてしまった。

 また命の危機に自分の花が開いてなんとかなる。そんな期待を僅かに抱いてしまった。


 当然、都合の良い期待は叶わなかった。

 結果、ただ燃え尽きて死ぬ、哀れな末路だ。


 だがしかし、後悔はない。地獄の責苦を受けようと、微塵もだ。

 自身の弱さに、神に、こうべを垂れ続ける自分が許せなかった。

 傍観し続けることを、自身のこころが許さなかった。

 自分はどうしたって、自分の衝動から逃げられないのだ。


「アアアアアアアアッ!」


 身の内から膨れ上がる業火に、ネズミの視界が奪われた。

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