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花の羅刹✿ 【第三部準備中】  作者: 再図参夏
第弍部 千歳町編
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第四一話 絡舞人業

「ヒョ──ッ」


 裂帛の咆哮に気圧され、百足が小さく悲鳴を上げる。

 それを使役する絡舞紀伊本人もまた、冷や汗で背中を濡らす。


 ──おかしい。

 おかしい、おかしい。


 今し方、あっけなく蹴り飛ばされて床に転がされた。

 何故だ──羅神の座に君臨してから、あらゆる羅刹を跳ね除けてきた。

 多くの死線を潜り抜けた経験値が、この身に深く根付いている。

 にも関わらず、ここまで好き放題されてしまうとは。


「──ッ!」


 床に伏した人形の身体を起こしながら、絡舞はある違和感に瞠目する。

 人形の腕という腕が震えている。それを使役する神輿に乗った自分の手も、恐怖によって小刻みな震えが起こっていた。


「「グルルルルルッ!!」」


 駆けるネズミの口から、獣じみた唸りがほとばしる。

 瞬く間に間合いを詰められて、百足の顔面を殴りつけられる。

 その凄まじい一撃と共に、ネズミの拳から炎が弾けて吹き上がるのだ。


 ──違う。

 違う違う。


 こんなはずじゃなかった。


「「オオオオオオオオ──ッ!」」


 灰色の影が再び、咆哮と共に迫ってくる。

 まだ殴り足らないのか。まだ燃やす気なのか。


 ネズミのそれは、理性のある動きではなかった。

 ただ殺意と怒りの塊となって、荒々しく跳びかかってくる。

 その癖、巧みにこちらが振るう斬撃をなしてくるのだ。


 なんだ、この化け物は。

 香梨紅子様の──絶対なる神の花弁の一つとは聞いていた。

 だから、油断などしなかった。

 だから、最終兵器ムカデをこの社に配していたのだ。


 ──なのに。

 それなのに。万全に臨んでいたのに。


「ヒョオオオオン!」


 渾身の勇気を振り絞り、百足《絡舞》はネズミに立ち向かう。

 残った刃を振るい、縦横無尽の剣線を振るった。

 しかし、炎を纏った拳に弾かれ、強靭な獣歯で砕かれる。


「「ガンバレッ」」


 そして、そんな活声とも取れるうわ言を吐かれながら、無惨にまた殴られる。

 

「「ガンバレッ アキラメンナッ」」


 百足の顔が砕かれて、木製の頭蓋が外に晒される。

 数多の腕を一本また一本と、齧っては引きちぎられてゆく。

 そして次には、唐突に腹を蹴られて壁まで吹き飛ばされるのだ。


「「イキテルカギリィ アキラメンナッ」」


 ──来るな……来るなッ


 絡舞は恐怖し、百足は這うように後退させる。

 悪夢にしても、狂気に染まりすぎている。

 応援されながら、虐待を繰り返されるこの有様は。

 あまりにも耐えがない、地獄そのものだ。


 そう思った瞬間。

 神の言葉が、絡舞の脳裏を過ぎる。


『羅神教に天国も地獄もありませんよ。全部、あなた次第』


 そうだ。そうなのだ。

 あの日、目玉を貰ったあの瞬間から、己を呪うことはやめた。

 

 ふと、絡舞は視線を移して、百足の目玉でタカオとトオルを捉える。

 タカオは生きた瞳で、こちらに憎しみを込めた視線を。

 トオルは死した瞳で、こちらに憐れむような視線を送っている。


 手塩にかけて育てた我が娘たち。

 儚げで愛らしく、こちらに縋るような美がそこにある。


 手に入れたいのだ。アレらを。

 

 自らの手で産み出せない美しさが、自らの手の中に永久に存在させたい。

 人形では満たされない心の充足が、あそこにあるのだ。


 ──手に入れるのだ。


 絡舞紀伊は奮起する。絶対に手に入れるのだ。

 眼前の、炎を纏う獣さえ打倒すれば、全てが手に入るのだ。


「「アキラメンナ」」


 獣のうわ言に後押しされる。

 諦めらめない。諦められるはずがない。


「「アキラメンナ──ッ!」」


 ──諦めてなるものかッ。


 百足《絡舞》は心に炎を灯して、炎獣へと踊りかかる。

 人形の手に残された打刀は五本──十分に勝機はある。


「ヒョオン!」


 甲高い叫声を放ち、百足はネズミに刺突を放つ。

 一本、二本、ひらりと躱され、腕の一つに噛みつかれた。

 

 ──馬鹿めッ、それは囮だ!


 三本、四本、間髪入れずにネズミの喉元に放つ。

 流石に、鮮花が宿る位置に危機が迫るとなると、


「「グゥオッ」」


 ネズミが戸惑うように呻き、齧り付いていた百足の腕から口を離す。

 その途端──すぱんっ、と、肉が裂ける音がした。

 

「「ガアアアアアッ」」


 獣の絶叫が打ち上がり、目玉を抑えて一〇歩の距離を後退する。

 百足《絡舞》の企みは、見事に実を結んだ。

 一から四の刀で気を逸らし、人形の巨体に隠した五本目で獣の両目を水平に刈り取ったのだ。


 やはり単純にして未熟。

 怒りに囚われた獣の動きなど、少し策をろうせば対処できる。

 

 しかも、その成果は想像以上の花を開いてくれた。

 獣が纏っていた炎が、徐々に小さくなってゆくのだ。

 目玉の回復を優先させているのだろう。攻撃と防御は同時に行えないようだ。

 

 ──後は、目玉が回復する前に。


 百足《絡舞》は大きな目玉をギョロリと剥いて、呻くネズミの喉元に狙いを定める。

 香梨紅子からこの獣の捕縛を命じられていたが、最早、殺してしまっても構わぬ。

 きっと許してくれる。あの慈悲深き神であるなら。

 きっと褒めてくださるだろう。鮮花さえ回収してしまえば。


「ヒョオオオンッ」


 百足は素早く駆けて、間合いを吹き飛ばすようにその巨体でネズミへ迫る。


 残り八歩──。

 二本の打刀の切先を立て、獣を刺し貫く構えを取る。


 残り七歩──。

 残った三本の刀を水平に寝かせ、首を刈る構えを取った。


 残り六歩──。

 そこまで詰めて、ふと一瞬、鼓膜を打つ低声があった。

 獣の口から、呻き声とも違う、芯のある声音が漏れている。


「「オン堕母羅尼ダボラニ修羅秘理定業シュラヒリテイギョウオン抱児羅尼ダゴラニ修羅秘儀胎蔵シュラヒギタイゾウ」」


 かの響きは、まごうことなき、羅刹真言らせつしんごんだ。

 香梨紅子が信者に授ける、没頭(極限集中)を促すための呪文。

 そんな祈りを、眼前の獣が唱えているのだ。


「「オン堕母羅尼ダボラニ胎殻阿我羅苦ハラカラアガラクオン抱児羅尼ダゴラニ空骸波我羅苦カラガラハガラク」」


 残り五歩──。

 狂っているのか? 死に際に、神への祈りを捧げているのか。


 そう思った瞬間、ネズミの口が大きく開く。

 目元からダラダラと血を流しながら、顎が外れるほどの大口を。


 ──目玉を回復させていない、だとッ?!


 百足《絡舞》は心内で驚愕に染まる。

 なぜだ。なぜ目玉の回復に集中を回していない。

 何をする気なのか。


 残り四歩──。

 絡舞の浮かべた疑問の、その答え合わせとばかりに。

 ネズミの口から、盛大に火花が散るのだ。


「「オゴッ オゴォ──」」


 嘔吐でもするように咳き込んで、獣の肉体が波打つ。

 そして次には、喉に詰まった異物を取り出すかのように、口の中に手を突っ込むのだ。


 残り三歩──。

 ネズミの唾液に濡れた手が、引き抜かれてゆく。

 その手に握られているのは、輝くような〝白色の柄頭つかがしら


 ──それはッ


 残り二歩──。

 濡れた口腔から、ずるりと音を立てて、純白の刀身が咲き誇る。

 引き抜かれたそれは、血をべったりと纏う白骨の打刀。

 

 見紛うはずもない。それは〈生変の花〉でしか造れぬ代物。

 香梨紅子の骨から作成される、二つとない神刀である。


 ──白骨刀〈紅雀べにすずめ


 絡舞は戦慄し、全身をあわ立たせる。

 カリンに奪われた紅雀を、己の口から産み出すとは。


 ──さっさと始末しなければ。


 おぞましい灰獣かいじゅうが、神の頂に手をかけた。

 その事実が、有様が、より絡舞の身を駆り立てる。


 残り一歩──。

 百足《絡舞》は恐怖を払うように、全身全霊の咆哮を放つ。


「ヒョオオオッ!!」


 蹂躙し、奪い、理想の美を積み上げてきた、己の人生を乗せて。

 打刀を大きく振りかざし、いよいよ獣に振り下ろす。

 そのとき、意識に割り込む声がするのだ。


『目ぇ開けろッ 変態野郎!』


 荒々しく吠える、神の子──ザクロの声。

 獣を援護するため、咆哮をぶつけてきたのだ。

 無数の人形を撫で切りにし、神輿の上に手をかけてきている。 


 その危機感に、一瞬、気を取られてしまった。


 ──まずいッ。


 集中が乱れ、振り下ろしかけていた打刀の軌道が鈍る。

 その一瞬が、命取りだった。


 白い閃光を帯びて跳ね上がる、血と唾液に濡れた紅雀。

 空を裂いた一閃が、百足が振るった五本の打刀を弾き飛ばした。


 金属の上げる悲鳴と共に、百足の腕も弾き飛ばされる。

 ネズミの返す刀、落雷のような袈裟斬りが走った。


 「ヒョ……オ……」


 呻きともつかぬ声が、百足の口から漏れる。

 ネズミの放った剣線は、絡舞《百足》の胴を左肩から右腰まで斬り伏せたのだ。


 人形の巨体はぎしぎしと軋みながら、崩れてゆく。

 巨大な頭部が下がり、眼前の獣に向かって頭を垂れる形に。


「「ココカ」」


 ひと言、まるで探し物を見つけたかのように呟く。

 そして、ネズミが荒々しく百足の長い黒髪を掴んで引き倒す。

 


「「シマイダ」」

 「シマイダ」


 絡舞の意識に、二つの声が重なった。


 百足の顔面を掴む灰獣、ネズミ。

 絡舞を見下ろす女羅刹、ザクロ。

 

 少年と少女の勝利宣言が、離れた五重塔と遊郭を一つに結ぶように共鳴する。


「ま、待てッ──」


 その絡舞紀伊の懇願が、物悲しく地を這った。

 娘たちにそうしたように、支配の糸で縛ろうとするも、待ってはくれない。


「──ッ」


 容赦なく振り下ろされる二つの刃。

 

 異なる地で振るわれた二振りの神刀が、まるで交差するように線を描く。

 その軌跡が、百足と絡舞の首を横断した。


 それぞれの地で、飛沫しぶきを上げて落つる首。

 その一つ、神輿の上に転がる首が、最後に口にするのだ。


「欲しかったのだ……のだ……」


 何を欲したのか。その声は誰にも届かなかった。

 神の首が落ちた瞬間、見物していた町民が悲鳴と怒号を上げたから。

 絡舞紀伊の最後の怨嗟は、首を刎ねたザクロの耳にも届かなかった。


「手に……入れたかった……」


 永久に続く、慈しみを。


 よく晴れた秋の日、空気の澄んだ神祭る夜。

 千歳ちとせの羅神──傲慢なる絡舞紀伊からぶきい


 その人形ヒトガタの花が、今宵、摘み取られた。

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