大犯罪者
「やぁ、お目覚めかな」
鉄格子の向こう側にいる女は、そう言いながらニヒルに笑った。
私くらいの体型の人間が体育座りしたら十人程入れるサイズの檻の中に、五百ミリリットルサイズのミネラルウォーターが五本、有名なファーストフードチェーンの紙袋と、申し訳程度のブランケット、そして私。
私が現在置かれている状況はといえば、そんな私の理解を絶するものであった。
微妙にどこか痺れている体を起こして、私はその女を睨みつける。
「……あんた、同じサークルの……」
「遊馬悠里だよ。参ったな、これでも有名人のはずなんだけど」
知っている。名前を言ってやらなかったのはせめてもの当てつけだ。
遊馬悠里は私が通っている大学で一二を争うほどの有名人だ。
家が金持ちだかで、ただの公立大学にベンツに乗ってやってくるようなイカれた女。
だがしかし腹が立つことにそこらの俳優やアイドルより断然顔が整っており、その上高校時代演劇部だった影響か、少し演技がかった甘い言葉で数多くの女を誑かしてきた生粋の女たらし。
だがそんな女たらしにも、これだ、というたった一人の女が見つかったようで――
「それに、君には名前くらい覚えていて欲しかったな。散々アプローチしたっていうのに……姫宮美咲ちゃん」
――それが、私だ。
私は学園で『王子』と名高いこの女から、毎日とてつもないアプローチを受けていた。
ある日はトラックの荷台いっぱいに花を積んで私の元へ来て告白してきたり、またある日は大量のフラッシュモブを呼んでサプライズプロポーズをしてきたり、またある日は私が行く先々の店を貸切にして二人きりの空間を作ってきたり。
金と度胸だけはあるといった具合の、それはそれは頭のおかしいアプローチだった。
それによって私の気分が悪くなったかといえば、そう言う訳でもない。
先程も言った通りこの女は大学での有名人。当然男からも女からもモテる人気者で、そんな人気者からチヤホヤされるっていうのは私冥利に尽きることだった。
幼い頃から自分の顔の良さには自信があって、その度にあらゆるやっかみを受けたが、その時覚えた優越感より断然強い愉悦。
だから、私は特にこの女が嫌いというわけではなかったのだ。
……こんなことをされるまでは。
「……ここは一体どこなの? 貴女、自分が今何をしてるか自覚しているのかしら」
「一気に質問されると困るな。そうだね、まずここはとある建物の地下さ。君も知る通りボクは金だけはあるものでね、人も払ってあるし信頼する人に見張りも頼んでる。まず助けは来ないと思ってもらった方がいいかな」
「……ッ!」
「あと、何をしているか……ね。まあ君からしたら、というより世間はこういうのかもしれない。拉致監禁、と。でもボクはそんなつもりはないよ。君が従順になってくれさえすれば、そんな檻からも出してあげるつもりさ。……これはボクなりの、君への救済なんだ」
「この……イカれた犯罪者が!!」
「どうとでも言ってくれ」
女、こと遊馬は私のことを嘲笑うように喉の奥でくつくつと笑うと、私と合わせていた目線を外すようにゆっくり立ち上がった。
「そのファーストフードは好きに食べてくれ。すまないね、豪勢な食事を用意してあげたかったんだが、少し時間が足りなかった。この部屋は監視カメラが仕掛けてある。足らなさそうだったら飲み物と一緒に持って来るよ。……でもまあ、食が細い君なら三日は持つんじゃないかな」
「……」
「排泄の時はそのベルを鳴らしてくれ。目隠しと手錠は付けてもらうが、一時的に自由にはさせるよ」
遊馬はそう言うと、私に背を向けて扉の方へと向かって行った。
分厚い鉄板でできた扉は、たとえこの檻から抜け出せたとしても私ひとりでは押し開くことは難しそうである。
そんな扉の隣にある装置になにかのカードをスキャンさせた遊馬は、最後にと私ににっこり微笑んだ。
まずい、これでは行かれてしまうと私は掠れた声を荒らげる。
「よ、由乃は……由乃はどこに行ったの!?」
美作由乃、私の中学の頃からの付き合いである親友だ。
私の記憶が確かならば、私はここに来る前、その由乃と一緒に大学内のカフェのテラスで昼食を摂っていたはずなのだ。
あれから何時間経ったかはわからないが、いつも行動を共にしている由乃なら、私が長時間いなくなったことに気づけばどこかに連絡してくれているはず。
だがもし、私が攫われた時、由乃にも何らかの措置が取られていたのだとしたら――
「あぁ……美作さんね」
鉄扉を開いた遊馬は、今までとは打って変わって、底冷えするような冷たい声でそう言った。
私に背中に嫌な汗が流れる。
「美作さんなら、もういないよ」
そう言って、鉄扉は閉じられた。
*
なるべく人は呼ばないようにした。
何が入ってるのかわかった物じゃないファーストフードにも手をつけるつもりはなかったが、二日目でとうとう我慢の限界が来て初めて口にした。
結論から言えば、何かが混入されていたとかそういうことはなく、ただ長時間放置されていたからかバンズがパサついていた。
もちろんスマホのような連絡手段となる道具は取り上げられているから、暇という感情がいつか自分の心を殺しにかかると思っていた。しかしそういうことは意外となかった。
なぜなら、
『美咲ちゃん、ご飯それで足りるの? もっと食べた方が良くない?』
由乃がいてくれたからだ。
もちろんこの由乃は私が作り出した幻想で、実際由乃がこのどこかも分からない建物の地下の檻まで来てくれたという訳では断じてない。
いや、そもそも遊馬の発言から生きているかすら疑わしいわけで――
「足りないけど、これが無くなれば遊馬がここに来ちゃうじゃない。由乃はあんなイカレ犯罪者と顔を合わせたいの?」
『でも、それで美咲ちゃんが死んじゃったら元も子もないよ。あたし、美咲ちゃんには生きててほし――』
「何それ。由乃が死んだみたいじゃない」
私は喉の奥でからからと笑って、心配そうにこちらを向いている由乃の幻影を手で振り払った。
由乃の顔に触れたはずの手は空を切って、途端に由乃の存在は消えてしまう。
同時に、ピピッという電子音と共に鉄扉が重々しく開いた。
その隙間を縫うように、両手にトレイとバケツを持った背の高い端正な顔立ちの女が、するりと入ってくる。
「やぁ、ご機嫌いかがかな」
「最悪よ、この犯罪者。……呼んでいないし食べ物だってまだ残っているけれど、何をしに来たのかしら」
遊馬はこちらに近づくと、たっぷりと水が入ったバケツを私のいる檻の前に置いて、そして空になったペットボトルと汚れてしまったブランケットを回収した。
「最悪な環境だろうけど、それでも最低限人間らしく生活してもらいたいからね。……君がボクの元から逃げないと約束してくれるのなら、高級ホテルの最上階を貸し切ってもいいんだけれど」
「……女を一人拉致監禁するような意味のわからない女とそんな約束をする奴がいたら、そいつはきっと大馬鹿だわ」
「ふふ、それもそうだね」
新しいふかふかのブランケットに、ミネラルウォーターの入ったペットボトルが五本。新しく買ったであろう、多分ブランド物の服や下着に、今度はかなり豪勢な食事が一食分、私の目の前に置かれた。
ファーストフードだけで無理に食いつないだお腹が情けない音を立て、遊馬は可愛いねだなんて馬鹿げたことを言ってくすくす笑う。
「タオルとお湯を用意したから、体の汚れが気になるなら使ってくれ」
「……貴女は結局何がしたいの」
「何って?」
分かっているだろうに、遊馬は不思議そうにこてんと首を傾けた。
私は苛ついてその感情のまま声を荒げる。
「貴女のプロポーズに全然答えなかった私に復讐でもしたいのかと思ったけれど、この待遇を見るにそうでも無いみたいだし。レイプするのかと思って身構えていたけれど、それどころか貴女は私の身体に触れようとすらしない。由乃に手を出したみたいなことを言っていたけれど本当かどうか分からないし、私は貴女が何をしたいのか理解できないの」
「あぁ……」
遊馬はその話ね、という顔をして顎に手を当てた。
しかしすぐにぱっと顔を明るくさせて、
「前にも言っただろう、ボクは君を救いたいだけさ」
「それが理解できないと言っているのよ! 私を救う……? 今絶賛貴女に拉致監禁されてる私を、貴女が救うって言うの?」
「拉致監禁は目的ではなく手段に過ぎない。少し乱暴なことをしてしまったのは申し訳ないと思っているよ」
「じゃあ、由乃はっ!!」
遊馬はため息をついた。
まただ。遊馬は、私が由乃の名を口に出したら露骨に嫌そうな顔をする。
常に周りに笑顔と甘い言葉を振りまいて、男も女も虜にさせていたこの女が、由乃に対してのみこんなにも嫌悪感をむき出しにするのだ。
「……今まで、ボクが何をしていたかわかるかな」
「興味が無いわ」
「美作さんの死体を、山に埋めてきたんだ」
「……ッ!?」
遊馬はけろりとそう言った。なんの罪悪感もなさそうな顔で、というより憑き物が落ちたようなすっきりとした顔で、そう言ってのけた。
「嘘よ……」
「嘘じゃないさ。君がそう言うと思って、証拠の写真も撮ってきたけど見るかい?」
遊馬の顔や口調は、嘘をついているようには見えない。
だが同時に、こうして私を攫って檻の中に監禁しているイカレ女たる遊馬でも、人を殺してその死体を埋めるだなんて悪行をするようには到底見えないのだ。
いや、もしかしたらこれは、由乃に死んでいて欲しくないという私の願望が歪んだ形に過ぎないのかもしれないけれど。
「……由乃は死んだの?」
「死体と言っているのだから、そりゃあね。……というか、美作さんが死んでいることは君がいちばん理解しているはずだけれど」
「……は?」
意味のわからないことを言った遊馬は、「やっぱり忘れているんだね」と少し面倒そうに頭を搔いてその場にしゃがみこんだ。
遊馬と目線が合う。
私は今から発せられるであろう遊馬の言葉を何故だか聞きたくなくて、遊馬の真っ直ぐすぎる目を見ていたくなくて、弾かれるように遊馬から顔を背けた。
しかし遊馬は私のそんな逃げは許さないと言わんばかりに、鉄格子の間から手を伸ばして私の顎に添え、無理やり自分と目を合わせて、そして――
「美作さんを殺したのは君なんだから」
そう言いながら、遊馬は真っ赤な表紙の本を取り出して私の眼前へと突きつけた。
Diaryと掠れた文字で書かれたその本は、日記と言うより辞書や聖書のような分厚さをしている。
極めつけは誰にも見せないと言う意思が垣間見える錠だ。
しかしそれは高熱で溶かされ、無理やりこじ開けられた形跡が残っている。
「これは……」
「君の日記さ。覚えていないかい?」
その赤い本を見ていると、私の頭がずきりと悲鳴をあげた。
これ以上聞いてはいけない、この中身を見てはいけないと誰かが私を制止する。
けれど私は何故かそれを知らなければいけない気がして、酷い頭痛に目を細めながら遊馬に続きを促した。
「美作由乃さんは、三月下旬に既に亡くなっている」
「……は?」
遊馬は真面目な顔をして、意味がわからないことを言った。
いや、正直こいつは私に対して意味のわからないことしか言っていないのだけれど、それにしたって意味のわからなすぎる言葉である。
私は由乃の存在を否定されて怒ると言うより、単純に何故そんなにも馬鹿げたことを言うのかという呆れ半分を滲ませて遊馬に問うた。
だって今は四月十日。三月の下旬に既に死んでいるというのなら、私が今まで共に行動を取っていた由乃は一体誰なのか。
……と、そこまで考えて私はひとつの真理に思い至った。
それは私がこの監禁生活の間、当然のように出していた由乃の――
「幻覚。君が今まで美作由乃だと思って一緒にいた人間はもう死んでいて、もし君の目に美作由乃が見えていたというのなら……残念ながら、それは君自身が作り出した幻影だ」
「ば、馬鹿げたことを言わないでッ!? よ、由乃は……由乃はっ」
「正直、見ていられなかったよ。もうこの世に存在しない人物の名前をぼそぼそと呟き、大学のカフェじゃ絶対に二人席を取って、オマケに存在しない相手のコップに楽しそうに乾杯をする。大学で君は『可愛いから』という理由でやっかみを受けていたと思っているようだが、それは違う。君自信が、死人と会話する異常者だからさ」
「ち、違う!!」
違う。由乃は死んでいなんかない。
由乃は生きていて、今も遊馬の魔の手から逃げ切って、私を助け出そうと――
「『三月五日』」
遊馬がその赤い本をぱらりと捲った。
ここからでもうっすらと、ボールペンで殴り書いたような跡が見える。
本当に私が使っていたのかどうか疑わしいほど一つ一つのページはボロボロで、ところどころ破かれた跡があるそれは、表紙の綺麗さからは全く想像もつかない。
遊馬はそんな私の困惑を無視するかのように、その日記に書かれた、正しくは私が書いたらしいその文を、私に解らせるようにゆっくり読み上げる。
「『由乃に呼び出された。久し振りに由乃のお家に行く。私は普段から可愛いわけだけど、大親友の家に行くんだしととびきり可愛い服を選んで、朝から美容院に行ってから由乃の家に向かった。由乃は私を可愛いと褒めてくれた。嬉しい』」
……なんてことない、ただの日記だ。書いた覚えがないこと以外はなんの異変もなくて、自分の内面を知られたようで少し恥ずかしいくらいだった。
「……やめてくれるかしら。そんな日記を読んで私のことを知れると思ったら――」
「『由乃に好きな人が出来たらしい』」
「――ッ!?」
遊馬がその殴り書きを読み上げた瞬間、私の頭に鈍器で強く殴られたような激痛が迸った。
思わず呻き声を上げるが、大学で王子と呼ばれているあの遊馬はどこへやら、そんな私の様子など全く気にすることなく続ける。
「『サークルの一つ上の先輩だそうだ。一応、親友のお相手ともなるかもしれない人なんだからって確認しに行った。確かにかっこよくて優しそうで、由乃が好きそうだろうなって感じはした。でも私は認めない。だって私が一番由乃を幸せにできるんだもの』」
「……や、やめ……」
「『三月十二日。由乃が例の先輩と付き合うことになったらしい。どうやら向こうも由乃のことが気になっていたみたいで、由乃が不器用ながらアプローチを続けた結果向こうから告白されたって。本当、おめでたい』」
じわじわと、真っ白なキャンバスに真っ黒なインクが一滴落ちるように、どんどん滲みが拡がっていく幻視をした。
遊馬にやめてくれと懇願しても聞いてくれないと分かって、私は手元にあったミネラルウォーターを彼女へ投げつける。
しかし遊馬は余裕の表情でそれを受け止めて、私の口元に人差し指を突きつけた。
「『三月十八日。由乃の付き合いが悪くなった。中学の時からずっと行動を共にしてたのに、私じゃなくてあの先輩とずっとべったりくっついている。意味がわからない。由乃は私よりあんな男が良いって言うの? 理解できない、したくない。由乃なんて嫌いだ』」
「……はぁ……はぁっ、や…やめっ」
「『三月二十日。生まれて初めて由乃と喧嘩した。原因はあのクソ男だ。あんな男由乃にふさわしくないから、ずっと嫌がらせをしてやったらどうやらとうとう由乃にチクったらしい。由乃は私に初めて怒った。「由乃の為だから」って言うと頬を打たれた。あの男のせいだ。私は由乃と一緒にいたいだけなのに』」
「……」
「『三月二九日』」
遊馬はそこで切ると、今まで本に落としていた目を憔悴しきった私の方へ向けた。
「何が起こるかわかるかな」
「………」
答える気力など、とうに残っていなかった。
遊馬はそんな私の様子を心底楽しそうに見つめると、再び私の書いた日記へと視線を落とす。
そして咳払いをしてから、ちらりと私の方にも目を向けながら、その文章を読み上げた。
「『由乃を殺した』」
未だに頭には激痛は走っているけれど、どうしてもこの日記の内容を、私が過去にしたはずのことを知らなければならない気がして、歯を食いしばって我慢した。
口の端から血が流れた気がするけどこの際気にしない。
「『殺すつもりなんてなかった。私は由乃のことが大好きだから。ただ、一週間以上も由乃と話せていないなんてこと初めてで、辛くて辛くて、私は「仲直りをしたい」と由乃を私の家へと呼び寄せた。嘘をついたつもりは無い。本当に仲直りするつもりだったんだ』」
「……」
「『でも、結果はあまりうまくいかなかった。由乃は私のことを異常者だと罵って、私が由乃への愛を吐露すると心底気持ち悪そうに私を見た。嘘だ、と思った。この由乃は偽物だ。だって由乃は私のことが大好きで、私の全てを受け止めてくれる唯一の存在なんだから。だから、もしかしたらあの男が由乃を作り替えたんじゃないかって思った』」
「……」
「『由乃を押し倒した。あの男が由乃を作り替えたんだったら、今度は私がそれを上書きする番だと思ったからだ。由乃があの男と付き合っていようがこの際構わない。由乃が私の気持ちを分かってくれれば、受け止めてくれれば、その愛がどんな形であれ構わないと。私は由乃を強引に脱がせて、その唇にキスを落とした。しかし由乃は私を蹴り飛ばすと、「大嫌い」と涙を零しながら言った』」
「……」
「『その後も由乃は私に大嫌い、大嫌いと言い続けて、私の愛を拒み続けたから、もう仕方がなかった。私は気づけば由乃の首に手をかけていて、気づけば由乃の呼吸は止まっていた。由乃が最後になんて言ったかすら、あまりに冷静さを欠いていた私には分からなかったけど、きっと由乃は最期まで、私のことが嫌いだったと思う』」
遊馬は読み切ると、ぱたんと私の日記を閉じた。
その鋭い視線は、再び私の方へと投げられる。
「君は親友の美作由乃を殺した。そしてその罪悪感に耐えきれなくなった君は、その記憶に蓋をしたんだ。だから今の君の中では美作由乃は死んでなんかいない」
「……そう……そういうことね。だから貴女は、人を、親友を殺した私のことを罰するためにこの地下へ――」
「いや、それは違うよ」
諦めの声で推測を述べた私の言葉を、遊馬は途中で遮った。
罰するためじゃなかったらなんだと言うのだろう。
この女は私をこの檻に閉じこめておきながら乱暴もしようとしないし、檻には似つかわしくない豪勢な食事まで用意してくれている。
私を落とすために極限状態にまで追い込んで調教でもしたいのかと考えたけど、それにしたって効率が悪すぎるし、何より遊馬自身が口にしていた『救済』という言葉。
やたら宗教じみているけれど、あれは人殺しという大きな罪を犯した私の心を救いたいという意味なのではと推測したのだが、一体何が違うというのか。
遊馬は不思議そうな顔をする私にやれやれと首を振って、いいかい、と演技がかった声音で言う。
「そもそも君を罰するためなら、ボクはこの日記と共にさっさと君を警察に突き出しているよ。でもボクはそうしないどころか、君が一向に片付けようとしなかった美作さんの死体の処理までしてやった。どういうことかわかるかい?」
「……感謝しろってことかしら」
むしろ余計なことをしないで欲しかった、まであるところだ。しかしそんな私の言葉はいいや、という遊馬の言葉によって否定された。
「ボクは君を愛してる。君が美作さんを愛していたのと同じくらいの大きさで、君をね。だから、君が逮捕なんてされちゃ困るわけだ」
「……私を好きって言うの、本心からだったのね。本当にイカれてる」
「歪んだ愛から親友を手にかけた君には言われたくないな」
遊馬は喉の奥でくつくつと笑った。
「君は美作さんを手にかけたという最悪な記憶に蓋をしながらも、どこかで理解していたはずだ。もう逮捕されようと、楽になろうと考えていた」
「貴女に私の何がわかるって言うの……?」
「わかるさ、君が美作さんを見ていたようにボクも君のことを見ていたから。君はボクなんかより断然イカれてる」
遊馬の言葉は不服ではあるが、私が由乃のことを見ていたのと同様にと言われてしまえば黙るしかない。
私だって由乃のことなら、由乃の私に対する感情以外はなんだって知っていた。困ったときに出る癖も、体のほくろの数も、好みのタイプだってなんだって。
「そもそも、イカれてなきゃ自分のベッドの上に親友の死体を放置したりなんてしないだろう」
遊馬は少し呆れるように、しかし半分に私への恐怖を滲ませながらそう言った。
「この日記を頂戴する時に初めて君の住むアパートを訪れたんだけど、いやはやすごい臭いだったね。大家さんに君の知り合いだって言うと何とかしてくれと懇願されたよ。君、大学以外の場所でも美作さんの幻想と会話していたんだってね? 『きっと親友を失った哀しみから夢を見ているんです、部屋だってずっと掃除していないみたいで、ボクが片付けに来ました』って言っておいたけれどそれでも怪しまれた。美作さんの死体が見つかるのは、正直時間の問題だっただろうね」
遊馬は身振り手振りを大きく動かしながら説明した。
私の日記を持っているという時点で私の部屋に忍び込んだということは確実だったけれど、そんなことが起きていたなんて檻の中で由乃と会話していた私には想像もつかなかった。
「だから、ボクは美作さんの死体を捨てた。見つかって身元を特定されても困るし、一応彼女の死体をじっくり燃やしてから、とある信頼できる筋の方々に協力を仰いで山へと埋めた。まぁ警察に見つかったところで本部にも身内がいる。なんとかしてくれるだろうさ」
「結局、貴女は……」
「言っただろう、君を救済したかったんだ。君の行為を罪と呼ぶ警察から、君を異常者と呼ぶ世間から。大丈夫、この地下にさえいれば君が逮捕されることはない。ボクが守ってあげるから」
ようやく、理解ができた。
私は散々この女をイカれてるだの犯罪者だの罵ってきたが、この女の本質はそんな浅いところではない。
この女は私と同じ穴の狢だ。
自分の愛のためならなんだってできるただの異常者だ。
私のことが好きだから私の行為を肯定して、私のことが好きだから私を否定する人たちを否定する。
当然後者の中には私に「大嫌い」と言った由乃も含まれているわけで、だからこそ遊馬は由乃を嫌っていたのだ。
なぜなら遊馬にとって、私を嫌いだなんて言うのはありえないことだから。
「知ってるかい? ボクはこれを演劇の中で知ったんだがね、『共犯』というのはあらゆる関係性の中で、最も深い絆になるそうだ。美作さんを殺した君と、美作さんの死体を埋めたボク――十分、その『共犯』になりえると思わないかい?」
遊馬は王子様のような顔で、夢見る乙女のような、しかしそれにしては物騒すぎるセリフを夢うつつで吐き出した。
「イカれてるわ、この犯罪者」
「お褒めに預かり光栄だよ、大犯罪者様」
鉄格子の向こう側にいる犯罪者は、そう言いながらニヒルに笑った。
私くらいの体型の人間が体育座りしたら十人程入れるサイズの檻の中に、五百ミリリットルサイズのミネラルウォーターが五本、豪勢な食事に、ふかふかのブランケット、そしてただの犯罪者。
私が現在置かれている状況はといえば、そんな世間の理解を絶するものであった。
・姫宮美咲
美少女。周囲(特に同性)からの羨望・嫉妬の目が大好物であるという側面を持つため性格はよろしくない。中学からの付き合いである由乃が大好きだったが、その感情が恋愛感情であり、そして自分のそれが他人よりも大きく重いものと知るのは、由乃に恋人ができてからのことだった。
・遊馬悠里
大学で王子と名高い女。顔がいい。超金持ち。背は170cm程あり、運動神経は抜群でサークルを3つほどかけ持ちしている。高校時代勧誘されて入った演劇部では王子役を数多くこなし、それによってどこか演技がかった喋り方になってしまった。ファンクラブがあるらしい。
意外に恋人という存在はいたことがなく、美咲が初恋なのでメーターも行動力も振り切っている。
・美作由乃
親友も、恋人も、ただただ大好きだっただけの少女。