マキナリ、大地に立つ
学校から最寄駅まで8分、更に電車に20分程乗り、降りたころでまた8分程歩いたところで、ようやくビニール袋の少年は止まった。
「ここだよ!」
「大磯ゲームセンター……?」
マキナリが車椅子を押されて辿り着いたのは、ゲームセンターだった。
「学校帰りにこういうところに来るのは良くないんじゃなかったか?」
「お? そういうの気にするタイプ?」
「そうじゃないけど……」
「大丈夫! 大体みんなやってるし、ここ、先生も通ってるから!」
「大丈夫じゃねえだろ! むしろ先生に見つかる可能性アリじゃねえか!」
いいからいいから、と車椅子を押され、中へと入らされていく。
入り口の自動ドアが開くと同時に、店内に大音量で流れるポップなBGMと、各種筐体から飛び出す様々な音が混ざりあい、耳へと入ってくる。
あまりのうるささにマキナリの表情が一瞬強張るが、数秒で脳が慣れ、元通りになる。
対して、ビニール袋の少年は普段から入り浸っているのか、顔色変えず奥へと進んでいく。
「で、一体何に付き合わされるんだ、俺は」
マキナリが訪ねるも、普段と同じ声量のせいか、ビニール袋の少年には届いていないらしい。
ビニール袋の少年はこれから始まることに待ちきれないと言ったところで、目が爛々と輝いていた。
「ここだ!」
ようやくビニール袋の少年が足を止める。マキナリが正面を向くと、画面に『テン・フィスト』と表示された筐体と、なにやら大げさな椅子が並んでいた。
筐体はどこにでもあるような見た目で、普段ゲームセンターに足を運ばない人間がゲームセンターと言われて想像するようなものだった。
対して椅子は、普通のものとは大きく違い、目を引くデザインとなっていた。
白を基調とし、全体的に角がなく、どことなく卵を彷彿とさせる。
背もたれは普通のに比べ非常に長く、伸びた上部が前にもたれ、座った人が後ろから隠れるようになっている。
左右についたひじ掛けはやけに大きく、肘を乗せ辛そうに見えたが、よく見ると内側が空洞になっており、人の腕がすっぽりと入るようになっていた。
空洞の前方にはボタンやらレバーやらがあり、これまた外からは見えないようになっていた。
「なんだこれは……」
「えっ、聞いたことくらいあるだろ?」
「何をだよ」
「『テン・フィスト』だよ! 今や世界中のだれもが熱狂する超有名VR3D格闘ゲーム! 前のゲーム画面が見える方が本体で、椅子は『エッグ』って呼ばれているんだ」
「……全く知らないな」
ビニール袋の少年は一瞬ムッとするが、そのまま続ける。
「ま、いいから座ってみ!」
「……はあ、わかったよ」
ゲームに明るくない自分をなぜ呼んだのかと疑問に思いつつも、逃げられないことを悟ったマキナリは
車椅子を卵型の椅子の横につけ、手で体を起こし、乗り換えていく。
途中ビニール袋の少年がそれを手伝おうとするが、大丈夫とジェスチャーし、乗り換えを完了する。
「で、どうすればいいんだ?」
「まずはコントローラーの位置を覚えといて!」
「コントローラー……この肘掛けの中にあるやつか。……覚えるってのはどういうことだ?」
「頭上を見れば分かる!」
マキナリが頭上を見ると、背もたれの笠になっている部分になにやらヘルメットのようなものが付いてた。
ヘルメットにはマイクもついており、被ると丁度口元にくるようになっているようだった。
引っ張ってみると簡単に取り外すことができ、何やらケーブルのようなもので椅子と繋がれていた。
「これは……なんなんだ?」
「本当に何も知らないんだな……これはVRメット! ……VRってのは知ってる?」
「ああ、なんとなく」
「そのメットについてるゴーグルが正にVRになってて、それを被ることによってゲーム世界に実際に入ったような臨場感を味わえるようになるわけだ!」
「じゃあメットなんかにせず、ゴーグルにすれば良かったじゃないか」
マキナリがツッコムと、ビニール袋の少年は食いついたかと言わんばかりにニヤリと笑った。
「お、鋭いところに気が付いたね。それには深い訳があるんだが、まあやってみようぜ?」
マキナリが今日何度目か分からないため息をつき、ヘルメットを被りかけたところでまた別の疑問が生まれた。
「……眼鏡はどうすればいいんだ?」
「あー眼鏡はとって大丈夫。ちゃんと視力の悪い人用に調整機能があるから」
マキナリはなるほどとバッグからケースを取り出し眼鏡を収納し、再度座る位置を調整してようやくヘルメットを被る。
すると、視界にはだだっ広い平原とどこまでも伸びる青空が現れ、正面にでかでかと『テン・フィスト』の文字が表示される。
先ほどまで聞こえていた大量のBGMが混ぜ合わさった混沌とした音楽は消え去り、耳元を掠める風の音が心地よい。
見渡す限り広がる世界は、ここがゲームセンターの中であることを忘れさせるほどの解放感だった。
しかし、そんなことよりも彼の心を強く揺さぶる一つの事実があった。
「立ってる……」
普段とは違う目線の高さを感じ、足元を見る。すると、自分の「この世界での仮の身体」が見えた。
塗装前のプラモデルのような白く細い足が伸びているのが見え、本当に地面をつかんでいるかのような感覚が足裏に感じられた。
マキナリにとって懐かしい感覚だった。
「コントローラーの位置は覚えているか?」
「あっ、ああ」
外からビニール袋の少年の声が微かに聞こえる。マキナリは慌ててコントローラーを探し出し、握る。
「適当にボタンを押してみて!」
「ああ」
筐体に表示されている画面を見ながらビニール袋の少年が指示を出す。
言われた通り適当にボタンを押すと『テン・フィスト』の文字が小さなドットに分解され、どこかへ消えていき、代わりに二つの半透明のパネルが現れた。一つには『アカウントでプレイ』もう一つには『アカウント作成』と書かれている。
更に画面の隅にもパネルが現れ、こちらには『ゲストプレイ』と書かれていた。
「あっしまった。先にアカウント作れば良かったな……」
「作る? 『作成』を選べばいいのか?」
「いや! とりあえずゲストにしとこう!」
はやくこの身体を動かしたいのか、先ほどまでとは打って変わり、マキナリは積極的になっていた。
コントローラーを動かし『ゲストプレイ』を選ぶ。ゲームに関する最低限の知識経験は持ち合わせていたため、細かい操作はすぐに慣れた。
『タイプを選んでください』
アナウンサーのような聞き取りやすい女性の声がゲーム世界に流れ、5枚のパネルが表示される。
「パワー、ディフェンス、トリック、スピード、オールラウンド……なんだこれは」
「これは自分の操作する『ドール』のタイプ! んーそうだな……最初だし、オールラウンドにしとくか」
「ん」
とりあえず今は詳しく聞かなくてもいいかと考え、先へ進む。
すると今度はセットA、セットB、セットCと書かれたパネルが表示される。
『プリセットを選んでください』
それぞれのパネルには人の形が表示されており、さらにその下には四角い枠が6つ。それぞれの枠から線が伸び、頭、胴体、右腕、左腕、右脚、左脚と紐づけられている。
枠の中にはノーマルライトアーム、ノーマルレフトレッグ等々、この人間がひたすらノーマルであることが説明されていた。
「これは?」
「わからんが、プリセットAにしよう」
「わからねえのかよ!」
「ゲストプレイは初めてなんだよ! まあ一応説明しておくと、『プリセット』ってのは『ギア』の組み合わせを保存しておくもので、『ギア』ってのはー、要は装備だな。ドレクエってやったことある?」
ドレデモクエスト。どんな些細なこともすべてクエストにしてしまうという破天荒なRPGである。
村人の肩こりから果ては魔王城の改築までクエストにしてしまうそれは、その斬新さにこの日本で人気を博していた。
「あー小さいころに、少し」
「あれの装備と同じよ。付けるものによって攻撃力が上がったり、スキルを得られたり。まあ、とりあえずゲストプレイだし、今はあんまり意識しなくていいよ」
「わかった」
『モードを選んでください』
プリセットを選ぶと今度はモード選択画面が表示された。パネルにはそれぞれ対戦、ストーリーと書いてある。
「対戦モードを選んで」
「対戦? 初っ端から大丈夫なのか?」
「いや、対戦はしない。対戦モードを選ぶと対戦相手とマッチングするまで一人でトレーニングできるんよ」
「なるほどな」
「ネットワークじゃなくてローカルを選んでね」
対戦を選んだ後に再び画面に表示されたパネルのうち、ローカルと書かれたパネルを選ぶ。
すると平原がフェードアウトし、真っ白な部屋が現れる。
部屋は正方形になっているようで、線がマス目を作るように規則的に引かれている。
「すげえ……」
目の前で消えたり現れたりする世界を見て、自分の身体は無事かと見回すと、先ほどのか細く押せば折れそうだった手足は消え、
代わりにある程度の膨らみを得た灰色の身体に変わっていた。一般的な成人男性のような肉付きの四肢に
ところどころプラスチックのような角や凹凸が現れており、先ほどとは打って変わって力強さが感じられた。
『Ready...』
目の前に現れた文字に、今度は何を選べばよいのかと目を細める。しかし、一拍置いて文字を認識すると、これから何が起きるのかをすぐに理解した。
ゲームが始まるのだ。それはつまり、ようやくこの世界を歩けるということ。次の瞬間のことを考えると、マキナリの胸は高鳴った。
『...3...2』
カウントが現れ、刻まれていく。カウントの感覚は正しく一秒刻みであったが。少マキナリにはその一秒がひどく長く感じられた。
『...1...』
あまりの期待と興奮に、心臓が脳に血を雪崩のように送り込む。頭の後ろが熱くなるのを感じる。
唾を飲む。まだかまだかと胸がざわつく。身体は自然と前のめりになり、コントローラーを強く握った。
そんなマキナリを見て、ビニール袋の少年はニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
『...FIGHT!!』
ネオンのようなスリムな文字が画面に大きく表示されると同時に、マキナリはコントローラーを大きく前に倒す。
しかし……
「……あれ?」
右手のコントローラーを前に倒したにもかかわらず、ゲーム内のキャラクターは微動だにしない。
不思議に思い、手当たり次第にボタンを押すがなにも反応しない。
一通りガチャガチャやったところで我に返り、ヘルメットを被ったままビニール袋の少年の方を見る。
すると、ビニール袋の少年はヘルメット越しにも鬱陶しいと思えるほどの大声で笑い始めた。
「おどろいた? 実はこのゲームにはもう一つ秘密があるのさ」
マキナリは一連の自分の行動を想像し、顔が熱くなる。それと同時にこのゲームがゴーグルではなく、ゴーグルに比べ顔を覆う面積の大きいヘルメットであってよかったと安堵する
「はやくおしえろ!」
前に向き直り、恥ずかしさを蹴とばすように大声で叫ぶ。
ビニール袋の少年はひとしきり笑い終え、マキナリの被るヘルメットをコツコツとつつく
「ここだよ、ここ」
「は? 少しは頭を使えってか?」
「違くて、いや、違くはないか」
「謎掛けはやめろ」
「いや! ホントにからかうつもりは無いんだって!」
マキナリは苛立ち、殴るためにヘルメットを脱ごうか迷うが、この問題を解決するのにどちらが近道かを考え、踏みとどまり、彼の言葉を聞くことにした。
「実はこのヘルメットは脳波を測定しているのさ」
「……ノウハ?」
「そ! つまり、君が歩くことをイメージすれば」
「……キャラクターも歩く?」
一旦深呼吸をし、再びゲームに集中する。
「歩く」という行為を普段どのようにやっているのか、改めて考えてみると中々イメージにするのは難しかった。
それに、彼にとって「それ」は、しばらく縁のない行動だったため、尚更困難を極めた。
―――VRの世界で瞼を閉じ、想像に集中する。
なぜかは分からないが、彼の頭の中には四足歩行だった人間が進化によって徐々に二足歩行に変わっていく過程が浮かんでいた。
自分のルーツから辿り、徐々に二足歩行へ……その運動を言葉で説明することはできなかったが、マキナリの身体の中には確かに刻まれていた。
「おっ?」
より強く集中していく……より強く……
すると、突然前方に衝撃を感じ、続けざまに今度は後ろに吸い込まれるような感覚に陥った。
「……ぅお!」
吸い込まれた身体は、またすぐに何かによって支えられ、制止した。
「いてて……」
実際には痛みを感じていないのだが、自然とその言葉が出た。何が起きたのか確認するために目を開く。
「……あれ」
目を開くと、先ほどと同じような場所ではあるのだが、やけに前の壁が迫っていたのだ。
しかも目線は低く、先ほどのように見渡すことができなくなっていた。
「案外早いな、俺はもっとかかったのに」
少し羨むような声でビニール袋の少年は言った。その言葉を聞き、まさかと思い振り返ると後ろには先ほどと同じような空間が広がっており、自分が中央から端まで移動し、壁にぶつかったことをマキナリは理解した。
身体を起こし上げ、その場に立ち上がると、再び歩き始める。もちろん今度は目を開いたまま。
「うおああぁ……」
自分の身体が自由に動く感動からか、無事に再び歩くことができた安心からか、間の抜けたような声が漏れる。
2、3歩と歩き始めると今度はさらなる運動に挑戦する。
足の裏を地面にぴったりとつけていたのを、徐々にその面積を狭め、つま先で地面を蹴るように動く。
蹴った足と逆の足の腿を胸に引き付けるように引っ張り、両の足が地面から離れ、身体が宙に浮く。
足の運動に合わせ、上体のバランスを保つよう、両腕を自然に振る。
手のひらは若干閉じ、腕の筋肉が緊張するよう親指の付け根に力を入れる。
引き付けた足をより遠くで着地させるよう腰を転回させる。
再び着いた足で、また地面を力強く蹴りとばす。
フォームは正しくないかもしれないが、これが彼の「走る」イメージだった。
「おおおおおおおおおおおおおおおおお」
風が身体を掠め、通り過ぎるのを感じる。もちろん、実際には風など吹いていないのだが。
いつもなら遠く感じる距離が一瞬で辿り着く。今まで広かった世界が若干窮屈にさえ感じられた。
「ちょ、まて! 声がでかいって!」
「おおおお、あっ」
ビニール袋の少年の声が聞こえ、ようやくマキナリは走るのをやめた。
先ほどのように自分を改めて客観的に見て、また恥ずかしがるかと思われたが今度は違った。
「すげえなこれ!」
ヘルメットを脱ぐとキラキラと輝く瞳があり、マキナリはそう言った。
そんなマキナリにビニール袋の少年も目を輝かせながら応える。
「だろ? こんなすごいのに、あのクラスで全然流行ってないのが不思議に思えるぜ」
「ああ、想像以上だ。ゲームなんてずっとやっていなかったが、こんなことになってるんだな今は」
「このゲームオリンピックの種目にもなってるんだぜ? 今やゲームやってることが常識と呼べる時代よ」
「そうなのか……でもそうなると一つ疑問がある」
「ん?」
マキナリが隣に目線をやる。ビニール袋の少年もそちらを見る。
「なんで他に遊んでる人がいないんだ?」
「これまたよく聞いてくれたな!」
またまた待っていましたと言わんばかりにビニール袋の少年が得意げになる。
「実は去年の今頃、近くにここよりもっとでかいゲーセンができてさ、そっちのほうが交通の便がいいとかで客を全部吸い取っちゃってるんだよね」
このゲームセンターの最寄である大磯駅は、所謂ローカル線であり、この三駅程隣にある乗り入れの路線の多い品崎駅にゲームセンターができてしまった煽りをモロに喰らっていたのだった。
「そのおかげでこのゲームセンターは穴場になったってわけ」
「なるほど、……って、なんでお前も椅子に座ってるんだ?」
マキナリの気づかぬうちに、向かい側の椅子にビニール袋の少年が座っていた。どうやら、話している間に移動していたらしい。
「さっき、対戦モード選んだろ?」
「……あっ!」
「そしたら、やることなんてただ一つ……!」
「そういうことかよ……!」
ビニール袋の少年がメットを被る。それを見てマキナリもメットを被る。
白く殺風景な世界に赤色の文字が表示される。
『The time has come !』
今しがた走れるようになったばかりの人間と戦うのかと、常人なら不服を唱えそうなところだが、
それどころかマキナリの口元はニヤリと笑っていた。