C男の場合
C男:学校でいじめられている。世間体を気にするばかりで愛情のない家族の下で育つ。
目が覚めて初めに思ったのは、ああまた地獄が始まるのかという絶望だった。
誰かが言ったのかは分からない。でも俺は朝と共にやってくるのは希望ではなくて絶望だと断言する。
ズキズキと痛む腹部を堪えながら、朝食も食べずにギリギリまで家にいる。
「ちょっと、いつまで家にいるの? さっさと学校に行きなさい」
「……わかってるよ、行ってきます」
俺が苛められているのにも気付かない母さんは、俺が学校に行きたがらないことにイライラするようになっていた。
足を引きずりながら靴を履いて玄関を開ける。嫌になるほど外は晴天で、俺は余計に憂鬱となる。
扉を閉める直前に聞こえたのは母さんの、「まったく、なんでこんな子に育っちゃったのかしら」という俺を殺そうとする言葉に唇を噛みしめる。好きでこうなったんじゃない。そう言いたくてもできなかった。
「おお、ゴミムシじゃん!wwww」
「おら朝の挨拶だぞーッと!」
「い゛だァッ!?」
俯いて歩いていたせいで、同じくギリギリに学校にやってきたクラスメートに気付けず頭を殴られて倒れこむ。
濁った悲鳴を上げた俺にゲラゲラ笑いながら背中をわざわざ踏みつけながら校舎に入っていくのを悲鳴に負けず劣らず濁った眼で見送った。
頭をさすりながら立ち上がると、貧血なのかふらりと力が抜けそうになる。そういえば朝食を食べなくなってどのくらい経ったんだっけ? 食欲が落ちてからどのくらい経ったんだっけ?
――――キーンコーンカーンコーン
「あ。あ、あははは……はぁ」
今日も遅刻だ。空笑いとはいえ笑って気分を上げようとしたけど上手くいかず、結局はため息に変化した。
もう遅刻したんだからと急ぐことはしない。生臭くてビチョビチョの室内シューズに履き替え……る前に、中に詰まっているであろう何かを取り出すためにトントンと衝撃を加える。出てきたのはミミズだった。
これ以上はいないかと中を覗いて確認し、大丈夫だったからそのまま履く。もう臭いのにも汚いのにも慣れている。だから平気だ。
「うわ、今日も来た」
「あいつマジくっせぇ」
「キモっ」
「死ねばいいのに」
「マジそれなwwww」
教室に一歩入れば賑やかだった教室が一瞬静まり返って、数秒後にはヒソヒソと小さく、だが確実に俺に聞こえるような声量で好き勝手に喋り始める。
俺を傷つけるための言葉に息苦しくて顔を顰めると紙の束を叩きつけるような音が黒板の方から聞こえてきた。
「おい、お前。なんで今日も遅刻したんだ」
音の発生源は担任だった。片手で持っていた教科書で教壇を叩いたらしい。
周りの俺へ向ける言葉は無視して俺だけに厳しい顔をする担任が、いや、学校に通うすべての奴らが俺は嫌いだ。
「なんだその顔は! それが教師に向ける顔か!?」
どんな顔をしていたのかわからないが、青筋を浮かべて俺を怒鳴り始めて失敗したことを悟った。
それにしても怒声のせいで頭が痛い。貧血気味なのも相まってちょっとやばいかもしれない。
頭痛を堪えるために無言でいる俺が気に食わないのか、勝手にヒートアップしていく担任。我慢できないとでもいうように机と机の間から俺へ迫ってきた。
それを止めずにニヤニヤしながら見守るクラスメートたち。
ああ、今から何を言われるのだろうと諦めて目を閉じた。
「待ってください。彼はきっと体調が優れないんですよ」
しかし担任の腕を掴んでストップをかけた奴がいた。
制服をきちっと着こなして真面目そうなそいつは、クラスだけではなく学校全体の人気者だ。
困ったような顔で担任を落ち着かせる彼に対し、ずっと好き勝手言うだけで見守っているだけだったクラスメートたちは「そうだね」「なんか顔色悪いしぃ」と俺を庇うような態度を見せてきた。きっと彼に好かれたいからなんだろう。
助かったと言えなくもない状況だったけど、俺は体が余計重たくなったのを感じる。
アイツは何も知らないし気付いていないという態度を取っているが、きっと俺が苛められているのに気付いている。
立ち上がって俺の目の前まで来て目を瞬かせると、困った様に微笑んだ。
「大丈夫、じゃなさそうだな。保健室に行った方が良い」
ほら、俺を睨み付ける奴らのせいで強張った顔を見て口角が歪に上がった。
だけどコイツは演技が上手いらしく、俺以外の奴らにはただの真面目クンにしか見えないのだ。
そしてコイツに助けられたせいで、また苛めが過熱するんだ。
「ありがとう、そうするよ」
それでも返事をしなかったらしなかったでまた苛められる。
完全な八方塞がりに泣きそうになりながら返事を返して転がり出るように教室から逃げ出す。
無様な俺を嘲る笑い声と罵倒する言葉。そして担任の俺を見下した声に涙が出そうになったが、泣いたら負けだと必死に我慢して保健室に向かう。
数分で到着する頃には落ち着くことができて、出そうになった涙も引っ込んだ。
深呼吸を凝り返して扉を睨みつける。保険医もアイツへの好感度が高い。つまり俺の敵だからだ。
「失礼します」
「はい、どうぞ――――チッ」
隠しもせずに堂々と顔を顰めての舌打ち。もしかしたら一番柄が悪いのはこの保険医かもしれない。
不機嫌な顔の保険医に頼んで見てもらったら、やっぱりというかなんというか、栄養失調になっていた。俺がベッドで横になりたいと言うとゴミを見るような目で何かをブツブツ呟いた。きっと俺のことを罵倒しているんだろう。
やがてフンと不服そうに鼻を鳴らして「急用ができた」と言って出て行った。
「俺と一緒にいたくなかっただけだろ」
自分の嫌われっぷりに自嘲する。なんでこんなに嫌われるようになったんだった?
ほんの数か月前までは普通だった。友だちだっていた。それでも今では俺と仲が良かったことなんて記憶にありませんと言いたげに俺を見下して嘲笑う存在に成り下がっている。なんだそれ、全然意味わかんねえよ。
ベッドに横になって天井を睨みつけていたのに、段々と瞼が重くなっていく。そういえば最近は寝ることも難しくなってきたな。
まさか俺を苛める奴らで埋め尽くされてる学校で眠くなるなんてと苦笑する。
それでも睡魔には勝てず、泥に沈んでいくように意識が消えて行った。
◇
バチンと頬に強い衝撃が与えられて目が覚め、反射的に上半身を起こす。
混乱する頭で誰に殴られたのかを確認すると何故か両親がいて、父さんも母さんも鬼のような形相をして寝ぼけた俺を罵倒している。
「まさかお前がそんなことをするなんてな!」
「犯罪者なんて生んだ覚えはないわよ!」
「そもそもお前の教育が失敗したんだろう、お前の責任だ!!」
「な、んですってぇ!? そもそもアンタがロクに教育にかかわってくれなかったから――――!!」
「なんだと!? お前こそ毎回毎回――――!!」
なんだこれは。
俺を放置して怒鳴りあいの喧嘩を始めた両親。
あ、これ夢か。そうじゃないと保健室に二人がいる理由がつかないと呆然としながら考え、もう一度寝ようとベッドに背中を預けようとしたのに誰かの腕のせいで失敗した。
夢の中くらい寝させてくれたっていいだろと腕の主を睨みつけると、あの性悪優等生が困ったような顔をして見下ろしていた。その背後には青筋を浮かばせた生徒指導のゴリラと担任が仁王立ちしている。
「おいテメェ、クズだクズだとは思ってたが、まさか人の金を盗むようなドクズだとは思わなかったなァ」
「ひっ!?」
ゴリラの腕が俺の制服の襟掴んで引き寄せる。ドスの利いた声に悲鳴が漏れるが訳が分からない。いや本当に。
金を盗む? そんなことしてない。そもそも俺はずっとここで寝てた。
それにこれは夢じゃない? なら今は何時だ、一体何がどうなってるんだ。訳が分からない事だらけで目が泳ぐ。
「やぁっぱりテメェが盗んだのか!! どこにやった!??」
目が泳いだせいで図星だと思われたのか、怒声と唾を向けられて体が固まる。
俺はやってない。そう思ってゴリラに顔を向けるがあまりの眼力に視線がずれる。体が震える。怒鳴られるのは怖いんだ、やめてくれ。そう言うことさえできない。呼吸が苦しい。
ゴリラの唾で濡れた顔を拭うこともできず、目を見開いて浅い呼吸を繰り返す。
「先生、そんなに怒鳴ったら駄目ですよ。それに彼は人の金品を盗むほど何かに追い詰められているかもしれないじゃないですか」
ゴリラを宥めるのはやはり困ったような顔のこいつだった。
いくら興奮したゴリラとはいえ、コイツに宥められると徐々に興奮が収まっていく。まあ落ち着いても俺を見れば一瞬にして不機嫌な顔になるみたいだけどな。
顔がゴリラの唾だらけになった俺を見下ろすコイツの顔はやっぱり見下した笑顔だ。きったねぇ。そう口が動いた。
何度か意識して深呼吸すれば少しは――本当に少しだけど――パニックも収まってきて頭も回るようになってくる。
視線を合わせることはできないが、今なら冤罪を掛けられてるとそれとなく言うことだってできる。
今にも折れそうな勇気を奮い立たせ、乾いた唇を舐めて潤すと口を開いた。
「あ、あのっ、何が何だかよくわから、」
「あっ」
反射的とでもいうような声が上がり、つい言葉を切って視線を上に向ける。
視線は俺のすぐそばに注がれていて、視線の先を見ると反対側のイスに俺の鞄が鎮座していた。誰が持ってきたのだろうと心底疑問だ。
だって、今までだったら鞄は捨てられているか、それとも泥や動物の死骸が入れられているかしていたが放置されていた。男子ならそうするだろうし、女子なら汚いと言って触りもしないはずだ。
じっと見ていると、鞄のチャックが少し開いていて中が見えた。
見覚えのないお札が数枚見えた。
「なっ――――!?」
「これは……ねえ、これはどういうことかな?」
驚きの声を上げる俺と、問答無用と鞄の中をベッドにひっくり返した性悪男。バサバサと落ちる破れたり汚れの酷い教科書と、ひらひらと舞い落ちるたくさんのお札。
絶句する俺たちとは裏腹に、冷静な声で俺を睨みつけるアイツ。一瞬笑ったそいつを見て、ようやく俺はコイツに嵌められたと気付いた。
いや、もしかしたら苛めが始まったのはコイツのせいなのかもしれない。そう思うと納得する部分が多々あって、俺は現状を考える前にコイツを睨み付けた。
「お、お前ッ、ぎァ゛ッ!?」
怒鳴ろうとした瞬間、思いっ切り後頭部を殴られて視界が揺れる。倒れた上半身を起こすと今度は頬に思い切り衝撃が来て、ベッドから転がり落ちて頭を強かに打ち付ける。
保健室に来たばかりとは状況は違うが、同じように天井を見てようやく後頭部は父さんに、頬はゴリラに殴られたのだと理解できた。
全員が――いや、アイツ以外は――俺をゴミクズでも見るような目で見下して口々に罵倒し始める。
「このっお前のような奴は俺の子どもじゃない!」
「なんでアンタみたいな出来損ないが生まれてきたの!?」
「この学校で、お前のような最低な犯罪者が出て来るなんて思いもしなかったぞ」
「テメェみてーなドクズはさっさと出てけ」
ボトボトと落とされる俺への言葉に俺は呼吸ができなくなる。嫌悪とかそんな生易しいそれを通り越して憎悪さえ見て取れたからだ。
違うと言うことも、それ以前に体を動かすこともできずに目を見開きながらその言葉を聞いていく。
違う。俺は無実で何も悪いことはしてない。ソイツがやったんだ。
それでも信頼されているあのクソ野郎と、印象が悪すぎる俺のどっちを信じるかと言えばクソ野郎の方だろう。
ツルツルして冷たい床に全身を預けたままなのに、まるでヘドロに沈み込んでいくような心地になっていく。
「泣けば済むとでも思ってんのか!?」
「ひぃッ、う、うぅぅ゛」
周囲を取り囲まれて罵倒される威圧感に喉から悲鳴が上がる。
怖くて涙が出てくるし、殴られた場所も床に打ち付けた場所も痛くて涙が出てくる。もしかしたらグチャグチャになった頭の中のせいで涙が出てるのかもしれない。何が何だか分からないが、この現状は俺が悪いせいだと思えてくる。
だって、そうでもなければ教師や両親から暴力なんてされないだろうし、そうでもなければ苛めにだって遭わなかったはずだ。それにもしかしたら半分寝惚けてる状態で同級生たちの金を盗み取ったのかもしれない。ああ、なら、全部俺が悪かったのか。
アイツと再び視線が合った。涙で歪んでいてもわかるような歪な笑顔。
心がまるでガラスのようなピシピシと甲高い悲鳴を上げるのも無視してそいつを見ていると、不意に穏やかな顔つきに変化して、ゆっくりと口が動いた。
し ね 。
「ぅ、あっ……う、わあああぁぁぁあア゛ァ゛ア゛ア゛ッッ!!!!」
C男:とある男子学生に冤罪を着せられ発狂。以降は家族からも暴力を振るわれるようになる。