B子の場合
B子:スーパーの鮮魚コーナーで働いている。スーパーで働いている人たちが大好きで家族だと思っている。
最近入ってきたアルバイトの学生たちが悩みの種。
私はとあるスーパーの一角である鮮魚店にて働いていた。
しかも長年の――と言っても勤務して数年だが――働きを評価してもらい、現在では鮮魚店の責任者を任せてもらっている。
相応に苦労がなかったわけじゃないけれど、それでも充実した生活を送っていた。
そんな私には現在、大きな悩みの種がある。
「ちょっと、あんたたちなにやってるの!?」
慌てた様子で報告してくれた子にお礼を言って足早に駆けつけ、その光景を見た瞬間に悲鳴のような声が喉から自然と放たれた。
びくりと肩を揺らすのは最近アルバイトに入ったばかりの男子学生三人組。
高校生であるにも関わらず、まるで小学校低学年の子どもだってあまりやらないような言動をしていて、最近の私の悩みの種だった。
共に働いてくれている人たちも嫌そうにしていたり困っているため、責任者である私が注意をしているのだがそれでも反省の色を見せない。
「すみませーん」
「でもぉ、オレら悪気なかったんすよ~」
「そッスそッスwww」
「あんたたちねぇ……!」
何を言おうとやりすぎだ。そもそも反省の色が見えないし、ニタニタ嘲るような笑顔を浮かべていて神経を逆撫でてくる。
なんとこの男たちは、本来ここで魚を捌く担当の人が呼び出されてこの場を離れた隙に解凍された魚でキャッチボールをして遊んでいたのだ。
床にはお寿司となって商品棚に並ぶはずだった落ちた魚が。しかも踏みつけられているようで長靴の跡がついていて、しかも身が押し出されてぐちゃぐちゃになっていた。
職場もそうだけれど、ここで一緒に働いてくれている人たちが大好きで誇りに思っていた私にとって、これは反射的に目を逸らしてしまうほど凄惨な光景だった。
これがはらわたが煮えくり返るというのだろうと、自分の荒くなった呼吸をどこか遠くで聞くような感覚に陥る。
本当ならさっさと辞めさせるところなのに、このスーパーの系列の、更に上の企業の幹部だかなんだか、とにかくお偉いさんの息子らしく辞めさせることができない。もし辞めさせたら鮮魚店どころかこのスーパー自体が潰れる。だから落ち着かなければ。
それでも「接客に難がありすぎるから」とかの理由で鮮魚コーナーに放逐しなくても良かったのではと、店長を恨むのは止めることができないのは仕方ないと思いたい。
「ちょwこえーwwww」
「それなwwww」
「ガチギレしすぎッスよwwwwスマイルスマイルwwww」
わざとなのだろうか。わざと私を怒らせようとしているのだろうか。
笑いながらそれぞれが生魚の上に足を乗せ、ぐりぐりと踏みにじる。
あまりの光景に私の視界は一瞬白み――――ハッとした頃には目の前の青年が、頬を抑えていた。
「あんたたちッ、いい加減にしろっっ!」
「ちょ、いきなりなんス、」
「こんなことしていいと思ってるの!? そもそも何その口調は! 敬語を使いなさい!!」
熱くなった思考は留まることを知らず、何を考えているのかも何を口走るのか自分自身分からないまま怒鳴り続ける。口から勝手に言葉が溢れて止まらない。
お客様に捌く様子が良く見えるように、大きな窓ガラス越しには時間帯もあってかお客様はいなかったのが不幸中の幸いだ。
冷静にならないと、という言葉が僅かに過るものの、目の前で私を馬鹿にしたように物理的な意味を含めて見下しながらニタニタ嗤う男たちにすぐにそんな言葉が掻き消える。
お客様たちに満足してもらうために毎日真剣に働いている私たちを馬鹿にして楽しいの?
食べ物で遊んで叱られて、なんで反省しないの? なんでそもそも食べ物を投げて遊ぶの? なんで踏みにじって平然としていられるの?
自分たちよりも年上なのに顔を真っ赤にして怒ってることが面白いの?
言わなかったら分からないじゃない。説明されないで理解なんてできないし、もし説明されたって職場で働きもしないで遊んでる人たちの気持ちなんて分からない!!
感情が昂りすぎて涙が出てきそうだったけれどそれを必死に抑えるけれど、その代わりに身振り手振りが大きくなる。
ニヤニヤ笑いながら見ていた男たちは、突然一人はお腹が空いたとでも言いたそうに前かがみになって腹部を撫で、一人は帽子を取ると一見頭を押さえるようにしつつ頭を掻いてフケを飛び散らせる。頬を叩いた男はいまだ頬を抑えたままだ。
あまりの反省のなさに、沸点かと思っていた怒りがさらに高まったことを感じ、私は怒鳴り続けた。
そんな私を、カメラのレンズはじっと見ていた。
◇
「一体どういうつもりだ!!」
翌日、汗を異常に掻いている店長に突然呼び出されて向かった一室にて、私は混乱していた。
目の前には顔どころか首まで真っ赤にした中年の男性が、私に罵詈雑言をぶつけている。
そして私は……違う、私だけではなくてこの系列ならば知っている。昨日、散々説教した男の父親の一人であり、私たちのずっと上の存在だ。
怯えて縮こまるだけの私に怒りが収まらないようで、居丈高に座っていた男性は反動で揺れるほど力を込めて手のひらをテーブルに叩きつけると立ち上がった。あまりの威圧感と恐怖に体が震える。
「なんだ? 自分がありもしないことを怒鳴ってストレス発散するのは良くても、自分が正当な理由で責められるのは嫌だっていうのか!?」
「っち、ちが、」
「喋るんじゃーよッ!!」
再びテーブルに手のひらが叩きつけられ、喉から悲鳴が漏れる。
それでも、私はありもしないことで怒鳴るなんてしないと言い返したくて鉛のように口を開く。
「わ、私が怒鳴ったことは本当です。で、ですが、理由がなかったわけではありません!」
「……ほぉ? これを見てもそう言うのか?」
「え?」
震えて情けない声だったけれど、なんとか口にした言葉。
再び怒鳴られるのだろうと思っていたがそれはなく、むしろ嫌に静かな、猫が追い詰められたネズミを甚振るようなと表現できそうな顔をして顔に突き付けられたのはスマホ。表示されているのはとあるSNSだった。
SNSには見慣れた店内の鮮魚店コーナーで、棚に隠れて撮っているとすぐに分かった。投稿者のコメントには「偶然来たスーパーでスゲー光景見つけちったwwwwパワハラ女頭おかしいwwww」と綴られている。
そして再生されたのは、私があの男たちに顔を真っ赤にして怒鳴り散らす場面だった。
窓の外からだったため、いくら中が広く見えるようになっていたとはいえ踏みにじられている生魚なんて見えるわけもない。そして、私が一人の男の頬を叩いたところもしっかり録画されていた。
それだけではなく、怒りのあまり大きくなった身振りに合わせるように腹部を抑えたり、頭を抱える男たち。それはまさしく暴力を振るっているとしか思えな――……まさか!?
「ち、違います!! こんな、暴力なんてッ!」
「ウチの息子は頬を腫らしていたが?」
「っ」
ぐらりと世界が傾いたように揺れた。
尻もちをついて、ようやく私の体から力が抜けたから世界が傾いたのだと錯覚したのだと気付いた。
まるで蛆虫を見るような目で見下してくる、ついさっきまで私に対して怒鳴り散らしていた男性。その背後に佇む、汗を掻きながら絶対に私の方を向かない店長。
「おい、ウチの子とその友人たちの態度はどうだった?」
「はいッ! ま、毎日真面目に働いていました!!」
店長の言葉に、私は見捨てられたことを悟った。
「つまり、この女は真面目な相手に手を出すような人間のクズだということか?」
「そ、それはぁ……」
「どうなんだ?」
「そうです! はい、少しでも自分よりも出来の良い人が来ると苛めて辞めさせようとしてくるような根性の腐った奴でして、辞めさせようにもなかなか思うようにいかなかったところです!!」
「て、てんちょ……ッ」
店長は、それはもう気が弱かった。長いものには巻かれる主義であることも、このスーパーに働く人ならば全員知っていた。だけど、まさかこんなにあっさり見捨てられるなんて思ってもいなかった。
目の前が真っ暗になって、次に頭が回るようになった頃には男性はいなくなっていて、店長が私を見下ろしていた。憐れむような視線が気に食わなかった。
「申し訳ないとは思ってるんだよ。でも仕方ないじゃないか。ああでもしないと、君を切り捨てないとこのスーパーは潰されていただろうから」
「あ、ぁっ」
「本当に申し訳ないけど、私には君と違って家族がいるんだ」
どこか穏やかな顔で笑いながら部屋から出て行こうとする店長を呆然と見送る。
錆びた音を立てながら開いたドアの先は、嫌に眩しくて涙が溢れてきた。そうに違いない。だって、そうじゃないと、わたしは、
「ああ、君はもう来なくていいよ。それじゃあ今までお疲れ様」
ばたん。味気ない音を立てて真っ暗になった部屋の中。ううん、違う。本当は真っ暗にはなってない。ただ、私の気持ちがそう見せているだけにすぎないのだと分かっている。分かっては、いる。
「あ、あぁぁ……」
分かっては、いても。
「ぃ、や、」
頭を無心で掻きむしる。蹲ったままガリガリガリガリと掻きむしる。不思議と痛みは感じなかった。
ボダボダと涙と開けっ放しになった口から涎が垂れて小さな水たまりができる。赤色も交じり始めているのは気にしない。手足が冷たくて痙攣する。頭が熱くて痛い。
それを開放するように私は深く息を吸い込んで、
「いやぁぁあぁああああぁぁああああ゛あ゛あ゛っっっっ!!!!」
絶叫した。
B子:激昂して暴行を働いてしまい解雇。家族と思っていた人に捨てられる。