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手紙  作者: 藍沢 七星
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オープニング

都会という街を始めて見たときのことを、ここに記しておこうと思う。

たくさんある思い出をA4ノートにまとめるのも、最初は大変だった。それでもやめなかったのは、きっと君のおかげかな。って思うの。

だから、また、君に会いたいな。



「えーっと……ここが出口だから……ここから西ーってどっちかな」

横凪駅という駅には出口が五ヶ所ある。言われて細かな道順を教わって来たものの。いざ来てみると全くわからなかった。

「三番線から階段を登って、西入口と南入り口って書いてある看板を曲がって……って、これこっちでよかったのかな。地図を書いてもらえばよかったわ……」

雪崩のように歩く人。

これだけの人間を見たことがあるのは年に一回ある夏祭りくらいだったから、これが当たり前の”都会"という場所はなんとも騒がしい場所なんだろうな。


「あっあの、すみません」

行き交う人に声をかけてみる。が、誰一人足を止めてくれなかった。

スーツ姿の人。カジュアルな服をきた人。

誰も彼もが薄い画面を見ながら自分のセカイに生き、往来している。

誰一人、私を見ていない。


孤独。

という言葉が脳裏をよぎった。

長らくなかった感情だ。仕方がない。

昔のことだと忘れていたことだ。仕方がない。


仕方がない。と言い聞かせて、前へと進もうとした。


どこへ?


私はどこに向かおうとしているんだろう。

孤独と一緒にやってきた不安が、私の肩を叩いた。

誰もいない世界。溢れ返る人。

矛盾した世界に取り残された私。どうしようもなかった。


「…………ッ」


唇を噛んで、込上がる何かをこらえた。

そうだ、私が決めたことなんだから。


仕方ない……

仕方ない……


しかた……ない……?


「そんな風に悲観してる暇なんてない」

「あのー」

ネガティブな考えを飛ばそうと声を上げたタイミングで、後ろから肩を叩き、声を掛けられた。

不意な出来事に、少し恥ずかしい声が出た。




「あ、あの……ごめんなさい。何か困ってるようだったので……えーっと、大丈夫ですか」

「は……はい、大丈夫です」

恥ずかしさと、跳ね上がる心臓に、小さくその場で座り込む私を心配そうに見る男の子。

年齢は――そうだなぁ。高校三年生とか。ううん、もっと大人びた感じがした。

身長はスラっと高く180センチくらいあると思う。肩幅も広くガタイがいいから、きっと体育会系なんだろうな。

「えっと、立てますか」

彼はとても心配そうに声を掛けてくれる。

「うん、大丈夫。ありがとう……」

立ち上がろうと足に力を入れるが、思ったように力が入らなかった。

まるで、千鳥のようにふらつく私の体を心配するかのように手を差し出してくれて入るが、触らないようにしているようにも見える。

きっと、彼なりの気の使いだろう。少しだけ、嬉しくなった。

「ごめんね。心配かけて」

「いえ、そんなことは……そういえば、なにか困っているみたいでしたけど……」

「え、あー、それが……ね」

あまり住所を見せるのは良くないのだろう。だが、藁をも掴む思いで私は彼に一枚のメモを見せた。

「ここに行きたいのだけど、土地感がなくて困っているの……知らないかしら」

目を細めてメモを読むと、少し困ったように頭を掻いて、私の顔を見た。

「俺もここに行く用があるんで、よかったら一緒に行きますか。」

「そうなの、それは助かるわ。知っている人と行くほうが確実だからね――」


クゥーーーーーー


緊張感が抜けるように鳴った腹の虫。

私はいくつ恥をかけばいいのだろうか。




「え、そんな……申し訳ないですよ」

「いいのいいの、遠慮しないで、好きなところでいいよ」

「えっと……じゃあ……」

不安がなくなれば、後はなんとやら……

とりあえず、腹の虫をあやすとしようと私は提案した。

私は「なんでもおごってあげる」というと、彼は謙虚に「そんな、いいですよ」と返す。

それを二・三回繰り返すと、彼は観念したようにハンバーガーショップを指さした。

「ほんとにこんな所でよかったの?」

「十分っすよ……えっと、何にします」

「えーっと……そうだなぁ。君もよくここに来るの。私、よくわからないんだよね」

「そうなんっすか……うーん、よく来るわけじゃないんですけど……そうだな。これなんてどうですか。そんなに量もないですし」

「それじゃあ、それで……」

彼は大きく手を挙げる。店員は「少々お待ちください」と元気に声を出し、すばやくテーブルまで歩いて来た。

「えっと、これのスタンダードと、これをください。あ、飲み物は何にします」

彼はメニューをまたしに向け、ドリンクの所を指さした。

「えーっと、オレンジジュースで」

「それじゃあ、オレンジジュースとコーラで」

店員はメニューの復唱をすると、「かしこまりました」と一礼して奥へ歩いていった。


「ねぇ、名前を聞いてもいいかな。あ、私は叶 小雪って言うのだけど……」

「聞いたことない名字ですね何処の苗字ですか」

「えっと、山岳かな。そこまで考えたことないからわからないや」

ポケットから取り出した携帯電話で調べると、少しだけ納得したように相槌を打った彼になにか面影を感じる。

「えっと、俺は杉山 コウタって言います。今は少し離れた所に住んでるんですけど……」

「へー、高校生?それとも大学生?」

「大学っす。合江大に通って――って、合江大の場所って知らないっすよね」


彼――いや、コウタくんは、横凪と隣の琴湖の県境にある大学に通うため、その近くで一人暮らししている。

長距離ランナーを目指して、日々頑張っている。来週大会出ることが決まったということで、祖父と祖母に報告をしようと向かっている最中だったそうだ。

「そうだったんだね。ゴメンね。急いでるのに……」

「いや、いいっすよ。急いでるわけじゃないですから……ところで叶さんは――」

「小雪でいいよ。ホントはそういう略称ないけど……呼びにくいし」

コウタくんは、少し照れたようにしながらも「じゃぁ……小雪さん」と読んでくれた。

「一人で来たって事は何か用があったんですか。祖父に」

「うん、手紙を預かっててね。それを届けに来たの」

私は、カバンの中から一枚の手紙を取り出した。

そこには住所も送り主も書いていない。真っ白い封筒に入った手紙を。

「へぇ、その人は住所を知らなかったのかな……でも、それならどうして小雪さんが……」

「んー、そうだなぁ」

少し返答に困る質問に言葉を濁すと、助け舟のように店員がハンバーガーを持ってきた。

「スタンダードセットは――」

「こっちです」

机の上に置かれたハンバーガーは、私が知っているサイズとはかけ離れたサイズだった。

「えっと……すごくおっきい……」

「マジっすか……大丈夫ですか?」


大丈夫……大丈夫……大丈――






「大丈夫っすか……ほんとに済まないです」

「いや、いいよ。私も残り食べてもらったし。ありがとうね。はぁ……ちょっと動けないかも……」

コウタくんは近くのベンチを探して「少し休みましょう」と座らせてくれた。


「すごいね。都会って……」

「そうでもないっすよ。なんでもあるけど、何にもないですし」

コウタくんの目はずっと遠くを見ていた。

これだけの建物や人がいるのに、彼にとってはそれは"なんでもないもの"だと呆れたように吐き捨てた。

「……」

何かを言おうとした。でも、その言葉は私に言う資格があるのか。と自問自答した。

彼は何かに悩んでいる。でも、それを私は助けられるのあろうか。

いたずらに蒸し返したところで、彼を苦しめるだけじゃないのだろうか……

「すみません。なんか、辛気臭い話をしてしまって……」

「ううん、いいよ」


私は、多分。こんなことしか返せなかった……





私は、きっと無力なんだろうな。

誰かを助けたい。そんな大層な願いはないけれど、せめて、手の届く範囲の人だけでも助けられるようになりたい。

そう思っていた。

でも、どうなんだろう。と私は時折、自問自答を繰り返す。


繰り返す問答は、ずっと変わらないと知っているのに……

それでも、気がつけば私は――

「――」

「……」

「小雪さん。どうしました」

声で私の問答がとまる。横に座っていたコウタくんは心配そうに私の顔を見ていた。

自分だってそれどころじゃないくせに。


「ごめんね。少しぼーっとしてた。そろそろ行こうか」

「本当に大丈夫ですか」

「大丈夫大丈夫。少し動いたら楽になるでしょうし」

私は彼の背中を押すように歩き始めた。

彼の大きな背中は、何故か安心感を覚えてしまう。

「あ、あの……」

「どうしたの、コウタくん」

「逆っす……」


私は日に何度辱めを受ければ気が済むんだろうか。


はぁーーーーーーー






「大丈夫っすかー」

「うん。大丈夫……ごめんね。荷物持ってもらって」

「これくらいいいっすよ」

あれからバスに乗り、郊外のバス停から二十分ほど歩いた所にある一軒家。

少し古い町並みではあるが、私が住んでいる場所よりは全然充実していた。

バス停からここまでの道のりに、コンビニが七件もあったし。


「それにしても大きいね」

「最近リフォームしたらしいっすよ。ほとんどバリアフリーのためらしいっすけど」

「へぇ……」

コウタくんがインターホンを押すと、奥の方から「はーい」と声が聞こえた。

「はいはい、誰かしら」

と玄関を開ける老婆は、コウタくんを見ると「あらあら」と声を出してみるみる良い顔になった。

「コウタちゃんいらっしゃい。どうしたのよ。連絡もなしに」

「いろいろ報告したいことがあってね」

というやり取りの後に、私の方を見ると、何か察したかのように更に良い顔をした。

「立ち話も何よね……さぁ、上がって頂戴」

と中へ招いてくれた。

「えっと、お邪魔します」





「へぇ、今度の国大にでるのねぇ……今日は赤飯にしなきゃねぇ」

と自分のことのように喜ぶおばあさん。

でも、コウタくんはあまり嬉しそうじゃなかった。

「おじいちゃんは……」

意を決したように口を開いたコウタくんの言葉に、おばあさんは少し顔を暗くした。

「顔を出してあげて……」

奥の部屋へと通されると、ベッドの上で眠るおじいさんがいた。

「おじいちゃん……」

寂しそうな顔で精一杯の笑顔を見せながら話を続けた。

学校での出来事。

今日の道中での出来事。

部活の事。

そして……

「俺さ、やっぱり捨てられなかったよ。おじいちゃんとの約束のこと」

コウタくんはポケットから古い紙を取り出した。

そこには、一枚の絵が書かれていた。

「おじいちゃん、言ってたよな。天使は本当にいるって……生きていたらいつか会えるって……俺が証明してやるって……」

おじいさんの手元に絵を置くと、コウタくんは「また来るから」と言い残し居間へ帰ってしまった。




帰り損ねた私は、おじいさんののベッド近くにより、手元にある紙を手に取り広げた。

そこには真っ白い服を着た女の子が描かれていた。

透き通るような髪を風に遊ばせ、踊り、笑顔を向ける女の子の絵。


「天使……ねぇ……」


カバンの中から一枚の真っ白い手紙を取り出し、おじいさんの手元に置いた。


「返事、遅くなっちゃったね……ごめんね。ホントは、もっと早く返してあげたかったんだけど……君の居場所を探すのに時間が掛かっちゃってね。でも、良かった。間に合ったみたいで……」

彼の枯れた手に触れる。

昔の大きかった手からは想像もつかないほど細くなってしまった手に。

でも、彼の手はとても……とても……



   温かかった。



「これで終わりだね。私達の文通は……楽しみだったんだけどな……」

枝のような手に反応はなく、彼の顔に安らぎすら感じた。

「また、描いてほしかったな……私の絵を……」


でも、これは君のだから、君に預けるね。

もしも、私がそこに行けたなら。


その時は――






「小雪さん、祖父に用があったんですか?」

「うん、あの手紙をね……まぁ、読んでくれたらいいけど……」

「……そうっすね。読んでくれるっすよ」

「さて、私は帰ろうかな……長居するのも悪いし」

というと、奥からおばあさんの声が聞こえた。

「ここから歩いて帰るつもりなの」

「いえ、バス停もわかりますし、今からなら終電に間に合うと思いますから……」

「あー、それなんだけど……もうバスは走ってないんだ。この時間」

コウタくんは申し訳なさそうに、おばあさんは少し嬉しそうに言うと

「いいじゃない。泊まっていきなさい。大丈夫。部屋は離れにあるから」

と言った。

「先に言っとけばよかったっすね……本当に申し訳ないっす」

「だ、大丈夫よ。コウタくん。うん……あ、でも着替えが……」

「娘のお古があるからそれを使いなさいな。ほら、コウタちゃん、案内してあげなさい」

そのにやけ面は絶対何か勘違いしてますよね?

「案内しますよ。荷物持ちますよ」

「え、えぇ……って、コウタくんは良いの?」

「まぁ、俺がバスのこと言い忘れたわけですから、リビングのソファーで寝ればいいだけっすよ」

「それはなんか申し訳ない気がするよ……いろいろ助けてもらったのに……」

「いやいや、いいっすよ」

「コウタちゃん、お布団は二つあるんだから使えばいいじゃない」

おばあさんの言葉にやっと意味を理解したコウタくんは、耳まで真っ赤にして「そんなんじゃねぇからな」と大きな声で反論して、足早に歩いてしまった。


「すみません。うちのお祖母ちゃん。そんなに冗談は言わないんですけど……」

「いいのいいの、気にしないで」

犬走り沿いにある借家のような建物。

外観は茶色く、まるでプレハブのようだった。

「オンボロでしょ?一応、ちょくちょく俺が来てるんでキレイっすよ」

「へぇ……そうなんだ……なんだか秘密基地みたいね。この感じ」

「秘密基地……っすか」

「うん。……あれ、何かおかしいかな」

「いえ、とくには……」

そうは言うコウタくんの顔は、いまいち釈然としていない感じだった。

都会じゃないのかな……秘密基地。


「お邪魔しまーす」

玄関を開けると、眼の前にキッチンとお風呂が見え、奥には大きな部屋が見えた。

キレイに畳まれたお布団にはほのかに太陽の香りを感じた。

「荷物、ここでいいっすか?」

「あ、うん。ありがとうね。重たかったでしょ」

「全然大丈夫っす。……えっと……まぁ、ゆっくりしていてください」

コウタくんはどこかへ行こうとするが、私は一つ聞きたいことがあった。

それは


「あの絵はコウタくんが描いたの」


足を止めるコウタくんは、こちらを振り向かずに「どうしてですか」とだけ返した。

その言葉は、冷たいような、怯えたような。そんな声だった。

「すごくきれいだったから……誰が書いたのかなって思ってね……聞いたらだめだったカナ」

私の言葉を聞いたコウタくんは、ため息のような息を吐くと「そんなことないっすよ」と言い残し、部屋を後にした。



彼の横顔を見た後に、私は後悔と不安に挟まれていた。

彼を傷つけたんじゃないのだろうか。と

自分の興味本位だけで彼の踏み込んではいけないトコロへ。境界線に入ってしまったんじゃないのだろうか。と


「一人って、やっぱり慣れないなぁ……」





「――ん。起きてください。」

どこかで聞いた事のある声に、我に返る。

「寝てたんですか」

コウタくんがハンカチを差し出しながら私に聞いてきた。

それだけで私は察してしまった。



「ほんとにごめんね」

「謝らないでくださいよ。疲れてただけですし……」

「ところで、どこに向かってるの」

先頭を歩くコウタくんは、母屋の二階にある、階段を登って正面にある部屋の前で足を止めた。

「小雪さんに見せたくって……この事は誰にも言わないでください」

これからとても悪いことが起きるんじゃないのだろうか。

きっと大きな秘密を知ってしまい。私は大変なことに巻き込まれるだろう。


「……アトリエかな」

「ここ、祖父のアトリエなんです。子供の頃の俺、にもらったんですよ」

子供の頃の……

「おれ、祖父の描く姿が好きだったんですよ。上手くはなかったんですけど、その姿がどうにも楽しそうで……子供ながらに羨ましかったんだと思うんです」

コウタくんは、部屋の真ん中にある大きな机から一枚の紙を手に取った。

「俺、イラストレーターになりたいってオヤジに言ったことがあるんですよ。そしたら、鼻で笑われて、"そんな楽をしていないで働け"って……そんな事言われたんですよ」

震える声を押し出すように続ける姿を、私は何も言えず、ただただ遠くから見守るしかなかった。

「でも、俺は意気地なしだ。その時、俺は何も言えなかった。怒ることも、逆らうことも……なんにもできなかったんだ」

じっと一点を見つめながら、コウタくんは続けた。

「俺、旅に出ようと思うんです。もちろん、無計画ではないんですけど……」

かじめて、ここで彼が遠くを見ていた意味が分かった気がした。

初めて会った時も、私は凄いと言ったこの街の光景に、酷く悲観的だった意味が……


「どこに行きたいの?」

私はここでやっと声を出せた。

わたしは、彼の力になりたい。と、そう思ったからだ。

コウタくんは私の言葉に、目をキョトンとさせていた。

「だって、一人で行くのは寂しいし、不安でいっぱいなんだ。きっと夢なんて簡単に潰されちゃう位に……だから、私は君の夢を守りたいと思った。救いたいと……ううん、そんな大層な気持ちじゃない。私は、君の夢を近くで見てみたいと思ったの。だから……」


私はあなたと一緒にいたいと思った。







「コウちゃん。小雪さん。晩ごはんができたわよ」

一階からどこからでも響く元気なおばあさんの声が聞こえた。

「はーい。コウタくん。行きましょう」


食卓に並んだのは、赤飯に鯛の塩焼きとまぁ……とても豪勢だった。

「すごいですね……」

「お買い物中に今日のことを話したら、拓さんが持ってきてくれたのよ。その鯛。とっても大きいでしょう」

「ははは……」

どう誇張したら話が大きくなるんだろう……

「この唐揚げ、やけに大きいですね。拳ぐらいありますよ」

「うふふ、いっぱい食べてね」

とはいうが、これはちょっと、いやかなり多い気がした。




「お風呂が凄く大きかった。おばあさんしか使わないって言ってたけど、大変よね」

「再来月から姉夫婦が住むらしいんでちょうどいいらしいですよ――って、なんですかその服」

これを着なさい。と渡されたものを着てみたものの……そうだよね。うん、だと思った。

胸元に切込みが入ったセーターだもんなぁ。

でも、これ。お風呂上がりのムレを抑えられ……いや、そうでもないか……

「こんな服もあるんだね。初めて見たわ」

「なんでこんなモンがあるんだよ。全くあのバーさんは」

耳まで真っ赤にしながら顔を背けるコウタくんは、悪態をつきながら部屋の隅に逃げてしまった。

「……そういえば、話があるんだけど……」

背中を向けるコウタくんに話しかけると、顔だけ横に向けて「なんです?」と返してくれた。

「さっきの話……」

「さっきの……あ――」

少し頭の中を探った後、コウタくんは察したように声を出した。

「その事なんですけど、やっぱり、遠慮しておきます」

……だよね。

心が理解していても、体は理解していない。いや、どっちも理解なんかしていない。

きっと、その姿を見たからだろうか。コウタくんは言葉を続けた。

「もしも、一人で何かをできなかったら、俺……一生何もできないような気がするんです。――いや、何もできていなかったんだ。って……だから、俺一人でやりたいんです。成し遂げたいんです。だから――」

コウタくんは、前傾姿勢に早口で一気に思いの丈を吐き出した。

その目に写った瞳は、今日見た虚しい目とは別物の瞳だった。

真っすぐと私よりも遠くを見ている彼。

「だから――待っていてほしいいです。俺、いつかきっと……いや、絶対、また会いに行きますから……だから――」

彼はここまでの言葉を言った後、自分の言葉の意味を察して、そのまま耳まで真っ赤にしながらうつむいてしまった。

彼は、小さく「えっと……その……」とだけ繰り返す。

私はといえば、コウタくんの赤面する姿が同仕様もなく愛おしく感じてしまった。

だからこそ……

「そっか……わかった」

と私は一枚のメモを彼に渡した。

「これは」

「住所。分からなかったら来れないでしょ」

「あ……そっか……」

「え……気づいてなかったんだ」

「……必死で、つい……」

誤魔化しで頭を掻く姿に、私は一言。

「待ってるから」

と言い残し、お布団の中へ潜った。

「え……」

とだけ返ってきた言葉は聞こえているのやらわからなかった。






「それでは、色々とありがとうございます」

「気をつけてねぇ。これ、帰りの電車の中で食べなさい」

おばあさんは巾着に包んだおにぎりを渡してくれた。

「あ……ありがとうございます」

「駅まで着いていきますよ。そこまでは俺も行くんで」

「うん、ありがとう。コウタくん」

ずっと遠くの方にいても、大きく手を振るおばあさんの姿を背に、バス停まで歩く私達。

その間に、会話と呼べるものはなく、ただただ前を見て歩くだけだった。


バス停に着くと、丁度駅方面のバスが向かってきた。

そのバスに乗ると、窓側の席が2つ空いていた。

「良かったね。席が空いてて」と私が言うと

「そうですね。あ、荷物持ちますよ」とコウタくんは返してくれる。


少しぎこちない感じが拭えない。

言葉に詰まりながらも、私は笑うことしかできなかった。


振られ振られるバスの中で私は、どうしようもない気持ちでいっぱいだった。

彼のココロはどうなってるんだろうか。

わたしと、彼との間にある壁があるような。

近いようで遠い。この遠距離の感覚はなんだろうか。


「――さん、着きましたよ」

後ろに座ったコウタくんが声を掛けてくれたおかげで、私は帰ってこれた。

「――うん」



バス停を降りると、往来する人だかりに圧巻していると、コウタくんが腕をつかんだ。

「人が多いですから、途中まで案内します」

そう放った彼の姿は、とても大人びていて。引く手は力強かった。

「あの……ありがとう……」

「……」

何も言わず前を歩くコウタくんに、届いたのか届かなかったのかはわからなかった。それでも、わたしはとても嬉しかった。





「ここまでありがとうね。コウタくん」

「小雪さんも、元気で」

改札近くで、簡単な挨拶をした私達。

続かない会話。過ぎていく時間。

「もう……行かなきゃ……じゃあね」

後ろ髪を引く手を振りほどくように、私は改札の向こうへ歩いていった。
















「うーん。よし」

腕を上げ体を伸ばすと、関節が小さく鳴った。

「さて、帰ろうかな。その前に、っと」

デスクから立ち上がり、給湯室へ向かう。

小型の冷蔵庫を開け、楽しみにしていたプリンを探す。

「ない……なくなっってる」

大きな声に、一人のスタッフが慌ててやってきた。

「どうしました。叶さん」

「ここに入れておいたプリンが……」

「あー、多分、専務の北見さんだと思いますよ。たしか、昼にプリンを食べてましたし」

「そ……そんな……」



帰路の足並みはいつにもまして重い。

一つ一つ脚を上げるのもだるい。

「最悪だー。うらめしい……」

口の隙間から溢れる言葉、きっとそれは周りを不幸にするんだろう。

今の私にはそれすらも関係なかった。

周りが不幸になろうが知ったことではない。むしろ、この不幸を分け与えたい位だ。

しかし、定時過ぎの午後8時の街にはポツポツと帰路や遊びに出かける人間の姿しかなかった。

そんな人の耳には、きっと私の声なんて届かない。

そんなものだ。他人なんて関係のないものだ。

「……」

行き交う人々に毒を吐いたところで何も変わらないことは知っている。

知っているが、それはどうにも止まらないのだ。

だからこそ……

「帰りに買って帰ろう」

という結末になる。


が、しかし……

「売ってない……」

コンビニやスーパー、スイーツショップにすら影も形も見当たらない。

なんだかオカシイ……

「こういう時に限って、どうして売ってないのかなぁ……」


望む時ほど、それは遠く遠く離れていく。

待てば待つだけ、後悔が積み上がっていく。

それが一体なんなのかも解らなくなっていく。


アパートの階段が絶壁のようだ。

そんな比喩が頭を過るほど、私の足は重たかった。一段、一段と足をあげる度に、地面がへこむくらいに踏み込む。

錆びた階段はいつもより大きな音でそれに答える。

それだけ、私の気持ちも重たくなっていく。


「ただいま……」

吐き出すように挨拶をするが、暗い部屋から声が帰ってくるわけもない。いや、帰ってきたらそれはそれで困るけど……

靴を脱ぎ捨てるように足で投げると、玄関の扉に当たった。ひっくり返る片割れの靴に手を伸ばすと、ドアに備え付けてあるポストに一通の封筒が入っていた。

「誰からだろう」



送り主は書いていない。

住所もない。表に"叶 小雪様へ"とだけ書いてあった。


「……もしかして」


口を少し乱暴に裂く。

そこには二枚の紙が入っていた。

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