元聖女が見上げるのは春の花弁舞う空
毎度お付き合い頂きありがとうございます!特に補足というつもりで書いたものではないので、物足りないかもしれませんが、書きたいものが書けて大満足です!!
どんな人生だったかと聞かれれば、わたしは間違いなく、波乱万丈な人生だった、と答えるだろう。
聖女の役目を降り、屋敷を与えられ、早数年。我ながら頑張って務めを果たしたものだと思う。
この季節は、大きな窓を開け放して、安楽椅子に腰掛け日向ぼっこをするのが殊更気持ち良い。うちの殺風景な庭も、これはこれで良いものだけれど、ご近所では花が咲き乱れる庭園ばかりなので、春の麗らかな日差しと、どこからともなく香る花の匂いが安らいだ気分にさせてくれる。
わたしはふと、空に手を伸ばす。
下町に住んでいた頃の荒れた手とも、聖女として暮らしていた頃の白魚のような手とも違う、しわしわになったかさついた手は、ここまで生きてこられた勲章のようなものだ。
聞いた話によると、わたしの歳まで生きられた人間はそうそういないらしい。
「もうすっかりお婆ちゃんだものね」
くすりと笑みが零れる。
この老いさらばえたわたしを見れば、かつてわたしに纏わり付いてきていた彼らの百年の恋も冷めるだろう。
最も、彼らも殆どがとっくに天に召されてしまっているのだろうが。
ここ最近は、今までの波乱に満ちた人生を思い返す事が増えた。
そろそろ、わたしの元にもお迎えが来るという事なのかもしれない。
「まさか、こんなに安らかに過ごせる時が来るなんてね――」
小さい頃から容姿を褒められる事が多かった。
「別嬪さんだねぇ」と言われるたびに、「そうだろう、うちの娘は世界一可愛いんだ」と両親が撫でてくれるのがこそばゆかったのを、よく覚えている。
友達はかなり多い方で、同年代の男女問わず顔が広かったので、道を歩いていて一番に会った子達と遊ぶのが日課だった。
あの頃は楽しい事ばかりだった気がするのは、思い出補正なのかもしれない。
特に思い出が多いのが春で、風が吹いて、ざああ、と花びらが踊るのを見るのが好きだったのだと気付いたのは、聖女認定されて気軽に外に出れなくなり、それが見られなくなってからだった。
道という道が、名も知らぬ木から散った、ほんのりと薄い色の花びらの絨毯で埋め尽くされて……店先を掃除するおじさんやおばさんは迷惑そうだったけれど。
そうそう、女の子達とは花畑で花を摘んで、花冠を作ったり、匂い袋を作ってみたり。
男の子達とは、駆け回ってチャンバラしたり、ごっこ遊びをしたりもしたっけ。
ここまでが、わたしの最も幸せだった記憶。
兆候はあった。
何故だか昔から、わたしの側にいると傷や打ち身の痛みが和らぐ、と、転んだ子や親に拳骨を食らった子が着いて来たり。
腰痛で悩む近所のお婆ちゃんの腰をさすったら目に見えて良くなったのは、最初は凄い凄いと冗談半分に持て囃されたりしたものだ。
しかし、忘れもしない、13歳の冬に、わたしの額に聖女の印が浮かび上がったのだ。
隠す間も無く知れ渡り、わたしは一旦教会預かりになった。
親や友達とは今生の別れとなる事には薄々気付いていて、本当は断りたかったけれど、拒否権など無かった。
そして教会で聖女の力を開花させ、城に移り、生活は昔からは考えられない程に贅沢なものになった。
そこからはただただ必死だった。
貴族相手でも困らない作法を叩き込み、周りが考える『聖女らしい聖女』としての態度を心がけ、常に周りの目を気にして。
上手くやっていたと思う。ただ、唯一にして最大の失敗は、友達になりましょうと近付いてくる貴族の子息達へ、下町の男友達を相手にするように接してしまった事だろう。
言い訳をさせてもらえるならば、まだわたしは根っからの『平民』で、ついでに『友達』に飢えていたのだ。まだ平民時代は幼かったという事が多分にあるだろうが、女の子の嫉妬心というものに無頓着だった事もまずかった。
わたしの至らなさが、あの悲劇――侯爵令嬢の処刑などという惨い悲劇を引き起こしたのは、紛れも無い事実だ。
当時は、必死に嫌がらせをくぐり抜けて元凶がいなくなったと思ったら、わたしへ批判が集まって、どうしようもなく荒れに荒れたが、年老いた今では、彼女の気持ちが分かる気がするのだ。
気がする、に留まる辺りが、恋も何も体験してこなかった枯れた女の精一杯である。
友達という関係からは逸脱しつつあった、貴族の子息達を引き剥がしてくれた、元王太子殿下……現国王陛下には、皆に悪いが実はかなり感謝している。
お陰でそれからの生活は一変し、前までは考えられなかった女友達が、多くはないが少なくもない数出来たのだ。
ただ、わたしがお姉様と慕う令嬢がいる一方で、わたしをお姉様と呼び、懐いてくる令嬢もいたりして、改めて貴族と平民の『友達』の認識の差に驚いたりもしたが。
「お客様がお見えになっておりますよ」
「分かったわ」
わたしは思考を断ち切り、近頃上手く動かなくなってきている身体をゆっくり起こして、歩み始めた。
視界の端に、あの薄い色の花びらが見えたような気がして立ち止まる。
「あの木は、何という名前だったのかしら、ね」
もう政治的に意味を持たないわたしの元へ訪れるのは、癒しを求める患者か、随分減ってしまった友達くらいのものだ。
今来たのはおそらく、約束していた年下の友達だろう。
年下といっても、彼女もかなりの高齢だ。どちらが先に天に召されるか、なんて最近は笑いながら話したりもする。
――ねえ、侯爵令嬢様。もうそろそろわたしもあなたの所へ行くわ。出会いが最悪だったのは本当にまず謝りたいのだけれど……わたし達、案外、いいお友達になれるのではないかしら。
このシリーズの補足として活動報告を書いてみたので、よろしければご覧ください。