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エンドリア物語

「アーロン隊長の憂鬱な一日」<エンドリア物語外伝88>

作者: あまみつ

 ニダウ警備隊の隊長を務めるアーロンは、朝から憂鬱だった。

 早朝4時、夜番のニダウ警備隊隊員に起こされた。原因はロラム王国からの使者。まだ、ニダウの町に入る門が開く時間の前だというのに、門番に至急アーロン隊長に会いたいと談判したらしい。アーロンが『わかった。開門を認める』と言ったのだが、ロラム王国の使者の希望は『アーロン隊長に会いたい』で『ニダウの町に入りたい』ではなかった。

 暖かいベッドに別れを告げ、渋々ロラム王国の使者に会いに行った。使者が持っていたのは、黒塗りの豪華な木箱。『ロラム国王からシュデル・ルシェ・ロラム様へのプレゼント』と言って渡された。『自分で持って行け』と言ったのだが『我々が持って行っても受け取ってもらえない。シュデル様に受け取ってもらえなかったら、我々の一族はロラム王国の役職を追われ、路頭に迷うことになる』と、泣きつかれた。礼にと差し出された金貨を断り、桃海亭に持って行った。

 扉が開かなかった。

 理由がわかっていたので、扉を蹴飛ばして中に入り、カウンターに箱をおいた。店内にある道具たちに『シュデルの親父さんからのプレゼントだと言って……』そこまで説明したところで、木箱が外に放り出された。誰もいないのに、勝手に宙を飛んでいった。アーロンはキケール商店街の通りに放り出さされた木箱を回収すると、再びカウンターに置いた。そして大声で言った。『今度放り出したら、ロイドさんに言いつけるぞ』

 木箱は、今度は放り出されなかった。『シュデルに言っておけ』そう言いおいたアーロンは桃海亭を出ようとした。『待ってください!』シュデルが階段を駆け下りてきた。『差し上げます』『いらない』『僕もいりません』『中身を知っているのか』シュデルが箱を開けた。バラの香りが店内に広がった。中に入っていたのは、ピンクの巨大なプリン。白い冷気が立ち上っている。『母が好きなバラの香料を混ぜて作ったのです』ロラム王が命じて作らせたものならば、一級品のプリンなのだろうが、鼻が曲がりそうなほど香りが強い。『ウィルとムーに食わせろ』シュデルが食べなくても、飢えているウィルと甘い物好きのムーなら食う。『2人とも食べ飽きているのです』魔法のかかった高級な保冷箱に入れられたプリン。材料は一級品。運送は王室専用の大型飛竜だろう。ものすごく金のかかったプリンが、食べてもらえない。『キケール商店街に甘いものが好きな人はいないのか?若い女性とか好きそうだが』『皆さん、食べ飽きています』『ダメか』『そういえば、リコさんは食べていません』『花屋のリコか?』『よろしくお願いします』押しつけられた。保冷箱ごとフローラル・ニダウに持って行き、寝ていた店の主人を起こして渡した。うんざりした顔で『これですか…』と言ったところをみると商店街では有名な代物らしい。

 寝るためにベッドに戻ろうとキケール商店街の通りを歩いている、梯子を担いだ5人組に出会った。『桃海亭はやめておけ』と注意したら、剣を向けられた。『行きたければ行け。ただし、今は黒髪の機嫌が悪いぞ』と言うと、あっさりと戻っていった。これで寝られると歩き始めたところで悲鳴が響いた。場所は見なくてもわかっていた。尋常じゃない悲鳴に、桃海亭のところまで駆け戻った。

 鼻が歩いていた。高さ2メートル、直径2メートル。三角錐の鼻の真下に、細い足のようなものが2本ある。目も口もない。鼻だけだ。『助けてー、助けてー』という声が鼻の穴から流れ出ている。桃海亭からシュデルが飛び出してきた。アーロンを見つけると叫んだ。『ムーさんは店長が縛って、納戸に放り込みました』それより重大なことがあるだろうと、アーロンは大声で聞いた。『この悲鳴は誰のものだ。いつ食べられたんだ!』『悲鳴に聞こえますが、召喚獣の鼻息です!』召喚獣の鼻息。状況はわかったが、アーロンは念のために確認した。『失敗召喚か?』『はい』返事をしたシュデルの後から、桃海亭の店主ウィル・バーカーが飛び出してきた。『おとなしくしやがれ!』輪になったロープを投げて、鼻にかけようとした。鼻は器用によけると、鼻孔から空気を噴出した。息と共に飛び散った鼻汁がウィルの顔にかかった。『うぎゃぁーーーー!』ウィルが地面に転がった。『大丈夫か!』『…鼻汁………こいつの鼻汁が………』『酸か!』『デッリドレ茸とヨダレと同じ匂いがする!』デッリドレ茸は熱帯地方にしか生息しない巨大モンスターだ。アーロンは頭を振った。ウィルが嘘をついていないのはわかっている。デッリドレ茸に食われかけたのだろう。デッリドレ茸も根性がない。ウィルと、ついでにムーを食ってくれていれば、今日のニダウは平和だったはずだ。『逃げてください!』シュデルの声が響いた。鼻がアーロンとウィルの方に歩いてくる。『モルデ!』シュデルの声と同時に、銀色の鎖が桃海亭から飛び出してきた。鼻の細い足をからめ取る。『よっしゃ』とウィルがロープで縛って、桃海亭に引きずっていった。悲鳴で駆けつけた観光客達は、巨大な鼻に驚き、感動して、口々に感想を言っている。キケール商店街の住民は誰も出てこない。ほぼ毎日のことで寝ることを優先している。

 アーロンは2度寝をあきらめ、警備隊の詰め所に向かった。『アーロン隊長!』菓子屋の前を通りかかったとき、何かを投げられた。受け取ると半分に折られた三角形のクッキーだった。『フォーチュンクッキーをまねて作った占いクッキー。隊長さんが良き一日でありますように』『ありがとう』礼を言ってクッキーを割った。クッキーは口に放り込み、中から紙片を広げた。

『女難の卦あり。注意』

 あれのことかなとアーロンは憂鬱になった。



「隊長、また来ていますよ」

「またか」

 警備隊の詰め所に入ると同時に渡された封筒を受け取ったアーロンはため息をついた。

 分厚い。

 宛名は『エンドリア王国ニダウ警備隊詰め所 アーロン隊長様』

 それだけしか書いていない。差出人に至ってはさらにいい加減だ。

『あなたのアテフェより』

 アーロンに『アテフェ』という名の知り合いはいない。仕事柄観光客と多く関わるので、会ったことがあるのかもしれないが、名乗られた記憶はない。ルブクス大陸東方の国によくある名前だ。

「開けないんですか?」

 アーロンが分厚い手紙をにらんでいると、グッド隊員が聞いてきた。笑いをかみ殺している。

 アーロンは収納庫のところに行き、【未処理:不審物】のラベルの貼られた扉を開いた。30通を越える手紙が積み重なっていた。その一番上に、手紙を乗せて扉を閉めた。

「隊長、読まれないんですか?」

「宛先を間違えている可能性が高い」

 グッド隊員は肩をすくめると、書類の整理を始めた。

 アーロンは椅子に腰掛け、ぼんやりと外を眺めた。

 一通目は開封した。心当たりがなかったからだ。

 中に書かれていた内容は、意味不明だった。

 いま、あなたの為に花嫁修業をしている。離れた地にいるが、あなたのことを忘れたことはない。私のことを忘れないで。

 読んでいて目眩がした。2通目は翌日についた。それから毎日、分厚い手紙が届いている。

 目の前をコンティ医師が走っていくのが見えた。コンティ医師を追って、魔法協会エンドリア支部の支部長、ガガさんが走っていく。何かあったらしいが、詰め所に駆け込んでこないところをみると警備隊は関係ないことらしい。

 少しはのんびりできるとアーロンは椅子の背にもたれた。

 午前中は静かな一日だった。道案内が6件、迷子が2件。

 昼少し前に、コンティ医師がキケール商店街の方に駆けていくのが見えた。先導しているのはキケール商店街で雑貨屋を営んでいるワゴナーさんだ。詰め所の側を走っていったが、アーロンには何も言わなかった。こちらも警備隊には関係のない事案らしい。

 昼食は近くのパン屋でハンバーガーを3つ買った。久しぶりに昼食がのんびり食べられると詰め所に戻ってくると、グッド隊員が代わりに昼食を買いに出た。買ってきたハンバーガーをテーブルに上に乗せた。その時になって、綺麗な宝石箱が乗っていることに気がついた。金細工の飾りがふんだんに施され、宝石がいくつもはめ込まれている。アーロンが留守にしている間に持ち込まれたものらしい。グッド隊員が帰ってきたら事情を聞こうと、飲み物を入れるためにポットに茶葉を入れ、お湯を注いだ。良い色の抽出されたところで、マグカップに入れて、テーブルに戻った。

 ハンバーガーがなかった。

 詰め所いるのは、アーロンただひとり。

 犯人は。

「なぜ、食べた?」

 宝石箱に聞いた。

 聞いてから、アーロンは反省した。桃海亭の連中に毒されている。自分は宝石箱相手に何を言っているのだろう。

 空きっ腹を抱えて、茶を飲んでいるとグッド隊員が戻ってきた。

「これは何だ?」

 アーロンが宝石箱を指すと、顔色を変えた。

「な、なんで、あるんですか!」

「私が聞いている」

 グッドが早口で言った。

「ムー・ペトリが持ってきたのです!」

 血の気が引いた。

「なぜ、受け取った!」

「受け取っていません!桃海亭で預かってくれるように頼みました。ムー・ペトリは持ち帰りました」

 持ち帰ったはずの宝石箱が、なぜここにある。

「どいていろ」

 グッド隊員を詰め所から出すと、アーロンはロングソードを抜いた。

「とりゃぁーー!」

 かけ声と同時に剣を振り下ろした。

 宝石箱が横にスライドした。テーブルに触れる直前で刃をとめた。

「………モンスターか」

 アーロンは再び、剣を振り上げた。

「待って!」

 宝石箱の蓋が、パカパカと開閉した。声と連動している。

「ボクはいいモンスターだよ」

「私のハンバーガーを食ったな?」

「お腹が空いていたんだ。桃海亭はご飯をちょっとしかくれないんだ」

「桃海亭にいたのか?」

「うん、魔法道具と間違えられて持ち込まれたの。前のお家は食堂にいっぱいご飯があったから、夜中にこっそり食べられたの」

「桃海亭がお前を買い取ったのか?」

「ううん、モンスターだとバレちゃって、前のお家も帰れなくなって、桃海亭に置いてもらうことになったんだ。でも、ご飯がちょっとしかもらえなくて、死んじゃうといったら、ここに連れてきてくれたんだ」

 宝石がキラキラと輝いた。

「ここに住んでいい?」

「ここには食事を作る設備はない」

「さっきのハンバーガーでいいよ。美味しかった」

 ボカッ!

「痛い、何すんだよ!」

 宝石箱が文句を言った。

 アーロンは詰め所の前にいるグッド隊員に声をかけた。

「ムーを呼んでこい」

「来ないと思います」

 宝石箱がバコバコと暴れた。

「イヤだよ!桃海亭には戻りたくないよ!」

「モンスターを飼う酔狂な人間はニダウにはいない」

「ボクはいいモンスターだよ」

「いいモンスターだというなら、それを証明してみせろ」

「ボクは………ええと……」

「桃海亭行きだな」

「そうだ。ネズミとか、コウモリとか、食べられるよ」

「洞窟モンスターの主食だな。そうか、お前はミミックか」

「違うよ。バチョい木箱と一緒にしないよで」

 また、バコバコと宝石箱が暴れた。

 聞き分けのない子供と話している気分になってくる。

「あの、隊長」

 グッド隊員が店内に入ってきた。

「オレにまかせてくれませんか?」

 グッド隊員が迷子の扱いがうまいことを思い出した。

「頼む」

 グッド隊員と位置を変わった。その時になって、詰め所の出入口周辺には多数の見物客が取り囲んでいるのに気がついた。しゃべる宝石箱を興味深そうに見ている。

 グッド隊員はテーブルの宝石箱に優しく語りかけた。

「ボクのお名前はなんていうんだい?」

「ボクはね、ベゲ……違ったの。ジュエルなの」

 宝石箱にジュエル。偽名だとバレバレだ。

「ジュエルくん」

 グッド隊員が聞いた。

 宝石箱は返事をしない。

「ジュエルくん?」

「ボクのこと?」

 宝石箱が不思議そうに言った。

「本当のお名前は?」

「…………ベゲゲゲ」

「ベゲゲゲくん、桃海亭はそんなにイヤかな?」

 宝石箱がうなずくようにパコパコと開いた。

 そして、猛烈な勢いで話し始めた。

「あのね、お腹が空いたから『ご飯ください』と言ったの。チビの魔術師がボクを調べて『一日に必要熱量は豆3粒しゅ』と言ったの。そしたらね、毎日豆3粒しかくれないの。時々優しいお爺さんが乾燥したお肉をくれたの。綺麗なお兄さんもこっそりソーセージをくれたの。でも、怖いお兄さんがいるから、いつもは豆3粒だったの。ここに来たとき、お腹がペコペコだったの」

「大変だったね。ベゲゲゲくんは、これからどうしたい?」

「ご飯を食べさせてくれるお家に行きたい」

「ベゲゲゲくん。とても残念なことだけれど、ベゲゲゲくんは野生のモンスターだから、人間と住むことはできないんだ」

「嘘だ!桃海亭にいたもの」

「桃海亭に人は住んでいないんだ。あそこにいるのは人の形をした別の生き物なんだ」

「そうだったんだ。ボクも不思議だったんだ。前にいたお家の人と全然違ったもの」

「そうだよ。だから、ベゲゲゲくんは野生に戻るか、魔法協会に飼われるか、どちらかを選ばなければならないんだ」

「ボク、どっちもイヤだ」

「野生に戻るなら、途中まで送っていくよ」

「洞窟キライ!」

 アーロンは『ミミックだな』という言葉をグッと飲み込んだ。

「ボク、お日様が大好き。ほら、キラキラだよ」

「魔法協会に行くかい?」

「イヤだ!魔法協会はモンスターの敵だ!」

 宝石箱はバタバタと音をたてて暴れた。

 野次馬の中から松葉杖をついた子供が現れた。右足に包帯が巻かれている。

「僕の家においでよ」

 宝石箱に言った。

「うん、行く」

 宝石箱がテーブルからピョンと飛び降りた。

「こら、勝手に知らない人についていかない」

 グッド隊員が両手で宝石箱をつかんだ。

「ボク、行くんだ!」

 宝石箱がグッド隊員の手の中で暴れた。

 アーロンが松葉杖の子供に言った。

「こいつは宝石箱に見えるが、危険なモンスターだ。人は飼えないんだ」

「ボクはいいモンスターだよ」

「ほら、ベゲゲゲくんも言っているよ」

 宝石箱が子供の方に向いた。

「こんにちは」

「こんにちは、僕は………」

「待ちなさい」

 初老の男性が子供を止めた。

「アーロン、私がその宝石箱を預かろう。責任も私が持つ。それでどうだろう?」

 アーロンは初老の男を知っていた。先日、王宮で会ったばかりだ。タンセド公国の大公の一族だったはずだ。

「恐れながら申し上げます。ミミックの可能性があります」

「わかった。私の方で気をつけよう。もらっていっても良いか?」

 アーロンの立場では断れない。

「どうぞ、お持ちください。くれぐれも油断されないようご注意ください」

 グッド隊員が宝石箱を子供に渡した。松葉杖をついている子供は持ちにくそうで、初老の男性に渡した。

「宿まで預かってね」

「わかりました」

 宝石箱を恭しく、受け取った。

 アーロンは頭が痛くなった。

 子供の方が、身分が上らしい。

 遠ざかっていく3人。会話が耳に入った。

「ベゲゲゲくん、良かったね。一緒に暮らせるよ」

「ありがとう。それでお願いがあるんだ」

「なんだい?」

「ベゲゲゲくんじゃなくて、ベゲゲゲちゃんと呼んでくれないかな」

「あれ?もしかして」

「ボク、女の子なんだ」

 今日のクジをアーロンは思い出した。

【女難の卦があり】

 モンスターの雌も、女に入るのかなとアーロンは思った。



 宝石箱型のモンスターがいなくなり、野次馬もいなくなった。静かな詰め所の風景に戻って、5分ほど経ったときだった。

「おい、アーロンはいるか?」

 詰め所の入口に現れたのは、賢者ダップ。有名な賢者だが、世界屈指の腕を持つ医療系魔術師であることはあまり知られていない。ダップの名を広めているのは腕っ節が強く、殴る蹴るは日常茶飯事、やりたい放題の自己中の暴力賢者だからだ。

「何かご用ですか?」

 人間の屑でも賢者様。無視するわけにはいかない。

「ちょいと、結婚してくれ」

 いきなり、意味不明なことを言われた。

「誰が誰と結婚するのですか?」

「オレ様とお前が、結婚するんだ。ほれ、神父も連れてきた」

 ニダウ聖教会のドレイパー神父が、視点の合わない目をして立っている。

「これより、結婚の儀を執り行う」

 呟いたドレイパー神父の額にダップの指が触れた。神父が黙った。

「10分間、開始を延期させた。その間に、準備をやっちまうぜ」

「準備というのは、何の準備ですか?」

「オレ様とお前の結婚式」

 ダップの笑顔に、アーロンは頭が痛くなった。

「私はダップ様と結婚する予定はないのですが」

「気にするなよ」

「しかし」

「そっちはなくても、こっちはあるんだ」

 ダップが凄みを利かせた。

 2年前のアーロンなら、言いなりになっただろう。だが、今のアーロンは恐怖を感じなかった。

 神経が太くなったというより、麻痺した感じだ。

「私は結婚するつもりありません」

「おいおい、言ってくれるね」

 楽しそうにダップが笑った。

「午前中に魔法教会のブレッドに求婚したら、いきなり血をドバッと吐いて、ぶっ倒れやがった。ガガの野郎が『ブレッドの命に関わるから、許してやってくれ』と泣きついてきやがった」

 コンティ医師が魔法教会の方に走っていった理由がわかった。

「今度は逃がさないぞ」

 ダップが不適に笑った。

「ダップ様、魔法教会からここにくるまでに、どこかに寄りませんでしたか?」

「わかるのか?」

 黙ってうなずいた。コンティ医師がワゴナーさんと走っているのを見たことは話さなかった。

「道具屋にプロポーズしたら、逃げやがった」

 桃海亭のウィルのコマンドは、逃げる、逃げる、逃げる、だ。今回も逃げたらしい。

「商店街で魔法を山ほどぶっ放したんだが、一発も当てられなかった」

 魔法が当たらなかったのなら、怪我はしなかったはずだ。だが、コンティ医師は走っていた。

「その後、いきなり、ぶっ倒れてな。診察したら、空腹と栄養失調だった。面倒だから、放って置いた」

 飢え死にしかかっているのに、宝石箱のモンスターに豆3粒もあげるウィルは良い奴だとアーロンは思った。だが、ニダウにはいてほしくないとアーロンは強く思った。

「他に若い男はいないかと思ったら、お前が頭に浮かんだ」

【女難の卦あり】

 暴力賢者ダップとの結婚。

 これほどの女難はないかもしれない。

「さあ、結婚式を始めよう」

「他の方をお探しください」

「探したさ。ここにくるまでの間に何人もプロポーズしたのに………根性なさすぎだろ」

 ダップが扉を拳で殴った。一撃で扉が粉砕された。

「オレ様はお前でなくてもいいんだ。どちらかというと、従順なタイプがいい」

 そう言ったダップは、アーロンの隣に立っているグッド隊員に目を向けた。

「そうだ、お前でいい。オレと結婚しろ」

 求婚されたグッド隊員は、恐怖で声が出せないらしい。冷や汗を滝のように流しながら、首を何度も横に振った。

「見るからに下僕だ。気に入った。よし、オレ様の夫にしてやる」

 ダップがグッド隊員の肩を叩いた。それほど強い力ではなかったが、グッドは床にくずれた。

「おい、大丈夫か!」

 アーロンがのぞきこむと、白目をむいて気絶していた。

「またかよ」

 ダップが頭をボリボリ掻いた。

「オレ様が結婚してやるというのに、返事の前に気絶しやがる。平然としていたのは道具屋とお前だけだ」

「ダップ様」

「なんだよ」

「なぜ、結婚しようと思ったのですか?」

「親父が婚約者を決めやがった。来月、結婚式だ」

 ふてくされた顔でダップが答えた。

 ダップの生家はラルレッツ王国の貴族にあたる魔術師の一族だ。そろそろ落ち着かせようと父親なりに頑張った結果だろう。

「お相手の方が気に入らないのですか?」

「親父が決めたところが気にくわない」

「一緒に暮らしてみれば、気の合う方かもしれません」

 ダップもニダウを騒がす問題人物のひとりだ。ダップがニダウに来なくなれば、アーロンの仕事も少しは楽になる。

「19歳のガキだぞ。相手する気にもなれるかよ」

「ブレッドもウィルも、それくらいの年齢だったと思いますが」

「あいつらはいいんだ。人じゃないから」

 ウィルは宝石箱にも賢者にも、人の分類に入れてもらえないらしい。

「これより、結婚の儀を行う」

 ドレイパー神父が呟いた。

 ダップが感慨深げに言った。

「これで、オレ様もルイーザ・アーロンか」

「他の方をお探しください」

 断ったと同時に詰め所の外に飛び出した。予想通り、アーロンの立っていた場所が粉砕されていた。魔法弾を打ち込んだ後だ。

「ダメだろ。夫は素直なのが一番だぞ」

 笑顔のダップが近づいてくる。

 ダップはロングソードを鞘がついたまま握った。賢者に剣を向けるの、ニダウの警備隊としてはあるまじき事だとはわかっていた。が、ダップに夫になることを強制的にされるなら、これくらいの抵抗は許されるはずだ。

「鞘を抜かないとは、オレ様も見くびられたものだ!」

 グハハハッと笑ったダップが、殴りかかってきた。

 早い。とっさに避けたが、かすった頬から血が飛び散った。ほぼ同時にかけられた足払いは剣で受けたが、地面を削りながら1メートルほど後退した。

「おやめください。これ以上やるというなら、私も剣を抜きます」

「おもしれぇ。さっさと抜きやがれ」

 ダップが腕をグルグル回した。

 剣を抜いても勝てるかわからない。おまけにダップは白魔法の達人だ。ニダウの町中で魔法を放たれたら、怪我人がでるおそれがある。

「わかりました。ルイーザ・アーロンになることを受け入れます」

「本当か?」

 疑いの目でダップが見た。

「嘘はつきません」

「やけにあっさりしているなぁ。オレ様としては、もっと抵抗して、ズタズタになったところで、魔法で強制的に『夫と生きることを誓います』と言わせるつもりだったんだけどなぁ」

 アーロンはダップの婚約者に同情した。

「よし、神父。これから、オレ様に聞け」

 あきらかに何かの魔法をかけられているドレイパー神父は、ぼそぼそと言った。

「ルイーザ・ダップ。あなたはアーロン……………」

 そこでドレイパー神父は黙った。

「おい、こら、進めろ」

「……アーロン…………………」

「そうか。おい、お前のファーストネームはなんていうんだ?」

「ダップ様はご存じだと思います」

 とぼけた。

 ダップと戦えば、回りに被害がでる。勝てる可能性も低い。負ければ確実に夫にされる。

 だから、アーロンはウィルの戦い方を見習うことにした。

「教えないと、こいつを殴るぞ」

 腕に抱え込んだのはドレイパー神父。使えるものは神父でも使うらしい。

「お待ちください。神父様はこの町で非常に尊敬されている方です。まず、その手を離してください」

 ウィルは弱い。戦闘力はゼロに近い。だから、逃げる。とことん逃げる。

「わかっているぞ、お前、時間稼ぎをしているだろう」

 ダップが薄く笑った。

 読まれている。

 逃げきれないとき、勝たなければならないとき、ウィルは戦う。ただし、実際に戦うのはムー。強者の力で、相手をねじ伏せる。

「アーロン、諦めろ。お前じゃ、オレに勝てない」

 アーロンもそのことはわかっていた。

 だが、アーロンはニダウ警備隊の隊長。町のことは誰よりもよく知っている。ほぼ毎日、この時間、アロ通りから、こちらに向かって歩いてくる人物がいる。

「アーロン隊長、よい天気ですな」

 杖をついた黒魔術師。ニダウの頼れる人気者、桃海亭のハニマン爺さんだ。

「こんにちは」

 アーロンは笑顔で答えた。

 人の良い笑顔を浮かべた爺さんだが、リュンハ帝国の元皇帝、攻撃魔法の達人だ。

「おや、お前さんもいたのか」

 前皇帝はダップにも笑顔を向けた。

 ダップが停止している。

 まさか、自分より強い人物がこのタイミングで現れるとは思っていなかったのだろう。

「腕にいるのはドレイパー神父のようだが、どうかしたのかな?」

 前皇帝、ドレイパー神父がダップの魔法で操られているとわかっていて聞いている。

 アーロンは食えない爺さんだと思った。

「これは……結婚式を頼もうと思って………」

 ダップがしどろもどろで答えている。

「おや、結婚するのかい。おめでとう」

 杖を腕にかけると、パチパチと両手で拍手をした。

 ダップがひきつっている。

 前皇帝の両手があいた。攻撃魔法は強力になり、使える種類が増える。

「相手はどなたかな?」

「アーロン?」

 ダップがアーロン隊長を見ながら、疑問形で答えた。

「本当ですかな?」

 前皇帝に聞かれたアーロンは笑顔で答えた。

「いいえ」

「おい、こら、さっきは『夫になる』と言っただろう!」

 ダップが怒鳴った。

「私が言ったのは『ルイーザ・アーロンになることを受け入れる』です」

「そういうことかい。わかった。ダップさんや、ドレイパー神父を放しておあげ」

「こいつと結婚したら、放しますよ」

 前皇帝に言ったダップは、アーロンの方を向いて怒鳴った。

「約束したからには、守りやがれ!」

 どうしても結婚してやるという気迫が乗っていた。

「これこれ、勘違いしているぞ。アーロン隊長のアーロンはファーストネームだぞ。ルイーザ・アーロンになるには、どこかのアーロン姓の人と結婚しないとなれないのだよ」

 前皇帝が説明した。アーロンは同意を示すためにうなずいた。

 アーロンのフルネームはアーロン・コウサボング。軍にいた頃、呼びにくいからと皆ファーストネームでアーロンを呼んだ。その慣習が警備隊に移動しても、そのまま残っているのだ。

 ダップがドレイパー神父を放した。

「この野郎、オレ様をはめたな」

 アーロンに向かってこようとするダップの前に前皇帝が移動した。

「アーロン隊長はお忙しいそうだ」

 ダップが背伸びをして、アーロンをにらんだ。

「わかった。見逃してやる。今回だけだからな!」

 そういうとドレイパー神父の額に、指をあてて、呪文を唱えている。

「よし、これでしばらく持つな」

 そういうとドレイパー神父に「オレ様についてこい」と言って、歩き始めた。

 方向はどうみてもキケール商店街だ。

「やはり、ウィルが一番のお気に入りのようだの」

 前皇帝は「グフグフッ」と笑うと西の方に歩き出した。

「助けていただき、心より感謝申し上げます」

 後ろ姿に礼をすると、前皇帝は杖をもちあげて、軽く左右に振った。

 詰め所に戻って椅子に座った。

【女難の卦あり】

 もうこれで終わりにして欲しい。

 事務作業用のテーブルにつっぷしたところで声がした。

「護衛を頼みます」

 麻の安っぽいドレスにツバの広い帽子。顔にはスカーフを巻いている女性がいた。

「久しぶりに町をゆっくり歩いてみたくなりました」

 顔はよく見えないが、声に聞き覚えがあった。

「近衛兵を手配します」

 エンドリア王の正妃、ヴィオラ妃だ。

 聡明で綺麗な方だが、性格に問題があり、ニダウの男性には人気がない。バレたときの事を考えると、警備にはつきたくない人物だ。

「ニダウの町は、そなたが一番詳しいとアレンが言っていました」

 アレン皇太子を心の中で毒づいた。

 昨日、アーロンが提出した警備隊からの異動希望願を、桃海亭のゴミ箱投げ入れた。アーロンのささやかな願いを握りつぶし、そのくせ、厄介ごとを山ほど押しつける。

 宮仕えの悲哀をかみしめながら、アーロンは渋々立ち上がった。

 憂鬱な気分で、ヴィオラ妃に会釈した。

「町をご案内させていただきます」

【女難の卦あり】

 占いクッキーは二度と食わないと決意したアーロンだった。




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