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第三王子と忘れられた皇女  作者: けいぞう
6/19

05

 「ねぇ、マリア。この花は?」

 「どれですか?」

 「それ、そこの小さくて白いやつ」

 「…申し訳ありません、リタ様。存じません」

 「へぇ、マリアでも知らない花があるんだね」

 「ええ。このあたりは手入れが行き届いていませんから、そんな名も知れない雑草が生えてしまったんでしょう」

 「雑草?じゃあこの花は、マリアが咲かせたわけじゃないの?」

 「はい。申し訳ありません」

 「謝ることはないけど。じゃあマリア、あっちのは?」

 「姫様、なりません。お召し物が汚れます」

 「つまんないの」

 「姫様。中庭のほうに参りませんか?あちらなら、私が咲かせた花ばかりです。名前もすべてお答えできます」

 「本当に?行こう行こう!」


 窓から飛び込んでくるのは、楽しそうな声と暖かな日差し。

 そして、緑の香りがする風。


 この国に来てから三日。

 まだと言えばいいのかもうと言えばいいのかわからない。

 ただ少し、自分の部屋が懐かしかった。

 ここは広すぎる。

 自分の五感では、この室内に誰かが潜んでいたとしても感知できないかもしれない。


 天蓋つきの巨大なベッドに腰掛けて、ウルは首を振った。

 自分は何を警戒しているのか。

 父上は言っていたではないか。

 行く先は天国のような国だと。

 平穏な暮らしと美しい妻が待っていると。


 現に、丁重すぎるほどの扱いを受けている。

 母国にいたころよりも手厚い。

 不満などあるはずもない。

 父と兄と、国のために、初めて役立てる。

 こんな名誉なことがあるか。


 ふと、窓の外に目をやる。

 外の日差しが明るすぎて、この室内はなんとなく薄暗く感じた。

 色とりどりの花の咲き乱れる中庭。

 そしてそこを所狭しと駆け回る金髪の少女と、後を追う黒髪の女性。


 「マリア、これは?」

 「それは、月待ち草です」

 「嘘、さっきこれ、宵待ち草って言った」

 「それはそちらのことでしょう?」

 「えー、こっちのもそう言った!」

 「申しておりません」

 「申した!」


 ―その光景は、確かに天国のようだった。


---

 

 「失礼いたします」


 何をするでもなく、ひたすらに長閑な窓の外の風景を眺めていると、またしてもそれはやってきた。

 少し擦れたメゾソプラノの声と同時に、高らかなノックの音が飛び込んでくる。

 そういえばこの部屋の扉には、獅子が鉄輪を咥えたノッカーがついていた。


 内心の辟易をどうにか隠して、ウルは立ち上がり居住まいを正した。


 「ご機嫌いかがかしら、レイスティア様」


 入ってきたのは、恰幅のよい…というか、かなり肥満気味の貴婦人だった。

 一歩踏み出すたびに顎の下の贅肉が優雅にダンスする。

 皮脂塗れの顔面を無理矢理白く塗りこめた顔はマダラ色で、フライパンに乗せられる直前のムニエルのようだった。

 その割に、漆黒の髪だけは、艶々としていて見とれるほどに美しい。

 身に着けている濃紺のドレスも、上等なシルクだ。

 光の加減で微妙に色が変わって、幻惑されそうなほど妖艶な輝きを放っている。


 「ご足労いただき、恐縮でございます。アスタルテ様」


 本日実に四度目になるこの返答。

 右手を胸に当て、深くお辞儀する。

 このまま頭を上げないでおくことにした。

 あまり直視していると美的感覚に障害が出てきそうだった。


 「そうかしこまらないで下さいな。誰も取って食べたりはしないわ。今のところね…んふふ」

 「はっ…そのようなことは…」


 聞き流すにはかなり難がある言い様だったが、とりあえず相手の機嫌だけは損ねないように無難な反応を返す。


 「つれないお返事ねぇ。まだお若いから無理もないでしょうけど…もっと男として余裕が見えるお答えができるようにならないとね?レイスティア様?」


 部屋の中央に設えられた無駄に高級なソファにその身をぼってりと横たえ、流し目を飛ばしてくる。

 目を合わせたわけでもないのに、何故か鳥肌が立った。


 「お、お言葉ながら、ウルとお呼び捨て頂きたく存じます」

 「…あらぁ、嬉しいこと。足繁く通った甲斐があるというものね」


 咄嗟の言葉は、結果として相手のご機嫌を取るような物言いになってしまったようだ。

 しかし、無遠慮に撫で回すような彼女の声で自分の姓を呼ばれると、なんとなくレイスティアの家系や血まで汚されるような気がして耐え切れなかった。


 「ふふふ、しかし、できるなら、『リーノ』と呼べる仲になりたいものですわね、ウル?」


 舌なめずりせんばかりの気配を感じて、背中が粟立つ。

 認めたくない事実だが、この50がらみの婦人も、ウルを婿として迎える権利を持っているのだ。


 貴族階級の女性に対する福音とも言えるウルの噂は、瞬く間にカーナの王宮を席巻した。

 レイスティアの一族と繋がりを持つということは、カーナの人間でありながらレーヴェモントでの発言力を得るということであり、その事実に付随する利益は、金塊をいくつ積み重ねても手に入れることのできない優越となりえる。

 ここ三日のうちにウルに顔を見せに来た女性は実に104人。

 このアスタルテ女史も、何とかウルを口説き落とすために、四人いた夫すべてと縁を切り、一日に5,6回この部屋を訪れるようになった。

 怜悧ながら貞淑かつ控えめであることがカーナの女性の美徳だと聞いていたウルは、現実と噂のギャップに首を傾げるばかりだった。これでは餌に群がる飢えた獣達と大差ない。


 「こ、光栄です」


 どうにかそれだけ、ありったけの勇気を振り絞って答える。


 「んふふふふ、長居は無粋ね。では、ごきげんよう」


 訪問に十分な手ごたえを感じたのか、難儀そうにその巨躯をソファから持ち上げ、きつい香水の香りをたっぷりと残しながらアスタルテは部屋を出て行った。

 長居はしなくてもこう頻繁にこられては、気の休まる暇もあったものではない。


 再びベッドに腰を落として、ウルは頭を振った。今度は深いため息もセットで漏れる。


 (結婚、か…)


 御伽話に出てくるような恋物語の結末とは、大分勝手が違うようだ。

 地位も名声もないが美しく淑やかな町娘と、周囲の反対を押し切って結ばれる王子の話を、眠れない夜は何度も母にせがんだものだったが…。

 これが現実というものか。


 ふと、クルスのことを思い出す。

 16歳の長兄は去年、すでに婚約の儀式を済ませている。

 その相手は花の精かと見紛うような可憐な女性だった。

 名前は、確かグロリア。

 レーヴェモントの王妃に相応しい美しさだったのを覚えている。


 外見で人間を判断するほど愚かなことはないと常々教わって育ってきたウルだったが、先ほどのアスタルテの顔を思い出すと、やはり鳥肌が立ってしまうのを抑えられなかった。


 (いやしかし、これも祖国のため…)


 そうだ。全てはレーヴェモントのため。

 ウルは強引に頭を切り替えた。


 生来、自分の生まれた国のために何をなすべきか、どうすれば貢献できるのか、人知れず必死に模索していた。

 その答えのひとつが、やっと見つかったのだ。

 自分には、クルスの様な魅力も、エクスのような剣術の腕もない。

 そんな自分でも、カーナのために尽くせば、父と母はきっと喜んでくれる。

 自分の命に、やっと価値を見出せた気分だった。


 アスタルテのような女性の婿になることも、やぶさかではない。

 自分の未来など、喜んで捧げようではないか。


 再びノックの音。

 ウルは一つ頷いて、できる限りの笑顔を浮かべ、次の女性を部屋に招きいれた。

 祖国のために。

 少しでも国家に利益をもたらす相手を見つける。


 今は、それしかない。


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