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第三王子と忘れられた皇女  作者: けいぞう
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04

 自分が流していた涙のことも忘れて、リタは開け放されていたドアから部屋を飛び出した。

 飛び降りるような速さで階段を駆け下り、玄関まで来て、ようやく自分が木のトレーを持ったままだったことに気づく。

 一旦それを足元に置き、震える手で錠前を外してどうにか宿の外に出る。

 木立が生み出す闇の中に、かすかに見える赤い人影。

 いた。

 まだ間に合う。

 サンダルの走りにくさに苛つきながら、なんとかその背中に追いすがる。


 「…あの!」


 なんと声をかけて良いか分からないまま、とりあえず口を開いたらこう言っていた。


 足音に気づいて立ち止まっていたウルが、振り返らずに言う。


 「迷惑をかけたな。この旅を無事に終えることが出来たら、必ず詫びに来よう」


 違う。

 そんなことではない。

 聞きたいのはそんな言葉ではない。


 「…どうして?」


 そう尋ねさせたのは、漠然とした怒り。

 あれだけ残虐な振る舞いをしておきながら、どうしてあんなにも寂しそうな顔を見せるのか。

 あまりにも不可解で、理不尽だと思った。

 私の知る「彼」は、そんな人ではなかった。


 ウル・リーノ=レイスティア。

 何故今まで忘れていたのか。

 自分を責める時間も惜しんで、もう一度問う。


 「どうして、出て行かれるんですか?宿をお探しだったんでしょう?」


 ゆっくりと振り向いたウルの顔にあったのは、驚き。

 その素直な反応に、少しだけ怒りが和らぐのを感じた。


 「しかし…」

 「お部屋の準備も、軽食も用意致しました。どうぞお戻りください」

 「…見ただろう?私がどんな身の上か…私を匿えば、今度はお前もどうなるかわからないぞ」

 「私は今夜、お客を見つけられなければ、あの宿には暇を出されるでしょう。他に行くところもありません」


 リタには分かる気がした。

 彼の心はきっと今、悲鳴を上げている。

 両腕を折られるよりも、折れた足を踏みつけられるよりも、もっと深い痛みに喘いでひび割れかけている。

 一瞬だけウルが見せた表情は、五年前、カーナに囚われていた頃の自分と瓜二つだった。


 …そう、私は彼を知っている。

 何度も逢った。

 話をした。

 6年前、カーナの王宮で。


 彼をこのまま行かせるわけにはいかない。

 なぜなら、約束をしたから。


 『リタ・ラルシア=ネーベルブルグ』は、『リーノ』が迷えるとき、悩めるとき、必ず力になると。


--- 

 

 「大分話が違うんじゃねぇかい?」


 宿の裏手側、鬱蒼と茂る針葉樹林の中から、ぼやくような声が漏れる。


 「腰抜けの三男坊じゃなかったんかい。あの雑魚共だってタダじゃねぇってのに、もったいねぇ」


 声の主は、筋骨隆々の偉丈夫。

 動くだけでぎちぎちと音を立てそうな筋繊維の塊を纏った男が、何故か今は地面に蹲って、茶色い針のような落ち葉を掻き分けている。

 先ほどの影たちと同じような黒の法衣を着ているのだが、胸囲も肩幅も尺が足りず明らかに窮屈そうである。

 仮面もしていない。

 起伏に富んだその顔はどことなく、付近の採掘場あたりに転がっているいびつな岩を連想させる。

 短く刈り上げた黒髪は、そこにこびり付く苔のようだった。


 「ちっと面倒だぜ、ありゃ。もうちょっとやり方はねぇのかい?陳腐だが、罠とか、囮とかよ」

 「……」


 質問に対する答えはない。男は小さくため息をついて、足元を探る作業を再開する。

 頭上から後頭部に刺さる奇異の眼差しに気づいて、男はにやりと笑った。


 「何してるかって?決まってんじゃねぇか、これだけ立派な林なんだ。多分このあたりに…」


 ごつい体に不似合いな慎重な手つきで、木の根元あたりを探る。


 「おお、あったあった。大物だ」


 立ち上がった男の手に握られていたのは、大振りのキノコ。

 くすんだ茶色の傘が大きく開いていて、茎も太い。

 泥のついた石突の部分を指で千切って捨ててから、頭上の相棒へと放ってみせる。


 「……」

 「生で食うのかって?当たり前だろ。焚き火なんぞ熾せる立場かよ」

 「……」

 「塩?贅沢言うな。そのままでも十分旨い」

 「……」

 「さて、俺の分も…」


 再びしゃがみこんで、似合わない作業を続ける。

 相変わらず無言の頭上から、「トリュフを探してる豚みたい」などと思われた気配がしたが、気のせいだったことにする。


 「あの赤い布切れ…。ついでに、坊主が着てる服。なんか特別なもんなのか?」


 肯定の気配。


 「あの剣もか」


 肯定。


 「やれやれ、意外と大仕事になりそうだな」


 面倒な家事を親から押し付けられた子供のように愚痴る。その間も手は休めない。


 「んで、俺たち二人でも手こずりそうか?」


 …否定。


 「そっかい。安心したよ」


 男の口の端が小さく持ち上がる。

 緊張も気負いもない口調が逆に不思議な迫力を孕んでいた。


 なかなか自分の分が見つからずに、男は一度腰を上げて背伸びをした。


 「どうだ?旨いだろ。そいつはこの地方でしか取れない、珍しい…いて」


 言い終わる前に、男の後頭部に何かが落とされる。

 一口だけ傘の部分を齧った跡がある、さっきのキノコだった。


---


 エーヴィッヒ山脈の尾根を越えてから以北は、豊かな緑と清浄な水の世界が広がっている。

 同時にそこは、代々見目麗しい皇女が巧みに治めることで高名な、カーナ皇国の領土ということになる。

 地下資源こそ乏しいものの、その広大な国土には様々な大地の恩恵がある。

 斜面に設けられた果樹園、平原には酪農地、北端の海岸には数多くの漁村もある。

 土と海と共に生き、ゆっくりとそこに還って行くカーナの民は、心豊かで慈悲に満ち溢れ、また敬虔で信心深いとされている。


 だが、エーヴィッヒに南方を、他の三方を海に護られたその難攻不落の地は、数百年前、血で血を洗うような泥沼の戦いの果てに辛くも勝ち取ったものであり、その歴史は決して安寧なものではない。

 悠久の楽園と称されるようになった今でも、カーナは戦いの記憶を消し去ることはなく、堅牢な王宮を王都の中心に据えていた。

 三重の城壁と二重の堀に囲まれたその牙城は物々しくも荘厳で、カーナの象徴とされている。


 16年前、その王宮に、二つの産声が上がった。76代目の皇妃になる権利を二分した、二つの命だった。


 二人はそれぞれ、イオ・アリシア、リタ・ラルシアと名付けられ、共に王族としての徳育の下に育てられた。

 一卵性双生児であった二人は、見た目には殆ど相違がなく、外見での区別は至難の業だったという。

 しかし、瓜二つだったのは外見のみで、彼女らの性格や素行は全く正反対といっても過言ではなかった。

 生真面目で寡黙なイオに対し、奔放で饒舌なリタ。

 姉妹は、誂えた一組の歯車のように仲良く成長していった。


 その過程で、周囲の目はどちらが皇妃としての資質をより多く持っているかという観点で、二人を見比べるようになる。

 当時の皇妃と各省の大臣たちは、事あるごとに議論の席を設け、イオとリタを天秤に掛けた。

 当然のことながら、より優れた指導者にこの地を治めてもらいたいという願望が、彼らを非情にしていた。

 イオの冷静さを評価するあまり、リタの快活さを幼稚と嘲る者もいれば、またその逆をした者もいた。

 しかし、どんなに彼らが喧々囂々と言い合おうとも、イオとリタはまだあまりに幼かった。

 最終的には、本人達の成長を待ち、その意志を尊重しようという無難な結論に落ち着くのだった。


 そんな中、彼がカーナに来たのだった。 


 エーヴィッヒ鉱脈群と、そこを採掘するだけの人員、さらには、金属の原石を見事な武具に加工する技術を持ったレーヴェモントという国と、カーナは長い交流を持っていた。

 レーヴェモント領は鉱石や宝石の原石が豊富に採れる反面、土壌が痩せており、質の悪い穀物しか取れない。

 カーナで獲れる海山の珍味は、鉱山夫たちの酒の肴に欠かせないものであったし、レーヴェモント人の秘術によって生み出される宝剣や装飾品は、カーナの社交界の必需品であった。

 そういった事情から、自然と貿易が始まり、両国宰相の会合も定期的に開かれ、利害の一致から同盟も結ばれていた。

 陸路でカーナを攻め落とそうとするためには、どうあってもエーヴィッヒを越えなければならない。

 その門番としての役をレーヴェモントに果たしてもらう代価として、食料の供給と、有事の際の軍事的支援を約束する形である。

 かくして、二国は強固な結束を完成させ、国家の平安を確保していた。


 そんな両国の友好の証として、一人の少年が、女傑の国であるカーナに捧げられた。

 正当な王家の血を引く第三王子であり、幼くして類稀な器量の持ち主であった。

 レイスティア王家の血族を、貴族令嬢の婿などとしてカーナの土地に迎え入れることで、より強い国家間の絆を作ろうと画策したものである。


 イオ、リタ、ウル。三人が満十歳を迎えようとしていた年の出来事であった。


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