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ゴルトシュネの外れには、ちょっとした市場が設けられている。
カーナやレーヴェモントのそれとは比べるべくもない、50歩歩いたら抜けてしまうような小規模なものだ。
ろくに舗装もされていない路面に粗末な布切れを敷いて、その上に思い思いの商品を並べた店舗がひしめき合っている。
がらくたのようなものから、妙に高級そうな装飾品、年代物の武具や、山越え用の杖などが目立つ。
わざわざこんな辺鄙な場所で店を構えているというのは、当然ながらそれらが大っぴらには売り捌けない代物であり、扱う人種も推して知るべしといったところだ。
この地方では下賎な民と言われる、縮れた髪に浅黒い肌の渡来人がほとんどである。
早朝ということもあって、賑わっているとはお世辞にも言えない。
そこここで値段の交渉がひそひそと行なわれている様子が、闇市特有の陰気な雰囲気に拍車をかけている。
「…布の四隅に、紐が通してあるのは何のためだ?」
「あ、確かあれは、突然移動したり逃げたりしなきゃいけない事情が出来た時に、商品をまとめて持って行けるようにしてあるんですよ」
「なるほど…。それほど後ろめたいことがある連中なのか」
呆れたように、しかも声を潜めることなく言うウルの姿を、周囲の商人たちが睨みつける。
リタはただたじろぐばかりである。
ただでさえ真っ赤な彼の風体は、不吉に目を引くというのに…言動に遠慮というものがない。
「それにしてもお前…リタ。その畏まった口調はよくないな。要人と同行していますと公言しているようなものだぞ。改めるべきだ」
指摘されて、リタはウルの身なりを、頭の羽根から皮のブーツの爪先まで観察した。
(…それを、あなたが言いますか…)
普通の身分でないことと、生活に不自由がないことを体全体で主張しているような服装と身のこなし。
これで帯剣していなかったらこの市を3歩離れただけで追い剥ぎに狙われるだろう。
リタに目利きの才能はないが、あのベスト一着の値段で、この市の店舗三つ分の商品は買い占めることができるのは間違いない。
リタとて他人のことを言える立場ではないが、ウルの生い立ちは複雑だ。
十歳までは王族の教育を受け、そこから突然国を追われる立場になってしまったのだから当然だが…いわゆる世間知らずなのである。
基本的に言いたいように言うし、やりたいようにやる。
しかも躊躇いがない。
商売柄、人間の心情の機微に敏感にならざるを得なかったリタにとって、彼の言動はかなり心臓に悪いものがあった。
「じゃ、じゃあ…呼び捨てで、普通にお話してもよろしいんですか?」
「当然だ」
「……えっと」
改めてその名前を呼ぶとなると、少々心の準備が必要だった。
できるなら、リーノと呼べたらいいのにと思いつつ…
「じゃ、じゃあ、う…ゥ…ル?」
裏返る声。
親しげに呼びかけようとして戸惑ってしまった。
一度失敗するとなかなか踏ん切りがつかなくなるものである。
リタは自分の頬が赤くなっていくのを感じた。
「……」
「……そんな目で見ないで下さい…。失敗したの、分かってますから…」
「要訓練、だな」
「…はい」
そこまで会話をして気づく。
何故だか、ウルは積極的に話しかけてくれているようである。
夜明けを待つ間も、ふとすると黙り込みがちだったリタに、ウルは時々声をかけていた。
他愛もない、世間話のようなことだった。
星のことや、花のこと。
思い返してみると、無理に作った話題のようでもある。
彼なりの気遣いだったのだろうか。
確かに、気がつくと昨夜のことを思い出してた。
初めて、女将に反抗したこと。
そして女将と、同僚たちに自分がしてしまったこと。
今思い出しても現実感がない。
もしかしたら夢だったのではないかとさえ思う。
だからこそ今自分はこうして正気を保っていられるとも考えられた。
もしかしたら、まだあの薬の作用が持続しているのだろうか?
―なによりも疑問に思うことは、数年分の仕打ちの報復として、あれは妥当だったのだろうかということ…。
女将は、多分あの部屋から逃げることなどできなかっただろう。
つまり…。
「リタ」
「えっ?」
「そんな服で山越えは無理だろう。そこで何か買うといい」
皮製の衣服をいくつか吊って展示している店舗の前で、ウルは立ち止まっていた。
「あっ…はい」
―よそう。考えても何が変わるわけではない。
「えーっと…でも、その…ウル?」
「何だ?金なら私が出すぞ」
「あ、いえ、お金は一応少しならあるんですけど…その」
「?」
エプロンドレスを握り締めながら、リタは恥じるように俯いた。
「私、そういえばあんまり服なんて買ったことがなくて…どうしていいかわからなくて…」
「なんだ、そんなことか。来い」
事も無げに答えるウル。
ずかずかと店の前に歩み寄り、迷わず声をかける。
「店主。丈夫で動きやすい生地のものはどれだ」
言葉が通じるのかどうかも怪しいような相手に、全く物怖じする様子もない。
髭面の中年商人は思いのほか親切に、訛りの強い言葉で商品の説明をしてくれた。
「お嬢さんが着るの?どうぞ、触ってみて。しっかりしてるでしょ」
「あ、ありがとうございます」
何の皮なのかについて言及されないあたりが闇市だが、その質はなかなかの物のようだった。
着心地もそんなに悪くはなさそうだし、言葉通り丈夫そうだ。
「えっと、じゃあ、これで…」
黒くしっかりしたタイトな皮ズボンと、茶色の貫頭衣。
腰で留めるベルトもあわせて、9000クラム。
衣服の相場は分からないが、ウルに言うには本物の皮でこの値段は破格なのだそうだ。
紙幣を五枚と、細々したコインでちょうど9000支払う。
こんな大きな買い物は正直、産まれて初めてだった。
買い出しは、女将に信用されていたアンナの仕事だったのだ。
(リーノのこと、言えないな。私も世間知らずだ…)
受け取った商品はずっしりと重い。
宿の一員として生活しているうちは直面することのなかった問題も多々あるだろうと、重々分かっていたつもりだったのに…こんな買い物一つにおろおろしている自分が嫌だった。
なんとなく先行きが不安になってしまう。
「あとは、靴だな。そばにいい店はあるか?」
「あー、北側に、黒い幌の店があるの、わかる?知り合いの店。まあまあのが買えると思うよ」
「黒い幌だな。感謝する」
小銭をチップとして投げて渡しつつ、紹介された店へと向かうウル。
買い物や交渉に関しては、できるかぎり彼に倣うようにしよう。
今度の店員は、少々曲者だった。
黒髪をひっつめにした、褐色の肌の青年。
言葉が分からないらしく、商品の説明を聞こうとしても値段しか答えてくれない。
最低限の知識と言葉だけ頭に詰め込んで商売を始めたらしく、値段の交渉も不可能に近い。
「…見た所、オオトカゲか何か皮のようだが…少し小さいか」
「あ、多分それくらいなら入ります。えっと履いてみてもいいのかな?」
「…大丈夫だろう」
飴色の編み上げブーツを持ち上げて品定めしているウルを、店員は黙って睨みつけていた。
リタが受け取り、店員の顔を窺いながらサンダルを脱いで足を入れる。
「足に合うか?緩くてもきつくても長旅には辛いぞ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね…」
ただでさえブーツは履き慣れない上に、店員の視線が痛い。
緊張して紐が通せない。
「全く、早くしろ…ん?」
リタを急かそうとしたウルの肩を、店員の指先が叩く。
何やら金を払えと要求している。
「何だ。まだ買うとは言っていないぞ」
「……」
ウルがなんと言おうと、店員は無言で掌を差し出す。
試着を購入の意思だと誤解しているらしい。
「全く…。これだから南方の人間は…」
「あ、大丈夫です。ちゃんと履けるから、これでいいです」
「待て」
慌てて身振り手振りで買うつもりであることを伝えようとするリタを静止し、ウルが店員を睨み返す。
「…こんな無礼な男から買う必要はないな。…他の品の質も悪くないようだし…この男を斬り捨てて店ごと乗っ取ってやるか…」
「え、ぇ!?」
突然、ウルの右手が動いた。
先程の言葉を聞いているリタには、剣を抜こうとする動作に見えたが、実際にはただ外套の皺を直しただけだった。
「っ?!」
ところが、リタと同じように店員もぎょっとして身構えている。
「言葉、通じているな?」
「…う」
「商売は正直にやるべきだ。授業料として、その靴はもらっていくぞ」
「ちょ、ちょっと待て!」
青年は、慌てて声を上げる。
前の店の店員よりも流暢だった。
「悪かった。は、半分でいいから払ってくれ。頼む」
「フン」
懐から取り出した紙幣をぞんざいに渡して会計を済ませる。
「行くぞ」
「えっ、は、はい!」
事態を把握しきれていなかったリタは片足だけブーツのまま、店員に頭を下げてウルの後を追った。




