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第三王子と忘れられた皇女  作者: けいぞう
15/19

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「…遅かったな」


 リタを待っていたのは、少々不可解な光景だった。

 玄関の扉の影にしゃがみこんでいたのは、ウル一人だけ。

 ライオットの姿は無い。


「…無事に持ってこられたのか?」


 リタは小さく頷く。


「そうか…」


 途切れ途切れの会話。

 短時間にあまりのことが起こりすぎた。

 お互い、事情を説明する気にもなれずにいる。


 あちこち芝の剥げた戦場跡のような前庭に、気まぐれに顔を出した月の光が落ちる。

 逃亡者としてのウルを、この場所が拒絶しているように思えた。


「髪飾りを、着けてくれるか」


 それでも、彼の言葉には緊張も焦燥も無く、ただ疲れきっているようだった。


「…髪に触れても、お怒りになりませんか?」


 軽く嘆息するウル。

 笑ったのかもしれない。


 指示通りに羽根を髪に留めていると、どこか他人事のような口調でウルが漏らす。


「…すまない。あの暗殺者は、まだ生きている」

「…はい」


 つまり、リタも未だ追われる身ということだ。


「結局、巻き込んでしまったな」

「いいえ。私のせいでもありますから」

「…そうだな」


 宿に火が回りつつあることに、ウルが気づいていないはずはないのだが、彼は何も聞かなかった。


「…これで、よろしいでしょうか」

「ん…」


 ゆっくりとウルが立ち上がる。

 髪飾りの揺れる音が、何故か懐かしい気がした。


「…どこへ連れて行けば」


 躊躇うように、ウルが切り出す。


「どこなら、お前は安全に暮らせる?身寄りはあるか?」


 初めて聞く、歯切れの悪いウルの声。

 経過はどうあれ、この結果を申し訳ないと思っているのかもしれない。


「…いえ」

「…そうだろうな」


 他に行く宛があれば、誰もこんなところに好き好んで勤めたりはしない。


「ウル様は、これからエーヴィッヒを越えるおつもりですか?」

「ああ。近くの町までなら連れて行ってやれるかとも思ったんだが…。すまない、私も先を急がなければならない」


 ただの目撃者であるリタを、ファルシアがどの程度危険視するかは判りかねるが、追っ手がウルを追跡する道すがらでのうのうとしていれば、狙われるのは必至だろう。


「…私、出身はカーナなんです」

「…そうなのか?」


 少々疑うような響きが聞き取れたが、リタの髪や目の色のことを鑑みて納得したようだった。


「ええ、だから」


 リタが何を言おうとしているのかを察したウルは、一瞬驚いたように黙り込んで、何かを言いかけて大きく息を吐いた。


「止めても無駄という顔だな…」

「はい」

「お前は、卑怯だ。私に抗えない事態ばかり引き起こす」

「すみません」


 ふと、ウルは向き直り、リタを見据える。


「聞いておくぞ。危険なのは承知だな?ただでさえ女の足には厳しい道のりな上、お互い命を狙われる身だ」

「覚悟の上です」

「私は、自分の使命を何より優先する。お前を守ってやれない状況もあるだろう」

「その時は、捨て置いてください」

「……」


 困ったような笑みを浮かべるウル。

 あどけなさを取り戻したその表情に、ふと時間が遡ったような錯覚を覚えた。


「私が言えた義理ではないかもしれないが…そんな顔をしてくれるな」

「え?」


 血のこびりついた前髪を指先で梳かれて、ふと我に返った。

 まるで眠りから覚めるように、感情と感覚が蘇る。世界が、ゆっくり色を取り戻す。


 突然リタはウルとの距離を思い出したように体を緊張させた。


「ぁ…私…」


 みるみるうちに赤らむ顔を見て、ウルは苦笑する。


「そんな顔のほうがお前らしい。私について来るなら、せめてさっきのような顔はしないでいてくれるか」

「……」

「出来ないなら、思い切り非難してくれたほうが楽だ。『お前のせいで家も仕事も失った』とな」

「あ…。も、申し訳ありませんっ」


 自分にも事態の責任があるというのに、あてつけのように暗い顔をしていた自分を恥じて、リタは俯く。

 その答えだけ聞くと、ウルはそっけなく踵を返して、


「全く、お前とは妙な縁だ」


 諦めたように呟いた。


「行くぞ。まずは街が動き出すのを待って、最低限の準備をしよう」

「…はい」


 リタを待つでもなく早足で歩き出すウルの背中に向けて、走り出す。

 この一歩が、旅の始まり。

 リタにとって産まれて初めての、外界への出立。


 ―考えてみれば、こんな選択肢だって最初からあったはずなのだ。

 今の自分の全てを捨てて、危険を承知でウルについて行くこと。

 そのことにすぐ考え及ばなかったばかりに、こんなボロボロの旅立ちになってしまった。


 女将のことも…他にやり様があったはずだった…。


 だが、今は強いてそれを忘れよう。

 ウルのそばで、彼が言うように振舞おう。

 気持ちに反してそうすることが、今出来る唯一の贖罪だ。


 然るべき罰は、彼との約束を果たした時に。

 精一杯足掻き、自分のために生きると決めた、この旅の―この命の終わりに。


---


「さぁて、理由を聞かせてもらおうか」


 肩の関節を鳴らしながら、ライオットは目の前の、黒い円錐状の影に向けて問い質した。


 針葉樹の林をいくらか奥に進んで、月明かりも届かなくなるような鬱蒼とした茂みに、二人分の人影が潜んでいる。


「折角面白くなってきたってのに…まさかお前に邪魔されるなんてな。まさか、俺が負けると思ったなんて言うんじゃないだろう?」

「……」


 ファルシアの黒法衣の上から、頭巾と丈の長いローブを身につけたシルエットに、髑髏のような白い仮面が浮き上がっていた。

 足元に近づくにつれてゆったりと広がっていくローブの形が、地面から黒いバラの棘が突き出したようなシルエットを作っている。


「…なぁ、事情くらい説明しろよ。死ぬような毒じゃなかったんだろ?ってことは俺に付き合うのに愛想尽かしたって訳でもなし…俺が何かヘマしたか?心当たりがねえんだって」

「……」

「…手負いにするほど危険な獲物…武器に関しても未知数…。あのままの交戦は危険だった?…俺がか?!」


 仮面の下からは口を動かす気配すらなかったが、ライオットは影の意思を理解しているようだった。


「なぁおい、冗談だろ?…あのガキのことがやっと分かりかけたと思ったら、今度はお前がんなこと言うのかよ…」


 頭痛を堪えるように、ライオットはこめかみを抑えた。


「……」

「…さっきから、頭ばかり使おうとしてる?いつからそんなに知的になった?だと?うるせえ」

「……」

「…まぁ、不本意だけどよ…。あのガキがウチの連中に狩られるとは思えねえから、次も機会はあるか…。頼むぜ。こちとらこれだけが生き甲斐なんだからよ」


 ウルの長剣に裂かれた法衣の裾をもてあそぶライオット。

 すねた子供のような仕草だが、双肩から放たれる陽炎のような殺気は抑え切れないままだ。

 戦闘を中断したのが目の前の相手だからこそ自制をしているという様子である。


「…お前がいうことに間違いはなかった。んで、俺はお前の指示を必ず遂行してきた。俺たちはいいコンビだ。下手な仲違いさえしなけりゃな」

「……」

「そっちにだって原因はあるだろうよ!この前なんぞそこらの花に見とれて監視適当にしやがって。一網打尽のはずが結局逃がして、全部俺が虱潰ししたんだぞ」

「……」

「…あのなぁ…。全くお前は…。…って、こういうのが俺らの失敗の種なんだよな。これさえなきゃ完璧なのによ」

「……」

「容姿以外は、とか言ったか?」


 初めて影が小さく首を振った。

 ライオットはその仮面の奥の素顔が笑っているような気がして、結局毒気を抜かれていた。


「でもよ…次こそは…頼むぜ。あのガキ、絶対今よりタフになってきやがるだろうからよ」


 指を鳴らして再戦を熱望するライオットの耳には、何の返事も届かなかったようである。


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