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第三王子と忘れられた皇女  作者: けいぞう
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 「…は?」


 間の抜けた、ウルが上げたとは信じられないような、思い切り裏返った声。

 それを笑う気にはならなかった。なぜならリタは、それこそ声も出せないほど驚いていたのだから。


 「店主、今、いくらと?」

 「…55000クラム」


 朝になり、リタが目覚めると、ウルはすでに出発の準備を整えていた。

 何とか引き止める方法はないかと考えあぐねているリタに気づきもせず、さっさと玄関のカウンターで会計を済ませようとするウル。

 しかし彼の前に突きつけられたのは法外な宿賃の請求だった。

 安っぽい煙草の煙を吐き出しながら、女将は何がおかしいのかという様子。

 だがウルが驚くのも無理もない。

 一晩の宿泊料といえば2000~4000がいいところ。

 事実、ここの宿泊料だって3500クラムではなかったのか?


 「ま、待ってください!なんでそんな値段に?!」


 思いきり眉をしかめて黙り込んだウルの代わりに、リタが女将に食ってかかる。


 「宿泊料3500と、深夜料500、夜食料1000と、特別料50000って内訳」


 なんであんたが文句言うのよ、という顔で女将は答える。


 「なんですかその特別料って?」

 「アンタよ」

 「…は?」

 「夕べは楽しんだんでしょ?お兄さん。この子は若いし、初売りだからね。50000でも特価ってものよ」

 「そっ―」


 抗議したい箇所が多すぎて、言葉に詰まるリタ。


 「私は、何もしていない」


 代わりに、冷静な声で事実を告げるウル。その横顔も少し赤らんでいた。

 女将の顔つきが変わる。頬の余分な脂肪に圧迫されて細くなっていた目がくわっと見開かれる。


 「今更何言ってんの。仲良く手ぇ繋いで寝ておいて、何もしてませんって理屈が通ると思うのかい?」

 「それは、この女が勝手に!」

 「こ、この女って…」


 憤慨して弁明するウルと、ショックで固まるリタ。

 彼の言い分はもっともだったが、その呼び様はあんまりだと思う。


 「…お兄さん、アンタまだ若いから知らないかもしれないけどね、男と女がそうやって夜を過ごしちまったら、男には責任ってもんが発生する。この娘がアンタと同衾したって事実は変わらないんだからね。相手の女が信じてる宗派によっちゃ、その時点でアンタに一生ついて行くしかない場合だってある。それだけのことをしておいて自分は知らん顔なんて、男じゃないね。いや、人間ですらない」

 「ぬ…」


 もっともらしい事をまくし立てられて、ウルがたじろぐ。

 売春まがいのことをさせておいて今更そんな説教とは、無茶苦茶もいいところだったが、年の功というやつか女将の口ぶりには妙な説得力があった。

 根が真っ直ぐなウルはそれを馬鹿正直に受け止めてしまっている。


 「別に、踏み倒したかったら踏み倒してもいいけどね、こっちも商売でやってるんだから、貰えるはずのもん貰えないと食っていけないし…この土地の借り賃の期限が近いんだ。この会計分だけ足りなくて、ここ追い出されて路頭に迷うことになったら、ここの従業員はみんな、野垂れ死ぬまでアンタを恨むよ」


 打ち合わせていたようにいいタイミングで従業員の一人が、ひどく遠慮がちに女将に話しかける。


 「女将さん、すみません…今月分のお給金なんですけど…」

 「ああ、アンナ。すまないねぇ、いつも待たせて。今月は30000クラムだったかねぇ?ちょっとまってね、このお客さんが御代を払ってくれればすぐ渡せるから」


 一か月分の給料が30000?

 リタがいつも受け取っている給料はそこから0を一つ取った額である。


 「女将さん!いくらなんでもこんなやり方は…」

 「…わかった」

 「え?!ちょ、ウ、ウル様?」


 まさか女将の言うこと全てを信じたわけでもないのだろうが、ウルはすっかり腹をくくった表情である。

 男じゃないとか人間じゃないとか言われてそのままでは、王族としてのプライド許さないのかもしれない。

 手に持っていた金貨全てをカウンターの上に置いて、更に髪飾りも外す。

 名残惜しそうに一つ一つゆっくりとカウンターに並べながら言った。


 「金貨が30000丁度。そこの娘の給料にしてやってくれ。この髪飾りはどれもレーヴェモント製だ。どう安く見積もっても10000クラムにはなるだろう」


 無遠慮に、太い指でそれらを掻き集めて眺める女将。


 「…へぇ、全部本物みたいだね。たいしたもんだ」

 「女将さん!」


 ありったけの勇気を振り絞って、口を挟む。

 思えばこの女将に面と向かって意見するのは、これが初めてかもしれない。


 「私、本当に何もされていません!私が勝手に隣で寝ちゃっただけで…」


 と、言おうとしたのだが。女将がぎろりとリタに一瞥をくれただけで、その口は自動的に閉じられてしまった。

 五年前自分を拾ってくれたこの女将に逆らうということは、リタにとって生きる手段を失うことと同義だった。

 詐欺まがいのやり口はどうしても許せるものではなかったが、この目に睨まれるともう何もできない。

 体に刷り込まれた習慣は、もはや呪縛とまで言えるほどの強制力だった。


 「足りない15000は?そこの剣もなかなか高そうだけど?」


 女将の請求には情け容赦の欠片もない。


 「…すまないがこれだけは、手放せない」

 「他には何もないのかい?金になるようなものは」

 「ああ」

 「じゃあ、あとは働いて返してもらうしかないね」

 「…働く?」

 「ここは万年男手不足でね。棚上げにされてる力仕事がいくつもあるんだよ。それを全部片付けてくれたら15000ってことにしてあげてもいい」

 「……具体的には、どんな仕事を?」

 「そうだね…。雨漏りがしてるから、屋根の修理と…そうそう、蝶番が錆びてきてるから取り換えてもらうのもだね」


 …ウルの左眉が小刻みに痙攣している。

 釘をくわえて大工の真似事のようなことをしている自分を想像してしまったのだろうか。


 昨夜ウルの退っ引きならない事情を聞いているだけに、彼の心中は察して余りある。

 ただでさえそんな雑務とは縁遠い立場だというのに、こんなところで雨漏りだの錆びた蝶番だのと関わっている暇は一秒とてないはず。

 しかし、ウルがこの条件を呑んでくれれば、当面はこの宿に留まってくれるのだ。

 どちらに荷担するべきなのか…リタにとってこれほど難しい二択はなかった。


 「…店主、一応聞きたいんだが…とりあえず借りと言うことには…」

 「かわいそうにねぇ、リタ。せっかく体を張ったのに、あんたが相手じゃ満足できなかったんだって」


 突然水を向けられて、リタは狼狽える。


 「ぁ…え?」


 カウンター越しに突き刺さる、女将の呪いめいた視線と、かすかに頬を染めながら、さりげなく弁護を期待するようにちらちらとこちらを伺うウルの仕草。


 下手な言葉は許されない。自分は今、非常に大きな分岐点に立たされている。

 エプロンドレスの胸元に両手を組み合わせてひとまず自分を落ち着かせ、頭をフル回転させる。


 (リーノには何もされてない。女将さんのやり口はひどい詐欺まがい。彼は急いでる。助けてあげたい。今私が女将さんの言いなりになったらリーノの立場は台無しの上にここの雑用させられちゃう…けど、彼を許したらもうここから出て行っちゃう。まだ思い出してもらってないのに…。それに、女将さんに逆らったら私もクビかもしれないし…)


 自分か、ウルか…自分が大切と思うウルか、ウルを大切と思う自分か。

 簡単に言えばこれはそういうことだ。


 …問題がいくら単純化されたところで、その難易度は変わらなかったが。

 こうなれば、沈黙は金、雄弁は銀。リタはそんな諺を信じてみることにした。


 「…女の口から野暮なこと言わせないのも、男の甲斐性ってもんだよ」


 絶妙の間で、女将さんの追撃。

 あっけなくそれが決まり手になってしまった。

 ウルは大きく嘆息し、外套と長剣を外した。


 「…お前を斬りたくないと言った昨日の言葉、撤回だ」


 胸元にぐさりと突き刺さる言葉と、冷たい視線。果たしてコレが金と呼べる結果だろうか?


 「……」


 それはこれからの自分にかかっている。鼻の奥のツンとする痛みを必死に堪えながら、リタは小さく頭を下げた。


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