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第三王子と忘れられた皇女  作者: けいぞう
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 急な斜面が続く街道の端に、一人の少女が、こわばった面持ちで佇立していた。

 年の頃は16といったところか。

 色気のないネズミ色の外套を纏い、往来する鉱山夫や麓からの旅団の人々を品定めするように眺めている。

 フードですっぽりと頭を隠したその姿は、物乞いか、さもなくば娼婦のそれだ。

 時折、好色そうな視線を投げかけられたりすると、慌てて俯いてやり過ごす。

 日が落ちてからそんなことをもうずいぶんと繰り返している。


 さらにしばらくすると、意を決したように、道行く男に歩み寄ったりもしたが、結局無言のまま逃げるように走り去るばかりだった。

 街道沿いの宿や民家の灯りも消され始め、さっきまであんなに喧しかった酒場の喧騒も、いつの間にか聞こえなくなっていた。

 気温もかなり下がってきている。いやがうえにも焦りが募る。


 (お金を持ってそうで、清潔そうで、できたら優しそうな人…)


 先ほどから呪文のように少女…リタの頭の中でリフレインされている文句。

 その全てを満たす人物が、なかなか通りがからない。

 髭と過剰な筋肉で武装した、マッチョな中年が七割、女の体よりも金儲けにしか興味のなさそうな、いやらしい顔をした商人が二割、残りは、物好きにもこんな山奥にねぐらを構える仙人のような老人や、いかにも鉱山の男の妻、といった風情のビア樽体型の女性達。

 極まれに若者も見掛けたりするのだが、いい年になっても都会に出ず、こんな山の中で燻っている青瓢箪かお坊ちゃんのどちらかである。

 彼女の個人的な趣味から言うと、極力避けたい類だった。

 贅沢を言っていられない立場でも、できるなら少しでもまともな相手を見つけたいと願うのは、彼女のせめてものプライドだった。


 彼女が住み込みで働く宿の女将から、新しい仕事ということで与えられたのがこれだった。

 『道行く男に愛想良く「遊んでいきませんか?」と声をかけて連れて帰ってくる』だけで、リネン当番だった今までの倍の給料がもらえるのだそうだ。

 彼女とて、その行為の意味を知らないほど世間知らずでも子供でもなかった。

 が、体に刷り込まれた習慣が彼女に抗議の声を上げさせなかったのだ。


 ふと、リタは天を仰ぎ、まばらな星の散らばる瑠璃色の空を見上げた。

 山脈の尾根を覆い隠すように、西の空から絶望的に暗い色をした雨雲がゆっくりと迫ってきている。

 明け方を待たずに、大雨が降るだろう。


 懸命に勤めてきたはずだった。

 自分の特殊な境遇を差し引いても、ここ五年間の努力は本物だったと思う。

 経営難な事情も判らないわけではないのだが…必死の奉仕の結果がこの身売り紛いの扱いとは…。

 宿の制服であるエプロンドレスの裾を、我知らず両手が握り締めていた。


 溢れ出しそうになる感情を、しかし彼女は巧みに抑え付けた。

 ゆっくりと両手を開き、裾に寄ってしまった皺を叩いて伸ばす。

 女将とて生きていくことに必死なのだ。自分がそうであるように。


 少女は一つ大きく頷いて、笑顔を作る。大丈夫、まだ笑える。頑張れる。なんとかしよう。


 今は、それしかない。


 「娘」


 突然、右手側からそう声を掛けられて、リタの肩が跳ね上がった。

 ぎこちない動作で、ゆっくりとそちらに向き直る。

 もし「そういう」目的で話しかけてきたお客だったとしても、場合によっては咄嗟に走り出せるように、左足は逃げ道の方角に向けたまま。


 そこにいたのは、予想に反して小柄な少年だった。

 下手をすればリタよりも一つ二つ年下にさえ見える、幼さの残る顔立ち。

 真紅の外套に身を包み、無造作に伸ばした赤銅色の髪には様々な種類の髪飾りが揺れている。

 カラフルな鳥の羽のようなものや、高級そうな金属の管を連ねて垂らしたものなど、一目見て普通の身分の人間ではないことは明らかだった。


 「驚かせてすまない。宿をさがしているんだ。雨が凌げれば馬小屋でも納屋でも構わない。どこかいい所はないか」

 気品ある振る舞いと凛とした声。どこかの貴族の子息だろうか?その割には随分と控えめな要望だが。

 「…」


 すぐに返事を返せなかったのは、彼の風体に面食らったというだけではなかった。

 何か、違和感のようなものがリタの中に波打っていた。

 少年の顔から視線が外せない。

 残していた逃げ足も、いつの間にか少年のほうを向いていた。


 「具合でも悪いのか?」


 返事がないことを訝しんだ少年が、フードの中を覗き込む。

 髪飾りが揺れる澄んだ音色で、ようやく我に返った。


 「あ…遊んで行かれませんか?」


 彼の問いかけを全く無視して、リタの口から飛び出したのは、女将に教った通りの、その一言だった。

 少年が無言で首を傾げる。


 運命と呼ぶにはあまりにも滑稽な、二人の邂逅であった。

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