充分な沈黙
6・・・・充分な沈黙
「すみません、言い忘れてました。春岡健二です」
「・・・私は・・・」
「長谷川友里香さん」
「・・・はい」
僕達はカラカウア通りとクヒオ通りを繋ぐ細い通りに在るダイナーのオープンスペースに居た。
背の高いホテルに挟まれて窮屈そうに営業しているその店は僕のお気に入りだった。
二人の前にはHERMES風のデミカップに入ったエスプレッソがあった。
「結婚されてるんですか?」
友里香が静かに聞いて来た。
「えっ!?・・・」
ダイナーに着く迄の間、昨夜エレベーターホールで共有した数分間を想い入れたっぷりに、しかもその想い入れには砂糖をたっぷりと落とし、“運命風”に仕上げ様としていた僕は友里香のその一言に急角度で現実に引き戻された。
「・・・同じ名前だなんて・・・」
「えっ!?あ、いえ、結婚してないですよ、僕達」
「・・・ちょっとびっくりしちゃった・・・」
「・・・・・」
(・・・いきなりそんなとこ突いて来るなんて・・)
「・・・あ、それじゃ・・・婚約とか?」
「・・・ええ・・・」
「やっぱり・・・」
「・・・・・」
「指輪が見えたんです、エレベーターの中で腕を組んでた時・・・」
「・・・・・」
(やっぱり?・・・やっぱり??・・・)
(・・・それは“残念”だって事?・・・)
二人の出逢いがほろ苦い思い出になる不安に揺れつつも、僕の心は僅かな希望を見つけていた。
「偶然にしては何度も会い過ぎですよね。」
主導権を握り返す為に、僕は会話を強引に“運命風”に戻した。
「・・・昨日から・・・3度目?」
友里香は自分の記憶を問い掛けて来た。
「・・・動物園で逢った事を入れれば、5度目です」
「?・・・」
「友里香さんの真後ろに居たんですよ」
「?・・・」
「昨日の夜、シェラトンモアナのコンチネンタルクラッシックで」
「!!・・・ほんとですか!・・・」
友里香は顔を赤くして黙っていた。何か言いたそうで、でも、黙っていた。
太陽の恩恵を受け切れていないダイナーに乾いた風が吹き抜けていた。
パラソルの横ではヤシの葉がカサカサと音を立てていた。
友里香と僕の間には充分な沈黙が流れていた。
「明日帰るんですよね?」
「・・・はい」
「今度、東京で食事しませんか?」
「でも・・・」
「でも?」
「・・・・・」
「最近ユリカはかなり僕に正直なんですよ。だからって訳じゃないけど、僕も正直になろうと思って」
「・・・・・」
「確かフロントで目黒って聞こえたんですけど」
「・・・・・」
「それじゃ来週の土曜日、7時にホテルパシフィック東京のロビーで待ってます」
「あの、でも・・・」
「ごめんなさい、僕はもう戻らないといけないので」
「・・・・・」
「今日はありがとう。それじゃ」
(・・・おいおい、大丈夫か・・・)
(・・・彼女の事何も聞いてないぞ・・・)
(・・・電話番号も教えてないぞ・・・)
(・・・カッコ付け過ぎじゃないか?・・・)
あんな風に彼女の前から立ち去った事が正しかったのかどうか、僕はかなりの不安を抱えながら歩いていた。
(・・・彼女は僕以上に何かを抱えたかもしんないな・・・)
でも僕は、二人の間に流れた充分な沈黙を信じていた。