第三十二伝(第九十七伝)「教師アリサ」
第三十二伝です。長い長い過去編も出口の光が見えてまいりましたかね。それではどうぞ。
バトラ育成学校。通称・戦校。
バトラとしての資質を持っている可能性のある者が集う場所。
そして、ここで選ばれし者のみがバトラになる資格を与えられる。
私は来年よりここで教員として働くこととなったダイバーバトラのアリサだ。だが、私はただのダイバーバトラではない。私には一階堂アリサという本当の名がある。しかし、わけあって今はその姓を捨てている。
ここで教師として働くことになった理由は、残念ながら正当な理由ではない。ある目的を果たすために”特別な力を持つ子供”を探すためにここにやってきたのだ。
私は初めて戦校の敷地内に足を踏み入れた。私の目に飛び込んできたものはだだっ広い校庭で無邪気に遊んでいる平和ボケした生徒だった。
果たしてこの中にキングツリーが悦びそうな”養分”がいるのだろうか……。
私は一抹の不安を覚えていた。
なんとなく私が生徒達に目をやっていると、一人の生徒と目が合った。その生徒は私と目が合うち優しく微笑み、会釈をして、こっちに近づてきた。
近づいてきたと思ったら、そのまま私のことをスルーして通り過ぎてしまった。
その生徒とすれ違った瞬間、私の全身の毛が逆立ち悪寒を覚えた。
「ごめん、待ったナギ?」
「待ってない。帰ろう兄様」
その生徒は妹らしき人と一緒に帰ってしまった。
私は安堵した。
ここは、私を楽しめてくれそうだ……。
今日この地にやってきた主な目的は、この戦校の頂点に君臨する者、まあ表現を和らげればただの校長なのだが、とにかく私はその校長と挨拶をかわすためにやってきたのだ。
私は、やや窮屈な応接室という陰気くさい部屋で、パイプ椅子に座り、身を縮こませながら校長がやってくるのを待った。
しばらくして、応接室の扉が音を立てながら開いた。
「いやいやお待たせ、君がアリサ君かい。私は校長のムッシュじゃよ」
ムッシュと名乗る男は、入るなり陽気な声を味気ない教室に撒き散らした。紳士的な黒いハットとダイナミックなガイゼル髭が特徴的な初老の男性だ。
「は、はじめまして! 来年から、二年間お世話になりますアリサです!」
私はあまり緊張しない性質なのだが、この場面では緊張してしまった。口が寒さにやられた手のように思い通りに動かせなかったのが記憶に新しい。アウェイであり、初対面であり、その相手の位が高いという三拍子がそろってしまったのだから致し方ない。
「ほうほう。ついに我が戦校にもイケイケな娘がきおったわい。アリサ君、是非二年間とは言わず長期でやってみんかね?」
ムッシュ校長は頬を赤らめながら、いやらしい目でこちらをじろじろと見てくる。視線をたどると、どうやら私の肌蹴た太ももを凝視しているらしい。なんと破廉恥な……。
不快感があったが、おじさんの性だと割り切り、私は大人らしくにこやかな笑顔で対応した。
「誘いはありがたいですけど、遠慮しておきまーす★」
「ほおほお。笑顔も可愛らしい……」
「コホン。校長、本題の方に」
私は即座に表情筋を無力化し、無表情を決め込みながら咳払いをして、校長が作った乱れた流れを喰いとめた。
「そ、そうじゃな。では、本題に入ろう。アリサ君は教員の経験はないんじゃな?」
「はい。恥ずかしながら……」
「そう恥じることはない。物事は誰しも未経験から入る。なんなら、私が手とり足とり教えてやっても良いぞ。ムフフフ」
「そ、それは遠慮しておきます……」
「そうか。それは残念じゃ……ところでアリサ君は教師、すなわち先生とはどんな存在であるか分かるか?」
「い、いえ。教育論を学んだことが無いので、なんとも……」
「いいか、アリサ君。先生とはそんな難しいものではない。”生徒達が自分の意志で先生についていくように、生徒達を導く”。それさえ出来れば、もう立派な先生じゃ」
私はこの言葉を受け、妙な自信が湧き起こってきた。
私はレイサ様がツリーハウスを導いていくことを間近で見てきた。そして、私は自分の意志でそれについてきた。そして、今度は私がツリーハウスを導こうとしている……。
同じだった。教師、つまり先生って今私がやろうとしていることと全く同じなんだ……。
私なら出来る!
「ありがとうございますムッシュ校長! 今の言葉、凄く心に響きました!」
「そ、そうか。嬉しいの。嬉しいの。では、私が手とり足とり……」
「それは遠慮しておきます!」
翌日。
生の授業を見てほしいということで、私はある教室にお邪魔し、授業というものを初めて体験した。
「えー、では授業を始めます」
一人の男が教壇に立ち、黒板という頑強そうな板に、チョークという雪のように白い筆記具に文字を描き、話し始めた。
「アリサ君よ、あの男の授業をよく見ておくのじゃぞ。あの男の授業は生徒からも評判なんじゃ」
と、横やりを入れてきたのは、昨日で出会ったエッチ校長……ではなくムッシュ校長。
私は校長の言葉には同意しかねていた。
その男の不健康そうでいかにも頼りなさそうな見てくれは、どう見ても人間を導くような人間には思えなかったからだ。
しかし、その考えは儚くも消え去った。その男の丁寧な解説は抵抗なく自然と私の耳に入ってきた。
「えー、ではこれで授業を終わります」
先生の合図があった後、沈黙を貫いてきた教室が様変わりしたように賑やかになる。
「いやー、今日も見事な授業じゃったよ。白連氷君」
「ありがとうございますムッシュ校長。そこにいらっしゃるのは?」
「ああ、彼女は来年から二年間だけここで教員として働くアリサ君じゃ」
「よろしくお願いします。先ほどは素晴らしい授業でした」
私は白連氷と呼ばれる先ほど授業していた先生に軽くお辞儀をした。
「そうですか、よろしくお願いします。なるほどアリサ先生か。なかなかアリですね。アリサだけに」
は……?
「ハハハハ! いやー、氷君、今日もキレキレじゃなー!」
なぜか校長が、壊れた電動式のぬいぐるみのように急に高笑いを始めた。
まったく、意味が分からない……。
「では、アリサ君、私と氷君はこれから会議があるから、しばらくここら辺をうろうろしておいてくれ」
そう言い残して、ムッシュ校長と氷先生はそそくさと去ってしまった。
「ここら辺っていってもねー」
適当に扱われて落胆した私がため息をこぼしていると、一人の男子生徒が私を警戒しながら近づいてくる。ロン毛がキュートな男子生徒だ。
「おい、あんた何者だ?」
私はこの鋭利な刃物が飛んできたような質問に心臓が飛び出しそうになった。私は隠し事をしている身、こうなるのも無理はない。
「えーと……。私は、来年から二年間、先生やらせていただくアリサだよ★」
とりあえずこう答えた。まあ、嘘はついていない。
「なるほどな。俺は桜田銀次だ。人のスペシャルのレア度を色で見ることが出来る。あんたのスペシャルはあまりにも特別だ。俺はそんなスペシャルを持つ奴を倒すことを生きがいにしているんだが、あんたは倒せねえ。だから聞くだけでもしたかったんだ」
「何者もなにも、この人は拳一つで難しい仕事を次々とこなす”拳撃の革命娘”と謳われている方ですよ。ですよね、一階堂アリサさん?」
インテリ風のメガネ君が、得意げに眼鏡のつるをクイッと上げ答えた。
まさか、私の名がここまで知れ渡っているとは……。
私はある危機感を抱いた。クーデターが明るみになるかもしれない……。
「い、今はアリサ先生だから……」
私はつい震えた声で答えてしまった。
「んなマニアックなこと言われても分かんねえよ太郎」
「まあ、広い知識を持っていることはこの優等生である僕にとっては基本中の基本ですね」
マニアックって……。
私はそこまで情報が知られていないことに安心したと同時に、なんか傷ついた。
「来年ってことは、あんたにはお世話になるかもな」
「また留年ですか? 優等生の僕からすればありえないですね」
「うるせえ。てめえには関係ねえ」
人のスペシャルのレア度を色で見抜く銀次君が、優等生の太郎君の言葉に腹を立てたのか、荒い足音を立ててその場を去ろうとする。
人のスペシャルのレア度を色で見抜く……。
私は閃いた。この子を使えば、キングツリーの養分を簡単に探せることが出来る……。
善は急げ。
私は銀次君を呼びとめた。
「銀次君、あなたは人のスペシャルのレア度を色で見抜けるんだよね?」
「ああ、そうだ」
「ちなみに、この戦校内でレア度が高かった人っている?」
「ナーガだな。邪化射ナーガ。十年に一度の天才と謳われる奴だけは別格だ。俺はあいつに一度勝負を挑んだが、死にかけた。それに奴はどうも他の奴が天才と呼ばれることが気に食わないらしく、ついこの間一つ上の学年にいる戦校始まって以来の天才と呼ばれている奴を半殺しにしたんだ」
「ベラベラしゃべりすぎかな、銀次君♪ またボコボコにしてあげようか?」
一人の男子生徒が背後から狂気に満ちた眼で銀次君の肩に手を置いた。
あまりにも狂気の眼だったので、気付くのが遅れてしまったが、間違いなく昨日すれ違いただものではないと実感したあの男子生徒だった。
「ナ、ナーガ!」
銀次君はまるで鬼を見た村人のように、恐怖を身につけながら全速力で立ち去ってまった。
「ふー。まったく銀次君には困るよ♪」
ナーガ君は先ほどまでの悪気たっぷりの眼が嘘のように優しい眼で私に昨日と同じようにごく自然な会釈し、余裕に満ちた表情を浮かべながら、どこかへ行ってしまった。
一瞬、この子をキングツリーの養分にしようと思ったけどやめた。
別にこの子がダメと言うわけではない。来年度の私が担当する生徒達の方が、より親身になることが出来、利用しやすいと思ったからだ。
私は約半年間の研修期間を経て、教師としてふさわしい能力を身につけていったのだ。
しかし、教師は私のかりそめの姿にすぎない。
私の本当の姿はダイバーシティにクーデターを目論む、気高きバトラなのだから……。
☆ ☆ ☆
~現在~
「ここまで長い間、ご清聴ありがとう。ここまでがあなた達の知らない私の真実。どう、少しは私のこと分かってくれた?」
「まさか、アリサ先生にこんな過去があったなんて……」
龍はうつろな目をしながら、アリサの過去を反芻した。そして、アリサに対して深い罪悪感を抱いていた。
アリサのように深く重い人生を味わった人に、自分のような浅く少ない人生の中でしか物を語れない人が、説法するなんておこがましいと感じたからだ。
「あの優しかったししょーが俺達、ダイバーバトラに恨みを持っていたなんて、信じられねえよおお!!」
剛は雄たけびを上げた。しかし、その雄たけびはあまりにも悲しい雄たけびだった。その悲しみが空に伝わったのか、空は察するように雄たけびをさっさとかき消してしまった。
「にわかに信じられませんわね。そんな感情を抱きながら二年間何もそんな素振りを見せず私達と過ごしていたのですから」
凛は目を丸くして、まるで感心しているような舌周りで自分の考えを語った。同じ女性としてアリサが今まで自分達と過ごしてきた日々に背負っていた精神状態が痛いほど察する事が出来るからだ。
「さて、ここからが大事だな。どうやって俺達を”選別”したかを話してもらおうか」
進は冷ややかな目でツリーフェアリーをその身に変わり果てたアリサを見つめながら、話すように強要した。進だけは、アリサをとうの昔に先生ではなく敵としか見ていないようだ。
非情。進はこの感情においては他の三人よりも何倍も備わってる。
「そんな怖い顔しなくても大丈夫だよ進君。話すつもりでいるから」
禍々しい羽を有し、空中に永住しているアリサは進をまるで赤子をあやすようにして言葉を投げかけた。
「そうか。いよいよ俺達が出てくるのか……」
龍は痛みが特にひどいわき腹を押さえていた左手を握りしめ、右手のひらに置いた。
「そう。ここから語るのはあなた達と過ごしてきた、私が自分を偽り生きてきた日々の記憶……」
~約二年半前~
私は研修期間をパスし、この日よりついに自分の生徒を持つことになる。
桜がよく芽吹くそんな朗らかな日だった。しかし、私の心はその情景とは対照的に陰鬱だった。
自分を偽らなければならないからだ。まるで、透明な仮面を被ったような感覚に襲われていた。
こうして、私の偽りの教師生活が始まった。