第ニ十九伝(第九十四伝)「レイサの最期」
第ニ十九伝です。タイトル通りです……。最期とは哀しいものです。それではどうぞ……。
「樹希、これがなんだか分かる?」
私は一階堂の間でしかお目にかかることができない、神聖なる巨大樹の中枢部分を指さして、まだ七つのいたいけな幼女である樹希には難しいかもしれない質問をした。
「分からないよ、アリサお姐さん」
樹希は力を加えれば簡単に折れそうな細い首をかしげながら、悔しそうにつぶやいた。
「これはね、キングツリーと言ってね、私達に特別な力を授けてくれて、そして私達を守ってくれる神様のようなものなんだよ★ だから、『特別な力を授けてくれてありがとう』って、『私達を守ってくれてありがとう』ってお祈りをしないとダメなんだよ。お祈りの仕方はこうやってやるんだよ」
私は樹希に祈りの仕方を見せるように、キングツリーと向き合い、正座をし、両手を合わせた。
樹希は私を見よう見まねて同じポーズをしてくれた。本当に素直な子である。
「祈りを……捧げよ……」
私は樹希に祈りの方法を教えた。それは、かつてレイサ様が私に教えてくれた時と同じように……。
『いただきまーす!』
祈りの時間の次は食事の時間。私と樹希はツリーハウスのおふくろの味とも言うべき、ピカピカの白米に王樹の樹液で出来たソースをふんだんに使った料理、「エメリル」を食卓に並べた。
「おいしい……」
樹希は小さな口を存分に動かしながら、笑顔で言ってくれた。どうやら、樹希の口に合ったらしい。良かった……。
私と樹希は平穏な時間を過ごした。
しかし、その平穏は音を立てて崩れ去った。
しばらくして、私の耳に粗雑な足音が届いた。こんなぞんざいな足音を生み出せる者はツリーハウスの住人にはいない。
この足音の正体は一人しかいない……。
「ダイバーシティの者か」
そう。私の憎しみの対象であるダイバーシティの人間である。
定期的にやってくるキングツリーの樹液の徴収だ。ダイバーシティの人間は、いつものごとく厚顔無恥に神聖な一階堂の間に入ってきた。
「ねえ。アリサお姐さん。あの人は誰?」
樹希がまるで猛獣におびえる小動物のような心配そうな面持ちで尋ねた。
私は樹希の肩をポンと叩いてこう答えた。
「あの人達は私達の平穏な生活を脅かす人達。樹希、あの人達には注意したほうがいいよ」
「人聞きの悪いことを言わないで下さいよ、アリサさん。ところで、レイサさんは?」
ダイバーシティの人間は不満そうな顔で私達の会話に割り込んできた。
「レイサ様は奥の寝室で治療を受けてらっしゃる」
レイサ様の様態は次第に悪くなり、ほとんどの生活が寝たきりになってしまっている。
「そうですか。お大事に」
何を他人事に……!あんた達のせいでレイサ様が犠牲になっていることも知らずに……!
私の怒りは大噴火した。
「あんた達のせいで……! あんた達のせいで……! レイサ様は、レイサ様は……! 苦しんでおられるのだぞ!!」
私は力一杯、ダイバーシティの者の胸倉をつかみ、思いっきり罵倒した。
「なんなんだあんたは! 私達が何をしたと言うのだ!」
ダイバーシティの者は私の胸倉を掴んだ手を強引に弾き落とし、強い口調で反論した。
「無知なあんたらに博識な私が教えてやる……! レイサ様は……!!」
私が真実を説こうとしたその時……。
無数のツタで構成された一階堂の間と寝室を繋ぐ扉がファサッと開いた。
「五月蠅いぞアリサ!」
レイサ様は弱り切った体を無理やり起こし、私に怒号を浴びせられた。レイサ様がこんなにも怒っておられることなんて初めて見た私は、深い衝撃を覚えた。
「ですが、レイサ様! もう、レイサ様が苦しまれるお姿を見たくはありません! 今すぐ、こいつらからキングツリーの樹液、ライフソースを与えることを止めましょう!」
私がレイサ様に無礼ながら自分の主張を展開させたその時だった。私の頬からパチンという鋭利な音が、私の耳を切り裂いた。
私は平手打ちをされたのだ。生まれて初めて。それもレイサ様から……。
「大人になれアリサ! 一度決めたルールを撤回することは弱者の行い。貴様の主張は、ツリーハウスの尊厳を汚すことと同義なのだよ。見苦しいものを見せてすまなかったなダイバーシティの客人よ。いつも通り、キングツリーの樹液を持っていくがよい」
私は何の反論もすることはなかった。いや、出来なかった。
レイサ様は自分の命よりもツリーハウスの尊厳を大事にしておられるのだ。そんな崇高な思想を持つお方に反論することなんておこがましいのだ。
「レイサさん。ありがとうございます。助かりました」
ダイバーシティの者は口ではレイサ様に感謝を述べながら、手では傲慢に根こそぎキングツリーの樹液を奪い、一階堂の間から去って行った。
「レイサ様、治療を……」
寝室から心配そうに飛び出してきたレイサ様に仕える二階堂の者がレイサ様の腕を肩で支えながら、寝室に戻ろうてしていた。その去り際、レイサ様は私にこんな言葉をかけて下さった。
「アリサ、先ほどはすまなかったな」
「謝らないでくださいレイサ様。軽率な発言をした私が悪いんです」
レイサ様は元気なさげに顔を下に向け、寝室に戻ってしまった。
「うわあああん! アリサお姐さん怖いよおお!」
私の耳を痛烈に刺激する大きな大きな泣き声。私は樹希を泣かせてしまったのだ。私は樹希のこの世に二つとない宝石のような輝かしい笑顔をこの手で潰してしまったのだ。
レイサ様を怒らせ、樹希を泣かせ、私はなんて最低な人間なんだ……。
私が変えねばならない……!ツリーハウスの尊厳を守るため、レイサ様の命を守るため、樹希の笑顔を取り戻すため……!
変革の時を……!!
私は十五という若さで、ツリーハウスを変えることを考えた。
まず、私が取り掛かったことは樹希に闘いを教えることだった。それは、レイサ様が私に闘いを教えた時と同じように……。それに加え、夢我師匠が私に基本を教えた時と同じように……。
猫道場の教え通りまずは基礎からと考えた私は、猫道場の稽古メニューであった”打ち込み”をひたすら叩きこんだ。
これを、毎朝の日課とし、毎日毎日行った。全く猫道場と同じ稽古量だ。樹希にとっては辛かったのは間違いない。なぜ、そんなことが分かるかと言うと私が辛かったからだ。
弱音を吐いたときもあった。いや、ほとんど弱音しか吐かなかっただろう。でも、樹希は弱音を吐きながらも、ひたすら拳を打ち続けた。
この打ち込みをほとんど欠かさず毎日続けて数カ月。彼女は精神的にも肉体的にも磨かれただろう。子の歳を考えれば明らかに余りあるものにまで。
しかし、私は樹希の正拳突きに違和感を覚えていた。
残念ながら、全く拳を突くスピードとキレが上がらない……。
一階堂ではなく二階堂だから……。いや、確かに差異は生じるが、同じツリーハウスの住人。傑出した存在であることには間違いはない……。では、なぜだ?私の教え方が悪いのか……?
私はこの数カ月、人知れず苦悩した。私は以前まで教わる側だった。しかし、最近ではすっかり教える側にジョブチェンジした。このギャップが私を苦悩させていた。
打ち込みは十分だと考えた私は、次なる稽古、転脚へと移行した。さらに、数カ月が経ち樹希の脚力は飛躍的に向上したことは言うまでもない。だが、それでも転法出来るレベルにはまるで到達する気配が無かった。
私には教える才能が無いのか……。
私は樹希のツリーハウスの住人としての素質を潰しているのではないのかとさえ思った私は自分を呪ったりもした。
頭を抱える日が何日も続いたある日のことだった。
「お疲れ樹希★ どうだった?」
今日の稽古はこれで終わり。私は汗だくになっている樹希の頬をタオルで拭いてあげた。
「今日もへとへとだよ。それとアリサお姐さん、一つ頼みごとをしてもいい?」
「なに、樹希?」
「あの剣を使いたい」
樹希は可愛らしい指で、一階堂の間に大事に保管されてある一つの剣を指した。
剣の名を樹厳。キングツリーから生み出されたとされる大型の木剣。私は何度かこれを使い、レイサ様との鍛錬をしたのだが、まるで使いこなせる気配がせず、そうそう使うことを諦めた代物だ。
私は樹希の意外な言葉に驚いた。彼女は素直であるがゆえに、自分の意見をあまり持てない子であった。でも、今はこうして自分の意見を持って、私に頼みごとをした。
この剣は代々、一階堂の者が使うというルールがある。しかし、私がこの樹厳を使う日は二度と来ないだろう。しかし、ツリーハウスに代々伝わるこんな門外不出の剣を使わない手はないだろう。それを使う者がニ階堂の者であろうと。
それに、今まで自分の意見を持たなかった彼女が私に頼みごとをしているのだ。断る道理など存在しない。
私は一応、ツリーハウスのルールに関わることなので、レイサ様に相談した。
レイサ様は私の気持ちを汲み、快く同意してくださった。ありがたきことだ。
だが、樹希にとってみれば自分の体格ほどのある大剣。まだか弱き少女が扱えるサイズでは無い。
しかし、物は試し。私は無理覚悟で樹希に木剣・樹厳を持たせた。
けれども、そんな不安は杞憂だった。樹希はあっさりと木剣を構えて見せたのだ。その立ち姿に私は見入ってしまった。
美しい……。
樹希は両足に体重を入れ、両手でがっしりと樹厳の柄の部分を握った。小さな四肢を余すことなく使ったその立ち姿は、とても初めて剣を握ったとは思えなかった。剣を何年、何十年も握っている達人の気品さえ感じた。そこには、普段から樹希が持ち合わせているパンジーのような可憐さはなく、バラのような艶やかさが樹希の身を包んでいた。
「樹希、その剣を振ること出来る?」
私の口は無意識に動いていた。早く見たいのだ、樹希の剣さばきを。
「うん」
樹希は剣を縦に振るった。私は樹希の背中に確かに剣の達人を見た。
これだ……!
私は確信した。
樹希は剣術の才能がある。私は深い興奮と安堵を覚えた。
私の教えが悪かったわけではない。樹希に才能が無かったわけでもない。
分野が違っていたのだ……。
適材適所。私は拳撃とその卓越した身体能力にツリーハウスの住人としての所以があったように、樹希は剣術にツリーハウスの住人としての所以が存在していたのだ。
私はこの日より、私は自らの拳を使い、樹希は剣を使った、昔、私とレイサ様がやっていた1vs1の組手、いわば鍛錬を始めた。打ち込みと転脚を行って基盤となる体作りが出来ていた樹希は、これより日を増すごとに成長していくのであった。
☆ ☆ ☆
そして、私が十八歳、樹希が十歳になったある日のことだった。私の人生において最大の転機なる、最も危惧していた出来事が起きてしまった。
私は衰弱しきり、寝たきり生活を余儀なくされてしまっているレイサ様を、レイサ様に仕える二階堂の者と樹希と共に世話をしていた。
「レイサ様、私は十八になりましたよ」
私はレイサ様に出来るだけ負担をかけないように、レイサ様の耳元で優しく囁いた。
「……そうか……大きくなったな……」
レイサ様はかすれた声で仰った。それは、とても気高きレイサ様とは思えないような信じられないくい脆弱した声だった。
その直後、その瞬間は訪れていしまった。
「ガハッ!」
レイサ様は吐血なされた。私が一番最初にレイサ様の変化に気付いたあの時の吐血と全く同じだった。しかし、あの時の吐血とは重みが違い過ぎる……。
「レイサ様!」
二階堂の者がレイサ様の手をぎゅっと握り、声をかけた。この人は昔からレイサ様に仕えてきたのだ。その想いが手を握る強さに現れていた。
「……ア……リサ……」
弱弱しい声であったが私ははっきりと聞き取ることができた。確かにレイサ様は私をお呼びなさった。
「もう、しゃべらないでください!」
二階堂の者は、神に祈るようにして両手を合わせながら、レイサ様に必死で懇願した。
しかし、レイサ様はその手を払いのけ、観念したかのように首を横に振った。
「……人が死ぬ時は……その時がはっきり分かるのだな。我はもうじき……死ぬ。もう……良い。二階堂の者よ、こんな我に……今までつくしてくれてありがとう」
「そんな……勿体ないお言葉……」
「二階堂の者よ……そう言えば名前を……まだ聞いてなかったな。名をなんて言う?」
「そんな私の名前など……」
「いやな。我も……僕の名前など覚える必要はないと思っていた。だがな……アリサと樹希を見て、新しい主従関係の……形が見えてきた来がするのだ。だから、名を聞かせてくれ……」
「レミ……二階堂レミと申します」
「そうか……レミ、今までありがとう。もう、我を世話しなくてすむのだ、ゆっくり休んでくれ」
レミさんはそのまま顔全体を手で覆い隠し、何もしゃべることは無かった。
「樹希……貴様は良い……僕になれる資質を持っている。レミ以上のな……いや、もう僕なんて古い言い方かもしれぬな……良い師弟とでも言うべきか……樹希は素直な良い子だが、もう少し自分の意見をもった方が……いいかもしれぬぞ」
「はい、レイサ様」
樹希は凛々しい目でレイサ様を見つめて答えた。泣きたいのを我慢して、最期にレイサ様を安心させているのだろう。強い子だ。
「最後に……アリサ……」
「はい……」
私は樹希みたいに強い子ではないのかもしれない。もう、涙を押さえこめそうもない。
「生まれてきてくれて……ありがとう……一階堂の姓でいてくれて……ありがとう……貴様が最初、米粒くらい小さかった時だ。一階堂の間にやってきた時は……凄く嬉しかった……まるで我が子が出来たように……アリサとの鍛錬は幸せだった……私の体がもう少し言うことを聞けば……もっといろんなことを教えてあげたのにな……すまなかった……これからは貴様の時代だ、アリサ……ツリーハウスの伝統をさらに重んじるのか……はたまた、ツリーハウスの伝統を一新させるのか……とにもかくにも……ツリーハウスの舵取り役を担うのは……アリサ、貴様だ……大丈夫だ、アリサ……貴様なら良い指導者になれるだろう……我が保障しよう……」
これがレイサ様の最期の言葉だった。
享年六十四歳。生命力に長けているツリーハウスの住人にとってみればあまりにも早すぎる死だった。しかし、その死に際はあまりにも美しかった。
レイサ様がこの世を去ってから数週間後。私はある一大決心をし、それを伝えるためにレミさんと樹希を一階堂の間に招集した。
「アリサ姐さん、どうするの?」
すっかり悲しみを克服した樹希が尋ねた。
「私はレイサ様を直接的ではないものの、殺したも同然のダイバーシティを許さない。レイサ様の無念を晴らすために、そしてツリーハウスの高等さを証明するために、ダイバーシティを屈服させ、ダイバーシティをツリーハウスの傘下にさせる。対等な関係ではなく、あくまでもこちらが上だということだ。優れているものが上に立つ、私の考えは間違いではないはずだ。クーデターだ。しっかりと準備をしてクーデターを起こす。しかし、ダイバーシティの戦力を考えれば、さすがに私と樹希とレミさんだけでは不可能。そこで、二階堂の姓を持つ全ての者に協力を仰ぐ。他の姓同士の交流は私達のような特例を除いて禁止されているが、一階堂と二階堂間のみでそれを撤廃する。樹希を見て感じた。二階堂は一階堂に近しい能力を持っていると。だが、三と四は足手まといになることは目に見えている。戦力として数えることはないだろう。後、もう一つ。私達はダイバーシティのことを知らなさすぎる。『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』という言葉があるように、このクーデターを成功させるには……」
私はここで今一度、夢我師匠が言っていた言葉を思い出す。
「ダイバーシティのバトラになってみないか?」
そして、私は宣言した。
「私はダイバーシティのバトラになる!!」