第二十六伝(第九十一伝)「友の存在」
第二十六伝です。アリサヒストリーはまだまだ続きます。今回はアリサにできた友達のお話です。それではどうぞ。
「はあああああ!」
「うおおおおお!」
私は今、猫道場で最近、定期的に行われるようになった特別メニュー、1vs1で互いに技をかけ合う”組手”を行っている。ポイントは、技は自由でルール無用の実戦形式。師匠は基礎が十二分に備わってきた私達のために、より発展的な稽古メニューを考えてくれたのだろう。
私の相手は紫奇髪ジェシカ。彼女以外に私の相手が務まる生徒がいないからだ。
「はああ!」
私は気合を入れて、渾身の右ストレートを放った。技の名は”正撃”。速力を重視した正拳付きは、極めれば人の体の中になる臓器をも破壊する力を持つという。そんな、強大な技を習得できたのも、日ごろの”打ち込み”の賜物といえる。
「転法!」
ジェシカは私の丹撃を姿を消したと相手に錯覚させるほどの速力で軽やかに回避した。技の名を”転法”。バトラの世界で最もポピュラーに使われる回避法。習得には時間がかかるとされるが、こちらも日ごろの”転脚”のお陰であっという間に習得できた。
とはいうものの、それらを完璧に体現できるのは猫道場の生徒の中では私とジェシカの二人のみ。私とジェシカはそういう意味でも道場内では飛び抜けた存在だった。
ただ、飛び抜けた存在は二人もいらない――。
私は特別なツリーハウスの住人の中でも、さらに特別な存在を表す一階堂の姓を持ちし者。私より上の存在はおろか、私と同等の存在ですらいてはいけない。
私は跳躍した。道場の使い込まれた畳が、眼下に広がる。
対戦相手のジェシカや師範である夢我師匠でさえも口をぽかんとしていた。
道場の基本ルールとして道場で習得した動きや技以外を使ってはならない。
攻撃時、跳躍するなんて行動は道場の教えにはない。
私は、自らが特別な存在であることを誇示するために、道場の禁忌を犯したのだ。
そして、跳躍の勢いを利用して体を回転させる。そして、回転の遠心力を利用してダイナミックかつ繊細な蹴りを繰り出す。
これは、道場で生徒達全員が教わるような平凡な技ではなく、レイサ様が私唯一人だけに教えて下さった特別なる技……。
「順・回!」
パシンという音、誰かの手に私の脚が掴まれた感覚、この二点から察するに私の攻撃は素手で阻止されたようだ。
私の攻撃を止めたのは他でもない、この猫道場の師範である黒猫夢我師匠、その人だった。
さすは師匠といったところだ。私の順回は超高速回転からなる蹴り技。さらに、跳躍しながら回転蹴りという奇想天外な行動から成される技。初手で攻略するなどほぼ不可能。だが、師匠は私の順回を完璧に見切り、簡単に止めてしまったのだ。
「アリサ、どういうつもりだ? そのような技を教えたつもりはない」
夢我師匠は眉間にしわを寄せ、猛者であることを直接的に示すような強い眼力でこちらを見ている。普段、あまり怒らない師匠であったが、私が道場のルールを破ったことに、ひどく怒っているようだ。
「すみません。つい……」
私は反射的に頭を下げ、反省の意を示した。
「初めて見る技だが誰に教わった?」
「レイサ様です」
「そうか、ということはこの道場で身につけた技ではないな。まさか、この道場のルールを忘れたのではなかろうな?」
「勿論です」
「では、なぜ使った?」
「自分が特別だということを証明するために」
「レイサを含め、特別という言葉に拘る癖がツリーハウスの住人にはあるようだな。確かにお前たちは特別かもしれない。ただな、こうやってむやみやたらに特別を人に押しつけるような奴に特別な力を持つ資格などない。今後一切ここで習得した技以外を使わないように」
「はい」
私は空気の読める女。さすがに師匠の言い分とあっては分かったようなふりをし、口では同意したものの、私は初めて師匠の言葉に腹の内ではあるが異議を唱えた。
特別たるものが特別な力を証明して何が悪い。もったいないではないか。
私は段々と自分が特別だとい強い意識が芽生え始めた。ツリーハウスの住人達の歴史を紐解けば順調に育っているということになる。
☆ ☆ ☆
常に自分が特別という意識を念頭に置きながら、二年が経った。
私は十四歳になった。通常ならば学校に行く年頃であろうが、私にそのような力を持たぬ弱者が馴れ合うような場所とは無縁だ。
今日も無事、猫道場のメニューの全工程が終わりを告げた。
私が帰ろうとしたその時だった。
「アリサ、ちょっと来い」
師匠に呼ばれた。
私はたいそう驚いたのを今でも覚えている。稽古終わりに師匠に呼ばれることはおろか、話したこと知らなかったからだ。そもそも師匠はよほどのことではない限り、稽古の時間外に生徒とコミュニケーションを取ろうとはしない。あくまで、先生と生徒という関係を追従し、深く生徒に干渉することはない。
だが、私は現に師匠に呼ばれた。私が”特別”だからこそ呼ばれたのだ。私が特別だからこそ”選ばれた”のだ。
「なんでしょうか、夢我師匠」
私は意気揚々と師匠のもとへ駆け寄った。しかし、師匠から返ってきたものは拍子抜けする言葉だった。
「どうやら、ジェシカが今月一杯で猫道場を辞めるらしい。そこで、お別れ会を開きたいと思うのだが、ジェシカと一番仲の良いお前にお別れの手紙を書いてほしいのだが頼めるか?」
なんだ、そんなことか……。
しかし、ジェシカが道場を辞めるなんて一言も聞いてない……。
普通、こういうことは最初に友達に言うものだと思ってたけど。私たちはどうやら友達同士では無かったのかもしれない。私はショックを受けたと同時に、妙に納得していた。
私はジェシカを友達だと思っていたという感情とは裏腹に、私と同等の力を有し、私が特別であることが薄れてしまうジェシカの存在を疎ましく思っていたのもまた事実。
ジェシカがいなくなるということは私が道場の頂点に上り詰めることは間違いない。そう思うと、高揚感を得たが、それはただの逃げだとも思えてきた私は寂寥感を覚えた。
それから、一月の間、私は道場の厳しい特訓に耐え抜き、ついにお別れ会の日、つまりジェシカが道場を辞める日を迎えた。
お別れ会は今まで苦楽をともしにしてきた道場で行われた。
道場は今回限りではあるが、大きな変貌を遂げていた。汗臭い殺伐とした雰囲気が一変、生徒達が一生懸命作った紙飾りが周りを装飾し、道場が持つ雰囲気とは思えない華やかな雰囲気を放っていた。
お別れ会は生徒全員で持ちよったプレゼントを交換するといったいかにも子供らしい内容。私は綺麗な髪を整えるくしをもらった。私は髪を結んでいるので必要なかったが、今でも大事に保管している。
最後に私が書いてきたジェシカへのお別れの手紙を音読し、それをジェシカに渡した。ジェシカは嬉しそうな顔を浮かべながら私の手紙を内ポケットにしまっていた。私はそれがジェシカの本心かは読みとることはできないが、それでも嬉しかった。どうであれ、私とジェシカは友達同士なのかもしれない。私はレイサ様と二人三脚で共にしてきたので、同年代の友達などいなかったので、友達の定義はよくわからない。疎ましく思っていたのも事実だが、”それらしき”ものは確かにあった。
お別れ会はあっという間に終わった。
楽しかったからこそ、あっという間に感じただけなのかもしれない。
でも、私の心の中には一つのわだかまりが残っていた。私は本当の意味で特別なのか否か。その答えは、この道場で傑出した存在である私とジェシカ、どちらが優れているかで導き出される。しかし、ご存じの通りジェシカは私の前から姿を消す。
その時点で、私の取るべき行動は一つに絞られていた。
その夜。ジェシカが身支度を整えて、寒空のもとを歩く中、私はジェシカを呼びとめた。
道端に力強く生えているつくしが不気味なほどに風になびかれていた。
「私に声をかけるなんて珍しいわねアリサ。もしかして、私がいなくなることに急に寂しくなっちゃったわけ? もー、アリサって可愛いわね」
ジェシカは私をおちょくってくるのに対し、私はあくまで冷静に話を進めた。
「ジェシカ、最後に私と組手をしてくれる?」
「なんで?」
私の言葉を受け、ジェシカの態度が急変した。まるで猛獣が小動物を睨むかの如く鋭き眼で私を睨みつけた……ような気がした。
私は少なからず恐怖と言う感情がこの時、皮膚から私の体内にしみ込んできたのかもしれない。しかし、一の姓を受けた私のような選ばれし者がそんな感情を持つなんて、おかしなことである。
私はやはりジェシカを倒さない限りは特別を名乗る資格はないということだ。
「私とあなた、どちらが強いのか、そしてどちらが特別なのかを確かめたいから」
「私はアリサみたいに強いとか、特別とか、そんなことに興味はない。でも、いいわ。あなたの誘いを受ける。だって私とアリサは友達だから……」
「ルールは猫道場と同じ。技は猫道場で修得したもののみを使用可能とする。相手が『参った』と言わすか、相手の首を取った方の勝ちとする。それでいいジェシカ?」
「構わないわ」
私とジェシカは一定の距離を取りつつ、対面した。それは、いつも道場で行う組手の稽古となんら変わりの無い。しかし、一つだけ違う。それは、最後だということ……。
私は無遠慮に一歩を踏み出した。
駆ける……!
特別であることを証明するために、私はただ一心に駆けだした。
「正撃!」
私は走り出しの勢いを利用した、渾身の右ストレートを放った。
「転法!」
ジェシカは私のファーストアタックを転法を駆使しいとも簡単にかわしてみせた。
さすがはジェシカ。ジェシカ以外の生徒であるなら、これで勝負付けは済んだだろう。
ジェシカの行動は回避にとどまらなかった。ジェシカは私の背後に回り込んでいたのだ。
「正撃!」
お返しとばかりに、今度はジェシカの正撃。
「転法!」
背後からの強襲に一瞬反応が遅れるものの、私の圧倒的な反射神経でそれを転法を用いかわす。
「乱撃!」
私は乱撃を放った。唯一、猫道場で教わる蹴り技。通常の蹴り技とは異なり、膝を曲げながら足を上げ、足が上がりきった時に膝を伸ばしつま先を相手にぶつける二段階攻撃。通常の均整のとれ、見てくれが美しい蹴りとはかけ離れ、まるで型が乱れるようにして見えることがその名の由来。
これにより、相手のタイミングをずらす効果と、屈伸運動により威力の増幅する効果の二点が期待できる。
ジェシカは私と全く同じ技を繰り出した。ジェシカは右足を大きく振り上げ、見事な乱撃を披露した。その姿は乱撃という名に違和感を覚えるほど美しく芸術的。美しさだけで言うならば、師匠よりも上かもしれない。
私の脚とジェシカの脚がクロスを描くように見事に交錯した。
私と全く同じ技……。私と全く同じ威力……。
仕方のないことだ。この組手のルールは猫道場で覚えた技のみを使用可能とする。なので、このようなミラーマッチになることは想定の範囲内。むしろ、そうするためにこのようなルールを設けたのだ。
なぜなら、このようなミラーマッチの勝負を決する要因となりえるものは技の使いどころといった純粋な戦闘スキル。かいつまんで言うならば、この勝負、特別な者が勝つ……!
私は、この組手に終止符を打つため、そして自らが特別であることを完全証明するために、類稀なる戦闘センスのもと動き始めた。
手始めに、転法でジェシカとの距離をゼロ距離に詰めた。これにより、相手に転法するすきを与えない。
そして、私はあえて利き手ではない左手で正撃を放つ。転法を封じられた相手はガードするしか身を守る術を失う。
予想通りジェシカは正撃を作動させている左腕を強引に払い落とそうとする。
しかし、これは囮……。
「丹撃!」
私は今度は利き手である右手で丹撃を放った。さきほどわざわざ利き手ではない左手で放ったのは、本命であるこの技を成功させるための伏線であった。
丹撃とはアッパーカットの一種。狙いは顎一つ。受け身を捨て攻撃に特化させたアッパーカットを相手の顎に繰り出し、確実に脳震盪を起こさせ気絶させる、まさに一撃必殺の奥義。
練りに練られた私の戦略が功を奏し、私の磨き抜かれた右拳は見事にジェシカの顎に命中。脳が揺れ、立つことすら困難になったジェシカはその場で仰向けになって倒れこんでしまった。
私が追撃をしようと、ジェシカに馬乗りした瞬間……。
「私の負けよ。アリサ」
ジェシカは口頭で降伏した。ジェシカの意識は残っていた。この丹撃をもろに受け、意識を保つジェシカの耐久力には頭が上がらない。
この瞬間、私の心の奥底にこびりついていたわだかまりは無くなった。
「やはり、私は特別」
そう、この事実が証明されたからだ。
「アリサって強いのね。驚いたわ」
「ありがとうジェシカちゃん。ジェシカちゃん、最後にこれだけ聞いていい? あなたはなぜ猫道場に入ったの?」
私は最後の最後に一番聞きたいことを訪ねた。人には目的を持って行動する生き物だからだ。
「私はあんたと同じで強力な力を持っている。私が持つそんな大きな力を誰のために使うか、誰のために尽くせばいいのか分からなくてね。そんな中、出会ったのが夢我先生。あの人がもしかしたら私が求めてた人かもしれない。そう思ってね……」
「でも、違ったの?」
「そうね。あの人ではなかったみたい。だから、私は尽くせる人を見つけるために、この場を去るのよ」
「話してくれてありがとうジェシカちゃん★ さようなら」
「ああ。アリサ今まで楽しかったわ。ありがとう」
この日を最後にジェシカを見ることは無くなった。
私とジェシカはどこまで本心を見せ合ったのかは分からない。でも、これが”友”なのだとなんとなく感じとった。
これを機に、次々と私に”別れ”というイベントが津波のごとく押し寄せてくる。