1-9
さっき俺は、思ったより普通のどこにでもあるような家みたいなことを言ったが、それはどうも見かけだけだったようだ。
……結論から言おう。この家は異常だ。
具体的に言うと、見た目と中身のサイズと形が合っていない。2階建てのその辺にありそうな普通の民家の、扉をくぐったら、半球状で小規模の街が1つ入るんじゃないかという程の広大な空間が目の前に広がっていたのだ。
それだけでももう十二分におかしいのだが、極めつけはその空間を埋め尽くす書架の群れだ。いや、群れという表現は間違っているだろうか。移動するための全ての通路の壁が書架で出来ている。街1つほどの大きさの空間に書架で出来た通路が張り巡らされているのだ。
……これは後で聞いた話なのだが、この家に部屋と呼べるものはなく、自分の生活空間以外の全てが書架の通路なのだそうだ。何だそれは。
「――なるほどねぇ」
そして今俺たちは、唯一の生活空間である中心部に案内されていた。俺が目覚めた時に置いてあった手紙を渡し、事情説明を終えたところだ。いやぁ、紅茶とクッキーも出して貰っちゃって悪いねぇ。
「あー何て言うか……」
彼女――ヨハネさんと言うらしい――は手紙を机に置くと、紅茶を一口啜り一息つく。そして何とも言えない表情を浮かべ、眉を八の時にして溜め息をついた。
「君は本当に馬鹿だねぇ……」
呆れ果てた。とその表情が語っていた。しかし俺にも反論はある。そう、やったのは俺であって俺じゃないと主張するべきだ!!
「俺じゃねぇ!! いや、俺だけど!!」
「主様落ち着いていください。私もあなたは馬鹿だと思います」
「なにぃ!?」
俺の主張は通らなかったようだ。これが数の暴力というものか……。やばい。泣きそう。
「あぁ、前から馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたのだけどね。あまりにも馬鹿すぎてもう言葉もないよ」
「そろそろ泣くぞ……!!」
俺が本気で泣きそうになっていると、ヨハネさんが気を取り直したようにソファに座り直して俺に向かって笑みを浮かべながらこう言った。
「まぁ、もう過ぎたことは仕方ないからね。君が馬鹿なのは置いておいて……。それで? 君たちは、私にどうして欲しいんだい?」
「え……どうって……」
どうして欲しい。そんなことを言われても俺たちは何も知らない。何もわからないのだ。ただリオラに残された指示を頼りにここまで来ただけなのだから。
と、そんな考えが表情に出ていたのか、ヨハネさんがまた口を開く。
「だから、君たちは記憶を取り戻したいのかい? ……それとも?」
「えっ……と……」
普通なら取り戻したいと言うべきなのだろうが、しかし暇を持て余して記憶を消したという手紙の内容が脳裏に過ぎって、言葉に詰まってしまった。
咄嗟に答えられない俺を横目に見て、リオラがヨハネさんを見据えた。
「質問があります」
「何だい? 言ってごらん」
「あなたと主様は一体どのような御関係だったのでしょうか?」
そうだ。記憶のことは重要だが、そこも気になってはいた。無論、記憶を取り戻せばわかることで、どうするか聞くからにはヨハネさんは記憶を戻すことも出来るのだろう。しかし、今この瞬間に戻したところで、また記憶を消すのがオチではないだろうか。
ならば少々先延ばしにして情報収集をするのもアリのはずだ。
……まぁ、ぶっちゃけて正直に言えば、俺は記憶を取り戻すことに尻込みしてしまった。怖気づいたと言ってもいい。
「んー……そうだねぇ……。まぁ、勿体ぶることでもないしねぇ。とは言っても少々面倒かな。
……あぁ、そうだ。この手紙風に語ってあげよう。わかりやすいだろうしね」
と、1人で納得してヨハネさんは自分とあの野郎の関係を話し始めた。この家に来る途中、街の広場で見かけた吟遊詩人のように。意気揚々と謳いあげるように。昔話をし始めた。
荒唐無稽で思わず鼻で笑ってしまうような、昔話を。