第19話 法
今朝は、どうにも目覚めが悪かった。
マーガレットの身の上を知って以来、彼女のことが頭から離れなかったのだ。
どの世界でも、親が子の運命を決める話は珍しくない。
だが、決められたレールの上を歩くしかない人生など、あってたまるものか。
―マーガレットだって、きっと。
そう自分に言い聞かせ、ようやく家を出た。
見慣れた道と景色。だが、今日はどこか色褪せて見える。
「おはよう」
背後から、落ち着いた声がかかった。
振り返ると、フリーラだった。
十三歳とは思えないほど、彼女は精神的に成熟している。
前世の記憶を持つ自分より大人ではないか、と感じることすらある。
歩きながら、ふと思いついた問いを投げてみた。
「決められた人生って、どう思う?」
「なにそれ?」
フリーラは即座に首を振った。
「そんなの、無視するわ」
思わず笑ってしまった。
彼女は本当に、芯の強い人間だ。
「今日の講義、何だったかしら」
「確か、法の話だな」
他愛もない会話をしているうちに、学院に着いていた。
講義開始まで十分。ちょうどいい。
教室に入ると、自然とマーガレットを探してしまう。
彼女は普段通りの様子で席についていた。
―よかった。
胸の奥で、ほっと息をつく。
「講義を始めるぞ。今日は法だ」
ラフィーナのはっきりとした声が教室に響く。
「統治において、最も重要なものは何か。それは、法の存在だ」
法学部出身だった前世の記憶が刺激され、自然と背筋が伸びる。
「王令には二種類ある。一種と二種だ」
まず説明されたのは、一種の王令。
これは魔法拘束によって、王国民に遵守を強制する命令である。
ただし、莫大な魔力を必要とするため、内容は極めて限定されている。
ラフィーナが黒板に書いたのは、次の三つだった。
―王国の統治機構を破壊することを禁ずる。
―人を殺害することを禁ずる。
―他人を暴行することを禁ずる。
一種の王令は、秩序の根幹だ。
これらの行為が、五百万人の平民の間で横行することはない。
だが―。
「魔力持ちには魔力耐性がある。
そのため、魔法拘束はプリビレッジには効かない」
教室が静まる。
だが、これは周知の事実だった。
「だからといって、プリビレッジが王令を無視していいわけではない。
重大事案の場合、王の面前裁判で裁かれる」
詳細は語られなかったが、
―プリビレッジであっても裁かれる可能性がある―
その事実に、わずかな安堵を覚える。
「次に、二種の王令だ」
二種は、魔法拘束を伴わない。
例として挙げられたのは、
「婚礼の儀を挙げた者は貫通することを禁ずる」
「プリビレッジに対する非礼を禁ずる」
といった、道徳や慣習に基づく禁止事項だった。
違反が生じた場合、登場するのが公証場である。
公証場は、王国民間のトラブルを仲裁する機関だ。
その多くは、二種違反に関する私的な争い事だという。
もちろん、プリビレッジとの争い事の場合は一種事案もその対象となる。
だが―。
俺は、身をもって知っている。
公証場が、必ずしも法の番人として機能していないことを。
プリビレッジの公証人が、同じプリビレッジを公平に裁けるのか?
制度として公平性を担保しなければ、法は形骸化する。
思考を巡らせていると、ラフィーナが教室に問いを投げた。
「かつて一種の王令に、
『他人を欺いて財産を得てはならない』
というものがあった。だが、これはすぐに廃止された。
なぜだと思う?」
教室がざわつく。
「それ、一種で縛られたら商売できないわ」
前斜めの席から、リサリィが即答した。
「その通りだ」
利益を得るためには、安く仕入れ、高く売る。
そこには、人の心理としてどこかに“欺き”が混じる。
一点の曇りもない善行を求めるなら、
経済は成り立たない。
魔法による絶対的な縛りは、万能ではないのだ。
リサリィは、どこか誇らしげに胸を張っていた。
こうして、実りの多い講義は終わった。
―次は、公証人の裁量の範囲だ。
―選任手続きはどうなっている?
質問したいことは、山ほどある。
法を知ること。
それは、この王国で公平を実現するための、最低条件なのだから。
終




