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第五話 サウンドノイズ ※アオ視点


「買い物に行ってくるよ」

「わかった」


  いつにもまして雨音が強い日のこと。

 ソファで読書をしていた俺に麦はいつも通り声をかけた。

 特に顔を上げることなく、いつものように返事をした。


 ガチャン。


 扉がいつもより音をたてて閉まった気がした。

 ふと玄関先を見ると傘が置いたままになっていた。

 さらに、壁にかけてあるレインコートもそのままであることに気が付いた。


「あれ」


 傘がないと外に出られないのは俺だって理解している。

 俺が何も身に着けずに外に出ようとして怒ったのは誰でもない麦だ。

 この違和感に背筋がぞわりとした。

 読んでいた本を床に落とし、傘を掴んで外に飛び出した。


「麦っ、麦!」


 傘をさして右に左に視線を投げて麦を探す。

 一段と強い雨は灰色のカーテンのようで数メートル先の景色を歪ませていた。

 その中をただ何事もないように歩いている麦の姿を見つけた。

 俺は駆け寄って小さい命知らずの大馬鹿者を傘の中にひっぱりいれた。


「何やってんだよ!」


 純粋な怒りだった。

 あの日、大声で家の中にひっぱりこんだくせに自分は傘もささずに外にでる軽率さ。


「あぁ、アオ。来てくれたんだ」


 声を荒げる俺に対し、麦は吐息ひとつ乱してはいなかった。

 麦の髪の毛はしっとりと濡れ、頬に流れる雨粒を袖で拭ってやった。


「戻ろう。肌が爛れる」

「爛れないよ」

「何言ってんだよ。爛れて死ぬ可能性だって……」

「ないよ。僕にはない」


 麦は穏やかに微笑んで傘からとんっと飛び出した。

 俺の手が空を掴んだ。

 傘から出た自分の手がうっすら赤くなりつつあるのを見て手を引っ込めるしかなかった。


「あの家はこの先君が使ってくれていいよ。それでもう少し時間が経って、君がまた歌えるようになったらその時は歌ってくれると僕は嬉しいな」

「なんの話?」


 脈絡のない言葉に眉間にしわを寄せ、俺と会話をする気が一切ない麦を睨んだ。


「僕に一から十まで語れってこと?」


 今まで聞いたことのない穏やかではない低い声がした。

 麦はやれやれとため息をついた後、あのねと呟いた。


()()がNだって話だよ」

「……N?」


 N、どこかで聞いたなと頭の中にある記憶をひっくり返し、ミネが話していた事を思い出した。

 Nを叩くためという言葉。開いた口が塞がらない。呆然としながら麦を見た。

 傘が揺れて、雨粒が気持ちを代弁するようにはじけた。


「麦が、N……」

「驚いた?」

「驚かないわけがないだろ。でも、信じれるわけもない」

「厳密にはNは()()じゃない。胸の中に入ってる機械の名前」


 麦は自分の胸に手を当ててそう言った。


「胸の中に何が入っているっていうんだよ」


 俺の言葉に麦は苦笑していた。

 麦の表情を俺が信じることができないだけで、嘘ではないのだと感じた。


「んー?」


 麦は降りやまない雨を見上げて。雨粒を浴びるように一度目を閉じた。

 数秒の空白はいつの日だかの間と同じで俺に言うべきか、言わざるべきか、どう伝えるべきか、伝えないべきかを考えているようだった。


「ここはいい街だった。争いも少ないし、困っている人も少ない。平等で、ただ雨が降り止まないところだけが難点だった。アオはさ、この街がどうして雨がやまないか知ってる? もしくは考えたことある?」

「……知らない」


 麦はおとぎ話をするような口調でゆっくりと語りだした。

 俺は口を結んで話を聞いていた。


「もうずっと前の話だよ。この国の中心部、 君のもともと住んでいた街で大規模な科学実験が行われていたんだ」

「科学実験?」

「うん、表向きはそう。内容は武器の開発だよ」

「え… … 」

「君にはあまりに馴染みはないだろうね。時代は変わったし、思考や文化も移ろった。人が生きていく上で掲示する歴史を修正するなんてことは容易いものだ」


 麦はこれまで見たことのないくらい饒舌だった。

 今までの時代を実際に見て来たかのような口ぶりで、重い空気感、圧とでもいうのだろうか。今まで一緒に生活をしてきて感じたことは一度もなかった雰囲気だった。


「なんのために……」

「戦争のためのものさ。爆弾や銃、刃物の類ではない何かさ。一見、武器に見えないものの方が怖いんだ。見せしめ、脅し、そんなものだよ」


 ふと傘の裏の骨組みを見上げ、一見武器ではないものを考えて、思い浮かんだのは出かけるためにレインコートを着てレインパンツを履いて、長靴を履いてフードを被り、傘を指していた麦の姿だった。


「……雨」

「正解。この雨は試作段階だった。この街は不運にも実地試験が行われた場所だよ。その後、実用化には至らなかったわけだけど」

「実用化……」

「だって、充分でしょ。この街みたいに君たちの街もなりますよって言われたら……」

「そんなこと… … なんで麦が」

「なんでってそれは… … Nだから」


 麦は事あるごとにNだからと俺に言い切った。


「そのNって何だよ。人だよな」

「君の質問にだけ答えるなら、人じゃない」


 俺と同じ体のつくりをしていて何が違うと言うのかわからなかった。

 ただ、雨の中に立ち続けていて、麦の顔や腕、見える皮膚には炎症が一つも見えなかった。


「NはSを許さない」

「もういい。俺は麦の言ってることがなにひとつ理解できない。 もうNでもなんでもいいから家に帰ろう」


 麦は一瞬だけ驚いた顔をして、俺の言葉を無視した。


「Sはこの雨を作った組織。NはそのSを潰したい組織。SはNを無効化する周波数を見つけた」

 

 思い当たることしかなかった。

 俺の歌を何かの機械で計っていた奴ら、数値化して俺を物のように扱った奴ら。


「……」

「Sが作りだしたものは壊さないといけない」


 麦の瞳に光がなくなった。

 十語らなくてもわかる。

 俺はこれから麦に殺される。


「……はは」


 人は窮地に立つと先にまず笑えるみたいだ。そして、奥歯を噛みしめた。

 光のない麦の瞳が怖い。殺されてしまうのは嫌だ。

 でも、俺を殺すのが麦であることにほんの少し安心している自分もいた。

 どうせ、死ぬなら麦がいい。そんな感情も思考も相反したことを思った。


「麦に拾ってもらった命だったの忘れてた」


 もういいか。

 握っていた傘を降ろすと雨が降り注いでくる。

 じわじわ、皮膚が熱くなってきた。


「潔いのはいいことだね」


 麦は鞄から拳銃を取り出した。


 カチャ。


 手慣れた手つきで銃を構える。

 息を飲んで目を閉じた。


 ガチャン。

 パンッ。パンッ。


 雨の音に交じって何かを地面に落とす音がしてから、銃声が数発響いた。

 俺は撃ち抜かれたのか。

 今、血がドバドバ流れているのか。

 しかし、いくら待っても痛みはない。

 目を開けると地面には麦が大事にしていたラジオが銃で撃ち抜かれ、内部がばらばらに飛び出していた。

 麦は手早く傘を拾って、唖然とする俺に握らせた。


「甘いよね、オレ。でも、これが最初で最後……Nに逆らうのは」

「え……」

「アオを殺したことにして、ここを離れる」

「待って俺を連れていってよ。なんでもやるから……俺の声に何かがあるなら実験だって、研究だって協力する」

「馬鹿だな。君を連れ帰ったら嘘がバレるだろ。君はNにとって排除対象だけど、オレにとっては救世主だ」

「救世主? 助けられたのは俺のほうだろ」

「君の歌を聞いている時……Nが停止する。すなわちオレが唯一、人間に戻れる時間だった。ここ百年くらいで一番穏やかな日々だった」

 

  強引に腕を引っ張って帰ろうとするも麦は一歩も動かなかった。

 軽そうな身体のくせに動いてはくれなかった。


()に花を持たせてくれると嬉しいな」


 麦は珍しく穏やかとは程遠い苦しそうに唇を噛みしめ涙をこらえている表情をしていた。

  麦の歪んだ顔を見て、俺はゆっくり麦の腕から手をだらりと力なく離した。

 もう何を言ってもこの先は変わらない。



 麦がいなくなってすぐ自分の傘が届いた。

 麦が申請をしてくれていたらしい。


 ビュオーン。


 支給金をやりくりして、ラジオとギターを買った。


 ビュオーン。


 ダイヤルを回してラジオの放送局を探す。


「中央街のセントラルサウンド社のビルが倒壊いたしました。地下のガス漏れが原因の爆発とのことです。会長のミネ氏とその他の従業員数十名が行方不明とのことで捜索が続いております」


 最近は少しずつ、歌が歌えるようになってきた。鼻歌レベルだけど。

 作曲もはじめたんだよ、麦。

 お前を人間に戻せるような曲を作ってみせるよ。

 

 いつかすれ違ったら、今度は俺が助けるから。どうかその日までお元気で。




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