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第三話 シグナルサウンド ※アオ視点


 長靴を履いて、レインジャケットにレインパンツを履いてフードを被る。


「麦、準備できた」


 玄関の扉を開けて振り返ってから外に出る。

 これは麦との約束だった。

 麦は俺の全身をチェックするとばっちりだねと微笑んでくれる。

 街中を一周して、買い物があれば麦のメモの通りに買い物をして帰る。

 それがお決まりになっていた。




 家に戻ると麦が台所に立っていた。

 身体に雨粒がかからないように注意を払いながらレインジャケットとレインパンツを脱いで傘をしまった。


「よっと」


 甘く香ばしい匂いがして近寄るとタイミングよく麦はフライパンを器用に返した。

 宙に浮かんだ茶色い円盤を眺めていると麦がこちらを振り向いた。


「おかえり」

「うっ……ただいま」


 この挨拶は未だになれないけれど、無視することも出来ない。

 麦はお皿にぽんぽん積み木のようにフライパンで作成したものをパンケーキを積みあげた。

 そして、目を点にする俺に得意げな顔をした。


「これが噂のホットケーキというものです!」

「あ」


 噂にはなっていないけれど、麦から借りた本で大きなホットケーキが出てきたのを思い出した。


「あの本を読むと自然とこれが食べたくなるんだよね」


 そんなことはないと言いかけて、やめてしまったのはホットケーキの上に乗ったバターが表面を滑り、麦が惜しげもなくメープルシロップをかけ始めたからだった。


「いただきます」


 麦の向かいに腰を下ろしてプレート横に置いてあるフォークでさくさくと割った。

 一口ではきっと入りきらないかもしれないギリギリのサイズ感のものを口の中に放り込んだ。


「どう、おいしいかな」

「……うまい」

「それはなにより」


 俺のお皿に三段のホットケーキ。麦のお皿には一枚だった。

 お皿を何度か見比べた末、俺は一枚を麦のプレートに移動させた。


「これで同じ数」

「僕は一枚で充分だよ」

「充分でも平等がいい。なんか変な感じする」

「……変じゃないと思うけど」

「二人なんだから半分ずつが基本だろ」

「そっか、基本か……」


 麦はなるほどねと頷きながら二枚目のホットケーキを食べ始めた。

 俺はその様子が嬉しかった。麦の食べる姿はあまりにも貴重だったからだ。

 ホットケーキを食べ終わるとそういえばと麦が何かを思い出したように切り出した。


「髪の毛黒くなってきたね」

「あぁ、目立つ?」

「目立つというより、おかしな感じ。金色から黒髪だなんて、白髪みたいなもの? 無理しているとか、ストレスでも……」


 俺の言動と反し、麦はあからさま心配しているようだった。

 微妙に話が噛み合わない。


「勘違いしてない?」

「勘違い……?」

「元々、俺の髪は黒いよ?」

「え」

「これ、金色に染めてる」

「染め、えっと染めてる?」

「そう。あえて金色にしてもらってるの」


 麦はぱちぱちと瞬きをした後、俺の髪の毛をじっくり見てくしゃっと不躾に髪を握った。


「へぇ、染めてるんだ」


 はじめてみるように関心していた。

 そして、俺の含みのある言葉を聞き流してはくれなかった。


「あえて金色にするっていうのは何か理由があるの?」

「あ、えっと、こっちのほうが……」


 自分でも今、しまったという顔をしたのがわかった。

 つい口が滑ってしまった。

 慌てて口を噤んでみたが意味はなかった。ごにょごにょ絞り出したのは一言だけだった。


「仕事で……」

「仕事のため?」

「そう、仕事。うまくいかないから逃げ出してきたんだけど。そうしたらここに辿り着いたって感じで」

 

 泳いでいる俺の瞳を麦は無理に追いかけてこようとはしなかったし、それ以上は聞いてこなかった。

 麦は自身の髪の毛を眺めていた。


「僕も髪色変えられるかな」

「何色?」

「月の色」

「それは、何色?」



 とても静かな夜。

 何度寝返りを打っても眠ることができなかった。

 そういう日はきっとろくなことがない。

 やってきたのは睡魔ではなく、また誰かが追いかけてくるような感覚だった。


「また……」


 緊張感と息苦しさと苛立ちで頭がぐるぐる回っていく。

 布団をかぶってもバクバクと心臓が暴れていることをより理解するだけだった。

 耳の奥から聞こえてくる誰かの笑い声と、ひそひそとこちらを見ながら呟かれている話し声。

 関節が強張ってくる。汗が止まらない。


「逃げないと……」


 いつ爆発してもおかしくないような心臓を抱きながら、ベッドを降りた。

 裸足でぺたぺたと早足で玄関へ向かう。

 そのまま外に出ようとドアノブを掴んで足が止まった。


「……麦には声を掛けなきゃ」


 頭に浮かんだのは麦の顔だった。

 俺はぺたぺたと重い足取りで引き返し、彼の眠る部屋に向かった。

 もうすでに寝ているだろう、いや寝ていてほしい。

 麦の枕の横に立ち尽くして、声をかける。


「むぎ……」


 穏やかな寝顔を見ながら、起きないだろうと思った。

 返答は期待していなかったのに、真っ暗闇の部屋の中で声が返ってきた。


「アオ?」

「俺、逃げないと……」

「どこへ?」

「わからないけど……」

「うん……」

「ここにいたら、捕まる」

「捕まらないよ」


 俺の言葉のスピードを緩めるように麦はゆったりとした返答で感情を包んでくる。

 次第に俺のまくしたてる話し方が落ち着いてくる。


「今日は雨が強いから、明日にしたら?」

「ちょっ」


 麦は俺の腕を引っ張ってベッドに引き入れた。

 お互いに背を向けるような形で寝そべると背中から声がした。


「……アオは僕のところまで逃げて来たんだね」

「……なにそれ」

「一人でよく頑張ったね」


 よく頑張ったと月並みの言葉で俺を語るなと思った。

 しかし、少しずつ体中に麦の言葉が浸透すると、穏やかになった心臓を抱えながら泣いてしまった。

 体の奥底から逆流してくる感情がうまくコントロールできない。

 肩を震わせて泣いた後、俺はようやく過去を語る決心をした。


「寝た?」

「そうだね。もう寝ようかと思ってたよ」

「つまらない話なんだけど」

「つまらなくないよ」

「どうだか」

「話せることだけでいいよ」

「……麦が好きだって言ってたラジオの歌手」

「うん」

「俺……」

「早く言ってよ。サインちょうだい」


 身体を返して麦の背中に自分のサインを人差し指で大きく書いた。

 そして、そのまま背中に額を擦りつけながら話し出す。


「俺ね……5年前に声をかけられたんだ」

「うん」


 つまらない話と前置をし、つまらなくないと言ってくれた麦の声色を確かめてしまう。

 人をないがしろにする人ではないと理解しているのに、自分でも触れたくない過去に他人を触れさせることの感覚はこんなにも勇気がいるものなのかと思った。


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