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第二話 デイリーサウンド ※アオside

麦という人について


 この家に住むようになって気づいたことはこの街はずっと雨が止まないということだった。


 窓の外を見て今日も雨かとため息をついた。

 分厚い真っ黒な雲を見続けて一週間もすれば明日は晴れるかもしれないと考えることをやめた。


「もう飽きた?」


 窓の外を眺める俺に麦が言った。

 飽きるという感情ではなかったけれど、変わらない景色に心が動かなくなったのはそういうことなのかもしれない。


「……飽きてない」

「もう少し経てば慣れてくるよ」

「ふーん」


 麦は淡々と言葉を紡ぎ、ラジオから流れる会話や歌をぼんやり聞いていた。

 穏やかに緩やかに流れていく時間の中で突然、焦燥を感じた。


「はぁ、はぁ」


 何かが迫ってくるような緊張感にさいなまれ、俺は立ち上がった。

 ぱたぱたと部屋中を歩きまわり玄関の扉を開けて、無性に外へ飛び出したくなった。


 雨に濡れてもいいから外に走り出したい。


 この得体のしれない何かが追いかけてくるような緊張感と焦燥をかき消したい。手汗がにじむ掌でドアノブを掴んで、扉を開き、外に顔を出した瞬間の事だった。


「アオ!」


 体に電撃が走るほどの大声が響いた。

 耳と背筋が痺れている。

 純粋にびっくりしたのだ。

 あと一歩踏み出せば、雨に打たれるというところで体が止まった。

 麦に腕を引かれて家の中に引き戻された。

 力強く引かれた右腕が若干痛みを感じた。

 ひ弱な同居人からは想像も出来ない程の強さだった。

 驚いたのもあって、反射的にバッと振り返り麦を見た。彼は何も発しない。震えている手もその表情も全て怒りに満ちていた。いつもの穏やかな表情は見る影もない。


「……ごめん」


 気圧された。

  脳を通さない感情から来る言葉がこぼれた。


「僕の方こそ、大きな声を出してごめんね」


 麦は掴んでいた俺の腕をだらりと離した。

 


 沈黙と気まずい空気が充満する部屋。

 先程まで座っていたソファに叱られた子供のように膝を抱えて座り直した。

 麦はラジオの電源を切って隣に腰を下ろしてきた。

 麦の体がソファに沈んでいくの横目で何の気なしに見ていた。

 

 ちっせえ身体。ほんとに年上かよ。

 この小さい手にさっきは痛いくらい掴まれたのか。


「ごめん。何も知らない君に……」


 麦は小さい身体をさらに丸めるように頭を下げた。

 もう怒ってはいなさそうだった。


「別に……」

「説明しておくべきだった」

「なんの説明?」

「ここは365日……雨の止まない街なんだ」

「別に……驚かない」


 そっけない返しをする俺に麦はうーんと眉をハの字にして困っていた。


「驚く、驚かないってことではないんだよね」

「?」

「僕がさっき、大声を出したのは君が勝手に家を出ようとしたからじゃないんだ。怒ってもいない」

「別に気にしてないって」


 麦は指で鼻の頭を触り、息を吐きだした。


「この街の雨はね。人を殺す雨なんだよ」


 そんなファンタジー小説みたいなことを言ってどうするんだと話半分で聞いていた。

 しかし、麦の表情と声色がやけに落ち着いていたから、嘘ではないということに説得力があった。

 麦はたまにそういう話し方をする。聞かせる話し方だ。

 親が子供を諭すような雰囲気に似ている。


「大袈裟に言ったけど、即死をするわけじゃないよ。雨に濡れると火傷みたいに皮膚が炎症を起こして、爛れて……最悪の場合死ぬ」


 返す言葉が見つからなかった。


『アオ!』


 まだ耳に残っているあの声の大きさの意味を考えるときっと誇張で言っているわけじゃない。


「……ごめん」

「謝る必要はないよ。君は何も悪いことはしていないんだから」


 麦はついでにいろいろ話しておこうかと言って立ち上がり、玄関前に置いてある大きめの傘を手に戻ってきた。


「この街のルールを説明するね」

「傘?」

「そう。雨が降っていれば傘をさすことは至極当たり前に思えるけど、この街の傘というアイテムは身分証も兼ねているんだよ」

「身分証?」

「うん、言葉通り。この街の住人ですよっていう証」

「傘なんてどこにだって売ってると思うけど」


 麦はうーんとまた眉を下げた。そして、傘をバンッと開いた。

 俺と麦に影がかかる。


「この街に傘は売ってない」

「そんなわけ、傘なんてどこにでも」

「どこにもないから、証になるんだよ。この傘は特殊な加工をされている。生まれた時に街から支給されるもの。成長してサイズが合わなくなったら申請を出して新しいものと交換してもらう。傘がないと外に出られないからね」

「変な街」


 一瞬だけ、麦が固まった。そして、ふと脱力するように微笑んだ。

 パキ。

 麦は傘を畳んで傍らに置いた。


「最初はそう思うよね。でも、そんなに変でもないんだよ」

「……どこがだよ」

「この街は傘を持っていれば全てのものが保証されているんだ」

「全てのものが保証される……?」

「そう、例えば働かなくても毎月決まった日に一定のお金が手渡しで支給されるし、住居も与えられる。この家もそう。必要なものがあれば何でもそろっている商店もある。働かなくてもいいけど、もちろん働いてもいい。特に医療関係、郵便局員、役所の職員は高性能なレインスーツが支給されるし、高給取りだから人気があるんだ」

「へぇ。給料高いんだ」

「一定のリスクをおかして働くんだから当然の権利だと僕は思うよ」

「変な街だけど……合理的なんだな。でも、働かなくてもお金がもらえるのに働きたいっていう奴もいるんだな」

「住めば都とは言い得て妙だね。でも……」

「でも?」


 麦の表情が曇った。

 数秒まで朗らかだった表情は今はなく、口を噤んでしまった。

 俺が顔を覗くと苦笑していた。


「傘をもっていない人にはとことん冷たい街でもあるんだよ」


 その言葉の意味を理解する間もなく、麦は語り続けた。


「酷な話。君のように行き倒れていた人を助けるなんて考えは最初から持ち合わせていない。さっき説明した言葉を裏返していくなら、一定もらえる生活費は傘を持っている人しかもらえない。必要最低限の文化的な生活を送れるくらいのもの。不自由はないけど、誰かをかまってあげられるほど余裕もない」


 俺は麦に返す言葉もなく、相槌をうつこともできなかった。

 どんな思いで麦が俺を助けたのかを考えていなかったわけではないが、ただ運がよかっただけだと理解した。

 途端に呼吸が浅くなった。肺から空気が抜けている気がする。


「外から来た人が住人になる方法はある。役所に申請を出して、傘が届けば必要なものはすぐに揃うよ。でも、雨に打たれながら申請が通るまで……生きていられたらの話なんだけど」


 麦はいつのまにか黙りこくり、丸く縮こまった俺の背中をさすった。

 小さい子供をあやすような手つきだった。


「怖がらせたかな。ごめんね」

「……いや」

「怖がらせるつもりもないし、追い出そうなんて思ってもないよ」

「……どうして、俺を助けたの。麦だって余裕はないだろ?」

「僕は物欲もないし、あまり多く食べる方でもないから一人でも余裕があるんだ。……運がよかったね、って言ってあげた方が君の負担にならないかな?」

「……ごめん」

「気にすることは何もないよ。謝ってもらいたいわけでもない」

「……早く出ていくから」

「そんなこと考えなくていい。でも、どうしてさっきは外に出ようとしていたの? 出ていこうとしたの?」

「わからない……いきなり何かが追いかけてくるような感覚がして……息が、できなくなりそうで」

「そっか」


 麦は俺の行動理由に言及することはなく、少し寝たほうが良いと繰り返した。

 バクバクと暴れる心臓を落ち着かせるようにとんとんと腕を叩いてくれた。

 だんだん、自分の身体が麦の小さい身体に傾いていく。

 

 大丈夫、誰もここには来ない。

 家には入れない。

 僕がいる。

 そう繰り返し呟いていた。


 気づけば俺はその場で眠ってしまったようだった。

 

 麦は包容力がある。

 という表現で片づけてしまうには物足りない。年齢以上に積み重ねた生の長さを感じる心の広さに救われていく。

 自然と寄りかかりたくなる。

 


 麦はとても静かな人だ。

 感情の起伏が少なくて、常に穏やかだ。

 声を荒げたのはあの一回だけだった。

 規則正しい生活リズムを繰り返す。

 朝の決まった時間に起きて、決まった時間に寝る。

 忙しなくカチカチと生を刻んでいく音がしない、音のないメトロノームような人。

 

 ただ、麦の脆い部分を少しだけ目の当たりにしたことがある。

 一週間に一度あるかないかの頻度で真夜中に苦しんでいる。


 夜更けにトイレへ行った帰り、割り振られた自室に戻る途中のことだった。

 雨の音が微かに聞こえる家の中でうめき声が響いた。

 苦しそうな呼吸音とぎしぎしとベッドの軋む音。


「麦の部屋?」


 具合が悪いのかもしれないと部屋に入ると苦しそうに胸を押さえる姿があった。


「おい、大丈夫か?」


 身体を揺すっても起きない麦の傍らにいると譫言のようにある言葉を繰り返す。


「はぁ、はぁ、歌」

「歌?」

「なんでもいいから!」


 俺は喉仏をぐりっと触った。さらに掴むように触る。


「ごめん……」


 歌のかわりに麦が落ち着くまで背中をさすっていた。

 落ち着いたら部屋に戻ろうと思っていたのに、そのまま眠ってしまった。

 


 目を覚ますと麦は不思議そうに俺を眺めていた。


「あのさ部屋、間違えた?」


 麦はやれやれとした表情で微笑んだ。

 つい流されて俺も夢だったのかと言われればそのように感じてしまうくらいだった。


「おはよう」


 昨夜の振り切れそうな幅で刻んでいたメトロノームはどこへ行ったのだろう。

 今日も変わらず、麦の音は聞こえない。


ぽつりぽつり雨みたいな会話の寄せ集めのNとS楽しいですね

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