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第一話 ホワイトノイズ ※麦side

雨の止まない街で、家の前に人が倒れていた。


 今日も止まない雨が降っている。


「……何か言ってよ」


 悲し気につぶやいた僕に返ってきた言葉は何一つなかった。

 機嫌の悪い君の機嫌を取る方法をひとつも持ち合わせていなかった。

 何も持ち合わせていない僕は叩いてみたり、ひっくり返してみたりと様々方法を試したが、一時間経っても付き合いの長いお気に入りのラジオはどこからも音を拾ってくることはなかった。

 溜め息をついて、さらに肩を落とした。


「修理してもらわないと……」


 僕はラジオを鞄に入れて背負い、玄関前にかけられた丈の長いレインコートを着て、フードを被った。さらに長靴を履いて、大きめな傘を掴んで、雨の降る外へ出ようとドアノブを握った。

 娯楽が読書とラジオしかない僕には喋らない相棒は死活問題だった。

 急病人を医者に急いで診せに行く、そんな勢いに等しい。


 どうか、僕のラジオを助けてほしい。機械のお医者様はいませんか!?


 その願いを胸に抱え玄関の扉を開くと、目の前には人が倒れていた。

 人だと認識するまでに少し時間がかかってしまったのは真っ先に視界に入ってきたのが月に似た色をした髪の毛だったからだ。

 厳密には僕の知っている月ではない。

 雨に濡れ濁った金色だった。


「月が落ちてる……」


 雨に濡れて地面に根を生やそうとしているうねった髪の毛の隙間から赤くなった耳を見て、慌てて倒れている人に駆け寄った。


「こんなところで倒れないでよ……」


 体にかぶさるようなコートを夢中で引っ張り、家の中に入れた。



「はぁ、はぁ、しんどい。思ったより大きいな」


 どうにか近くのソファに寝かせることができた。

 濡れている顔や髪を丁寧にタオルで拭いであげた。


「濡れたままは可哀相かな」


 自分より体の大きい人間の服を着替えさせることの大変さを身に沁みて感じながら着替えさせた。

 着替えさせた僕のサイズの服は彼にとって少しだけ窮屈そうだ。

 

 濡れているコートやそのほかの服をハンガーにかけてぼんやり眺めていた。

 二十歳くらいの青年だった。

 やけにボロボロに痛んだコートを見てただ意味もなく地面に倒れていたわけではないのだと想像する。

 がさがさと音がして自分がレインコートに長靴を履いたままであることに気づいた。ラジオと青年を交互に見て渋々、レインコートと長靴を脱いだ。


「ラジオの修理には行けなさそうだなぁ」


 レインコートを壁にかけているとふがっと青年が鼻を鳴らした。

 健康的な小麦色の肌に僕よりも高い鼻筋。長い睫毛。小さすぎず、大きすぎない肢体。作られたのかと思うくらいバランスがいいなと思った。


 青年が目を覚ましたのは二日後の事だった。


 特に何もすることがなく読書をしていると青年は大きく寝返りを打って唸っていた。

 歯ぎしりしてる。

 少しして上体を起こした彼はまだ開けきらない瞳で自分が着ている服に首を傾げてみたり、あたりをぐるりと見渡したりしていた。

 この部屋の中、唯一の生き物である僕と目が目が合って、青年の瞳が一瞬大きく見開かれた。彼は、すぐ目をそらした。やましいことでもあるかのようだ。

 僕は手元の本にしおりを挟んで閉じ、隠し事の多そうな青年に話しかけた。


「おはよう」

「……」

「お腹は空いてる?」

「……」


 僕の問いに青年は首を横に振った。


「そっか。何か飲む?」

「……」


 また、青年は首を横に振った。


「僕は何か飲もうかな」


 僕は自分のカップの中が空になっているのを見て台所に入り、やかんに火をかけた。

 もう一度自分が座っていた場所に戻った時、大きく腹の鳴る音がした。

 僕ではない。消去法で彼だ。

 その音を辿り青年を見ると膝を抱えていた。


「パンでも焼こうか?」


 棚からパンを一斤取り出して少し厚めに一枚切り出し、トースターに入れた。


 チチチ。


 トースターのタイマーが音をたてて、今焼いていますよと言っていた。

 二日も何も食べてないんだ。お腹も空くに決まってる。


 青年は漂ってきたパンの焼ける匂いに少しずつ顔を上げた。

 僕は彼の表情が少しだけ緩んでいくのが面白くて仕方がなかった。

 よほど、お腹が空いていたのだろうか。


 カチャカチャ。


 頬を緩ませながら冷蔵庫からバターといちごジャムを取りだし、お皿を出した。


 チン。


 焼きあがったパンをお皿にのせ、バターといちごジャムを指で挟んで持っていく。

 青年にパンの乗ったお皿を手渡した。


「バターとジャムもあるけど、使う?」

「いらない」


 さっきまで緩んでいた表情がいつの間にか、つっけんどん。


「なくても美味しいけど、つけたらもっと美味しいよ?」


 青年はパンとバターとジャムと僕の顔を見て、ぼそりと呟いた。


「……バター」

「どうぞ」


 ナイフでバターを切り出してパンの上にぽんとのせてあげた。


 じんわり、じんわり。


 溶けていくバターを青年は口を結んで眺めていた。

 バターが溶けた後、青年は待ってましたと言わんばかりに大きく口を開いてぱくぱくとパンを頬張った。

 一口が大きい。

 コーヒーか紅茶でもどうかと聞くと小声で水でいいと呟いた。

 とりあえず、白湯を出しておいた。

 青年の食事が終わり一息ついた頃、ようやく僕の番だと思った。


「君の名前は?」

「……アオ」

「アオって言うんだね」

「……うん」


 正直返答があるとは思っていなかった。

 彼はアオというらしい。


「いくつ?」

「……十七か十八くらい」


 聞けば単語でも答えてくれるようだった。


「あんたは?」

「僕は麦」

「歳は?」

「たしか……二十くらいだったかな」


 アオはわかりやすく驚いた顔をしていて、年上……と呟いていた。


「別に年上年下は気にしないでいいよ。僕は気にしたことがない……それより、どうして家の前に倒れていたの?」


 聞けば単語でも答えてくれていたアオはその問いかけには何も答えてはくれなかった。

 ただ、ぼんやりと遠い目をするだけだった。

 その後も何故倒れていたのか、どこから来たのかという類の質問にはいくら聞いても答えてはくれなかった。

 こういう場合はどうするのが正解なのか。

 僕には追い出す理由も勇気もなかった。


「君がどこにも行く当てがないのであれば、ずっとここにいてくれてもいいよ」

 

 アオは頷いただけだった。


 とても曖昧に、静かに流れるままに、僕とアオとの共同生活が始まった。

 アオと生活をはじめて数日。

 アオを一人残して外に出かけるかどうかを悩み、手に収まる沈黙のラジオをいじりながら、どうするべきかを考えていた。


「それ」

「ん?」


 アオは僕の手元を指さしていた。


「これ?」


 アオにラジオを見せると彼はじっと覗き込んだ。


「なにそれ」

「あぁ、これはラジオ。見たことない?」

「へぇ」

「最近壊れてしまったみたいなんだ」

「音が鳴らない?」

「そう」

「大事なの?」

「まぁ、そうだね。修理に出そうとは思ってる」


 ふーんと、さも興味のなさそうな声と裏腹にアオは僕の手からスッとラジオを抜き取った。

 ラジオをひっくり返したり、ダイヤルを回して耳にあてたりしはじめた。


「工具はある?」

「たくさんはないけどドライバーとかなら、あるよ」

「それでいいよ」


 アオはラジオとドライバーを片手に手際よく中を開いていく。

 バラバラにされるのか。

 あーあーと僕が絶望の声を出している横でアオは慣れた手つきでいじくっている。


「うるさいな」


 アオに怒られたので口を噤んだ。

 それから僕はただ茫然と口を開けて見守ることしかできなかった。


「はい、おわり」


 いつの間にかアオはラジオをもとの姿に戻し、何事もなかったかのような素振りで僕に返してくれた。


「何したの?」

「何もしてない」

「直してくれたの?」

「さあね」


 僕は受け取ったラジオの電源を入れた。

 昨日まで沈黙だったラジオがいつもの通りしゃべりだした。

 心なし音が鮮明になったように感じる。


「ありがとう」

「別に……」


 直後、そのラジオから流れてきた歌に耳を傾ける。

 それは僕がほぼ毎日欠かさず聞いているとても好きな歌手の曲だった。

 中央の街で今一番人気がある歌手の歌とのことでどこかのチャンネルで必ず流してくれている。

 最初は歌声、曲調が好きで聴いていた。

 この声と曲を聴くだけで落ち着ける。

 それから次第に歌詞にも惹かれて気づけばこの歌手自体好きになっていた。

 聴き入っている僕にアオは聞いた。


「その曲、好きなの?」

「曲? 好きだね」

「ふーん… … 」


 アオは顔をしかめていて嫌いだと言いたそうな雰囲気だった。


「僕は曲だけじゃなくて、この歌手も好きだよ」

「へぇ、会ったことがあるの?」

「会ったことはないよ。顔も知らない。どこかで会ったとしてもわからない」

「会ったこともない人をよく、好きなんて思えるな?」

「……なんでだろうね」

「たいしてそんなに好きじゃないってことじゃない?」


 やけに突っかかってくるアオに少し違和感を覚えながらも、僕は僕でアオに言われた言葉の中身を考えてみた。

 確かに、会ったことも見たこともない人を好きなんて今まで思ったことなかった。では、何に惹かれたのか、眉間にしわを寄せ真剣に思い当たるポイントを探し出した。


「厳密には好きとは少し違うのかもしれない。歌手が祈るように時には叫ぶように、助けてって請うような感情がこうなんて言ったらいいんだろう……伝わってくるっていうとまた少し感覚的に違うんだけど……電波信号みたいに響くんだよ」

「へぇ、じゃあこいつの歌自体は別に上手いってわけでもなくて、下手なんだ」

「下手じゃないよ。上手だと思うよ。僕が音痴だから尚更」

「音痴の歌、聞いてみたい」

「それは勘弁してほしいなぁ」


 へらへらと笑っている僕につられてか、アオもふっと口角を持ち上げたように見えた。    


 アオは一緒に生活をする中で何も問題はなかった。

 家事の手伝いは進んで行う。

 僕よりも綺麗好きなようで掃除も丁寧だった。

 特段わがままを言うこともなく、何か攻撃的な一面を持って人を傷つけるなんてこともなさそう。

 挨拶もできるし、頭も悪くない。アオの時折見せる年相応の笑顔だったり、少し意地悪そうな話し方だったりを見て安心する。


 ただ、一つだけ気がかりなのはふと見せる何かに怯えるような瞳に喉の奥がきゅっと締まる感覚がする。

 そういう瞳をしている時は触るな、近寄るなと言われているような雰囲気を醸し出している。


 アオと過ごしていく中で気づく。

 僕はこんなにも他人の機微に敏感だっただろうか。


麦とアオの不思議な共同で生活のはじまりです。

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